第56話 「急転直下」
どれくらいの日にちが経っただろう。
βに殺されかけて、αに助けられて、新しい呪いを刻まれて、エリムと刃を交え合って、という日々が続いていた。
あれから、吸血鬼に襲われて誰かが殺された、という話は聞かない。
だとしたら、あの二人が言っていた「魔の力を集まる必要がなくなった」という言葉に現実味が帯びてくる。
まだまだ胡散臭い二人だが、信用するくらいなら問題はないのかもしれない。
正直αもβもいけ好かないけれど、こちらを騙してくるような性格には思えなかった。どこか、妙な義理堅さを感じさせる姉妹なのである。
「よし。これで義手のほうはある程度大丈夫だろう。エンリカほどの精度は無理だが、それでも実用に耐えうるくらいには整えたつもりだ」
そしてそんな平和な日々の中。俺はレイチェルに義手の整備を任せていた。
ゴリアテの操作もお手の物だが、彼女はそれらを自分でメンテナンスする器用さも兼ね備えている。俺の義手も彼女が定期的に診てくれなければ直ぐに動かなくなってしまうだろう。
「しばらく酷使していたのか、いくつかの部品が摩耗していたぞ。新規で作り上げるにはここには設備がないから、摺り合わせを行ったくらいだが、幾分かはマシだろう」
機械油で汚れた軍手を外し、彼女は部屋に備え付けられていたポットを取った。彼女はそこから紅茶を二つのカップに注ぐ。
一つがこちらに突き出された。
「小休憩だ。義手の装備は少し待ってくれ。君のチョーカーとの接続を確認したい」
片腕のまま、カップを受け取る。最近は仮初めとはいえ、両腕が揃っていたからどこか落ち着かない感じだ。レイチェルはそれに気がついたのか、わざわざ俺の右側――腕がない方に腰掛けてきた。
「……イルミから聞いたぞ。青の愚者との戦いで失ったんだってな。腕一つで愚者を下せるのなら、安いものだったのか?」
レイチェルに言われて、肘から先がない右腕を見る。こちらの世界に来る前は身体の欠損なんて到底考えられなかったけれど、今となってはそこまで執着するようなことでもないような気がしていた。
これも、吸血鬼の呪いを刻まれて考え方まで変わったからかもしれない。
けれど、安い代償だったか、と言われればそれも違う気がする。
「安くはない。必要なものだった」
そう、これは必要な代償だった。あの時腕を切り飛ばしていなければ、青の愚者を欺いていなければこの場に俺はいなかっただろう。だから素直に、胸のうちを明かした。
「そうか。ならお前は緑の愚者を討つのに、何を代償にする? 今度は腕で足りるのか?」
レイチェルの思わぬ問いに、俺は驚いた。驚いて、咄嗟には言葉を返せなかった。
え? 緑の愚者を討つ? いや、確かに赤の愚者は最終目標に持ってきてはいるけれども、緑の愚者と争おうとは考えたことがないし、言った覚えもない。
どこでそんな勘違いが生まれているのかわからないが、ここは訂正しておく必要があると思った。
「何も失わないし、奪わせない」
Oh……。
久しぶりにリテイクを願いたくなるような言葉を告げてしまった。正確にはこれ以上何かを失ってまで、無謀な挑戦はするつもりがない、だ。
だがレイチェルはある程度意味を組んでくれたのだろう。少しだけ安心したかのように、小さく笑うとテーブルに残されていた義手をこちらに持ってきた。
「そうか、ならもう一つだけ聞いて良いか?」
レイチェルの鳶色の瞳がじっとこちらを見る。義手が右腕に嵌められる。ちょっとした衝撃が敏感な断面に伝わって思わず声が出た。
彼女が口を開いた。それは有無を言わせない口調だった。
「ボクとイルミに何か隠していることはないか?」
/
レイチェルはほぼ確信を持ってアルテを問い詰めた。
アルテが言った言葉――「何も失わないし、奪わせない」
それが彼女に確信を持たせた決定打となった。
少し前のアルテならば全ての犠牲を振り払ってでも、愚者を殺すと言っていただろう。実際、青の愚者と白の愚者を自身の肉体を顧みずにその手に掛けてきたのだ。緑の愚者がその例外であるとは考えられない。
おかしな感じは前からしていた。
まずはイルミに対する態度だ。これまでアルテのイルミに対する接し方は良くも悪くも淡泊で距離があるものだった。
決して蔑ろにするわけではないが、必要以上に触れあうわけでもない。
ともすれば、思春期の男女のような関わりを続けていたのが、アルテとイルミなのだ。
そんな二人がここ最近はやけに親密だ。
イルミがアルテに付きまとうのはいつものことなのだが、アルテも暇さえあればイルミを目で追っている時があった。
そしてイルミが近づいてきても、邪険に扱うことなく好きにさせているのである。
さらには彼女が一人で出歩くことを良しとせず、必ずレイチェルか、それかアルテ本人が側にいるよう気を配っているのである。
これまでのアルテからすれば考えられないほど、イルミのことを気に掛けているのだ。
ならその心境の変化はどこから来ているのか?
イルミに命を救われたからだろうか。
それとも彼女が抱いている、一種の呪いのような恋慕に気がついたからだろうか。
その他にもさまざまな可能性に考えを巡らし、レイチェルは全てに否、と答えた。
アルテのおかしな行動は、感謝や恋慕といったものから来ているものではない。
どちらかというとそれは、イルミを守らなければならない、という一種の強迫観念から来ているように思われるのだ。
詳しい理由までは思いつくことが出来ない。けれどもレイチェルの勘はその推測がそこまで的を外したものではないことを告げていた。
その証拠に、「何か隠しているものはないか」という自身の問いに、アルテが視線を逸らしたのを見逃さなかった。
「もう一度聞くぞ。アルテ、君はボクとイルミに何か隠しているな」
今度は問いとしての形ではなく、詰問として追い詰める。
アルテが上体を一歩傾けた。レイチェルが一歩詰め寄った。アルテは二、三秒ほど、黙りこくり、やがて重々しく口を開いた。
「……イルミが狙われている。彼女の魔の力を狙って何者かが動いている。まだそいつが誰なのかわからない」
アルテの告げた真実はある意味でレイチェルの予想通りだった。何処かそんな確信が彼女にはあった。
レイチェルもこの街に渦巻く、碌でもない欲望の災禍をその肌で感じていた。
「彼女はもともと赤の教団の奴隷なんだな?」
レイチェルの問いにアルテは肯定の意を返した。
「ならあの馬鹿げた魔の力の量も、その時から有していたものか?」
言われて、アルテは己の記憶を辿った。
あの薄汚れた世界の底で、絶望に瞳を濡らしていた少女の姿を思い出す。
「……当時の俺は今みたいに魔の力を見ることは叶わなかった。でもクリスはイルミを見て大層驚いていたから、おそらくあれは先天的なものなのだろう。そしてそれに目を付けた赤の教団が彼女を幽閉していた」
「なるほど、なら前例はあるわけだ」
何かを考えるかのように、レイチェルは指で口元を押さえた。それなりに頭の切れる彼女が、知恵を絞り出すときの癖である。
ややあって、考えにまとまりがついたのか、レイチェルは口を開いた。
「なあ、アルテ」
なんだ、とアルテは首を傾げる。だがそれ以上は言葉を紡げない。何故ならベッドに腰掛けていたアルテはいつのまにかレイチェルに押し倒されていたからだ。
隻腕の狂人は、普段のその姿からは想像できないほど呆気なく、ベッドに倒れ込んでいた。
口を開きかけたアルテの口をレイチェルが唇で塞ぎ、キスの雨を降らす。
小鳥が餌を啄むように、唇を押しつけながら、そっとレイチェルがアルテの耳元でこう告げた。
「……演技だ。合わせてくれ。監視の目を欺く」
言われて、驚いていたアルテも落ち着きを取り戻し、自身に乗っかっていたレイチェルを抱き寄せた。
「イルミが心配なのもわかるが、ボクももっと可愛がってくれないか」
少し怒ったように、嫉妬深い女をレイチェルは演じる。アルテもそれに乗っかってあやすようにレイチェルの頭を隻腕で撫でた。
「……イルミを連れ出してここから抜けだそう。暗殺教団への義理はもう既に返し終えた筈だ」
「可愛がるにはもう少し素直になってくれないか。それに今はイルミを狙っている奴を探すのに精一杯なんだ。わかってくれ」
続いて、アルテの方からレイチェルの耳元で囁く。
「……追跡をかわすだけの機動力が必要だ。ヘルドマンに騎竜を寄越して貰うよう頼まなければならない」
あとはベッドで互いを乳繰り合う男女を演じるだけだった。
睦言を告げているように見せかけ、逃亡の算段を立てていく。
実際のところ、イルミを連れて逃げ出すという案は、アルテからしてもそう悪いものには感じられなかった。
「……グランディアからここまでは一週間くらいか?」
「……ヘルドマン謹製の騎竜ならもう少し早いだろう」
「……緑の愚者が追ってくる可能性は?」
レイチェルの言葉にアルテの手が止まった。いつの間にか上下が入れ替わった二人は、沈黙のまま視線を交わす。
アルテはレイチェルに馬乗りになったまま、視線だけを壁に立てかけられた黄金剣に走らせた。
それはたとえ愚者であっても、邪魔をするならば切り捨てるという意思表明だった。
「本当、呆れた狂人だな。お前は」
アルテの首に縋り付き、レイチェルは起き上がる。これが最後と言わんばかりに、口づけをし耳元で囁いた。
「……いざというときはボクも蛮勇を振るおう。アルテはヘルドマンに騎竜を手配してくれ。それまでに旅の準備は秘密裏に進めておく」
とん、とそれまでの絡み合いが嘘のように、レイチェルはアルテから離れた。
そして非難めいた口調で彼を責めた。
「人を抱くときも、そうやって剣を気にする癖、やめたほうがいいぞ。女からしたらそれほど萎えることはなかなかないのだから」
あっけからん、とした変わりようにアルテは面食らうが、それもこれも演技なのだ、と思い至ったとき、直ぐさま思考を切り替え、情けない男の台詞を吐いた。
「それはすまない。けれど、そういう性分で生きてきたんだ。今更変えられるものではない」
義手はあとで受け取りに来る、と黄金剣を腰に差してアルテはその場から立ち去ることにした。
できる限り不自然にならないよう、情けない男のまま部屋を後にする。
だからこそ、彼は気がつかない。
一人部屋に取り残されたレイチェルが、ぼんやりと赤い顔のまま、ベッドに腰掛けて立ち上がれなくなっていたことに。
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モテないおっさんには中々刺激的なやりとりだった、とニヤけそうになる表情を押さえて、教団本部の中庭に向かう。
レイチェルの突然の振る舞いには驚いたが、何よりも咄嗟にあんな演技を行うことの出来るスペックの高さが恐ろしい。
クリスもそうだが、俺の周りには多芸な女性が多すぎる気がするのだ。
中庭では何人かの教団の戦士たちがそれぞれ修練を行っていた。
そこにエリムとイシュタルの姿はない。それぞれが持ちうる普段の業務に従事しているのだろう。
ここまで世話になったエリムには申し訳ないが、イルミの身の安全を考える以上、教団から逃亡することはそれなりに真面目に考えねばならないプランになりつつある。
彼にイルミが狙われていることを相談するというプランもあるが、同時に厄介事に巻き込みたくないという心情も抱えていた。
はてさてどうしたものか、とレイチェルに提案された逃亡案、エリムの協力を仰ぐ案と天秤に掛けてみる。
雰囲気に呑まれてレイチェルの提案に賛同したりもしたが、それには乗り越えなければならない壁がそれなりにあるのだ。
「取りあえずはヘルドマンの協力か」
修練を眺めるふりをしつつ、手元の指輪に意識を集中させる。
数ヶ月ここで暮らしてわかったことだが、他の教団の集団がいる近くでは、どうしても監視の目が緩みやすい。
まさに今がその状況なので、これを利用しない手はなかった。
が、ここにきて一つ誤算が生じた。
いつもなら指輪に声を掛ければほぼワンコールでヘルドマンに連絡が取れたのだが、此度は何度呼びかけても応答がない。
何か込み入った事情があるのかもしれないが、正直いってこれは非常に不味い展開だった。
何せレイチェルの提示してくれた案が、いきなり暗礁に乗り上げているのだ。
「……どうした。アルテ。組み手の相手でも探しているのか?」
どっきーん。
思わず心臓が口から飛び出そうになった。
恐る恐る振り返ってみれば、いつもの真紅の槍を掲げたエリムが立っていた。その瞳は身体を動かすチャンスに輝いている。
どうやら俺とレイチェルの企みにはまだ気がついていないようだった。
「いや、少しばかり外の風を吸いに来ただけだ」
「そうか。なら少しばかり付き合っていけ」
言って、槍をこちらに向けてくる。ここで断ってしまえばいらぬ懸念をエリムに抱かせそうなので、俺は黄金剣を静かに抜こうとした。
だがしかし。
「ん? お前、あの義手を外しているのか」
すかっ、と無い腕が空を切ったのを見て、エリムが声をあげた。
そういえばレイチェルに整備を頼んで、そのままにしてきたのだ。
「……俺は常に全力のお前と刃を交わしたい。今日はお預けだな」
至極残念そうに彼は槍を収める。腰に巻いていた布で穂先を覆い、ふと何かを思い立ったかのようにこちらを見た。
「おおそうだ。すっかり失念していた。実はイシュタルから言伝を預かっていたんだ。お前に用があるから、聖堂のところまで来て貰いたいらしい」
そう言って、エリムは聖堂の場所を俺に教え始めた。
というか、俺が戦える状態なら言伝そっちのけで模擬戦に興じていたんかい。
「一応言っておくが、聖堂は武器の持ち込みが禁止だ。一度部屋に戻るか、それが面倒なら俺が預かっておこうか?」
言われて、腰紐から外した黄金剣を見る。
そういえば白の愚者のところへ鞘を置いてきてしまったので、もう長いこと剥き身のままだ。
このままレイチェルかイルミのところへ持ち帰ってもいいのだが、レイチェルとは些細な喧嘩をしたという設定なので、ここでエリムに預けた方がいいのかもしれない。
「イルミかレイチェルに渡して欲しい。……見た目よりもよく切れる。鞘がないから注意してくれ」
「わかった。お前の魂、我が全霊を持って彼女たちのところへ届けよう」
いや、どこで拾ったかも覚えていない剣だからそこまで気合い入れなくても良いけれど。
そりゃあ無くされると少し悲しいが、別に初めての友人の命を掛けるほどのものではない。
手短にエリムへ礼を述べたあと、久方ぶりの手ぶらのまま聖堂を目指す。
東西南北の四つの尖塔に囲まれた丁度中央。前の世界で言うところのイスラムのモスクによく似た建物へ、俺は足を進めた。
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アルテから託されてた剣を持って、エリムは重いと思った。
それは物理的な重さと、彼から得られた信頼の重さ、両方のものだった。
まず物理的な重さ。
アルテは軽々と、それこそ時折片手で振るっている黄金剣だが、エリムが手にしてみるとそれは恐るべき所行だったのだと気づかされた。暗殺教団の戦士が標準で手にしている剣の三本分は重たく、振り方を誤ってしまえば腕の筋が砕けるだろう。
だがこの重さが武器だとエリムは一目で見抜いていた。
あの狂人の胆力で振り抜かれるこの重さは、それだけで肉を分断し骨を粉砕する。通りであの馬鹿みたいに頑丈な吸血鬼の両腕を切り落とせるわけだ。
次に信頼の重さ。
エリムからしてみれば、僅かばかりの冗談を含ませた提案だった。
武人たる者、己が命を預ける得物をそう易々と他人に渡したりはしない。
それこそ、例え狂人のアルテでも例外な筈がなかった。事実鞘が失われ、剥き身となってもアルテは腰紐を使って常に帯刀を続けていたのだから。
けれどもそれを渡されるだけの信頼を得ていたことに、エリムは喜びを隠しきれなかった。
事実、「全霊を掛けて」という発言はまやかしではない。
万が一の可能性に止まるだろうが、この黄金剣を奪いに来る輩があれば、真紅の槍の元に切り捨てていただろう。
ふらりと、エリムは中央の聖堂を見つめる。
慌ただしいながらも、さまざまな人生の転機をくれた狂人への感謝をその目線だけで語りながら。
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聖堂の入り口には誰もいなかった。
てっきり武器の持ち込みが禁止されているから、門番みたいなものがいるのかと思ったが、全然そんなことはなかった。
若干拍子抜けしつつ、でも面倒な手続き事がなくていいか、と木製の重厚な扉を片手で開ける。
そういえば、白の愚者の執務室に向かったときもこんな感じだったか。
「あら、エリムのことだから伝言を忘れてあなたと打ち合っていると思ったのですけれど、杞憂でしたか」
月明かりが差し込む薄暗い世界の中、聖堂の中心にイシュタルは立っていた。
後ろ手に扉を閉め、部屋の中程へと足を進める。
目線だけで周囲を見回してみれば、ちょっとした体育館ほどの広さと、天井の高さがある大きな空間だった。
壁一面には荘厳な宗教画が描かれており、外周では魔の力を使ったランプがぼんやりと灯っている。
「用とは何のことだ」
イシュタルの眼前に立ち、思っていた疑問を投げかける。本当ならばもう少し柔らかい口調で問いかけたかったものの、このボディがその願いを叶えてくれたことはない。
「……用件をあなたへ伝える前に、一つ昔話をしてもいいですか」
美しい緑の髪を靡かせながら、イシュタルは笑った。
その美貌に一瞬どきり、としたがイシュタルの雰囲気そのものは至って真面目なので黙って肯定の意を返す。
「ありがとうございます。教団の戦士たちはあなたの気を荒れ狂う暴風だと言いますが、中々理知的なところもおありなんですね」
おお、こんなにコミュニケーションで高評価をもらえるのは久しぶりだったりする。
これだけ話が通じるのならば、エリムとイシュタル、二人にはイルミの件を相談しても構わないのではないだろうか。
と、そんなことをつらつらと考えていたらいつのまにかイシュタルは話を進めていた。
「これはですね、随分と昔の話なんですけれど、もともと私はこの都市の出身ではないんです。もっと何処か遠いところの、砂ばかりではなく、豊かな森と草原が広がる綺麗なところでした」
……たしかエリムの話によれば、イシュタルも緑の愚者に拾われたんだったけか。
「――でも、そこで永遠続くかと思われた暮らしはそう長くは続きませんでした。とても強大な吸血鬼が私を浚って、この地に連れてきたのです。私はそれに乗り気ではありませんでした。私はただあの場所で静かに生きていたかったから」
つらつらと語られる彼女の言葉はどこか哀愁を帯びたものだった。
正直、普段の飄々とした態度からは似つかわしくないとすら思ってしまう。
「でも、吸血鬼は言いました。『お前はお前の役割を果たせ。その役割に殉じる限り、好きに生きて良い』と。だから仕方がなく、本当に仕方がなく、私はこの地で生きていくことにしました。全く乗り気ではありませんでしたが、当時は『山の民』と呼ばれていた暗殺者の集団を率いて、この地に君臨していた王を殺しました」
――ん? なんか話の方向がどんどん物騒な気が。
「しばらくは暗殺者たちを率いる者として生きていました。ただそれも長くは続かなかった。私はこの地で得るべき食べ物を食べることが出来なかったから。だってそうでしょう? いきなり、「お前は人の血を、魔の力を食らわねば生きていけない」と諭されても、そう簡単に禁忌を犯すことはできない。だって、それはそんなんじゃ、吸血鬼そのものじゃないですか」
ふと両手を見る。片腕がない。
義手は未だレイチェルが持っている。
黄金剣は――エリムが持っている。
「二人の子供を拾ったのはそのころです。最初は食べ物のつもりで拾ったんですけれど、禁忌を破れなかった私は大人しく二人を育てることにした。男の子には武を教え槍を与えた。女の子にも武と剣を与えた。――それはそれは幸せな毎日だった。吸血も出来ず、魔の力も補給できず、ただ朽ち果てていく毎日でも、二人が成長していくのを見守るのは幸せだった」
残された左腕で、腰元に刺していた短剣を抜く。
滅多に使うことのない武器だが、それでもないよりはマシだった。
「本当はその幸せの日々のまま朽ちていきたかった。でもあの吸血鬼はそれを許してはくれなかった。彼女は言った。『彼がこの地を訪れるまで、自死をすることは許さない。お前が育てている二匹の餌から一人を選んで食らえ。さもなくば二人を殺し、その心の臓をお前に無理矢理喰わせる』と。ああ、なんて傲慢。なんて不遜。あの赤い瞳を思い出すたびに、今でも憎しみの炎で身を焦がされそう」
一歩、前に踏み込んだ。
けれども、足下に絡みついた緑の霧がそれを許してくれない。
「でも選べるわけがないじゃないですか。二人ともこんな臆病な私を母のように慕ってくれていた。私のためにその未熟な武を捧げると言ってくれた。私を愛してくれていた。だから私は反抗した。生まれて初めて、あの吸血鬼に逆らった。でも、死にかけの私は数秒と刃向かうことを許されなかった。そう、今のあなたのように」
一歩、イシュタルが近づく。
「結果は残酷で、死よりも辛いものだった。意識を失い、あの吸血鬼にされるがままだった私は封印していた能力を無理矢理行使されていた。私が私でいられる証明。私がこの世界の七人の一柱に数えられる元凶。魂が朽ちる前であるならば、肉体を入れ替えて永遠を生きる能力」
イシュタルの顔が眼前に迫る。
「あの時の絶望をあなたに教えてあげたい。目が覚めて、この世でもっとも愛していたものの器に入り込んでしまっていたときの絶望を。ついこの前まで母と呼んできたあの男の子が私を見てこう告げるのよ。『どうしたんだイシュタル。らしくないぞ。緑の愚者様の真似事か』、ってね」
お久しぶりです。




