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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第三章 緑の愚者編
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第54話 「新しい呪い」

 真紅の槍がアルテの眼前に突き出される。無限にも近い練成によって支えられる槍術は、一歩間違えれば彼の顔面を吹き飛ばすほどの威力と速度。

 けれども彼は、アルテはそれを恐れることはない。いや恐れどころか、瞬きすらしなかった。

 瞳の動きで槍の軌道を読み、あろうことが義手を使って槍の柄を受け止めたのだ。


「…………」


 信じられないものを見た、とエリムは硬直した。またアルテも、自分が行った所行に驚き、言葉を失っていた。


「見え、たのか」


 エリムが絞り出すように呻き、問う。アルテもまた言葉少なげに答えた。


「ああ」


 時刻は深夜三時。月の恩寵である魔の力に溢れ、月の民がもっとも活発に動き回る時。アルテとエリムはもはや恒例となりつつあった打ち合いを練兵場で行っていた。

 ただ、此度の打ち合いは普段のそれとは意味合いが少し違う。普段が互いの技量を高め合うための訓練だとすれば、今回の打ち合いはアルテに刻まれた新しい呪いを確かめるためのものだった。

 アルテの首筋に新しく穿たれた二つの嚙み傷。それは彼の肉体に新しい呪いを与え、新たな能力を付与していたのだ。


「……前々から化け物染みた戦闘勘の持ち主だったが、ここに来て動体視力も人のそれではなくなったな」


 言われてアルテは両の目をしぱしぱとこすった。まだ見え方に違和感があるのか、彼はよく両の瞳を気にするそぶりを見せている。


「あとは動きのキレだ。速度だけならば以前も卓越したものがあったが、今のそれは斬撃の如き俊敏さだ。お前がステップを踏めば、それだけでこちらが斬られたと錯覚させられるくらいには鋭く、速い」


 滝のような汗を腕で乱暴に拭いつつ、エリムはそう評した。彼は狂人に掴まれた槍をしげしげと眺めると、不意打ちがてらにもう一度、突きを放った。

 アルテはそれすら危なげなくかわして見せ、エリムは小さく溜息を吐いた。


「おまけに反則だな、その反射速度は。不意打ちすら駄目か」


「突きが繰り出されてから見えているのもあるが、何より殺気が読めるようになったと思う。何となく、お前たちの技能である相手の内面を読む、というコツがわかってきたのかもしれない」


 アルテの言葉に、エリムはそうか、と静かに頷いた。

 彼は槍を収めると、アルテにタオルを投げ渡し背を向けた。


「俺はもう少し修練を重ねる。お前は病み上がりだ。休んでこい」


 アルテはそんなエリムに何かを言いかけたが、こちらを先程から見守っている小さな人影を見定めてそれに従った。

 タオルで顔を拭いながら練兵場を後にする。

 練兵場と本部をつなぐ渡り廊下の入り口で、赤い瞳の少女と邂逅した。


「お疲れ様、アルテ」


 いつかの無表情が嘘のように、アルテを出迎えたイルミは優しく微笑むのだった。



      /



 いやー、エリムとの打ち合い、気のせいでなければどんどん死と隣り合わせになってる気がする。

 視覚外からの奇襲は当たり前。悪いときには日常会話の最中にこちらの顔面に向かって槍が飛んでくる。

 正直言ってメチャクチャ怖い。例え新しい呪いで視力が強化されたとしても、一歩間違えれば顔が吹き飛んで即死である。何とか顔には出てないだろうが、さっきの不意打ちなんて思わずおしっこ漏らしそうになってしまった。

 前髪が何本か焼き切られて、ちょっとパーマみたいになっているものもある。

 あとでレイチェルあたりに頼んで切ってもらわねば。


「俺はもう少し修練を重ねる。お前は病み上がりだ。休んでこい」


 身体はまだまだ動けるのだが、度重なる命の危機に気疲れしている今となっては、その申し出は有り難い。

 一度気持ちをリフレッシュしておかないと、次あたりマジで死にそうな気がする。 

 なので大人しく彼に従うことにした。それに、打ち合いが始まってから背後から感じる視線も気になる。

 黄金剣を鞘に収め(結局研げていない)、汗を拭いながら練兵場を後にする。すると練兵場と本部とを結ぶ渡り廊下で、小さな人影の歓待を受けた。


「お疲れ様、アルテ」


 ささやかな笑顔がまぶしいちみっ子。イルミちゃんである。

 俺が酒場で死にかけてからというもの、こうして打ち合いの合間にこの子は出迎えをしてくれるようになった。

 イルミが陶器で出来た瓶をこちらに差し出してくる。中身は魔の力が含まれる特別な酒で、疲労回復の効果がある優れものである。魔の力を棚ぼた的に使えるようになった俺に、こんな風にこの世界独特のアイテムが効果を及ぼすようになってきたのだ。


「ああ、助かる」


 ほどよく冷やされた、少し苦みのある液体を喉に流し込めばたちどころに疲労が回復していく。四肢に力が戻り、あれほど噴き出していた汗も引っ込んでしまった。

 効果てきめんである。


「ねえ、アルテ。私が魔の力をあげた時のこと何か覚えていない?」


 イルミを連れて暗殺教団本部の道すがら、彼女はそんな事を聞いてきた。

 大きな赤いおめめで、不安げにこちらを見上げている。俺は自分が意識を取り戻したときのことを振り返る。

 確か彼女に感謝を述べたことは覚えてはいるが、ぶっちゃけそれ以外のことは殆ど覚えていない。このまま死ぬのか、と漠然とした諦めを抱いていたことくらいなら、しっかりと覚えているのだけれど。


「いや、あまり記憶が定かではない。気がついたら助けられていた」


「そう」

 

 言葉少なげに、けれども少し安心したようにイルミは答えた。

 いまいち質問の意味がわからないが、イルミが納得しているのならば、そんなにも気にする必要はないだろう。

 そんなことよか、これからのこの子の安全について考えることが重要だ。

 αがああ言っていた以上、イルミが誰かに狙われているのは間違いない。ならば出来るだけ暗殺教団の建物からは外出しないようにして、常にエリムやイシュタル、それにレイチェルや俺の側にいるようにする必要がある。


「イルミ、俺から離れるな」


 本当はエリムやイシュタル、と言おうとしたのだけれど、身体は素直に命令に従ってくれない。けれども意味自体はそう違えていないのでそのままにする。


「お前は俺が守る。だから離れるな」


 ただ誰かに狙われている、とは言えなかった。

 余計な心配は掛けたくなかったし、何より新しく刻まれた呪いが俺の言語能力に新しい制限を掛けたからだ。

 それはαとβに関することを誰かに伝えることは出来ない、というもの。

 俺は蘇生されてから、二人のことを暗殺教団に伝えようとしたのだが、口は全く言うことを聞いてくれず、それどころかいつかの激痛が全身を襲う羽目になってしまった。

 この世界に来て最初に襲われた吸血鬼のことを、誰かに伝えられないのと同じような制約である。

 能力的には魔の力を知覚できるなど、便利なこともある新しい呪いだが、イルミに危機を伝えられないことがもどかしい。まあ、自分から離れるな、という言葉は伝えられるので、護衛が出来る分、まだまだマシなのだろうけど。

 とにかくは自身の戦闘力を磨くこと、もっと暗殺教団の戦士たちと連携をとること、これらが当面の目標になりそうだった。



      /



 アルテがあの時のことを覚えていないと言ったとき、イルミは心底安堵した。

 成り行きとはいえ、本人に大好きだと言ったことは余りにも恥ずかしすぎた。アルテが自分のことを拒否していないことはわかっていても、この恋心を悟られてしまうのは顔から火が出るくらい恥ずかしいことだったのだ。

 だから今も、澄まし顔でアルテの隣を歩く。夜の時でも明かりなしに外を出歩けるようになったアルテは、するすると道を進んでいく。盲目のきらいがあった彼はいつの間にか夜の世界でも生きられるようになっていた。太陽の毒に犯されている彼が少しでも救われたことに、イルミは複雑ながらも喜ぶ。

 けれども。

 自分が知らないところでアルテが傷つき、倒れることがあんなにも辛いことならば、彼とは決して離れたくないと思うようになった。

 アルテの新しい力の代償が、彼の苦しみならば、そんなものいらないと思う。

 でもアルテが吸血鬼に挑み続けることをイルミは止められない。

 それが彼の生き甲斐だと知っているから、戦うことを止めてくれとは言えなかった。

 ならばせめて、隣で彼を支え続けようと決意する。どんな些細なことでも良いから、アルテを支えるようなことをしていこうと、イルミは決めた。


「ねえ、アルテ」


 隣を行くアルテがこちらを見た。

 イルミはもう一度だけ、彼にそっと微笑む。


「ずっと側にいるからね」



      /



「よかったのか、馬鹿姉。あれで」


 暗殺教団の本部には尖塔が四つ、それぞれ東西南北の位置にそびえ立っている。そのうちの一つ、南に位置する尖塔の屋根に二つの人影があった。それはαとβと呼ばれる二つの吸血鬼。


「あの人が刻んだ呪いとぶつかり合って、あんたの刻んだ呪いが発動しなかったことは仕方ないにしても、こちらの――月の民の能力を与えたことはやり過ぎだと思うぜ」


 βは視線の先の狂人を睨み付ける。たいした実力もないくせに、常に食ってかかってくる狂人が彼女は嫌いだった。


「いいのよ、あれで。いい加減ハンデはなくすべきだった。彼が緑の愚者・・・に挑むのだとしたら、魔の力が見えないことは致命傷になり得る。だとしたらあの人もこのことは折り込み済みと考えるべきね」


 対するαは慈しむように狂人を見守る。たいした実力もないのに、常に格上に望み続ける狂人が彼女は好きだった。


「……その緑の愚者だけれどよ、本当に狂人と殺し合うと思うか? あいつ完全にビビって日和見をかけている。このままじゃ、狂人の奴、レストリアブールを素通りするかも」


「……そうね。そうかもしれない。かの愚者は愚者の中でも一番臆病だったものね。ちょっと焚き付けないと、駄目かもしれない」

 

 αはそれだけ告げると、狂人に背を向けて尖塔の端に立った。それをβは慌てて止める。


「馬鹿野郎。あんたが飛び降りたら死ぬに決まっているだろう。いつまで三十年前の感覚なんだ。いい加減、身体は人間であることを自覚しろ。吸血鬼としての力なんて、もう殆ど残されていないだろうに」


「ああ、ごめんなさい。彼に呪いを刻んでから、ちょっとその辺の感覚が麻痺しているのかも」


「だいたいあんたが焚き付けたら緑の愚者に殺されるだろうが。心配するな。俺がいく。あんたが狂人に約束したこと、違えさせるつもりはない」


 そう言って、βはαを抱きかかえた。そして夜のレストリアブールの街に消えていく。

 彼女たちの暗躍を知っているのはこの街ではアルテのみ。

 それがある意味で、暗殺教団にとっての、そしてイルミにとっての受難の始まりだった。



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