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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第三章 緑の愚者編
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第53話 「狂人、一度死ぬ」

相当遅くなりました。申し訳ないです。

 視界に光が差す。

 口の中に溜まった血が乾いていて、酷い不快感だ。

 手足は相変わらず他人の物のようで、こんなにも自分の身体は重たかったのかと、驚いてしまう。せめて指先だけでも、と必死に力を込めるが、実際は身動き一つ出来なかった。

 何人かの人物がせわしなく周囲を走り回っている。俺の血に含まれている太陽の力を警戒しているのか、みな素肌を晒すことなくラウンジの残骸を這い回っていた。

 そういえばあの吸血鬼の姉妹はどうしたのだろうか。

 妹に殺されかけ、姉に助けられた。いや、結局は妹にも救われたのか。

 けれども、助かったと安心するには生きた心地があまりにも足りなくて、弛緩した肉体のまま床にそれを横たえる。

 本当は救命に失敗して死んでしまったのかもしれない。

 αにあなたは死にました、と言われたらそれを信じてしまうくらいには生への実感が乏しいのだ。


「―――――――!!」


 金切音が耳を突き刺す。最初は何の音かてんでわからなかったけれども、それが誰かの叫びだと理解するまでそれほど時間は掛からなかった。

 瞳すら動かせないので、耳をそちらに澄ませる。

 聞こえてきたのは悲痛な叫びだった。



      /



「離せ! アルテはまだ生きている! まだ死んでいないんだ!」


 少女が銀に輝く髪を振り乱して、溢れんばかりの涙を流して暴れ狂う。それを押さえ込むのは暗殺教団の戦士であるイシュタルだった。


「駄目です! 太陽の毒の汚染が強すぎて近づいてはいけません! 唯一彼に触れられるレイチェルさんが到着するまで待っていて下さい!」


「うるさい! 離せ、離せえ!」


 少女の瞳に映り込むのは血溜まりの中、無残に転がされた狂人だった。

 四肢から力をなくし、開ききった瞳孔で中空を見つめている。先程から身動ぎ一つせず、胸は一番低いところに落ち込んで鼓動を止めてしまっていた。

 誰が見ても死体としか思えない有様の狂人に、イルミは半狂乱で縋り付こうとする。


「死んでいない! アルテは死んじゃいないんだ! 勝手に殺さないで!」


 だがアルテの死体を片付ける者も、そもそもその生死を正確に確かめられる者もいない。

 触れれば立ち所に身を焦がす毒性の血液を撒き散らすアルテに、誰も近寄ることが出来ないのだ。一応、砂竜の皮で出来た手袋などで完全防備した暗殺教団の戦士が何人か近づいてみたものの、太陽の毒の濃度が高すぎたため、全員が皮膚の痛みを訴えて終ぞ触れられることはなかった。


「私は焼かれてもいい! 焼け死んでもいい! でも彼は見捨てないで!」


 アルテの死を受け入れることの出来ないイルミが叫んだ。その割れんばかりの声色が、惨劇のラウンジに響き渡る。周囲にいた暗殺教団の職員たちはみな一様にその光景から目を背けた。

 幼い少女の慟哭を誰も直視することはできなかった。


「アルテぇ……」


 ついにイルミはその場に膝をつき、泣き出してしまった。ぽろぽろと涙が零れ、数メートル先に横たわる狂人の姿をぼやけさせる。

 やっと認められたと思った。やっと女の子として見てもらえると思った。イヤリングを貰って、もう死んでも良いと思った。

 なのに死んでしまったのはアルテの方だった。エリムに遣いを言い渡されたかと思えば、出先で誰かと戦闘になって、殺されてしまった。

 こんな呆気ない別れが来るなんて想像していた筈がない。アルテは死なないと思っていた。どれだけ強い吸血鬼を相手にしていてもいつも生き残っていたから。

 けれども顔も知らない吸血鬼に、アルテはあっさりと殺された。腹に大穴を開けられて、血を吐き出して死んでしまった。

 それがどれだけ苦しいことなのか、イルミには想像もつかなかった。

 血を失いすぎて、徐々に意識が霞んでいくというのはどれだけ恐ろしいことなのだろう。吸血鬼を憎んでいたはずなのに、その吸血鬼に殺されてしまうなんてどれだけ悔しいことなのだろう。

 最期のアルテの思考を想像するたび、イルミの感情は絶望に塗りつぶされていく。

 自分が愛した人が、世界で一番大好きだった人が、その死の間際に考えたことをしることが何よりも苦しい。


「おい、通せ! 邪魔だ! 早く彼女を通せ!」


 俯き、涙が木製の床に陰影を刻み始めた頃、怒号が酒屋を支配した。それはアルテを友と認め、共に戦っていくことを誓った暗殺教団の戦士、エリムの者だった。彼は共に現れたレイチェルを現場へと押しやる。


「頼む、友を診てやれるのはお前だけだ!」


 作業着に身を包んだレイチェルは倒れ込んだアルテの姿を認めると、一目散にそちらへと駆け寄った。イルミはそんなレイチェルを睨み付け、怒りの声をあげる。


「何をしていたの!」


「本部でゴリアテの調整をしていたんだ! 吸血鬼に襲われた人物がアルテということはさっき知らされた!」


 そう弁明して、レイチェルは躊躇いもせず血溜まりの中に踏み込んだ。だが、すぐにその足が止まってしまう。理由は簡単だった。レイチェルが口元を押さえてその場にしゃがみ込んだのだ。


「レイチェル!」


 苛立ちを隠せないイルミが叫んだ。だがすぐに目を見開いてその場に凍り付く。何故なら口元を押さえたレイチェルの指の間から、赤い血がぽたぽたとこぼれ落ちていたからだ。


「……太陽病のお陰で大丈夫だと踏んだんだけれどもね。これはちょっと想像以上かもしれない」


 彼女が顔から手を離せば、形の整った鼻から血が垂れていた。

 普通の月の民のように身を焼かれると言うことはなくても、アルテの持つ太陽の毒は確実に彼女の身体を蝕んでいる。

 レイチェルにとっても、今のアルテの身体から発散される太陽の毒は濃度が強すぎるのだ。


「アルテ、まだ勝手に死んで良いとは一言も告げていないぞ」


 微動だにしないアルテの頬をレイチェルがそっと撫でる。開ききった瞳孔をのぞき込み、耳を胸に当てて心臓の動きを確認した。だが、どれもアルテが既に死んでいることを如実に物語っていて、レイチェルの心もイルミと同じように絶望に飲まれていった。

 

 ――駄目か。


 誰もがそんなレイチェルの様子から狂人の死を確信した。イルミは僅かに保っていた均衡を失って泣き崩れ、エリムも真っ赤にした目で拳を握り込む。イシュタルも信じられない、と瞳を見開いて硬直した。

 

 ただ、救いの神というものは確実に存在した。


 せめて開いた瞳くらいは閉じさせてやろうと、レイチェルがアルテの顔に手を伸ばしたとき、彼女はアルテの首元に違和感を感じた。それはアルテが吸血鬼に昔刻まれたと語った、噛み痕だ。


「……?」


 記憶の中の噛み痕と、今目にする噛み痕の位置が違う。

 もっと詳しく見れば、前の噛み痕とは反対側の首元に、新しい噛み痕が刻まれていたのだ。

 しかもそれは既に傷口が塞がっており、ただの傷跡とは訳が違う。

 余り吸血鬼ハンターに詳しくないレイチェルでも、それがどういった意味を持つのか瞬時に理解した。


「イルミ! 今すぐこっちに来てアルテに魔の力を流し込め!」


 言われたイルミは意味がわからない、と困惑した。だがレイチェルの必死な形相に突き動かされて、彼女は血溜まりの中を進んだ。直接血に触れることはなくても、そのあまりの濃度に全身が日に焼けたように痛む。

 だがイルミはその歩みを一切緩めない。

 すぐに狂人の元にたどり着いたイルミは、手が焼けることもお構いなしにアルテに縋り付いた。


「まだ、まだ助かるの?」


「ああ。アルテは呪いを刻まれた! 新しい呪いだ! あとは新鮮な魔の力を流すことで呪いの術式が起動する。刻まれた呪いが大きすぎて、自力で息を吹き返すことができなくなっている」


 レイチェルに指さされて、イルミはアルテの首元を見た。確かにそこには、自分の知らない新しい傷跡が存在している。

 もしもそれが吸血鬼の呪いの証拠であるのならば、アルテはまだ死んでいない。

 呪いがきちんと発動しなくて、仮死状態にあるだけなのだ。

 イルミは一縷の望みを胸に抱いて、狂人にまたがった。

 そして、己が練ることのできる最大質量の魔の力を体内に構築していく。イルミの魔の力に当てられたのか、周囲の暗殺教団の戦士たちが思わず呻いた。

 イルミはアルテの両の頬に手を添えて、静かに微笑む。

 

「……ねえ、アルテ。もしもまだ生きていてくれるのなら、また旅をしよう? 私、あなたと一緒に歩ける毎日が大好き」


 イルミの小さな唇がアルテの傷跡を咥える。続いて、爆発音を想起させるような空鳴りと、小さな衝撃波がラウンジに吹き荒れた。それが魔の力の本流だと、その場にいた全員が直感した。

 その強大さは誰もがイルミに愚者の特徴を幻視するほどだった。

 口を離したイルミはアルテを真っ直ぐ見据える。そして小さく、けれどもはっきりと宣誓する。

 世界に、自分の願いを刻みつけるように。


「あなたのことが大好き。だから死なないで」



      /



 妙に鮮やかな景色だった。

 これまで見てきた世界が色褪せて見えてしまうくらいには、あらゆる色彩が強化されていて、さながら視覚の暴力だ。

 自分が横たわる血溜まりも、赤黒く変色した血液がこびりついた手足も、自分にまたがったイルミの銀髪も、全てがはっきりと視覚情報として認識することが出来る。

 さっきまでぼやけた視界と思考をしていたとは思えないくらい、全てが冴え渡っていた。

 これがあれか。

 アリアダストαが俺を蘇生させた事による副作用なのだろうか。

 力が入るようになった四肢に力を込め、その場から起き上がる。周囲からどよめきが降り注ぎ、イルミは俺を見て制止したままだ。

 彼女と目線がぶつかる。

 赤い瞳が、泣き腫らしていつもよりも赤くなってしまった瞳がこちらをとらえている。けれどもそれはほんの数瞬のこと。すぐさま彼女はこちらの胸元に飛び込んできて、声を上げて泣いた。

 まるで幼児のようだ、と思ったがあまりにも泣きじゃくるものだから、こちらからは何も言えなくなった。

 ただ静かに背中を抱いてやり、つたない言葉であやす。


「ありがとう。助かった」


 何をされたのかは覚えている。アリアダストαは死にかけの俺を延命するために新しく呪いを刻んだのだ。

 けれども彼女に刻まれた呪いが強すぎて、俺一人では全く動けなくなってしまった。

 前回に刻まれた呪いはそんなことがなかったから、それだけアリアダストαも強力な吸血鬼ということなのだろう。

 たぶん、呪いを成就させるための何かが足りなかった。 

 この世界では魔の力と呼ばれる特別な力が圧倒的に足りない俺では、呪いを受け止めることが出来なかった。

 肉体は再生しても、それを動かすエネルギーが枯渇していたのだ。それをイルミは、この子は自身の魔の力を俺に分け与えて補ってくれたのだろう。そのお陰か、これまで知覚できなかった魔の力もどんどん見えるようになってきた。

 鮮やか過ぎる視界がその結果だ。


「ありがとう。お前がいなければ俺は死んでいた」


 もう一度、感謝の言葉を吐き出してイルミの背を抱く。いや、それだけではどうも足りず、しっかりと抱きしめてしまった。イルミは一瞬だけ驚いたように身体を強ばらせるも、すぐにこちらの背中に手を回して抱きついてきた。

 βにやられたときは、もう死ぬのか、と諦めにも似た感情を抱いた。

 覚悟はとっくの昔にしていたし、こんなヤクザな家業だ。いつ殺されても文句などあるはずがない。


 けれど、けれども。


 こうして自分の身を案じてくれる人がたくさんいて、何よりこの腕の中の大切な存在を目の前にして、さっきのような覚悟はもう決められないかもしれなかった。

 次があるとしたら、意地汚く生き足掻こうとするのだろう。

 例外があるとすれば、イルミを守って死ぬときだけだ。


 幸いかどうかわからないが、αとβはもうイルミのことを狙わないと言っていた。ならば、俺が立ち向かわなければならないのは彼女たちではなく、多量の魔の力を集めているという今回の黒幕だろう。

 そいつがどれだけの強さを持って、どんな力を有しているのかはわからない。

 ただ、αは自ずと答えにたどり着くと言っていたから、そう遠くない未来で相対しなければならない時が来るのだろう。

 それまでに出来ることは、決してさび付かぬよう、己の刃を研ぎ続けることだ。

 エリムに協力を仰ぎ技を磨こう。レイチェルに教えを請い、もっと義手の扱いを学ぼう。

 

 やれることはたくさんある。やらねばならぬことは数え切れないくらいある。


 だが、今は、今だけは、この生の実感をしっかりと噛みしめて、それを与えてくれたこの子に感謝し続けようと思う。

 

 ありがとう、イルミ。俺も大好きだよ。


 言葉には出来なかった本心が、両の腕に込められてしっかりとイルミを抱き留める。

 腕の中の暖かさが、何よりも一番嬉しかった。


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