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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第三章 緑の愚者編
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第51話 「イルミ、頭が沸騰する」

すいません。遅くなりました。

 端的に言って、暗殺教団の元で暮らすようになってからの日々は、とてもつまらないものだとイルミは結論づけている。

 外出は許可制で、常に暗殺教団の誰かの監視の下であり、アルテとはしっかり部屋が分けられていて、昼間に起きて夜眠るという、逆転した生活を送る彼だからこそできる寝顔の観察もお預けのままだった。

 というよりも、アルテと顔を合わせる機会が激減したことが、この退屈の原因だとイルミは思っている。

 では何故、アルテと顔を合わせる機会が減ってしまったのか。

 もちろん部屋を分けられたことがその一番の原因なのだろうが、何よりもアルテがイルミのことを構わなくなってしまったのだ。

 暗殺教団の警邏隊にアルテが参加して数日のこと、ぼろぼろとまではいかないが、それでも随分と消耗して彼らは帰還した。

 特にアルテは左腕を酷くやられていて、分厚い包帯を真っ赤に染めて帰ってきた。

 太陽の毒に侵されているため、誰も触れることが出来ない以上、現場で応急処置も満足に出来なかったという。

 そこで唯一、アルテの血液に触れても身を焼かれることのないレイチェルが献身的に看病することになった。

 最善の選択だったとイルミは思う。

 アルテの血に触れれば煙が吹き出るこの身体では看病一つすることができない。レイチェルが専任になることは何も間違っていない。

 けれども納得がいくか、と言われれば決してそうではない。レイチェルのアルテに対する懸想をしっているイルミからすれば、アルテが看病されている数日間は生きた心地がしなかった。

 何度もアルテの部屋を覗きに行こうかと考えたが、アルテに嫌われるのが怖くて、実行に移すことはなかった。


 結果的には行かなくて正解だったのだが、イルミはそんなこと知るよしもなかった。


 アルテが完全に回復したのは傷を負ってから二日のことだった。翌日には既に動き回っていたらしいが、警邏に戻ったのは二日目からだった。

 警邏は以前よりも綿密に行われ、アルテが外出する時間が少しばかり増えた。そしてイルミが暗殺教団の本部で彼を見かけることは殆どなくなった。

 それはいつもイルミが寝静まった頃に、アルテ達が帰ってきて、イルミが起き出す頃にはもう次の警邏に出発しているか、練兵場で身体を鍛えているからである。

 練兵場では遠目からアルテの様子を観察することが出来るものの、近くで観覧することは許されていない。

 エリムと剣を交わすアルテは何処か楽しそうで、イルミはますます面白くなくなった。


 そんなこんなでアルテが負傷し、回復してから一週間。

 イルミはいそいそと出掛けの準備をしていた。


「……どこかにいくのか?」


 何か書き物をしているのか、普段は使っていない視力矯正の魔導具を目元に引っかけたレイチェルがこちらを見る。

 最近、レイチェルはとくに用事がなければイルミの部屋に入り浸ることが増えていた。


「買い出しに行ってくるわ。それくらいなら外出しても構わないでしょう」


 対するイルミはアルテに出会えていない苛立ちからか、つっけんどんに答えた。レイチェルはもう手慣れたもので、特に気を悪くすることもなく、彼女が管理している財布から銀貨を数枚イルミに渡した。


「それで肌着でも買ってきてくれ。寝ている昼間はともかく、起きている夜が寒い。余ったお金は好きに使っていいぞ」


 それだけ告げて、レイチェルは再び書き物に戻った。

 暗殺教団から借りてきた羽ペンを器用に走らせて、羊皮紙に何かをずっと書き込んでいる。何か一つの物事に集中し始めたレイチェルは何を言っても生返事しか帰してこないので、イルミはそれ以上なにも言わなかった。

 もうスリなどに遭わないよう、財布はしっかりと懐に収め厚めのコートを羽織る。

 レストリアブールは昼夜の寒暖の差が激しく、今の時期は特に夜が寒かった。


「いってくるわ」


 形式だけの挨拶を済ませて廊下に出る。

 暖房が焚かれていた室内とは打って変わり、ひんやりとした空気がイルミの白い頬を刺す。

 

 --思ったよりも冷える。そう感じて、もう一枚くらい防寒具を用意するべきかと迷った。

 

 けれどもその必要は、目の前に現れたとある人物のお陰でなくなった。

 廊下でばったり出くわした、頭一つ大きな人影。黒の外套に身を包み、同色の瞳がこちらを見下ろしている。

 一気に身体が火照った。


「あ、アルテ」


 あれほど会えない会えない、と嘆いていたのに、いざ目の前にすれば言葉が全く出てこなかった。

「あ」だとか「う」だとか意味のわからない吃音ばかりが唇から零れる。そもそもこんな形で出会うことは全く想定していなかったので、イルミは思考が完全にパンクしていた。

 駄目だ、早く何か言わないと嫌われてしまう、といつもの絶望が内心に渦巻き始めたとき、意外なことにアルテの方から助け船が降ってきた。

 普段は滅多に話しかけてこない、愛しい男が口を開く。


「……出かけるのか?」


 問いとしては極々身近い、シンプルな言葉。だがイルミにとってそれは、万の言葉にも勝る魔法だった。

 気がつけば必死に首を縦に振っていた。会話の糸口が見えてきたことが何よりも嬉しくて、真っ赤な顔で肯定を示した。


「買い物、に、いこうと思ったの」


 イルミの返答を受けてアルテはしばし沈黙した。けれどもイルミにとってそれは、決して居心地の悪い物ではなかった。

 何故なら彼の黒い瞳が、真っ直ぐイルミを見ていたからだ。


「……少し待て。レイチェルに預けている金と剣を取ってくる」


 やがてアルテが口早にそう言うと、イルミの横を抜けてレイチェルがいた部屋に入っていった。

 最初、彼がどういう意味の事を告げたのか、イルミはわからなかった。

 しかしながら、数秒ほどたっぷり間を置いて、脳が意味を理解したとき、イルミの赤かった顔はますます茹で上がって、腰が抜けてその場にへたり込んだ。主の異常を察知した二匹の狼が慌てて飛び出てくるが、それに構っていられるほどイルミの思考は正常ではなかった。


「アルテと、買い物……」


 口に出してみれば全身が逆立つと錯覚してしまうほどに鳥肌が立つ。心臓はバクバクと暴れ出し、頭はぐわんぐわん揺れていた。

 こんな感覚、イルミにとって余りにも久しぶりすぎて、頭も身体も追いついてはいなかった。



     /



 イルミは決して隣を歩くことなく、常に三歩ほど後ろをとことこと着いてきていた。

 本来ならば彼女の向かいたいところ、買い物に行きたいところに、真っ先に足を向けるべきなのだろうが、こう後ろを歩かれてはそれも敵わない。

 というわけで、イルミとの買い物である。

 彼女が街に出ていくと言い出したとき、真っ先に考えたのは街の安全だった。 

 結局のところ、吸血鬼は殆ど無傷のままのこのこと取り逃がしているわけで、街の安全が担保された訳ではないのだ。

 その辺の有象無象の吸血鬼ならば、彼女の連れている使い魔である狼で対処することも出来るだろうが、此度の事件で暴れ回っている吸血鬼が、そんな生やさしい相手ではない以上、俺が着いていって最低限の護衛を務めようと考えた。

 ところが。


「イルミ、何処に向かうんだ」


「アルテの行きたいところで良い」


 こんな調子なのである。これでは護衛も何もあったものじゃない。俺が行き先を決めなければ、丸一日はふらふらと彷徨いそうなほど、今のイルミからは意思やその他もろもろを感じ取ることができない。

 ますますこんなイルミを一人で街にほっぽりだすわけにもいかず、途方に暮れているのが今現在のこと。

 さすがにこのままでは、あまりに時間が勿体ないので、一つの提案を彼女にしてみた。


「なら市場に向かうぞ」


 そう、レストリアブール来訪初日、イルミとレイチェルが騒ぎを起こしてしまった市場に行こうと告げたのだ。

 俺自身がエリム率いる暗殺教団の戦士たちから逃げ回ることに精一杯で、その日はゆっくりと見て回る機会には恵まれなかった。

 それからも警邏やエリムとの訓練の所為で、一度も足を踏み入れていない。ならばせっかくの機会なのだから、訪れてみようと考えたのだ。

 イルミは反対こそしないものの、完全な上の空で「うん」と呟いただけだった。


 ……このちみっ子。後から文句言って暴れたりしないだろうな。


 けれどもそれはいらない不安だったようで、市場に向かって歩き始めても、さしたる意見表明はせず、いざ足を踏み入れても彼女は何も言わなかった。ただぼんやりと、市場の屋台をその赤い瞳で眺めている。

 放っておいたらそのまま微動だにしないことは明らかだったので、少々無理矢理ながらも、彼女の手を引いて俺は市場に足を踏み入れた。



     /



 市場は前来たときもそうだったように、随分と盛況な様子だった。

 屋台には色とりどりの果物や海産物が並び、そうでなければ高価な宝飾品や民芸品が連なっている。これは勝手なイメージだが、グランディアやシュトラウトランドのそれに比べても、こちらの方が色彩が豊かなような気がした。

 前にあげた地域よりも温暖な分、そういった作物が育ちやすいのだろうか。


「ねえ、アルテ。あっちの屋台見てきてもいい?」


 屋台の一つで果物を手にしていたら、突然イルミが声を上げた。それまで心ここにあらず状態だったので、少し驚く。

 見れば銀細工の店が一つ、イルミの視線の先で商売をしていた。特に断る理由もないし、そもそもこれはイルミのための買い物なのだから、こちらとしては気分良く送り出した。

  

 端から見れば、ぶっきらぼうに送り出したようにしか見えないにしても、だ。


 店の親父に果物の分の代金を渡して、イルミの後を追いかける。

 人混みを少々掻き分けて進めば、彼女は屋台の下でさまざまな銀細工に目を奪われている最中だった。

 こういった光り物が好きなのは、やっぱり女の子だからだろうか。どれもイルミの髪色のように光り輝いていて、立派な物である。

 まあ、値段も十分、立派なのだけれど。

 と、興味本位に、銀のイヤリングを眺めていたらイルミがこちらをじっと見つめていることに気がついた。

 それまで屋台に並べられていたネックレスや指輪を眺めていたと思っていたものだから、こちらとしても内心で狼狽えてしまう。

 別にやましいことがあるわけではないのに、イヤリングを屋台に戻した。


「おいおい、兄さん。折角なんだ。嬢ちゃんに買ってやれよ」


 店主がからかったような声をあげた。いや、別に買ってやることは問題ないし、値段的にも手が出ないわけではないから、何の心配もないのだけれども、イルミの視線が余りにも鋭すぎて、中々言い出せるような雰囲気ではない。

 血のように赤い瞳がこちらを見ている。

 いつか見た、あの吸血鬼もたしかこんな目をしていたと思う。

 けれどもこちらの瞳からは恐怖など感じない。むしろ、長年旅を連れ添ってきたことから来る、親愛の情すら感じられる。

 

 イルミを拾ってもう随分と長い月日が経った。

 最初は互いに無口だった俺たちも、今はこうして、市場で買い物をするくらいには打ち解けている。

 数え切れないほど彼女には助けられてきたし、これからもそれはずっと続くのだろう。街の警邏に向かうときや、エリムとの訓練でも、こちらを心配してくれているのか、遠目から見守ってくれていることももちろん知っている。

 

 そういえば、と思う。

 

 これまで何度もイルミに救われてきた俺だが、彼女に目に見える形で何かをあげたことは一度もなかった。

 礼の言葉は何度か告げたが、結局はそれだけで、彼女に何かを贈るなんて一度もなかった。

 きっかけや理由が見つからなかった、という言い訳もできるが、結局のところ、俺がイルミを恐れていたということが大きい。

 嫌われたらどうしよう、絶縁状を突きつけられたらどうしよう、見捨てられたらどうしよう、と俺のどうしようもないガキの部分が、いつも我が儘を言っていたのだ。

 でもイルミは俺を嫌ってなどいない。きちんといつも見守ってくれている。

 たとえそれが危険な旅であっても必ず着いてきてくれて、いつもともに歩いてきた。

 ならば、その感謝の気持ちは今伝えるべきだ。

 言葉と一緒に、この贈り物で伝えるべきなのだ。


「……これで足りるか?」


 店主に数枚の金貨を握らせる。純銀で出来ているのか、値段もかなりのものだ。

 偽物か、という可能性も一度考えたが、魔の力に敏感なイルミが何も言わないのでおそらく本物だろう。銀は金とは違って魔の力を多く保有しているので、イルミのような魔の力の扱いに長けた物ならば遠目からでも鑑定が出来るらしい。


「ああ、丁度だ。毎度あり」


 そう言って店主はとっとと奥に引っ込んでいった。金貨でもしまいに行ったのだろうが、貴金属を扱うものとしては些か不用心だと思った。

 だがそれは、この場限りにおいてありがたい振る舞いだ。

 何故なら誰かに見られた状態で、女の子にイヤリングをプレゼントするのはさすがに恥ずかしかったりするから。


「え、え? あ、アルテ?」


 まさか買ってもらえると思っていなかったのか、イルミが目に見えて狼狽えた。

 彼女らしからぬ反応に、少しばかりの悪戯心が芽生えてきた。

 さっき狼狽えさせられたことの仕返しと言わんばかりに、イルミの肩を掴んでこちらに引き寄せた。そして買ったばかりのイヤリングをそれぞれの耳に嵌めてやる。幸い金具で挟み込む形式だったのでこういう事に疎い俺でもすぐに嵌めてやることができた。

 そして顔を真っ赤に振るえるイルミにこう告げる。


「いつもありがとう。これはほんのお礼だ」



     /



 見事な銀細工だと思った。

 これ程の魔の力を内包している銀なんて初めて見た。

 

 イルミが屋台に引き寄せられたとき、初めて抱いた感想はそれだった。

 まさかのアルテと二人っきりで買い物、というハプニングもあってか、イルミはここまでの道のりをよく覚えていない。

 気がつけば市場の中にいて、気がつけば銀細工の店に引きつけられていた。

 後からやってきたアルテと一緒に、暫し銀細工を物色する。どれも質が高いためか、レイチェルから貰った小遣いで買える物ではないが、見ているだけでも心躍った。好きな人と二人でなら尚更だ。

 銀というのは様々な意味をもつ金属だ。

 魔の力を含みやすいという性質から、様々な魔導具の触媒に使われるし、月の民の宝飾品として一番流通している。

 さらには、銀製の首から上を着飾る宝飾品は、異性に対するアピールにも使われたりするのだ。

 もちろん常識には疎いイルミでもそれくらいは知っていたし、アルテも同様だと彼女は考えた。 

 だからこそ二人で並んで、銀細工を眺めるというのは顔から火が出るくらい恥ずかしいことだったし、小躍りしてしまいそうなほど嬉しいことだった。こちらがアルテのことを意識していることがバレやしないか冷や冷やもした。

 そんなとき、ふとアルテの方を見てみれば、彼は銀のイヤリングを手にしていた。三日月の形を象ったそれはきらきらと輝いていてとても美しく、尚且つ首から上の宝飾品ということも相まって、イルミは目が離せなくなった。

 アルテがこちらの視線に気がつく。そっとイヤリングを屋台に戻した。

 そして彼の夜の空のような真っ黒な瞳と目が合う。

 

 初めて見たときから目が離せなくなった瞳だ。

 そこに宿る狂気に恐れを感じたことは一度や二度ではない。けれどもこの狂人は、愛しい狂人は、みんなが思っているほど残酷で、冷酷な人柄でないことはイルミも薄々理解していた。

 

 アルテがイルミから瞳を離す。

 駄目だ、と思いつつもイルミは自分が落胆していることを全身で感じた。

 二人で買い物に出かけていることだけでも幸せなのに、これ以上望めば罰が下ると思った。けれどもその落胆は長続きしない。理由は簡単だ。愛しい狂人はイルミから目線を外して、こう言ったからだ。


「……これで足りるか?」


 金貨をさっと握らせて、狂人は店主を後ろに下がらせた。

 市場は人で溢れかえっているが、それでもイルミはこの世界にアルテと二人っきりのような錯覚を覚えた。

 熱を持ちすぎた顔が熱く、呂律も回らない。

 そんなイルミに業を煮やしたのか、アルテはあろうことかこちらを抱き寄せてしまった。

 借りてきた猫のように縮こまるイルミの両耳に、狂人はそっとイヤリングを嵌めた。

 イヤリングが身体に触れた瞬間、意識が飛びそうになって、そのたびに何とか両の足で踏ん張って見せた。途中で気絶しなかったのは、もはや意地だった。


「いつもありがとう。これはほんのお礼だ」


 狂人の一言に、思考が全て焼き切られた。

 もう死んでもいいかもしれない。


 イルミは素直にそう思った。



 


 



 


 


 

   


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