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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第三章 緑の愚者編
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第49話 「レイチェル責める」

クリスマスだからといって、メリークリスマスなイベントは一切ありません(大嘘)

 仮面が剥がれる。

 奴を世界から隠していた良心が壊される。

 翻ったのは肩口で切り揃えられた銀髪。こちらを見据えるのは鋭利で鋭い、刃のような赤い瞳。

 殺されると思った。

 腕なんて切り落とされて存在しないはずなのに、彼女が腕を振るう幻想を見た。

 彼女が腕を振るえば、俺の首が吹き飛ぶ。彼女が腕を振るえば、エリムの胴が寸断される。

 何度も彼女と戦うシミュレーションを行う。そして何度だって敗北する。

 こんな不毛な思考、白の愚者に対する対策を練っていた時と同じだ。


 体が揺すられる。


 俺の記憶が正しければ、白の愚者に対する悪夢から現実に引き戻してくれたのは、いつも彼女だった。

 だとしたら今日も恐らく同じなのだろう。

 微睡みの中、少しずつ意識が覚醒していく。

 この感覚はいつも慣れない。目が覚めた先、そこが自分の見知った世界であるという保証が何処にもないからだ。

 眠ってもいないのに、夢でもないのに、世界を越えてしまった。

 その恐怖感が、トラウマが俺を縛り付ける。

 この世界で、旅に着いてきてくれる仲間を得た。

 俺のことを理解し、導いてくれる仲間も得た。

 そして友人も出来た。

 それらを失うことだけは、もう真っ平だ。

 

 意識が完全に覚醒する。

 視界が開けた。


「……起きたか。寝汗が凄いぞ。傷でも痛むか? ボクはしばらく席を外すから、風呂でも入るのがいい」


 予想通り、飛び込んできたのはレイチェルの心配顔だった。彼女は手にしていたタオルでこちらの顔を拭ってくる。


「いや、ちょっと夢見が悪かっただけだ」

 

 強敵との邂逅から一晩明けて、俺は部屋での静養を強制されていた。

 吸血鬼のナイフを受け止めた腕が、思っていたよりも重傷だったらしく完治には少しばかり時間が掛かるらしい。


「そうか、ならいいんだが。ついでに食事も持ってきたんだ。先に食べるか?」


 レイチェルが銀の盆に乗せられた食事を差し出した。ついこの間よりも幾分か豪勢になったそれを受け取って、空きっ腹に収めていく。

 吸血鬼ハンターの呪いは便利な場面も多いが、人よりも燃費が悪い面があって、食事に悩まされることもある。

 そう考えたら、衣食住が保証されている暗殺教団での生活も悪くはないのかもしれない。


「イシュタルから話を聞いたぞ。死にかけたらしいな。そんなにも吸血鬼は強かったか」


 レイチェルに言われて、昨日のことを振り返る。

 まず男だと思っていた吸血鬼は女だった。

 あれは仮面の効果なのだろうか。前の世界で言うところのボイスチェンジャーを越えた、正体すら偽る仮面。

 俺もエリムもすっかり騙されていた。

 仮面が剥がれた瞬間、翻ったのは肩で切り揃えられた銀髪。

 こちらを見た赤い鋭い瞳のことを、しばらくは忘れられない。

 実力の一端を見せられた瞬間、こちらの戦闘意欲は根こそぎ消し飛ばされてしまった。


「強い、か。……ああ、強いな間違いなく。だがそれ以上に恐ろしい。あんな化け物、始めてーー、いや、久しぶりに見た」


「そこまでなのか?」


 驚いたようにレイチェルが声をあげた。確かに彼女の前で弱みを吐いたのは初めてのことかもしれなかったからだ。

 ちなみにイルミの前では一度もない。出来れば彼女の前では格好いい、凄腕のハンターでいたいのだ。


「実力の底が見えない。奴を討ち取る光景が思い浮かべられない。舐めてかかっていた自分が馬鹿だった」


 それ以上、レイチェルは何も言わなかった。ただ空っぽになった食器を銀盆に片付けて、静かに俺の前に立った。

 ベッドに腰掛けていた俺は必然的にそれを見上げる形になる。


「そいつと戦えば、お前は殺されるのか?」


「ああ」


 即答だった。何も考えずに吐きだした言葉は珍しく内面と剥離していない。


「私やイルミがいてもか?」


「お前たちは連れて行かない」


 これも即答だ。自分一人でも荷が重いのに、二人を庇いながら戦うことなど、考えられない。

 例えエリムと肩を並べようが、二人まとめて美味しく料理されるのがオチだ。


「……お前はまた、そいつと戦うのか」


 一拍おいて、そんなことを聞かれた。いや、疑問という体を取ってはいるが、レイチェルにとっては殆ど答えなど確信しているのだろう。先程とは余りにも違いすぎる語尾の抑揚に驚きながらも、俺は何とか絞り出すように答える。

 即答など出来るはずもない。


「奴が殺し続ける限りは」


 随分と歯切れの悪い返しになってしまったが、間違いなくそれは俺の本心だった。

 出来ることならば、もう戦いたくない。少なくとも、今の技量のままではそうだ。もっと技量と経験を磨き、何か吸血鬼に対する有効な武器や戦術を手に入れれば、ようやく再戦を考えられる。

 ただ、奴がこのレストリアブールで殺しを続けるのならばその限りではない。

 緑の愚者には懲戒を掛けられているし、何より初めての友人かもしれないエリムがここにいるのだ。 

 彼は吸血鬼が暴れ続ける限り、それと戦わねばならないだろう。

 だとしたら、ここで一人逃げ出すわけにはいかない。俺はこう見えて、友達を大切にする男なのだ。


「そっか、そうだよな。お前はそういう奴だと、ボクはわかっていたさ」


 俺の言葉を聞いて、レイチェルが力なく笑った。

 いつも快活に笑う彼女らしくない、感情の表し方だった。

 それが諦めからくるものだということくらい、俺にでもわかる。


「だとしたら身体を癒やさないとな。ほら、ちょっとツラ貸せ」


 言われて、ぐいっと顔を引っ張られる。彼女らしくない、乱暴な手付きにされるがままだ。

 唇と唇が触れあう。レイチェルの舌が伸びてきて、目に見えない何かが流し込まれるような錯覚を覚えた。

 いや、それは錯覚ではないのだろう。 

 唇を中心に体中に暖かいものが満ちあふれていき、傷で痛みを伴っていた腕が軽くなる。 

 ついでに十分眠り続けたときの、目覚めのように意識が完全な覚醒状態へ昇華した。

 レイチェルから太陽の力というもの(いまだそれが何なのか完璧に理解したわけではない)を流し込まれたのだ。

 ただこの経口摂取でしかやりとりできないという不便さはとても恥ずかしい。

 キス一つで騒ぎ立てるほど若くもないが、完全に枯れるほど肉体は老いていない。毎度毎度、一応照れてはいるし、レイチェルにはこんなおっさんにキスさせていることに対する罪悪感もある。

 なんたって実年齢は五十以上だ。よく考えなくても殆ど犯罪である。

 と、恥ずかしさに頭を茹だらせていたら妙なことに気がつく。

 太陽の力は完全に補給され、身体は元気になった。

 なんとなく、自分が保有できる太陽の力も飽和しているような気がする。

 なのにレイチェルはいっこうに唇を離そうとはしない。

 それどころか、がっちりとこちらの後頭部を掴んできて、こちらが逃げないようにしている。

 レイチェルの舌が口内で暴れた。反射的に噛んでしまうが、レイチェルはそれでも気にせずに唇を合わせてくる。

 これって、ひょっとしてひょっとしなくてもガチキスなんじゃあ……。

 だとしたらどうするのが正解なのだろう。

 引き剥がすのが正解なのか、こちらも舌を絡めるのが正解のか、


 瞳を閉じていた筈のレイチェルがこちらを見た。超至近距離で目が合う。今更ながら、目を閉じておけば良かったと思った。

 よくよく見なくても、結構整った顔立ちをしていらっしゃる可愛いお嬢さんがそこにいた。


「ぷはっ」


 永遠の長さに感じられたキスだったが、たぶん時間にしては一分もなかったのかもしれない。

 殆ど呼吸だったレイチェルは少しだけ息を整えて、俺に噛まれた舌をぺろりとこちらに見せた。


「痛いじゃないか」


 それは非難染みた声色。

 いや、そっちが変なことをするから、おじさんパニクっちゃって、という言い訳はもちろん口から出せない。


「ひょっとして君、勘違いしていないか? ボクは君が随分と消耗しているから、いつもより多めに太陽の力を分け与えたんだ。それをこんな風に返されたのなら、報われないな」

 

 舌を引っ込めて、レイチェルは口早にそう告げた。そして銀盆を手に抱えると、とっとと部屋から出て行ったしまった。


 ……ああ、これはあれか。

 童貞が変な期待をして、相手の女の子がドン引きしたパターンか。

 まさかこの世界でそれをやらかしてしまうとは思わなかった。


 俺って、最悪だ。


   

    /



 太陽の毒に焼かれる事なんてある筈がないのに、レイチェルは自信の唇が焼けてしまう幻覚を覚えた。

 やってしまったと、アルテの部屋の、扉の前で頭を抱える。

 珍しく弱音を吐くアルテを見て、いても立ってもいられなくなった。

 自分が何とかしてやりたい、自分が元気づけてやりたいと思った。

 何より、あのアルテが死を覚悟していることがレイチェルにとって一番の苦痛だった。

 何だかんだ言って、アルテは死なないと思っていた。

 自分の想像を軽く超えてくる男だった。

 いつだって、その圧倒的な力で敵はねじ伏せてきた。

 聖教会ナンバーツーのマリアだって破った。

 本人はかたくなに否定するが、白の愚者だって殺し、イルミによれば他にも二人の愚者を下しているという。

 そんな男が敵を恐れている瞬間を見て、レイチェルが抱いたのは断じて失望ではなかった。

 むしろその逆で、溢れんばかりの愛情を内に感じたのである。

 その発露が先程のキスだった。

 苦しい言い訳だと思う。

 自分の前からいなくなるな。勝手に死ぬな、と心の内で叫びながら長い長い口づけを行った。

 驚いたアルテに舌を噛まれてしまったが、それすらも愛おしいと思った。

 今でも口の中に残る鉄の味が、彼女にとっての勲章だった。


「いつからだろうな……」


 銀盆を抱え、廊下を歩く。


 いつから自分は、ここまで狂人に心を焼かれたのだろうか。

 いつから自分は、こんなにも狂人に思いを寄せるようになったのだろうか。


 これではイルミのことを笑えない、と彼女は自嘲した。

 イルミの前では良き保護者面をしているが、その実、こんな汚い面が自分にあるのかと、驚きすら覚える。


 そんなとき、ふと考えたのは自分の生まれだ。

  

 記憶が正しければ、自分は太陽病を患いながらサルエレムに生まれた。

 そして、そんな病気を忌み嫌った両親に、シュトラウトランドに捨てられ、ずっと一人で生きてきた。

 その一人で生きてきた期間がちょっとばかり長すぎたから、自分と同じような境遇のアルテに心を惹かれるのだろうか。

 きっとそれは正しい。

 もしくはトーナメントで敗北したときに、この強い男に心を奪われたのかもしれない。

 それもきっと正しい。

 --どちらも正解かもしれないし、どちらも違うのかもしれない。

 

 この答えはたぶん、一生掛かっても出せないとレイチェルは結論づける。


 何故なら、人を好きになるという感情が、そんなに理屈染みた積み重ねの上に成り立つモノではないと思うからだ。


 イルミだってそうだ。

 彼女は自身がどうしてアルテに惹かれるのか、咄嗟には答えられないだろう。

 その要因をいくつか挙げることはできるかもしれないが、確固たる答えは用意できないに違いない。


 だとしたらこれから自分はどう振る舞うのが正解なのだろうか。

 イルミと自分、好きになった理屈で争うことは出来ない。その気持ちの大きさも、自分は負けていないと思うし、勝っているとも思えない。

 優劣つけがたいこの状況、レイチェルは「あまり気にしない方がいいのかもしれない」と呟いた。

 レイチェルはアルテの事が好きだ。愛している。けれどもイルミのことも好きだし、同じくらい愛しいと思う。

 ならば両者を傷つけない選択を彼女は取る。

 

 自分はこの気持ちを隠し続けよう。少なくとも、イルミの前では今まで通りのレイチェルでいよう。


 誰に語りかけるでもない、小さな呟きと決意は、夕日が差し始めた廊下に消えていった。 


   

    /



「随分と遅い目覚めだな」


 日が暮れて直ぐ、風呂も浴びて装備を調えたあと、俺は練兵場に向かった。

 レイチェルに対するもやもやが晴れたわけではないが、部屋でウジウジしていても仕方がないので、少しでも身体を動かそうとそこに向かったのだ。腕はほぼ完治しているし、食事も取った。あとは思いっきり暴れ回るだけだ。


 と、そんな感じに意気込んでいたら、練兵場には先客がいた。いや、ここには大抵、昼間を除けば誰かがいるのだけれど、その人物がそこにいたのは以外だった。

 そう、エリムである。

 俺の記憶が正しければ、彼もまた吸血鬼と戦った消耗から休んでいるはずだった。


「剣を振るいたくなった」


 本当は夕方起きてからどたばたしてしまったので、剣を振って何も考えずに身体を動かしたかった、だ。

 相変わらず変換機能がポンコツな肉体様である。


「そうか。良い心がけだ。刃を振るうときこそ、人は無になれる。煩雑なこの世界から己を隔絶できる」


 けれどもエリムはどういうわけか、こちらの真意を汲んでくれていた。

 これはあれか、まさか噂に聞く友情補正というものなのだろうか。


「さあ剣を抜け、アルテ。……それとも俺が相手では不足か?」


 槍を構え、エリムが挑発をする。

 だが苛立ちなどまったく覚えない。むしろ彼の槍の技量がもっと見たくて、うずうずする。

 肉体にはレイチェルのお陰で疲労など残されていない。打ち合うには最高のコンディションだ。

 いつかはあの吸血鬼に対してリベンジマッチを考えなければならないのだろう。隔絶した技量と力を持つあいつに挑むにはまだまだ全てが足りない。

 でも今は、今だけは。

 ただ友と戯れることが、俺のしなければならない、一番大切なことのように思えた。


エリム「随分と遅い目覚めだな」(そんなにも身体がわるいのか?)

という婉曲的な表現。

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