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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第三章 緑の愚者編
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第46話 「知らないところで話が進む」

 人生五十年と、前にいた世界の偉人はそう唄った。

 前の世界で二十年、こちらの世界で三十年。

 ついに五十の大台に乗ってしまった俺だが、この長くも短くもない中途半端な人生で、初めて死というものを意識したのは一体いつのことだったか。

 おそらく、記憶が確かであるのならばこの世界に迷い込んで早々、吸血鬼に襲われたときか。

 彼とも彼女ともわからない不思議な怪物は、俺の首を一噛みして、一生消えることのない傷痕を刻み込んでいった。

 死を覚悟するほどの痛みと絶望の中、身体を這い巡っていく吸血鬼の呪い。

 それは肉体を変質させ、俺という存在そのものを書き換えていった。

 

 目の前に鎮座するのは無数の死体達。


 彼らが味わった死の苦痛と俺の受けた吸血鬼の呪いによる苦痛。

 果たしてどちらがより耐えがたいものなのか、そこまではわからなかった。




 というわけで、死体の検分である。

 今回ばかりはレイチェルのコミュ力を恨んだ。

 彼女が上手いことイシュタルを丸め込んで、死体の検分の許可を得てしまったのだ。

 いつもならば彼女の交渉術であったり、他人を上手く口先で踊らす技術を手放しで賞賛するものの、それが死体を弄くり回すという苦行に直結するのならばそうもいかない。

 真面目な話、死体は人並みに苦手である。

 吸血鬼狩りを生業としていて、何を言っているのだ、と周囲からは罵倒されそうだが、慣れないものは仕方がない。

 あの血生臭い臭いや内臓から漂う異臭など、慣れるはずもない要素がてんこ盛りなのだ。

 むしろ慣れてしまったときが、完全に人を止めてしまった証拠だと、恐れてすらいる。


「これが君が居合わせた死体らしいな。二十代から三十代の男性。首元に噛み傷なし。鋭利な刃物でひとっかきか」


「こっちはその前のものって書いてある。中年の女。背中を刺されたのかしら? 正面には傷がないわ」


 そこまで言って、イルミはためらいもなく死体をぺたぺたと触り、レイチェルもいつぞや俺が見つけた男の死体を間近で観察していた。

 この女ども、戦闘力に全振りしすぎて、倫理観を装備し忘れたんじゃないのだろうか。

 そう、今俺たちがいるのは暗殺教団の本部にある死体安置所である。

 前の世界で言うところの冷蔵庫と同じ術式が施された部屋の中で、三人して死体を眺めているのだ。

 その数凡そ十数体。数ヶ月前の死体も隅の方に寝かされているが、殆ど腐敗していないところを見ると、そういった術式も掛けられているのかもしれない。

 現実逃避がてら、そういった技術はもしかしたらこちらの世界の方が上かも-、と間抜けなことを考えていた。

 けれども二人の声が、視線がそれを許してくれない。


「どう思う? アルテ。この切り傷。どんなもので切り裂けばここまで鋭利に切り裂ける? 断面が鮮やかすぎて、傷口を押しつけ合えばくっついてしまいそうだ」


「アルテ、この女、背中から刺されて背骨も両断されているみたい。……ただの人間の力でこんなことは可能なの? もしも不可能ならば、常人を超えた――そう、吸血鬼の仕業だと言えないかしら?」


 これからの食事すら喉が通らなくなりそうなことをぺらぺらと同時に話される。これほどの苦痛が果たしてあるのだろうか。

 というか、ぺたぺた触っちゃ駄目でしょ、イルミちゃん。レイチェルもそんな興味津々に仏さんののど仏を覗き込まない。もっと死者には敬意を持って――ってこらこらイルミちゃん。いくら背中側が気になるからといって引っ繰り返すのはよそうぜ。

 もしも吸血鬼の呪いで言葉が制限されていなければ、ぺらぺらと二人に突っ込み続けていただろう。

 それが敵わない今は、こうして二人の奇行を見守る他ない。

 ため息すらつけない肉体に辟易しながらも、早いとここんな不毛な時間が終わってくれれば、と祈る。

 けれども、それで終わらないのがこの肉体であり、この仲間たちだ。


 イルミが死体をひっくり返して傷口を検分し始めた。そしてその傷口に手を触れようとする。さすがにそれはどうか、と思ったので彼女を止めるべく手を伸ばした。

 ただ、その選択は完全に誤りだった。

 俺が伸ばしたのは右手。そう、義手の右手だった。


『とまれ、小娘。主様の邪魔をするな』


 そう言って、義手がぶれた。

 いや、ぶれたという表現はおかしいのかもしれない。

 正確には、吸血鬼ハンターである俺ですら知覚できない速度で義手が勝手に動いた、だ。


 --すっかり忘れていた。こいつはイルミやレイチェルなんかより、よっぽど過激であり、また無駄に有能な側面があることを。


 血しぶきが舞う。新鮮な血液とはほど遠い、粘液質な血液が間近にいたイルミの頬を汚した。

 硬質な義手の感触越しに、肉を掻き分ける生々しい感触が伝わってくる。


「あ、アルテ?」


 おいおい、イルミちゃん。さっきまではノリノリで死体を触っていたくせに、どうしてそんな一歩引くんだい?

 こらこら、レイチェル。さっきまで興味津々に切り口をのぞき込んでいたくせに、どうして口元を押さえて吐き気を堪えているんだい?


 ……御免。君たちのその反応は残念ながら正しいよ。

 そりゃあ、さっきまで黙って突っ立っていた奴が、いきなり死体を弄りだしたら気持ち悪いよね。


 義手で死体の胸元を貫いて、掻き回していたら、そりゃ引くよね。

 帰りたい。

 今すぐ義手を切り離して逃げ帰りたい。


 義手が何かを掴む。

 決して感触が良いとは言えない、気持ちの悪いモノを義手が引っ掴む。

 目的のモノを手に入れた義手は死体に突っ込んでいったときとは対照的に、ゆっくりと血液と粘液を糸引きながら死体の中から戻ってきた。どうせならもっと素早く帰ってこいよ。おまえ。


『主様、あなたが望まれたのはこれですね。あなたが汚らしい死体に汚れぬよう、勝手を働いたことをお許しください』


 頼んでねえよ。望んでねえよ。そう思うのならば勝手に動くなよ。

 面白がってエンリカに、義手の自我を最高レベルに設定させたのがそもそもの間違いだった。


「そうか……心臓か。それは盲点だった」


 こちらの嘆きなんて知ったこっちゃないと言わんばかりに、レイチェルが感心した声を出す。未だに状況を掴み切れていないイルミだけが目を白黒させてこちらを見ていた。


「我々月の民は太陽の毒に弱い。だが、耐性がないわけでもない。我々が保有している魔の力の一部――身体機能の維持に使うことの出来ない不純な魔の力を使って、焼けていく肉体を修復することも出来る。吸血鬼という、純度の高すぎる魔の力を持った種族以外は」


 俺が手にした心臓は特に何も力を込めていないのに、煙を上げて燃え始めた。 


「修復に必要な魔の力すら失った月の民は、一度日の光に触れれば、跡形もなく燃え上がり、灰を残してこの世から消え去っていく。吸血鬼に襲われ、魔の力を奪われた月の民の成れの果てであるグールも、同じ原理で太陽の毒に弱い。つまりはアルテ、君の太陽の力に反応して燃え上がる心臓はグールのそれと同質だ」


 手のひらに残された灰が、心臓の抜き取られた灰の上に落ちていく。


「これは使えるぞ。吸血痕がないから吸血鬼の仕業ではないという戯言を全て否定できる。もっとも魔の力が蓄積しやすい心臓がこうも簡単に毒に侵されているんだ。いくら暗殺教団と言えども、吸血鬼の存在を認めざるをえない」


 興奮しているのか、やや早口になったレイチェルが捲し立ててくる。

 俺もイルミも、いまいち意味を理解できないまま、レイチェルは喜色満面といった風に、義手の上に残された灰を手に取った。


「間違いない、この死体は吸血鬼に殺された」



      /



 エリムやイシュタルに対してのレイチェルからの説明はその日の内に行われたのだろう。

 その証拠に、翌日俺は、衆人環視の前で死体を弄くり回す羽目になった。

 出来れば、切開し綺麗に摘出された心臓に太陽の力を流したかったのだけれども、俺たちだけの検分の様子を再現するために、敢えて同じ方法で心臓を取り出すこととなった。

 つまり義手で無理矢理穿り返すのである。

 選ばれた死体は二つ。

 最初の犠牲者である年若い少女と、最後の犠牲者である若い男である。

 

 ……女の子だから、どうこうというつもりはないけれど、ビジュアル的にどうなんだろう?

 

 というか、心臓だけ取り出して太陽の下に晒せば良いのではないのだろうか。

 いや、それでは駄目か。俺が太陽の力を操作して微弱な--普通ならば対して害毒にならないような量の力を流す必要がある。

 というか、本当に月の民は太陽の光に弱いんだな、と実感する。

 最近はイルミと過ごしているせいか、すっかり夜型の人間になってしまったけれど。


「どうした、とっとと始めろ」


 エリムがこちらを催促するように鋭い声を飛ばした。けれども彼の表情はありありと嫌悪感をむき出しにしている。

 気持ちはわからなくもないが、こっちは冤罪を晴らすために必死なのだ。

 そこのところはどうか目を瞑ってほしい。


『五月蠅い。主様に指図をするな』


 義手が独りでに動いてエリムを挑発した。今回、彼? 彼女? は御役御免である。何故ならば義手に細工をしているのではないか、という疑いを掛けられないためだ。俺が素手で、死体から心臓を抜き取る必要があった。

 がちゃがちゃと喧しい義手を押さえつける命令を下して、死体を見下ろす。

 年は十五くらいだろうか。イルミと同じくらいの年の、褐色の肌をした少女だった。

 死因は腹を切られたことによる失血死だとされている。

 だがレイチェルの見立てでは、魔の力を抜き取られた事による衰弱死だという。


 南無三。


 声には出せなかったが、一言少女に詫びて左手を振るった。いつも吸血鬼にそうするように、殺すつもりで腕を振り下ろす。

 吸血鬼の呪いによって手に入れた怪力で、吸血鬼の罪を曝く。

 皮肉なことではあるが、この世界ではごく当たり前のことだ。

 肋骨を貫き、弾力の残されたこぶし大の臓器を掴む。太陽の力を極力シャットダウンするよう注意して、それを恐る恐る引き抜いた。

 エリムが顔を顰めて、イシュタルが思わず目を反らした。だが俺は手を緩めない。少女の体から幾つもの血管を引き千切って心臓を取り出した。

 しばらくそれをエリムとイシュタルに見せつけた後、微弱な、本当に微弱な太陽の力を流した。 

 これまで暇さえあれば練習していたお陰か、思ったよりも操作は簡単だった。

 

 煙が拭き、燐光が散る。


 やがて、手に残された肺を二人の眼前に突き出した。

 二人は何も言わなかった。


 結果だけ言えば、男の死体も同様だった。

 ただ、もう二度とやりたくないと、そう思った。 

 


      /



 ヘルドマンへの久しぶりの連絡は、死体検分の報告からだった。


「そうですか。レストリアブールで吸血鬼の殺人……。緑の愚者のお膝元にしては穏やかではありませんね」


 与えられた個室の片隅で、ベッドの上に寝転びながらの念話。本人を目の前にすれば絶対にやろうとは思わないけれども、今はこうしていたかった。


「なあ、ヘルドマン。緑の愚者はどういった吸血鬼なんだ? 一度実物を見たが、緑の霧に覆われてその姿を確認できなかった」


 エリムたちと乱痴気騒ぎを引き起こしたら、すっ飛んできた実力者。それが緑の愚者に対する俺の認識だ。

 俺はあの、正体不詳の吸血鬼に対して殆ど何も知らないと言っても良い。


「五十年前に、いちどすべての愚者が顔を合わせた話はしましたね。その時の印象ですが、やや年老いた女性だったと記憶しています。能力までは把握できませんでしたが、第五階層の愚者とあって、白の愚者よりかは実力的に劣っています」


 どうやらヘルドマンも緑の愚者が持ちうる固有の能力までは把握していないようだ。それに第五階層ということで、白の愚者よりは弱いが、青の愚者よりは強いという、あまり嬉しくない情報まで付いてきた。

 ということは俺よりかはよっぽど強いということになる。

 ますます逆らうことが難しそうだ。


「まあ、でもあなたの疑いが晴れて何よりです。これで暗殺教団も幾分か協力的になったのでは?」

 

 どうしたものか、と頭を掻いていたら少し焦ったようにヘルドマンが続けた。

 ただぼんやりとしていただけなのに、あちらにはいらない気遣いをさせてしまったのかもしれない。


「いや、それはまだまだだ。相変わらず敵意剥き出しの奴もいれば、あからさまに避けてくる奴もいる」 


 これは事実だ。疑いは晴れたものの、その晴らし方があまりよくなかった。

 心臓を引き抜いて燃やすなど、まともな神経をしていれば忌避されて当然のことだ。


「ふむ、私が思っているより溝は深いようですね。ですが気にしすぎるのもよくありません。もともと彼らは外部の人間にはそれほど友好的ではないのですから」


 そこからヘルドマンは俺にわかりやすいよう、暗殺教団の歴史について述べ始めた。


「彼らはもともとその地を治めていた王族に使えていた汚れ仕事専門の集団です。名前の通り暗殺を家業にし、人々に恐れられていました」


 これはレイチェルからも聞いた話だ。たしかそれがいろいろあって、この地の支配者まで上り詰めたんだよな。


「ええ。王族たちが彼らを冷遇しすぎたのが原因です。王族の力が衰退したのを見計らって、暗殺教団はクーデターを起こしました。もともと吸血鬼や魔物といった異形から月の民を守っていたのは彼らだったので、その後の統治は比較的スムーズに進んだようです」


 それが、今の緑の愚者を崇拝する集団になるまではどんな経緯が?


「もともと緑の愚者は放浪する吸血鬼でした。放浪先で適当に食料を調達してはふらふらしていたようですね。けれども何かの気まぐれかレストリアブールに流れ着き、暗殺教団と出会った。そこで何かしらの力を振るい、絶対強者としての格を見せつけたのでしょう。そして暗殺教団からは彼らが始末した死体を献上されるようになった。あとは守護者として振る舞えば、お手軽な信仰対象の完成です。実際、愚者のお膝元になれば、その辺の吸血鬼ごときは近寄りすらしないので、安全と言えば安全です」


 なるほど。だからエリムもイシュタルも緑の愚者にこうべを垂れて崇拝しているのか。


「そんな訳ですから、レストリアブールで活動をするのなら、暗殺教団の言うことを、つまり緑の愚者の言うことを聞くことが賢明でしょう。街全体が緑の愚者の思うままです」


 ということは疑いが晴れても、くだんの吸血鬼探しは続けた方が良いということか。


「そういうことになりますね。もしもレストリアブールが聖教会の影響が及ぶ範囲でしたらお手伝いも出来るのでしょうけど」


 うーん、今回に関してはヘルドマンの助力は請えなさそうだな。まあ、いつも世話になりっぱなしだったから、良い機会と言えば良い機会なんだけれども。

 ただ、これまでの礼は告げる必要があると思って、言うことを聞かない体を押しつつ言葉は紡いだ。


「いや、その必要はない。気にするな」


 ……礼でも何でもない言葉が出てきてしまった。

 だが、今回のことに関しては気にしないで欲しい、というこちらの真意は伝わったので問題はないのか?


「……そうですか。わかりました。もしも何か必要なものだとか、助言が必要ならば連絡をください。どうにかして届けさせたり助力は惜しみませんよ」


 いや、前言撤回。

 ちょっとばかりトーンの下がったヘルドマンの声色を聞いて、冷や汗が止まらなくなってしまった。

 もしかしたらこの世でもっとも怒らせてはならない女性の機嫌を損ねてしまったかもしれない。

 自分のしでかしてしまったことを後悔しつつ、どうにか弁解しなければ、と指輪に向かって口を開く。だが念話が切られる方が幾ばくか早かった。

 わかりやすい拒絶の意に、それ以上何かを告げようという気概は沸いてこなかった。


 ……そのうち何とかして弁解をしなければ、と一人頭を悩ませることとなった。



      /



「我々との会議の最中に男と逢瀬とは、ヘルドマン。いくら黒の愚者とはいえ自由が過ぎませんか」


 苦言を呈したのはテーブルの向かい側に腰掛けるマリア・アクダファミリアだった。

 そんな彼女を一瞥した後、ヘルドマンは冷笑を一つ浮かべる。


「あら、でもその逢瀬の内容が我々の益になるとしたら?」


「……気に入らない女。そう言えば場が収まると考えているのが何よりも気に入りません」


「そう、でもそれはあくまであなたの感想に過ぎません。我慢ならないのなら、我々の長に判断を仰げば良いでしょう?」


 そう言って、ヘルドマンはテーブルの上座を仰ぎ見た。やや挑戦的な瞳は一人の人物に向けられる。

 にこにこ、と会議の行く末を見守っていたのは、年若い一人の男性。

 そう、彼こそが聖教会の頭目である人間族の男、ジョン・ドゥーだ。


「いやあ、久しぶりに本部に帰ってきたら、なかなかどうして。とても面白い人材を捕まえたのですね。ヘルドマン。マリアも早速味見したみたいでうらやましい限りです」


 笑みを絶やさないジョンに対するヘルドマンとマリアの表情は対照的だ。ヘルドマンは機嫌良さそうに「そうでなければ」と合いの手を入れて目を細め、マリアは「また悪い癖が始まった」と呟いて目を細めた。


「狂人アルテ、と言いましたか。彼はこのまま大人しくしていると思いますか?」


 ジョンがぶつけた率直な疑問に答えたのはマリアだ。


「まさか。緑の愚者という餌を目の前にぶら下げられて大人しくしている犬ではありません。餌とあればそれがどれだけ強かろうと、喜んで食らいつく狂った狼です」


「その点に関しては同意しますわ。念話口での彼は不満げでした。今は吸血鬼探しという仮初めの餌が与えられて大人しくしていますが、それを食らい尽くした後は……」

 

 ヘルドマンがみなまで言わずとも、その真意は場にいた全員に伝わった。聖教会のトップが集うこの会合で、狂人アルテの素行を知らぬ者などいない。


「それに我々の援助は必要ないと言っています。つまり、緑の愚者に手を出せばこちらが口を挟んでくると考えているのでしょう。彼は一人で事を始末するつもりです」


「ならばよし。皆さん、これはチャンスです。我々が暗殺教団との縄張り争いに敗北して四半世紀。ここにきてようやく好機が巡ってきました」


 ジョンはテーブルにつく面々を見渡し告げた。


「聖教会の頭である私から宣言します。狂人アルテが緑の愚者を下したのと同時、我々聖教会はレストリアブールに宣戦布告を行います。その先遣隊のリーダーにはヘルドマンとマリアをつけましょう」


 どよめきが議場を支配する。動揺しなかったのはヘルドマンとマリアの二人だけだ。

 自らを聖教会の頭と名乗ったジョンは快活に笑った。


「いやあ、成り行きとはいえアルテを除名処分にしているのは好都合でしたね。今なら彼がレストリアブールで何をしても、我々の責任が追及されることはない。それが緑の愚者を討伐するという重罪でも。ですが不思議なこともあるものだ。緑の愚者が討伐された直後に彼は聖教会に出戻ることになる。そうすれば我々は教会に名を連ねる彼を保護しなければならない」


 白々しい、とマリアが吐き捨て、ヘルドマンは何を今更、とぼやいた。


「というわけで期待していますよ。ヘルドマン、マリア」


 ジョンの細められていた瞳が二人を見据える。そこに渦巻く野望の炎に、二人はそれぞれため息をついた。

 だが、それでも。

 二人とも、決してジョンの宣誓に反対はしない。

 それどころか、どう兵士を集めさせようかと議論まで始めた。


「私の部下のユズハは兵の指揮に優れる。彼を是非とも隊の長に据えたい」


「参謀は私のところのクリスが向いているでしょう。彼女はとても器用ですから、きっと御役に立ちますわ」


 それから、ジョンの見守る前でヘルドマンとマリアの会合が延々と続いた。

 暢気なアルテは自分の行動が聖教会と暗殺教団の戦争の引き金を引き掛けていることに気がついていない。


 自らの言動が取り返しの付かない事態を招いてしまったと、狂人が気がつくのはもっと後になってからだ。

 


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