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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第三章 緑の愚者編
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第44話 「恋敵」

「ふむ、内面の気を読むことが出来る、か。ボクも昔はこの辺りに住んでいたのだが、そんな技術初めて知ったな」


「レストリアブールの暗殺教団に伝わる技ですよ。ここにいれば感覚が麻痺しますが、市井の民の殆どはその技術を噂程度にしか知りません」


「成る程。レストリアブールに居を構えていたわけではないからそれも当然か。ところでボクの気はイシュタル、君に見えているのか?」


「もちろん。疑念と困惑。それに心配ですね。……心配するのはやっぱりあの狂人のこと?」


 練兵場の一角に設けられた監視所にて、レイチェルとイシュタルは肩を並べていた。

 シュトラウトランドのコロシアムのような観客席の形態をとったそこには、少し離れてイルミも腰掛けている。

 眼下ではアルテとエリムが互いに凄まじい速度で切り結んでいた。


「……心配、か。まあそうだな。いろいろと目が離せない子どもだよ、あれは」


「随分と、あの狂人について楽観的な意見をお持ちなんですね」


 緑の美しい髪を結わずに流したイシュタルが疑念を零す。レイチェルはぼんやりとアルテを眺めながら口を開いた。


「一度やりあった時から薄々感じていたんだ。こいつは何処までも純粋な子どもだって。ボクみたいに与えられた環境を恨んでねじ曲がった奴からすれば余りにも眩しすぎるんだよ。

 例え狂人と罵られようが、神殺しと迫害されようが、彼は彼のやりたいことをやる。

 ボクは彼に墜落死させられたときから、その姿をほとんど直視できなくなった。太陽をそうすることが出来ないように。

 でも太陽がなければ月は輝かない。それは月の民の死を意味する。だから太陽が消えてしまわないよう、ちょっとばかり見守ろうと決めたんだ」


「随分、難しい言い回しをされるのね。詩人かしら?」


 からかうようにイシュタルが笑った。それを受けて、レイチェルは少しばかりむすっとして、こう続ける。


「くそ、内面を読む技術ってのは本当に厄介だな。……一度しか、言わないよ。

 ボクは正直、彼の事を好ましく思っている。端的に言えば好きって事さ。

 けれどもそこには親愛も、尊敬も、憧れも、いろいろとごちゃ混ぜな、不純な感情だ」


 その言葉を受けて、イシュタルは奇特な人間に向ける視線をレイチェルに送った。

 自分の恋情をそのように表現する人間を見たのは初めてだったのだ。レイチェルもイシュタルの言わんとするところが分かったのか、さらに少しだけ続けた。


「ボクやアルテの隣にはいつもイルミっていう女の子がいるんだ。あの子を見てれば、愛情だけの感情が嫌と言うほど見せつけられるよ。

 あれに比べたら、ボクの恋情がまだまだ下らない、と思うには十分すぎるよ」


 イシュタルがそっとイルミの方を盗み見る。そして彼女の中に流れている気を読み取った。

 内包している魔の力が莫大なためか、気を読み取るのに少々時間が掛かったが、イシュタル程の実力者からすれば些細な問題だった。

 だがそこから読み取った内容に触れて、イシュタルは思わず口元を押さえた。

 それは込み上げてきた吐き気に対するせめてもの抵抗だ。


「……人一人に向かう感情の量じゃありません。本当にあの子は自分一人であの狂人にこれほどの感情を醸成したの?」


「君が何を見たのかボクにはさっぱりだから、断言は出来ないけれども、僕と出会ったときには既にあんな感じだったよ。いや、あの時よりか確実に悪化しているかも」


 そこまで告げて、イルミから興味を失ったのかレイチェルはアルテ達の観戦に意識を傾け始めた。

 その傍ら、脂汗を掻いたイシュタルも呆然と剣を振り回すアルテを見た。

 あれ程の愛情を受けて何ら変調を来さない、どう考えても異常な男。


 内面の暴れ狂う気なんかよりも、そちらの方がよっぽど狂っているとイシュタルは結論づけた。



 


 もしもこの時、イシュタルがイルミを盗み見ていなかったら。

 イルミが、アルテに対する欲望を下らないトラブルで思い出していなかったら。

 レイチェルが、もっとイルミに気を向けていれば。



 たられば、のうちどれか一つでも欠けていれば、狂人とその奴隷。

 ちょっとおかしな狂った二人が、袂を分けることはなかったのかもしれない。



        /



 あれからぶっ通しで剣を振り回し続けて、どちらともなく半ば失神するように、アルテとエリムはその場に倒れ込んだ。

 数時間、刃をぶつけ合っても決着がつくことはなかった。 互いの技量はまさに互角。アルテが吸血鬼ハンターとしてフェイントを織り交ぜながら、数種類の魔導具を駆使しても、エリムはそれを全て看破し、エリムが神速の突きをどれだけ繰り出しても、アルテはそれを全て捌ききった。

 エリムの方にはイシュタルが、アルテの方にはイルミとレイチェルがいつの間にか駆け寄っており、意識のはっきりしないそれぞれを気遣った。


「……吸血鬼の呪いか、そこまで強力な付与効果は初めて見た。貴様、それだけの呪いを刻む吸血鬼に襲われて、よくも無事でいたな」


「……」


 荒い息を吐き出し、エリムが呻くように漏らす。

 対するアルテは口を開くこともなく、無言でレイチェルから水を飲ませられていた。


「内面に感じる暴風のような気もそれが由来か。いろいろと身体を弄り回されたようだな。無様としかいいようがない」


 アルテの傍らに寄り添っていたイルミがエリムを睨んだ。

 レイチェルが宥めようとしても、彼女はその敵意を決して緩めたりはしない。

 そんなイルミにエリムはふっと、苦笑した。


「だが――、その剣は、剣筋は見事だった。例え気狂いであっても、剣は真っ直ぐだった。もしかしたら、そこの少女はそんなところをずっと前から見抜いていたのかもな」


 イシュタルの肩を借りてエリムが立ち上がった。

 そして相変わらず倒れ込んだままのアルテに向かってこう言い放つ。


「認めたわけではない。だがその剣だけは信用できる。精々、緑の愚者様の言いつけを守って働くことだな」



        /


 

 あかん、もう無理。

 もう立てへん。もう剣も見たくない。

 エリムの入団テスト紛いを受けること数時間。これほどまでに呪い強化ボディを駆使したのは本当に久しぶりだった。

 スタミナなんてものはとうの昔に枯渇。

 剣を握ることはおろか、立つことすらままならないほど疲労している。

 何だろう、レストリアブールに来てからというもの、肉体を酷使する毎日な気がする。

 初日の連戦しかり、エリムの入団テストしかり。

 確かに常人よりかは疲れにくい身体の筈だが、それでも無理をしすぎた。

 レイチェルが水筒から水を飲ませてくれるが、それも飲むというよりかは殆ど流し込まれているようなものだ。

 イルミに体調を気遣われても、それに答える力すら残されていない。

 と、その時、イシュタルに肩を担がれて先に立ち上がったエリムがこう告げた。


「認めたわけではない。だがその剣だけは信用できる。精々、緑の愚者様の言いつけを守って働くことだな」


 言葉こそは威圧的だが、何処か認められた、という実感だけはあった。

 エリムがこちらに背を向けて去って行く。

 レイチェルとイルミに肩を貸して貰い、何とか立ち上がる。

 緑髪の青年はこちらを振り返らない。けれどもそれが信用の証に思えて、特に不愉快な思いは抱かなかった。

 

「お疲れさん。アルテ。君のお陰で、どうにかボクたちの寝床は保障されたようだ」


 レイチェルの労いの言葉に、どういうことだ、と視線だけで問い掛けてみる。

 普段ならば全く通用しないアイコンタクトコミュニケーションも、勘の良い彼女にはどうにか通じたようだ。


「何、ボクもイルミも、もちろん君も、ここ数日はどうしても白い目で周囲から見られていた。

 例え緑の愚者がボクたちの滞在を認めていても、ここに住んでいる人間の本音までは支配できない。

 だから何かしら、彼らに実力や利用価値を認めさせるファクターが必要だった。

 それを君がいとも簡単に、それも鮮やかに、完璧にこなしてくれたから感謝しているんだ」


 成る程、確かに罰としての労役とはいえ、それを受け入れる側が納得するかは別問題だ。


「しかも認めさせ方も良い。あそこであのエリムとか言う実力者を君が完膚なまでに叩きつぶしていたら、彼ら暗殺教団の立つ瀬が無くなっていらない軋轢が生まれていただろう。

 ところが蓋を開けてみれば実力だ完全に拮抗した引き分けに終わった。あちらの面子も傷付けないし、こちらの実力を軽んじられることもない。

 命懸けで剣を振るった君にこういうことを言うのもあれだが、最高の結果だよ」


 ご機嫌で饒舌な様子のレイチェルなんて、久方ぶりに見た気がする。

 思えばここレストリアブールに来るまで迷惑を掛けっぱなしだった。

 なし崩しとは言え、指名手配犯の仲間入りをさせたり、道案内させっぱなしだったり、イルミの面倒を押しつけたり。

 文句を一つも零すことなくここまで着いてきてくれた彼女だが、俺以上に疲労とプレッシャーを感じていたのだろう。

 言葉数も今ほど多くなく、いつもゴリアテを使って気を張り巡らせていた。

 イルミと俺という二大コミュ症相手にいらぬ苦労もした筈だ。


 ……そういえば、イルミに礼を告げても、レイチェルにはまだまともに礼を告げたことがなかった。


 シュトラウトランドで対戦相手という変わった間柄から始まった付き合いだが、これからももちろん大切にしていきたい。

 もしも彼女が了承してくれるのなら、サルエレムに至った後も共に旅を続けたい仲間だ。

 かなり気合いを入れて吐き出した言葉は決して気の利いたものではない。けれども、今伝えたい言葉だった。


「……お前がいてこその結果だ。感謝している」


 彼女がいなければ、そもそもレストリアブールに到達することなんて出来なかったし、それどころかシュトラウトランドでイルミと二人仲良くお縄についている可能性すらあった。

 エリムの入団テストに関して身体を張ったのは俺だが、状況を作り出してくれたのはレイチェルなのだ。

 後から聞いた話だが、市場ではイルミの暴走を必死に止めてくれたらしい。何でもスリの少女を殺そうとしたイルミを諭し続けたとか。

 もしもイルミがスリの少女を殺してしまっていたら罰は労役だけで済んでいたとは思えない。

 それどころか暗殺教団と血みどろの戦いに突入して、緑の愚者と全面的に対立していた可能性すらある。

 そう考えればレイチェルにはいくら感謝してもしたりないくらいなのだ。

 

 本当、頼りになる仲間なのである。



        /


 

 うあっ、とレイチェルが呻いたのをイルミは見逃さなかった。

 水分補給を続けるアルテは気が付いていないようだが、アルテから感謝の言葉を受けたレイチェルは顔を真っ赤にして俯いてしまった。


 ――薄々気が付いてはいた。


 レイチェルがアルテに対して何かしらの同族意識を持っていること。

 魔導人形同士の戦いで、自分から泥臭い勝利をもぎ取ったアルテに憧れを抱いていること。

 そして、憧れがもっと別の感情に変化しつつあること。


 アルテは狂人だ。

 太陽の毒に身を犯され、思考は焼き尽くされている。

 吸血鬼に対する憎悪と闘争心が肉体をコントロールし、常に戦いに飢えている。

 けれども、シュトラウトランドでそうだったように、彼が振りまくのは狂気と恐怖だけではない。


 狂気は他人に感染し、恐怖は畏れに変わる。

 彼を見続けていれば、それこそ太陽に目をやられてしまうように、そのカリスマにこちらの思考まで焼き尽くされてしまう。

 シュトラウトランドでは、最初はまさしく忌み嫌われていた。

 だがホワイト・レイランサーに挑む頃には人々が皆彼の勝利を願い、月の民の栄光を夢見た。

 誰もが狂人に熱中し、そのカリスマに進んで焼かれたのだ。

 ましてや身近でそれに触れ続けていたレイチェルが無事な思考を維持できるわけがない。

 彼女もまた、狂人の戦いに触れ、そのカリスマの虜になっているのだ。


 こいつは敵だ。

 不倶戴天の敵だ。


 イルミは静かな、狂気に満ち足りた闘争心を心の内に押しとどめる。

 レイチェルのことは決して嫌いではないが、それでもアルテのことに関しては別だ。


 これはそのうちしっかりと問い詰めて、諦めさせなければならない。

 



 イルミのその決意に、アルテとレイチェルが気が付くことはなかった。

 これが幸か不幸なのか、その結果がわかるのはもう少し後になってからである。

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