第40話 「異国の文化は難しい1」
「通行証を持たないのなら、この門を通ることは出来ない」
銅色の鎖帷子を纏い、鉄製の兜を被った番兵はそう嘯いた。
レストリアブールという都市は四方を城壁に囲まれている。グランディアのような後から増改築を繰り返したような無秩序な要塞ではなく、理路整然と積み上げられた石垣までが美しい、計画的な都市だった。けれどもシュトラウトランドのように計算され尽くした四角形で構成されている訳でも無いところが、味のあるところなのだろう。
「そうか。それは残念だ。ならこれは少しばかりの気持ちだ」
そして城塞都市の例に漏れず、中へ入るには領主が発行した通行証や商売人向けの手形が必要となる。
着の身着のままシュトラウトランドから逃げてきた俺たちにそんなものを用意する暇もある筈がなく、こうして足止めを食らっている次第だ。
だがそこはレイチェルの機転が役に立つ。彼女はイルミから預けられた財布から銀貨を幾らか取り出すと、それを番兵に握らせた。
つまりは賄賂で見逃せ、ということなのだ。
こいつは効果覿面で、番兵は渋々ながら顎だけでレイチェルに通れと指図した。
彼女は素知らぬ顔ですたすたと歩を進める。
だが、
「おっと、お前達は駄目だ」
レイチェルの後ろについて門を潜ろうとした俺とイルミ、そして魔導人形であるゴリアテの前に槍が突き出される。槍の出本を見れば賄賂を受け取った筈の番兵だった。
「どういうことだ。通行料は支払ったぞ」
先に通っていたレイチェルが抗議の声を挙げる。決して安くは無い通行料を支払っているのだ。こちらとしても納得は出来なかった。
「馬鹿か。あれは一人分だ。残りの三人も通りたくば同じ料金を支払え」
番兵の小馬鹿にしたような態度にレイチェルは「なっ」と声を荒げ、イルミはその赤い瞳を静かに潜めた。だが彼女の中で渦巻いている魔の力は決して穏やかではない。
あまりに刺激しすぎると、影に飼っている狼たちが黙ってはいない。
「相場以上は握らせた筈だ。適当なことを言うな」
「適当などではない。相場なんて情勢によって変わるものだ。今はそのレートなんだよ」
払いたくなければ帰れ、と言わんばかりに番兵は強気だ。周囲の通行人達も何事か、とこちらに注目し始めている。
例え聖協会の勢力圏から抜け出しているとしても、お尋ね者である俺たちがここで不必要に目立つことはどうしても避けたかった。
資金の本来の持ち主であるイルミには申し訳ないが、ここは大人しく従おう。
殺気立つイルミの前に立ち、番兵に詰め寄っているレイチェルの肩を掴んで引き離した。そして彼女から財布を受け取り番兵に向き直る。
「……いくらだ?」
細かな通行料の相場なんて分からないので素直に問う。恐らくは一人当たり銀貨5、6枚か?
「おっ……」
番兵と目線が合う。彼はその瞬間、先ほどまで饒舌だった口調を詰まらせた。どうしたものか、と顔を覗き込んで見れば勢いよく唾を飛ばしてこう叫んだ。
「お前は金貨20枚だ! それが払えないのならばレストリアブールから直ぐさま失せろ!」
言われて財布を覗き込む。
金貨が25枚と銀貨が8枚。イルミとゴリアテの通行料を支払えば丁度くらいか。
ああ、何とか足りて良かった。
――って、何でやねん。
/
宿に辿り着いた俺たちの表情は皆一様に厳しい。
視線は全て、部屋の真ん中に置かれた空っぽの財布に向いている。
番兵が突然告げた通行料はどう考えても法外なものだった。だがレストリアブールに入らなければ仕事を探すこともままならず、体力的にも限界が近づいていたので野宿する訳にもいかず、取り敢えずは宿を見つけなければならないと、仕方なしに通行料を支払った。
その結果が殆ど中身を失ったイルミの財布なのである。
ちらり、とイルミを見る。
と、ほぼ同時に彼女の赤い瞳がこちらを見た。感情の起伏に乏しい目の色からその内心を読み取ることは難しい。
けれども、稼ぎ上げた財産をこのような形で失った彼女の心境は決して穏やかではないだろう。
早急に対策を考えなければここで見捨てられて狼達の胃の中に収められてしまうことすらありうる。
ようやっと関係を改善し、仲良くここまで来たのだ。本日支払った通行料を直ぐさま稼いで、耳を揃えて返済するしかあるまい。
「レイチェル、仕事を探したいがここには聖協会のような組織はあるのか?」
取り敢えず仕事と言えば一番の得意分野である吸血鬼退治を思い浮かべる。吸血鬼退治は割が良く、手っ取り早く小金を用意するには便利な仕事だ。
だが斡旋業者の縄張りや聖協会の管轄などしがらみも多く、そうほいほいと行えるようなものではない。
「……ならば暗殺教団に向かえばいい。あそこはそういった化け物を退治する自警団のような働きもしている。運が良ければ何かしらの仕事を斡旋して貰えるかもしれないな」
暗殺教団。
こちらに来てよく聞く単語だ。レストリアブールを支配する教団らしいが名前が余りにも物騒すぎてちょっと近寄りがたい。道中でレイチェルから聞いた話によれば、過去の大戦で暗殺者として活躍した一族の末裔が始めた教団だとか。暗殺者としての技能に冴える緑の愚者を神とし、それを信仰する集団だ。
そう、ここに来てあっさりと緑の愚者がどういった吸血鬼なのか情報が手に入った。
というよりもレイチェルがその情報に詳しかった。彼女の出身である南方の砂漠ではそれなりに名の通った愚者らしい。
七色の愚者というものはそのネームバリューの割に実態が不明なものが多い。あのヘルドマンー―、黒の愚者ですらこの目で存在を確認するまでは能力容姿その他は一切わからないままだったのだ。
月の民は七色の愚者を畏れ、信仰の対象としているがどうやらその実物を目にしたことのあるものは殆どいないらしい。
まあ、これまでの愚者達の化けものっぷりを考えれば仕方の無いことか。
誰も好き好んであんな怪物達に近づこうとは考えないだろう。
だが今回ばかりはそう贅沢も言ってられない。仕事を得るには緑の愚者の総本山である暗殺教団の元へ向かう必要があり、万が一かもしれないが緑の愚者と出会うこともあるかもしれない。
さらに理由はよくわからないが、謎の通行料を吹っかけられたのは俺だ。
ここは俺が失ったイルミの財産を取り戻すのが筋というものだろう。暗殺教団や緑の愚者を恐れて何も出来ないなどあってはならないことだ。
その他にもイルミやレイチェルの安全のこともある。レイチェルは暗殺教団のことを「余計なことをしなければそれほど危険では無い」と説明していたが、二人は近づかないに越したことはない。
「わかった。俺はこれから暗殺教団のところへ行ってみる。イルミとレイチェルは残った金でこれから暫くの食料を手に入れてくれ」
何故自分は連れて行かないのか、とイルミが視線で訴えかけてくる。
けれども口下手な俺がその理由をつらつらと説くことが出来るはずも無いので、レイチェルの保護者力を頼ることにした。
こちらからレイチェルにアイコンタクトを送れば、彼女は一つ頷いて不満げなイルミの手を取る。
「吸血鬼退治のことは専門家のアルテに任せればいいさ。君はそんな彼が十全に動けるようサポートする。悪くない献身だとボクは思うけどね」
そのまま手を引っ張ってレイチェルは宿の扉の前まですたすたと歩いて行った。
「暗殺教団は街の中心の球形の屋根がついた建物にある。夜が明けきる前には帰ってきてくれよ」
去り際にそんなことを言い残して二人は部屋から出た。一人残された俺は手元の義手に問い掛ける。
「暫く整備はしていないが、お前はどれだけ動ける?」
「主様が望めば千の敵すら屠って見せましょう」
満足なメンテナンスもなしに砂漠を歩いてきたのだ。機械式の義手の具合は少しばかり気になっていた。
イルミとレイチェルの前で問わなかったのはその口の悪さと、イルミとの悪い意味での意気投合の所為だ。
「久方ぶりの仕事かもしれない。お前には働いて貰うぞ」
「無論。この身が朽ち果てるまでお供いたしましょう」
台詞だけならばとても頼もしいものだが、命令違反の常習犯っぷりだけはどうしても不安だ。
こればかりは、と何度も念を押す。
「無闇に喧嘩を売るな。相手を選べ」
「もとよりそのつもりで御座います。そこらの雑魚に吠えることは主様の格を下げることになりますゆえ」
本当にこいつはこちらの意図を理解しているのだろうか。
どうしても一抹の心許なさを抱えながら、壁に立てかけておいた黄金剣を手に取る。
ずっしりと重みを感じるそれは俺がこの世界で生き抜いてきた証だ。久方ぶりの吸血鬼退治にありつけるかもしれない高揚感と、新しい土地に対する畏れ。
相反する二つの感情を自覚しながら、薄暗い宿を後にする。
そういえば。
どうして俺だけあれほどの法外な通行料を告げられたのだろうか。
今思えばあの番兵、勘違いでなければ俺に怯えていたような……。
/
夜の繁華街というものはどの世界においても同じような雰囲気だ。
まあ、こちらの世界では元の世界の昼に相当するものが、夜に当たるわけだから勝手は違うのだろうけど。
活気のある通りには屋台が数多く並び、呼び込みに精を出している。時折押し売りのように串焼きなどを押しつけられるが、文字通り一文無しなので丁重にお断りしていった。
昔からこういったキャッチーの類いは苦手なので、どうしても顔が引き攣ってしまう。
するとこちらの心情を読み取ってくれたのか、すっと呼び込みの波が引いていった。
ふむ、本当に嫌がる客にしつこくない辺りが好感触だ。
「さて……」
通りの合間からその先を眺めるとやや左に向かって目的の建物らしきものが見えている。
どうやらこの通りからは少し外れた所にあるようだ。ふと脇を見れば、ちょうど左側へ伸びている裏路地がある。
もともと都会の繁華街でバイトをしていたのだ。こうした煩雑な造りの都市には慣れている。
迷わずそちらに歩を進め、人通りの少ない道を歩く。路地の向こう側から人のざわめきが聞こえているのでまた別の通りに続いているのだろう。
と、その時。
「主様、主様」
不意に声がする。
いや、声の元は一瞬で理解できる。右手の義手がこちらに語りかけていた。
「どうした」
この義手が自発的に行動を起こすときは大抵碌な事にならない。警戒度を最大にしたまま義手に応答する。
「こちらの路地に目を付けられた主様の慧眼には感服するばかりですが、如何せん、なかなかの強敵のようです」
へ、何言ってるのこいつ?
強敵?
ぱーどぅん?
「……っ、もう回り込まれた!」
義手らしくもない、若干狼狽えた声色。
そこからの行いは殆ど無意識下の反射。
腰に結わえた黄金剣を抜き放ち、背後へ振りかぶる。果たしてその選択はどうやら正解だったようだ。
鋭い五指の爪が眼前で黄金剣の刀身によって止められている。
「……ほう、ふらふらと狩り場に迷い込んだ獲物かと思えば俺は獅子を引いたのかな?」
襲撃者は異様な風貌だ。白塗りの無機質な面を被り、真っ黒な外套でその身を包んでいる。
鼻を突くような血と腐肉の臭いが路地を埋め尽くし、人成らざるものであることを嫌でも教えてくれた。
間違いない、これは俺が討伐業でウンザリするほど付き合ってきた吸血鬼だ。
でもどうしてこんなところに? という疑問を考える間もないまま襲撃者は次の一手を繰り出す。
外套の下から飛び出した短剣が眼前に突き出される。
「っ!」
視界外からの一撃は容易に致命傷となりうる。背後に足を縺れさせながらも、何とか転げまわることによって、鼻っ面ギリギリで刃から逃れる。
だが襲撃者はそこで見逃してくれるほど優しくはない。転げまわった俺に追いすがるように再び短剣を振るった。
「しつこい!」
振り下ろされた腕を足で蹴飛ばし、体勢が崩れたところにもう一度蹴りを叩き込む。吸血鬼の呪いによって強化された脚力ならば、常人であれば内蔵破裂まで持っていけるのだが、同じように強靭な肉体を持つ吸血鬼には効果は薄かった。
結果的にはこちらが起き上がって剣を構えるだけの時間稼ぎにしかならない。
「確かに、お前の言うとおり中々骨のあるやつだな」
「ええ、前の不死の女ほどではありませんが、雑魚とは呼べません」
久しぶりの強敵とも言える吸血鬼だ。だがその実力は所詮歯ごたえがある程度。不死のマリアに比べれば、白の愚者であるホワイト・レイランサーに比べれば結局はそんなものだ。
これまで何度も振るってきた黄金剣を構え、吸血鬼に相対した。
「……ふむ、訂正しよう。お前は獅子などという甘っちょろいものではないな。その荒ぶる気といい、少々実力を見誤ったようだ。さすがに激昂した龍と切り結ぶほど、我々は愚かではない」
正眼で構えるこちらに対して、吸血鬼は一切短剣を構えない。それどころか何かしら怪しげな台詞を吐いて数歩後ずさった。
不味い……!
「逃すかっ!」
叫びと同時、黒い外套白面の吸血鬼は踵を返して駆け出した。
もっと簡潔に事象を述べるのならば一目散に逃げ出したのだ。
「待てっ!」
相対した路地から角を一つ曲がり、二つ曲がったところで早々に姿を見失ってしまう。一瞬の瞬発力には自信があるものの、持続的な速度は向こうの方が断然速かった。
しかも……、
「何だ、これ」
路地を二つ曲がった先、月の光も殆ど届かない暗闇の中、異臭が立ち込める異界があった。
ざらざらした砂地のような道の感触は既に足裏に無く、ぬめりつくような粘り気を感じる。
レイチェルによって呼び覚まされた、大気中の魔の力を読み取る力を全力行使する。やがて目に映るのは人間大の変わった物体。
いや、それは変わった物体などではない。
路地の異界に横たわっていたのはまさに事切れた人間だったのだ。
三十代くらいの中肉中背の男が喉元から血を撒き散らして息絶えていた。
「先程の吸血鬼の仕業でしょうか」
義手が疑問を呈するが、答えなど考えるまでもないだろう。
これまで何度も見てきた、吸血鬼に殺された被害者そのものの姿なのだから。
「……随分と厄介なものを見つけたな」
恐らくあの吸血鬼は殺害現場の目撃者になりそうな俺を口封じしようとしたのだろう。だとしたら運がないというか、間が悪いというか。
「とにかくこのレストリアブールの治安を管轄する組織に報告だな。レイチェルの口ぶりならば暗殺教団がそれにあたるようだが……」
これ以上遺体を荒らさないように、そっと後ろへ後ずさる。血溜まりに立ち尽くしていた足を退かし、さらに数歩後ろへ。
どうにも仏さんの一部を踏みしめているというのは精神衛生上よろしくない。その辺りの感性はまだまだ日本人のままなのだ。
だからだろうか。南無三、南無三と内心ぼんやりと唱えていた。そして周囲に張り巡らせていた警戒の糸を緩めてしまった。
そんなこと、先ほどの吸血鬼から最も愚かな行為でしかないことを学んでいたのに。
「……動くな」
完全に血溜まりから抜け出す寸前、背後から再び声。
今日は随分と後ろに回り込まれる日だと嘆いている場合ではない。それはこちらの喉元に突きつけられたナイフの冷たさが余りにも尖すぎる。
先ほどの吸血鬼とは違う。全く別の襲撃者に思わず身が強張った。
「どういうつもりだ」
振り返ることは出来ない。吸血鬼とは比べ物にならない、洗練された殺気のせいだ。
これは間違いない。今、後ろを取っている人物は間違いなくあの吸血鬼よりも手練だ。迂闊に刺激をして、喉を引き裂かれる真似はしたくない。振り向きざまに反抗するには余りにも実力が違いすぎる。
「とぼけるな。殺人鬼め。ここ数日の通り魔事件はお前の仕業だな?」
ナイフの腹で喉元を撫でられる。後頭部の髪も掴まれ、真上を向けさせられた。
しかし通り魔とは。
あの吸血鬼、ちょっとばかり遊びが過ぎているんじゃないか。
「違う、俺ではない。吸血鬼がこの近くで暴れていた」
とにもかくにも、このまま無実の罪であの世に送られるわけではない。饒舌で無いことは痛いくらい理解していても、何とか言葉を絞り出して弁解する。
ただ、それを聞き入れてくれるほど、背後の人物は優しさと寛容さを持っているわけではなかった。
文字通り、こちらの弁解など取り付く島もなく切り捨てられる。
「見苦しいぞ。それだけの気を暴れさせて、正気を装うとは言語道断。大人しくその罪を償え」
喉に触れていたナイフの腹が離れる。代わりに刃が真っ直ぐ当てられたのがわかった。
薄く血が滲み、襟元を汚した。
「まっ――」
待て、という言葉を発する暇もない。
けれども、ナイフが肉と動脈を切り裂くこともなかった。これまで沈黙を保っていた義手が跳ね上がる。
常人ではあり得ない軌道と速度で右腕がねじくれる。
跳ね上げられた鋼鉄の腕は一瞬の合間に背後の人物を殴り飛ばしていた。
――濡れ衣ではなくなってしまった。




