第36話 「VS狂人」
一人目は剣を振り下ろす前に薙ぎ払われた。
二人目は振り下ろした剣を掴まれ、顔面に蹴りを受けて吹っ飛んだ。
三人目は一瞬怯んだところを撫で切りにされた。
四人目以降は似たようなことの繰り返しだ。
雑魚を集めてきたつもりは毛頭なかった。それでもクリスは彼ら聖協会の戦闘員が狂人の足下にも及ばないことを凡そ予想していた。
だからこそ立て直しは早い。その他の有象無象のように狂人の前に彼らが叩き伏せられても狼狽えることはない。
哀れ、二桁目の戦闘員が切り伏せられたのと同時。
彼女は魔の力を声帯に宿し叫んだ。手にした巨大な本、「ネクロノミコン」が禍々しく光を放つ。
「『狂人よ、跪け!』」
効果はあった。
普段ならば良くて数瞬足を止められれば良い方だろう。何故かはわからないが、クリスの魔の力はアルテに対して非常に効果が薄い。
だが今回ばかりは奥の手の武装まで行使している。文字通り命を削って挑んでいるのだ。
僅かに膝を折った狂人が忌々しそうにこちらを見る。彼はクリスの手にした「ネクロノミコン」を見て、舌打ちを一つ。
そして明らかに膨れあがった狂人の殺気に脂汗を浮かべながらもクリスは剣戟を叩き込んだ。
「ぐっ!」
だが手応えは硬質だ。
肉や皮を切った感触は得られない。
それどころか振るった剣を引き戻すことすら適わなかった。
アルテを護るようにして義手の、鋼鉄で出来た右腕がクリスの剣を鷲づかみにしていた。
「不遜が過ぎるぞ、小娘」
決して柔では無い筈の剣が握りつぶされる。
無機質な声色からは想像もつかない激情家であると、クリスは義手の性格を判断した。
憎たらしいほどに、持ち主によく似ている。
ついでにいつも連れ回している奴隷にも。
「舐めるなよ! 『誓約:吹き飛ばせ!』」
アルテの硬直が解けるまでの僅かばかりの時間、クリスは次の手を打つ。
腐っても協会では実力派で通っているハンターなのだ。これしきのイレギュラーで情勢を見誤ったりしない。
己の魔の力をありったけ込めて、声による衝撃波を生み出した。
「ネクロノミコン」によって増幅された衝撃はアルテを吹き飛ばし、講堂の壁にその全身を叩きつけた。
「はあ、はあっ、くそっ」
一度に持ってかれた己の魔の力の惰弱ぶりに悪態を吐きながら、クリスは土煙に消えた狂人の行く末を見る。
これで殺せたとは微塵も思えない。
周囲で体勢を立て直しつつある聖協会の戦闘員達も一様に警戒は解いていなかった。
そして、その読みは悲しいことに的確だった。
「来るぞ!」
土煙を文字通り切り分けながら狂人が飛び出す。
ターゲットは再びクリスだ。上段から切り伏せるように剣撃が繰り出される。
クリスは黄金色の剣閃を転げ回りながらかわすと、次なる魔の力を己の声に込めた。
だが、
「がっ!!」
喉元を引きちぎられたと錯覚するまでの圧力。
見れば、アルテの義手が深々とクリスの喉を押さえている。両者の距離が肉薄し、それぞれの視線が交錯する。
失念していた。
アルテの武器はその恐ろしいまでの戦闘力だが、それを下支えしているのは獣のような身体能力だ。
吸血鬼すら凌駕するその瞬発力。
こうして自身に振るわれると、対策などしようもないことを文字通り痛感させられる。
「あがっ!!」
アルテの狂気に滲んだ瞳がこちらを見ている。
クリスはそれを真っ向から受け止めて、声にならない疑念をあげた。
何故だ。
何故お前は聖協会に牙を剝く。
自分が狙われていることを知っていたのか。
喉を締め付けられた無様な呼吸音が漏れる。
クリスは自身が抱く疑念を込めて、精一杯アルテをにらみつけた。
対するアルテはクリスを締め上げながらこう呟いた。
「……もう、終わりだ」
返答は十分だった。
何処か憂いすら帯びたその言葉にクリスは戦慄した。
先に裏切ったのはこちらだった。
狂人を捉えるべく活動していたのは聖協会だ。
いわば宣戦布告は自分たちから行った。
ならばアルテが聖協会に失望したのだと理解するまでにそう時間は掛からない。
何とかアルテの義手を解こうともがいていた腕から力が抜ける。
自分はここで殺されるのだと、クリスは静かに覚悟を決めた。
アルテが剣を振り上げる。クリスは己の跳ねられた首を想像した。
からん、とクリスの折れた剣が床を打ったとき、その場にいた全員が聖協会の負けを悟った。
だが、遅れてやってきた役者はそのようなつもりはさらさらなかった。
「調子に乗りすぎですね! 狂人アルテ!」
動きは二人の頭上だった。
二人の足下に陰りが一つ。
それだけでアルテはクリスを放り投げてその場から待避した。
続いて床を砕く破砕音。
破片と土煙が中空を舞い、その場にいた全員から視界を奪う。
「ですが噂通りのセンス。あのヘルドマンが贔屓にするのも仕方ないことかもしれませんね」
砕かれた床は爆心地のようだった。
それが鉄塊と呼ぶしかない巨大な槌、つまりハンマーによって巻き起こされたと理解できたのはアルテとクリスだけだ。
他の戦闘員達は呆然とその人物を見守るしかなかった
「けれども私とて聖協会の責任者。この場の落とし前と白の愚者の殺害の件――、しっかり償って貰いましょうか。その魂で」
アルテとは違い、土煙を纏いながら彼女は姿を現す。
聖協会のナンバーツー。
化け物染みた不死性のため、誰もが不死のマザーと呼ばれるその女。
ともすれば少女にしか見えない怪物は不敵に笑った。
マリア・アクダファミリアの遅すぎる援軍だった。
マリアの行動は早い。
償いの宣誓を告げると同時、アルテに肉薄する。
その速度はヘルドマン並みとは言わないものの、この世界においては相当の上位に分類されるものだった。
並の人間であれば、自身に何が行ったのか認識できないまま挽肉に変えられたであろう、一瞬。
アルテは文字通り、人間離れした反射神経で振るわれた鉄槌と同じ方向へ飛んだ。
途中、宙で鉄槌に捕らわれるも、義手がその圧力を受け流し空振りに終わらせる。
車輪が回転するように中空で前転したアルテは何事もなく着地して見せた。
マリアはその様子を見て思わず目を剝く。
「なんて出鱈目な」
「鏡でも見てろ」
自らの身長の数倍は巨大な鉄槌を振り回すマリアにアルテは悪態を吐いた。
だが若干息が上がっているところを見ると、見た目ほどには余裕は無いようだった。
これを好機と踏んだクリスは「ネクロノミコン」を再び開いて援護に乗り出す。
けれども、
「……!!」
声が、でない。
それどころか血反吐のようなものを吐き出して、喉に灼熱の痛みを感じた。
手元に落ちていた、己の砕かれた剣を鏡代わりにしてその根源を見る。
クリスはその景色を見て後悔した。
肉の焼けるような臭いはまやかしではない。
狂人の義手によって潰された喉は見るも無惨な火傷を負っていた。それが狂人の持つ太陽の毒によるものだと理解したとき、クリスはマリアにその驚異を伝えようとした。
だが狂人を鉄槌で追い回すマリアはこちらを伺う余裕がない。
それどころか、時折叩き込まれる狂人の黄金剣を受け止め、守勢に回る場面も多くなっていた。
互いの戦闘力は拮抗している。
だとしたら、狂人の持つ太陽の毒がマリアの致命傷になりかねない。
かの狂人の毒は黄金剣以外にも、義手を伝播して相手に流し込むことが出来る。
その事実を伝えなければならないのに、声は殺されている。
どうすれば、どうすればいい!!
焦りと無力感がクリスを苛む。
ふと、誰かが己の腕を引っ張っていることに気が付いた。
戦闘員の誰かが援護に来たのかとそちらに振り返る。自分はそれどころではない。お前達も死にたくなければ撤退しろ、と声が出せればそう喚いていただろう。
だがその毒気は良い意味で裏切られる。
クリスの腕を引っ張っていたのは、先ほど炊き出しを届けてくれた聖協会の女性だった。
何故、という疑問は声にならない。
確かに逃げろと言った。このような死地に置いておくのは余りにも忍びなくて逃がしたはずだった。
「大丈夫です。テトラボルトシスター。これでも聖協会の端くれです。死ぬ覚悟は出来ています」
馬鹿なことを言うな、と怒鳴ったつもりだった。
代わりに吐き出された血が職員の女性を汚す。
「……私は治癒に特化した魔の力を扱えます。少しばかり失礼します」
言って、喉元に手を当てられた。
そして先ほどとは比べものにならない激痛がクリスを襲う。
脂汗が吹き出し、多量の血を吐いた。だが苦痛と不快はそこまでだ。痛みに耐えかねた自分が呻き声を出していると気がついた時、クリスの視界は一気に開けた。
声を、取り戻した。
「……ありがとう。感謝のしようもない」
元のように正常な発声が出来るようになった喉元を撫でてクリスは聖協会の女性を見た。
「恩人の名前を教えてくれないか?」
「ミトです。ミト・ネイサン・シルバニア」
「そうか。ミト。今度こそここから離れろ」
「いいえ、離れません。何故なら皆、戦う覚悟でここに来ました。たかだか狂人の一人に聖協会を好きにはさせません」
見れば周囲に倒れ込む戦闘員達が非戦闘員の職員達に引き摺られて安全圏まで逃がされていた。
狂人とマリアの攻防に巻き込まれる恐れすらあるのに、皆が勇気を振り絞って己の成すべきことを成している。
クリスはその光景を見て、これ以上、「逃げろ」とは言わなかった。
「そうか。ならば君の力は負傷した戦闘員達に振るってくれ。私はもう大丈夫だ」
クリスは立ち上がった。折れた剣の代わりに「ネクロノミコン」を眼前に掲げる。クリスの魔の力が注ぎ込まれたそれは、より大きな輝きとなって講堂を支配した。
「『誓約:狂人よ! 何度でも跪け!』」
/
聖協会に足を伸ばした。
早いところ義手の性能を試したいというのもあったし、ここまで助力してくれたクリスに礼を告げたいというのもあった。
けれども現実は全くもって意味不明だ。
聖協会に足を踏み入れた途端、全ての職員が職務を放りだして逃げていった。
声を掛けようにも、皆が一様に腰を抜かして白目を剥いて失神していった。
クリスをようやっと見つけてこれはどういうことだ、と聞けば恫喝された。
何をしにきた、と問うてきたからおとなしく「こいつを試しにきた」と白状したら剣を向けられた。
嘘やん。
もちろんそんな間抜けな声は口をついて出てこない。いきなり斬りかかってきた聖協会の職員に、咄嗟の判断で死なない程度のカウンターを叩き込む。
二人目は胸を撃とうとしたが、目測を誤って顔面を殴ってしまった。ごめん。
三人目は動きが鈍ったのでプレートメイルの上から浅く切りつけておいた。致命傷にはならないだろう。ごめん。
四人目以降は似たようなことの繰り返しだ。ごめんごめん。
殺してしまわないように配慮を加えながら、どうしてこうなったのかを必死に考えた。
だがその思考は直ぐさま中断される。
「『狂人よ、跪け!』」
急に身体が重くなる。
いや。これはクリスの仕業だ。彼女の声に魔の力を乗せて、対称を操作する能力が働いているのだ。
だが体内に魔の力が殆どゼロと言って良い俺には殆ど効かないはず。
何故だ、と視線を向ければ彼女は革張りの一抱えもある本を持っていた。
やばい、あれは見たことがある。
記憶が正しければイルミを拾いに行ったときに彼女が装備していた奥の手の武装だ。
「っ!」
何でそんな物騒なものもってんの! と突っ込むよりも先にクリスの剣が振るわれた。
相変わらずの多才ぶりを発揮する素晴らしい剣閃である。
と、そんな悠長に感心している場合ではない。これの迎撃に黄金剣は間に合わない。
というわけで頼みます義手先生!!
果たしてエンリカ特製の義手はしっかりと期待に応えた。剣を受け止めるイメージを抱くだけで、クリスの剣閃をしっかりとつかみ取ったのだ。
これはすごい。
エンリカは俺の戦いぶりをイルミ達に聞いて制作したと語ったが、間違いなくオリジナルの俺を超えた性能だ。
ただ、
「不遜が過ぎるぞ、小娘」
この口の悪さはいただけないかもしれない。
先ほども聖協会の職員相手に挑発としかとれないような文言を吐き出していた。こればっかりは申し訳ないがエンリカに調整してもらった方が良いだろう。
現に義手の一言がいらない勘違いを引き起こしているのだから。
「舐めるなよ! 『誓約:吹き飛ばせ!』」
クリスの剣を握りつぶし、さあ状況を説明してもらおうかと気を抜けば見えない壁に吹き飛ばされた。
まさかクリスの魔の力はこういったことも出来るのか。
驚愕に身を委ねながら何とか受け身を取る。だが如何せん衝撃が強すぎた。
聖協会の講堂の壁を破壊し、あたりに土煙を巻き起こす。
あー、なぜここまでクリスに責められているのだろう。
もしかしたらこれ、いらぬ抵抗をせずに大人しく降参した方が良いのではないか。
弱気な考えとは言えども、それが最善かもしれないと考えた俺は、静かにめり込んだ壁から抜け出した。
取りあえず彼らの事情を聞こうと剣を捨てようとしたとき、口の悪い義手が何かをぼやく。
「これほどの屈辱……その命で償え小娘」
え? と疑問に思ってももう遅い。
気が付けば義手に引っ張られクリスに肉薄していた。
やっぱ間近で見ると睫毛長くて凜々しくて美人だなーとか、間抜けな感想を抱く暇がない。
俺の制御を完全に離れた技手はクリスの喉を万力の如く締め上げていたのだ。
「……もう終わりだ」
義手に戦いの終わりを告げても一切の命令を受け付けてくれない。ギリギリとクリスの喉を締め上げ、挙げ句の果てにはそのまま持ち上げてしまった。
これは駄目だ。
たとえ吸血鬼ハンターとして死ににくい肉体を手に入れていても、クリスの生命に重大な影響を及ぼしかねない。
クリスの口端から鮮やかな血が一筋垂れたとき、俺の決意は固まった。
せっかくエンリカが制作してくれた一品だが、このまま野放しにするわけにはいかない。
こいつを切り落としてクリスを救わなければ。
黄金剣を構える。最悪壊れても仕方がない。大恩のあるクリスの命には代えられないのだ。
ただ幸か不幸か、新たな乱入者のお陰で義手もクリスも失う未来は回避することが出来た。
僅かな殺気が頭上から突き刺さる。
義手もそれを読み取ったのかクリスを手放して回避行動の手助けをしてくれた。
それまで俺とクリスが立っていた床が巨大なハンマーのようなもので砕かれた。
新手と判断するまでコンマ一秒も掛からない。とにかくクリスと和解し合うのは後回しだ。
今はこの瞬間に始まった第二ラウンドに全力を傾けるのみ。
 




