第35話 「馬鹿が徒歩でやってきた」
義手の取り付けは想像していたよりもずっと簡単だった。
俺の腕の断面を義手に差し込んで、肘のあたりまで駆動式のバンドで固定する形だ。もっと大手術のようなものが必要なのかと考えていたのだが、良い意味で拍子抜けだった。
時間にして三十分も掛からなかったと思う。
あのあと、ホワイト・レイランサーから太陽の時代の『核』を受け取った俺は、直ぐさま「ドワーフの穴」に駆け込んでいた。
俺の姿を見定めたエンリカは「よくぞご無事で……!!」と涙と鼻水を垂らしながら喜んでくれた。
これはあれか。虎穴に入って虎児を手に入れてきたようなものなのだろうか。
ちなみにイルミは俺の顔を見るなり、とっとと「ドワーフの穴」を飛び出していってしまった。
あの時、俺の魔導人形に何があったのか問いただそうとしたのだが空振りに終わった感じだ。
避けられていると感じたのは別に勘違いでもなんでもなかったようだ。彼女との溝はどう埋めればよいのだろうか。
例え口下手過ぎる体質でも、一度はクリスあたりに相談して見た方が良いのかもしれない。
義手の最終調整とやらで、なにやらこちらの右腕を弄っていたエンリカに声を掛ける。
「クリスはどうした。姿が見えない」
そう。その相談相手に適役のクリスが何処にも見当たらないのだ。
いつもなら中庭辺りでエンリカと談笑しているか、イルミに世話を焼いているのだがそんな様子は見受けられなかった。
エンリカは作業している手元を見ながらこう答えた。
「クリス殿ならヘルドマン殿に連絡を取るとか言って聖協会に出向かれましたぞ。……そういえばあれから結構時間が経ちましたな。あと一時間ほどで夜明けです」
なるほど、エンリカが言うとおりならばクリスは聖協会にいるのか。
俺もこの義手の取り付けが終われば聖協会に向かうか。この義手の具合を確かめるために、軽めの依頼を探そうと思っていたところなのだ。
「……よし、出来ました。義手の操作自体は魔導人形の操作用に手渡した首のチョーカーを通して行えます。何か動作を思い浮かべて下され」
言われて首元に巻かれていたチョーカーを思い出す。
そういえば随分と長いことつけっぱなしにしていたから存在そのものを忘れかけていた。
しかし動作か。
これといって思いつかないが、義手にしてから初めてのイベントだ。
せっかくなら思い出に残るようなものがいい。
「そうか。なら……」
ふとエンリカの方を見た。薄暗くてはっきりとは確認できないが、目の下にこさえているクマが見て取れる。
おそらくこの義手を用意するためにここ数日間、ずっと作業をしていてくれたのだろう。
彼女にはここに来てから毎日のように世話になった。
エンリカなしには義手の制作なんて夢のまた夢だったし、白の愚者に挑戦することも出来なかった。
だからここは感謝の意を示すべきだ。
感情の発露が苦手でも、精一杯それを努力すべきなのだ。
俺は最初の動作を握手と決めた。義手を突き出し手の平を開く。そして動かない口を無理矢理動かして言葉を告げた。
「世話になった」
あ、とあっけに取られたのはエンリカだった。
彼女は大きく目を見開き、硬直していた。やがて両の瞳からぽろぽろと涙を零し、鼻声で返答を返してくれた。
「ごじらごそ、ありがどうございましゅ」
小さな手で義手を握り返してくる。それを握りつぶしてしまわないよう、細心の注意を払って握手を続けた。
彼女はそれから暫くの間、えぐえぐと泣き続けた。
/
「……ところでエンリカ。この義手はインテリジェンス式と言ったか。見たところ普通の義手と変わらないようだが」
ちょっとした感動的な場面のあと、工具の後片付けを行っているエンリカに俺は声を掛けた。
確かヘルドマンの説明では、俺は魔の力を扱えないから普通の義手は使えない筈だった。だから自立思考をもった義手が必要になるという話だった。
けれども今腕に装着しているそれは全くそんなそぶりを見せていない。
「ああ、それは自立思考の範囲を最小限に設定しているからであります。今はアルテ殿の考えたことを読み取って、その動作範囲を思考して反映しているという状態ですな。ですから見た目としては殆ど普通の義手と変わりありません。……なんなら思考範囲を最大にしてみますか?」
「できるのか」
「はい、今は私の音声が起動するための鍵となっております。あとでアルテ殿の声も登録してみましょう。……ではさっそく。『思考範囲:最大値に設定』」
義手の見た目としてはなんら変化が見られなかった。別段光ったりだとか、変形したりとか、そういったギミックは何もない。
だが直ぐさまエンリカの言葉の意味を理解することができた。
「ご機嫌麗しゅう。我がマスタ-。あなたの僕として精一杯の働きをさせて貰うつもりです」
おおっ。しゃべった!
何これ、何これと新しいおもちゃを与えられた子どものように内心はしゃいでいたらエンリカが得意面で説明を加えた。
「これがこの義手本来の姿ですな。クリス殿とイルミ殿にアルテ殿の動きを教えて貰ってこの義手に入力しておりますから、ある程度の戦闘の補佐も可能です」
何それスゲー!
想像していたよりも数倍凄いアイテムだぞこれ。
駄目だ駄目だ。早速実戦で使いたくなってきた自分がいる。
もう少し落ち着いたら聖協会に出向こうと考えていたのだが、いてもたってもいられなくなった俺は聖協会に向かうことをエンリカに告げた。
「そうですか。ならば丁度良いのでクリス殿の様子を見ていて下さらぬか。飛び出していったイルミ殿は私が探しておきましょう」
「助かる」
相変わらず姿を見せてくれないイルミが少しばかり気がかりだったが、こちらからしつこく追い回しても逆効果だと考えたのでエンリカの言葉に甘えることにした。
決して面と向かって「気持ち悪い」と罵倒されるのが怖かったわけではない。
「では頼んだ」
もう少し感謝を込めて口を開いたのだが、結局言葉足らずな台詞しか出てこなかった。
けれども幸いだったのが、嫌な顔一つせずにエンリカが笑ってくれたことだろうか。何故だかこの一時間ほどで、彼女とは随分と打ち解けることが出来たような気がした。
/
アルテが帰ってきた。
それはとても喜ばしいことの筈なのに、イルミはまともに顔を合わすことが出来なかった。
理由は簡単だった。
あの日、魔導人形の中で自分がしたこと。それが原因だった。
血を舐めた。
キスも、した。
思い出せば顔が茹で上がったように熱くなり、下腹部がきゅーと疼いた。
赤い女の言うと通り、何故かあの時はアルテの毒がこちらに効かなかった。どうやら一度きりの機会というのは嘘ではなかったらしい。
だからこそ、あの瞬間の甘美な出来事が夢ではないと考えてしまって、イルミはアルテの顔をまともに見ることが出来なくなっていた。
心を封印しようと考えた過去が嘘のように、今のイルミにはアルテのことしか頭になかった。
これでは駄目だ、とイルミは思う。
自分は彼の奴隷であり、彼が吸血鬼を狩り続けるのを支えるのが本来の役目だ。
だからこそ私事に傾倒してアルテを避けている現状は決して許されない。けれどもまともに顔を合わせる口実を持ち合わせていなかった。
本来ならばそんなもの必要なかったのに、イルミにはそれがどうしても必要だった。
彼女は飛び出した足でシュトラウトランドの繁華街を歩いていた。
真夜中ということもあってか人通りも多く、露天の類いも沢山出ている。
そうだ、何かしら復帰祝いを贈ってみてはどうだろうか。
彼女がそう思い至るまで時間は掛からない。折角アルテが力を取り戻すめでたい日なのだ。何かしらプレゼントを贈っても問題はないだろう。
決定してからの行動は実に早かった。
贈り物を手に入れるにはまとまった資金が必要だった。
けれども彼女は持ち金を全てトーナメントの賭け事に注ぎ込んでいたので無一文に等しい。
そこまで思い至って、自分はまだあの日の賭け事の配当を受け取っていないことに気がついた。
繁華街を一人進み、配当が支払われるとエンリカから聞いていた事務所の方まで足を伸ばす。
その足取りはここ最近のイルミからは考えられないほど軽やかだった。
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聖典。それはクリスに対して聖協会から与えられた専用武装だった。
正式名称は「ネクロノミコン」と言い、太陽の時代に制作された遺物あることは分かっている。
聖典という通称の通り、形状は一抱えもある巨大な革張りの本で、記載されている内容は常人には理解できないものとなっている。
また、魔の力に対する耐性が低い者がこれを開くと、精神を壊す――つまり発狂してしまうという随分と恐ろしいものだった。
ちょっとした事件が切っ掛けで、クリスがこの聖典を扱えること知ったヘルドマンは聖協会に通達して彼女に専用武装として与えたのだ。
ただしその使用権限はかなり限定的だ。
まず第一に直接聖典の攻撃を受けていない者でも、周囲にいる人間は精神汚染の可能性があった。
つまり意図せずして味方を発狂させることがある。
さらには一度の使用で消費する魔の力が桁違いに高く、乱発はクリスの命にも関わるものだった。
よってヘルドマンかそれに準ずる権限を持つ者が許可を下すことによって初めて装備することのできる武装なのだ。
それの使用許可が下りた意味。
クリスは吸血鬼討伐時にしか着用しない戦闘服に着替えてそれを考えていた。
マリアと出くわした回廊は今、アルテを拘束するための実働部隊の待機所となっている。
非戦闘員の職員達は忙しなく戦闘員達の武器や炊き出しを運んでいた。
回廊の隅で腰掛けていたクリスにも一人の職員が熱いスープが入った椀を持ってきた。
「あの、これどうぞ」
受け取ったスープは肉の塊がごろごろと入った随分と豪勢なものだ。
もしかしたらこれが最後の晩餐かもな、とやや達観した面持ちでクリスはそれを受け取った。一口含めば身体の芯まで温もりが届く旨い食事だった。
「あの、頑張って下さい。テトラボルトシスターがいれば心強いと、みんなが言っていましたよ」
スープをくれた職員は未だ年端もいかないような少女だった。
彼女の純真な眼差しがクリスには堪えた。彼女はまだアルテの恐ろしさを知らない。
そう考えれば仕方のないことかもしれないと、クリスは一つだけ息を吐いた。
「ああ、死なない程度には頑張るさ。ここにいる人員もみな無事になら尚良いな」
そこまで告げて、クリスは立ち上がった。傍らに立てかけておいた剣を腰に差し、ぐっぐっと伸びをする。
「あの、どちらへ?」
実働部隊の出発は夜明け前となっている。現在時刻はおよそそれの二時間前だ。
動き回るには少しばかり早い時間帯に、職員の少女は疑問を投げかけた。
「マリア部隊長を探しに行ってくる。いろいろと本番前の打ち合わせをしたいからな。あと、ご馳走様。旨かったよ」
空になった椀を手渡し、クリスは礼を言った。
少女に言ったことは半分本当で半分嘘だ。
マリアを探しに行くというのは事実だ。けれども本番の打ち合わせというものはさらさら行うつもりはない。
ただマリアの中で、狂人アルテがどのような認識にあるのか問いただしてみようと思ったのだ。
狂人は一筋縄ではいかない。
左手に抱えた「ネクロノミコン」を握りしめてクリスは唇を噛んだ。
強ばった筋肉に自分の感情が惑わされ、恐れを感じているのかどうかもわからなくなってきた。
マリアの不死性は、あのヘルドマンですら厄介だと嫌うものだ。だがそれも、狂人に対して何処まで通用するのか未知数なところが多い。
マリアはどこまで勝算を見出しているのだろう。
どこまでの犠牲ならば許容できるのだろう。
沸きだした疑問は決して少なくない。
ならば疑問を抱いたまま鈍りを覚えた剣を振るうよりかは、つっかえのない後腐れのない状況で狂人に挑みたかった。
だがクリスのそんなささやかな願望は回廊まで伝播してきた騒ぎの波に呑まれていった。
立ち上がったクリスの進路をふさぐように、数多の職員がこちらに走ってきたのだ。
いや、走ってきたというのは正確ではない。
逃げてきたのだ。
何から?
嫌な予感が止まらない。
「すぐにこの回廊から中庭の方に逃げろ」
クリスの焦りをくみ取ったのか、少女は直ぐさま人混みを掻き分けて回廊から出て行った。その様子を最後まで見守っていたクリスは周囲にいた戦闘員達に声を飛ばす。
「全員抜刀! 非戦闘員の避難を優先! 死なない自信のある者は私についてこい!」
果たして、クリスに従ったのはその場にいた全員だった。
それぞれが聖協会から支給される剣を抜き、騒ぎの中心へと駆けつける。
甲高い金属音が聞こえる。
悲鳴が三割、怒号が七割。聖協会の入り口。普段なら職員がせこせこと職務に勤める受付の前にそいつはいた。
上背はクリスと同じほどでそれほど高くはない。けれども引き締まった筋肉は獣を連想させ、体格でこの者を評価してはならないということを教えてくれる。
髪と瞳は黒。人種はここらシュトラウトランドでは見かけないもので、東の海運国の出身ではないかと囁かれたこともある。
目つきは鋭く酷く冷淡だ。
これまで幾多もの吸血鬼を切り捨ててきたであろう黄金剣には鞘がなく、剥き身のままに腰へ結わえられている。
あれが白の愚者の命を絶ったのだろうか。
その場にいた全員が同じ事を考えていた。
クリスと男の視線が合う。寒気と悪寒が背中を駆け上がり、思わず喉が鳴った。
「……何のためにここに来た」
鋼のように強ばった口調がクリスの口から漏れた。
男は暫く沈黙を保った後、徐に笑った。
それは長年の付き合いであるクリスですら滅多に見たことのない表情。
けれども彼女ははっきりとその表情を覚えてる。
そしてその表情がかの男から出たとき、どういった惨劇が起こるのかも知っている。
男の笑みは獲物を前にした獣のそれだった。
「なに、こいつを試しに来た」
隻腕だった筈の男に腕が生えていた。金属製の冷たい印象を抱かせる腕だ。
腕は義手でインテリジェンス式。
無機質な声色が周囲に響く。
「マスターに仇なすものに死の鉄槌を。地獄の焔に身を焼かれ悶え苦しむがいい」
義手の声が男の本心を代弁していると理解するまで一秒もかからない。
既に剣を抜いていた戦闘員達が一斉に男へ斬りかかる。
クリスも先ほどまでの悩みなど一瞬で吹き飛んでしまっていた。彼女は「ネクロノミコン」を開き、ありったけの声音で叫んだ。
「これがお前の選択か! 狂人アルテ!」




