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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第二章 白の愚者編
33/121

第32話 「あの日見た狂人の深淵を私たちはまだ知らない。 」

 たった一度の発動で全て持って行かれたと感じた。

 レイチェルから受け継いだ太陽の時代の遺構はアルテが練り上げた太陽の力を全て消費した。

 まるで高熱に浮かされたかのような、身体、精神、ともに襲いかかる倦怠感。

 靄が掛かったような思考でアルテは白の愚者を見た。胸部装甲の一部をへこませた魔導人形は静かに佇んでいる。

 先ほどまでとは雰囲気が違う。

 そう理解するまで全く時間は掛からなかった。

 こちらを見下ろしていた神の一柱としての威圧感がなくなっていた。


「……?」


 残された思考で漆黒の魔導人形に黄金剣を構えさせる。もう赤の魔導人形が使っていた力は使えない。

 少なくともこの倦怠感が消え失せるまでは発動すらしないだろう。

 ならばあとはこれまで磨いてきた剣技を、経験を、胆力を駆使して戦うまで。

 例え相手が纏う雰囲気が様変わりしていても変わらないことだ。



 動きは白い魔導人形から。

 静かに佇んでいた魔導人形は己の損傷した装甲を軽く撫でた。それは戦いで傷を負った者が傷の具合を確かめるかのようだった。

 そして直ぐさま魔導人形の頭部がこちらを見据えた。怒りは感じない。失望も感じなかった。

 ただ何かしら、こちらに対して驚愕を抱いているのはわかった。

 

 ……まさか動揺しているのか。


 いや、それはないだろうとアルテは直ぐさま否定する。

 ヘルドマンから聞かされた白の愚者の人物像は高潔な武人だ。たかだか傷一つで狼狽えるような柔な人格であるはずがない。

 白い魔導人形の動きは続く。

 彼は黄金剣を構えたアルテとは対照的に手にしていたランスを、ホワイト・レイランサーの象徴を手放した。 

 超重量の物体が競技場に落とされたことで振動と土煙が世界を覆う。

 改めてなんと無茶苦茶な馬力を、技量を持っていたのかとアルテは少しばかり呆れた。

 と、アルテのまともな思考はそこで途切れた。

 

 それに反応したのは吸血鬼ハンターとして強化された視力か、それともこの世界で培われた戦闘勘か。

 いずれにしても即死を免れたのは奇跡の出来事。


 

    /



「馬鹿なんじゃないのか……」


 クリスのうめき声すらエンリカには聞こえない。

 彼女は五感の全てを視界に集中していた。不安げに揺らぐ二つの瞳は競技場で繰り返されるとある光景に釘付けだった。

 けれどもそれは一つ一つの動きを理解しているわけでは決してなかった。

 最初、白の愚者が武器を棄てたとき僅かながらアルテの勝利を確信した。

 神の一柱に一矢報いたという現実が彼女の目を曇らせていた。

 だが白の愚者は決して武器を棄てたわけではなかった。

 彼にとってランスは武器ではなかった。

 矮小な人間が少しでも自分に近づけるよう、彼なりに自身へと課した自戒だったのだ。


 これぐらいのハンデがなければ人間たちが自分に届くことはない。そうでなければつまらない。


 地に横たわったランスは白の愚者の本音を雄弁に語っていた。クリスは、エンリカは、その事実を糾弾することは出来ない。

 何故なら相手はホワイト・レイランサー。七色の愚者の一人であり神にも等しい存在。 

 傲慢であり不遜であることを許される唯一の絶対存在。

 ならばランスを棄てたという事実はどう捉えればいいのか。

 アルテをハンデなしに挑んでも良い好敵手と認めたのか、それともハンデを棄ててまで滅しなければならない驚異と感じたのか。

 どちらにしろアルテの勝利を望むことはほぼ絶望的となった。

 白の魔導人形は新たな武器を身につけた。

 それはアルテに対して一瞬だけ撃ち込まれたもの。

 白の愚者が己の実力を十全に発揮することの出来る、彼だけが持ちうる狂気の魔弾。


「まさか素手とは!」


 最初に振るわれたのはランスを捨て去った右腕だった。

 先ほどとは桁違いの魔の力を纏い、白く輝く拳が漆黒の魔導人形の右側頭部を掠めた。

 いや、その事実を認識できたのは拳をぎりぎりでかわしたアルテと吸血鬼ハンターとして非凡な実力を有しているクリスだけだった。

 二発目、三発目と繰り返されて、ようやくエンリカやその他の観客たちは競技場で何が起こっているのか理解することが出来た。


「一度ヘルドマン様が語っていたが、ホワイト・レイランサーは体術面に特化した愚者! まさか魔導人形までそう操るか!」


 拳は正しく漆黒の魔導人形を削り取っていく。

 直撃はしなくとも、恐るべき拳圧によって掠めた装甲が削り取られていく。

 あれほどまでに数多くの魔導人形を屠ってきた巨大な黄金剣も、拳を二度撃ち込まれればただの鉄塊と化していた。

 防戦一方となった漆黒の魔導人形に観客の悲鳴が木霊する。


 

    /



 みぎ、ひだり、みぎみぎひだりひだりみぎひだりみぎひだりみぎみぎひだり、、、、


 まともな思考速度はとっくの昔に失われている。

 今自分を支えているのは強化された視力と経験だけだ。白の魔導人形のステップを読み、可視化している魔の力を僅かながら読み取ることで次に撃ち出される拳を予測する。

 言葉にすれば簡単なことだが、実行するとすればなんと困難なことか。

 極限まで酷使した視力はもう限界だ。鼻からはぽたぽたと鼻血が零れだし、襟元を汚している。

 たぶん吸血鬼ハンター特有の身体強化全てがリミットを超えてしまっているのだろう。

 みぎ、ひだりと殺到する拳を何とかいなす。

 けれども三つ目。やや遅れ気味で飛来した蹴りは殆ど受け止めることが出来なかった。


 

    /



 吹き飛ばされた、とイルミが判断したとき、世界を覆っていたのはアルテの血の臭いだった。

 白の魔導人形の蹴りをまともに喰らったためか、二人が乗り込んでいる操作部分のフレームまでが歪んでいた。

 外から漆黒の魔導人形の姿を確認することは出来ないが、おそらくは酷い状態なのだろう。

 けれども幸いだったのが、レイチェル戦での戦訓を活かして操縦者周りの耐衝撃性が改良されていたことだった。

 見れば自分もアルテも競技場よりも遙か高い天空から墜落したときよりかは随分とマシなダメージだ。

 ならばアルテの血の臭いは何処からだろうか。目立った外傷のない彼を観察すれば顔の前面を真っ赤に汚していた。いつもは黒く冷たい印象まで抱かせる両の瞳も充血している。

 イルミは吸血鬼ハンターの体質を完璧に理解しているわけではない。けれども先ほどの攻防で人として耐えうる能力の限界をアルテが超えてしまったことは何となく想像がついた。

 胸が締め付けられた。

 それと同時、アルテの血の臭いに興奮している自分に気がついた。

 月の民は魔の力が多く含まれるという血液を嗜好品として楽しむことがある。

 イルミも例外ではない。

 アルテの血液が自分たち月の民にとって猛毒であることは百も承知だ。だが自分の姉だと嘯いたあの赤い女は一度だけのチャンスを与えると言った。

 悪魔との契約はいつの時代も甘美で人の心を惑わせる。

 イルミは漆黒の魔導人形から伸びた魔の力を供給するための線をめいいっぱい伸ばし、自分より上方に腰掛けているアルテの身体をよじ登った。

 近づくたびに鼻孔をくすぐる香りが増していく。

 イルミの思考も同様に茹だっていく。

 やり方はレイチェル戦のときに、レイチェル自身から学んだ。

 あの憎らしい、自分からアルテを奪っていく……奇しくもスカーレット・ナイトと同じカラーリングの女から学んだ。

 封印しようと思った心はあっさりと爆発した。

 イルミの欲望が、独占欲が自戒という鎖を引きちぎり鎌首をもたげる。

 胡乱げな表情で、息の荒いアルテがこちらを見上げている。

 こんな表情をしているのは初めて見た。なお愛おしいと思った。

 ぺろり、と小さな舌が唇から顔を覗かせる。

 そしてそれはアルテの血で汚れた鼻面に近づいて--、


 そのまま舐めた。


「!!」


 舐めるだけでは終わらない。

 半開きになったアルテの唇に自身のそれをしっかりと重ねる。咄嗟に閉じられようとしたが、無理矢理舌を割り込ませて妨害。

 後は親鳥が小鳥に餌を与えるように、ありったけの愛を込めて自身の中に燻っている魔の力を注ぎ込んだ。


 瞬間、


 世界は黄金と赤に塗りつぶされていく。

 

 

    /



 誰がこんな終わりを予想していたのだろうか。

 終始、ホワイト・レイランサーの優性で試合は進んでいた。

 いや、優性と告げることすら憚られる、圧倒的な差がそこにはあった。

 ホワイト・レイランサーが、白の愚者が受けた攻撃はたった一度だけ。それも攻撃かどうかすら危うい、やけくそ気味の頭突きが一つ。

 そこからは、枷を棄てたホワイト・レイランサーの独壇場だ。

 かの拳は漆黒の魔導人形を力でねじ伏せ、大気を切り裂いた蹴りはそれを綿埃のように吹き飛ばした。

 くの字に折れ曲がった漆黒の魔導人形は立ち上がれない。

 身動き一つすら行わず、無様に倒れ込んでいた。

 誰もが狂人の終わりを悟った。

 そして一瞬でも狂人の勝利を期待した己の愚かさを思い知った。

 これがホワイト・レイランサー。

 これが神に数えられる愚者の力。

 月の民がどうあがこうとも決してたどり着かない、この世の頂点。

 クリスは何も言わなかった。

 エンリカは声を押し殺して泣いた。

 今度こそ興味を失った、と言わんばかりに漆黒の魔導人形から背を向けたホワイト・レイランサーに憤ることも出来なかった。

 誰もがみな言葉に出来ない虚無感を、絶望を共有する。

 試合の終わりを告げる鐘は鳴らない。鐘を鳴らすはずだった人もまた己の使命を忘れていた。

 けれども音を、動きを失った世界で一人だけ違った行動をとる者がいた。

 それは観客の、群衆の中に紛れていた。

 麻のローブに身を包んだ白銀赤眼の女。

 彼女だけが小さく形の良い唇をゆがめ、呟いた。


「さあ、アルテ。いや●●●●。少しばかり早い目覚めの時よ」


 変化は一瞬。

 残骸を晒していた漆黒の魔導人形が徐に起き上がった。ぽろぽろと装甲とも部品とも判別のつかない欠片を零しながら、耳障りな駆動音を残して起き上がった。

 白の魔導人形が振り返る。

 だが遅い。

 漆黒の魔導人形の、残された装甲の隙間から粒子が吹き出した。赤い魔導人形が吐き出していたそれよりも遙かに濃密で鮮血のような赤い色だった。

 それと混ざり合うかのように、漆黒の魔導人形本来の黄金色が加わる。


 そして絶叫。


「「あgjなpgまlkg:あ@おkgはgk、あ」@あghぱおjごぱmpmぱpgふぉjm@あ!!!!!!!!!!!!!!!!」」


 エンリカは悲鳴を失った。クリスも硬直した身を動かす術を見失った。

 その場にいた観客全てが漆黒の魔導人形から発せられる不快な絶叫を聞いた。

 彼らは知った。

 自分たちが感じていた狂人アルテがいかに上辺だったのかを。

 狂人だと認識していた領域が、どれだけ上澄みだったのかを。

 これは理解できない。理解してはいけない。その狂気を触れてはいけない--。


 漆黒の魔導人形の姿がぶれる。

 世界に粒子をまき散らして世界から消えた。

 白の魔導人形の両手がもがれた。続いて両足が叩き折られた。 

 達磨と化した白の魔導人形が落下する。その上に漆黒の魔導人形が馬乗りになったとき、ようやく世界はそれを視認できた。

 ぼろぼろの、骨のようにしか見えない両の手で漆黒の魔導人形は白の魔導人形を殴りつけた。

 装甲が歪み弾け飛び骨格がむき出しになる。

 吹き出した粒子が競技場を焼き、周囲の結界を侵食し始めた。

 そこに来て初めて観客たちは我に返った。自分たちの置かれた状況を朧気ながらも理解して、我先にと逃げ始める。


「クリス殿! はやく逃げましょう!!」


 その場から動こうとしないクリスの腕をエンリカが必死に引いた。けれども体格差のためか、クリスが引き摺られることはなかった。


「なぜ!!」


「もう手遅れだ」


 クリスは粒子の正体に気がついていた。

 あれは太陽の毒だった。それも昼間の世界に満ちている毒とは比べものにならない密度と量の毒だった。

 触れれば身体が焼かれるどころか、骨さえ残さずに消滅する、そんな毒だった。


「あれはもう止まらない。このシュトラウトランドを飲み込んでもまだ足りない。私たちの世界を侵してなお、まだ貪欲に……」


 クリスから発せられた絶望的な言葉にエンリカはその場にへたり込んだ。

 そして涙と鼻水で汚れた顔で諸悪の根源を見る。

 太陽があった。

 自分たちが忌み嫌う、呪いを刻みつける太陽だ。


「せめて痛みもなく死ぬことを願うばかりだな。月の民が太陽に焼かれて死ぬのは、それこそ死んだ方がマシと思わせるだけの激痛らしいからな。あのヘルドマン様ですら耐えられなかった」


 エンリカはもうクリスの言葉など聞こえていなかった。

 彼女は腰が抜けたまま瞳を閉じた。


「狂人アルテよ。自らに呪いを刻みつけた吸血鬼がそこまで憎いのか。それこそ世界を焼き尽くさんばかりの怒りがあるのか」


 あとは終末の時をただ望むだけ--。

 

 

    /



 結論から言ってしまえば、漆黒の魔導人形がシュトラウトランドを焼くことはなかった。

 いつまで経っても訪れることのない地獄に疑問を持ったエンリカは閉じていた瞳を開いた。

 世界はとても静かだった。

 競技場に残されていたのは最早人型をなしていない白と黒の魔導人形。

 あとは観客席に残された自分とクリスだけだった。

 月から降り注ぐ光が、それまでの光景が夢だったと錯覚させる。



 ただなんとなく、危機は去ったのだと理解したとき。

 

 エンリカは子供のように泣いた。  

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