第27話 「決着」
赤い粒子が世界を包む。赤い魔導人形の残された左腕がこちらの左腕を掴んでいた。
骨が軋むような音が外界から伝えられる。これは駄目だ、と本能で理解。直ぐさま距離を取るため、赤い魔導騎士の胸部装甲を思い切り蹴飛ばした。
だが――、
「なんて……重さ!!」
イルミの叫びの通り、赤の魔導人形の馬力は完全にこちらを上回っていた。原理など知らない。
だがレイチェルがロウで出来たまがい物の翼と自嘲したそれは確実にこちらの戦力を削りに来ている。
微動だもしないままにこちらの左腕が握りつぶされていく。駆動系が完全に寸断され、手にしていた黄金剣が地に落ちた。
イルミが何とか振り払おうと狼たちを突撃させるが、彼らは赤い粒子に触れたとたん闘技場の端まで吹き飛ばされていった。
「速度上昇だけじゃないのか……っ!」
エンリカから聞かされいたレイチェルの奥の手は瞬間的に最高加速を得るようなものだった。
しかしながら実物を目にした今、それは間違いだったことを知る。
これはただ速くなるだけではない。
根本的に機体の性能が極限まで引き揚げられているのだ。
「アル、テ……」
苦しげな呻き声が足下から届いた。見ればイルミが額を汗でびっしょりと濡らしてこちらを見上げている。
彼女の艶やかな銀髪も無残に張り付いていた。
「今、から……、残った、魔の力を、全て、注ぎ込む。だか、ら。お願い……勝って……」
彼女の苦しみが、大量の魔の力を行使した事による疲労から来ていることは明らかだった。
咄嗟に止めろ、と言いかけて、鈍い衝撃が操縦席を揺らした。
コンソールには左腕が最早限界であることを伝える警告が走っている。
「信じて……いるから!!」
言葉を告げる暇など残されていなかった。
刹那、コンソールを駆け巡っていた警告文が全て弾き飛んだ。いや、それだけではない。漆黒の魔導人形全体を覆っていた装甲の幾つかは実際にはじき飛ばされていた。
剥き出しになった人の筋肉にも似た駆動部が唸りを上げる。
コンソールに描かれる文章はたった一つ。
内燃機関の暴走を伝えるものだ。
「早く!」
完全に押されていた馬力が少しずつ均衡していく。
イルミが突貫でつなぎ合わせたのだろう。接続を断たれていた右腕が拙いながらも動いた。
赤の魔導人形の、外の景色を伺うためのセンサーが集中した頭部へ右手を伸ばす。
そして鷲掴みにしたそれを無理矢理引き抜いた。
「あああああああああああああああああああああああああ!!!」
叫びは自分のものか、イルミのものか、それともレイチェルのものか。
火花とオイルにまみれた頭部が力任せに引きちぎられた。だがそれでも赤の魔導人形は止まらない。
左腕を完全に握りつぶした彼女はそのままこちらを地に押さえつけようとしてきた。
魔導人形二体分の体重を受けた両膝からボルトが吹き飛び、周囲に張り巡らされた結界に突き刺さる。
まだ足りないのか……!!
焦りによって思考能力が落ちた脳が最適解を導き出そうと苦戦する。
このままでは赤の魔導人形の馬力とその自重に、こちらが押しつぶされる。
どうすれば、
どうすれば……!
その時、ふと、ついこの間に見た光景を思い出した。
レイチェルの自宅で彼女から聞かされた言葉。
彼女がこちらを信頼して零した本音。
目の前に広がるのは決して戦乙女の翼ではないと彼女は言った。
彼女は自身の翼をイカロスに例えたのだ。
天啓が、走る。
「イルミ、背部の推進器を動かせ!」
もちろんそれが動くようにイメージするのは俺だ。だがそれは彼女が持ちうる莫大な魔の力でしか為しえないもの。
イルミは俺の意図など理解していないだろう。
けれども彼女は俺を信じてくれた。呪いの所為でまともに本音すら語れない、出来損ないの俺を信じてくれている。
答えなど、聞くまでもない。
「アルテ!」
かけ声は一つ。
後は事象が結果を教えてくれる。背部の装甲が開き、姿勢補助として搭載されていた推進器を露出させた。
そしてそこからイルミの持つ莫大な魔の力が吐き出される。それは赤の魔導人形が持つ赤い粒子を押しのけるように世界に解き放たれた。
身体全体に襲い来るのは突然の浮遊感。
だがそれでいい。もう、これしかない。
逃げられないように赤い魔導人形を必死に掴む。恐らく外界へ通じるセンサーを潰された彼女は何が起こっているか分からない筈だ。
コロッセオ状の競技場に天井はない。
そのまま観客席よりも遙か上空。シュトラウトランドの街が一望できる高度まで赤い魔導人形を引っ張り上げた。
「イカロスは太陽に近づきすぎた。溶けたロウの羽を散らして、英雄は墜落死する」
推進器の力が切れたのだろう。
重力を振り払っていた感触が消え去り、落下特有の感覚が訪れる。
だが、一人で堕ちる必要はないさ。レイチェル。
その瞬間、観客たちが見たのは空から降ってくる二体の魔導人形と、
世界に散らばる赤い粒子。
そして漆黒の魔導人形から吹き出ていた太陽のような黄金色の光だった。
/
「アルテ殿! イルミ殿!」
エンリカが直ぐさま競技場に通じる関係者用入り口に走って行った。
目的地など聞かなくても分かる。
競技場に形作られた巨大なクレーターの中心だ。
折り重なるように墜落した二体の魔導人形は非道い有様だった。
互いの部品が砕け、混じり合い、無事なのは胴体だけだった。四肢は完全にもげるか落下の衝撃で四散している。
レイチェル側のスタッフも直ぐさま彼女の魔導人形に駆けていった。恐らく未だ中に取り残されるレイチェルを救い出すためだろう。
その場に取り残されたクリスは静かに目の前の結界に触れた。
そして己の魔の力の行使がある程度通り抜けることを確認すると、どよめく観客たちの声を遮って叫びを上げた。
『アルテ! イルミ! すぐに負傷を癒やせ!』
言葉によって魔の力を行使することの出来る彼女の能力は遺憾なく発揮された。
エンリカたち『ドワーフの穴』の職人たちが漆黒の魔導人形の操縦席扉を開ける前に、中から人影が這い出てきたのである。
ところどころ流血しながらも、命に関わるような怪我は免れたイルミだ。
だが彼女はすぐに漆黒の魔導人形から離れようとはしなかった。あろう事か一度這い出てきた彼女は再び操縦席に上半身を突っ込むと、中に取り残されていたアルテを引っ張り上げたのだ。
「あぐっ!」
アルテの身体を掴んだイルミの両手から煙が噴き上がった。原因はハッキリとしている。
イルミの傷口からアルテの身体に付着した彼の血液が進入し、その身を焼いているのだ。
太陽の毒に侵された狂人の血はそれだけで猛毒となる。
実際グランディアで彼が負傷したときも、完全防備の状態で職員は治療に当たっていたのである。
『やめろ! イルミ!』
強制力を込めた魔の力でクリスはイルミを止めようとした。だがイルミは一瞬その身体を怯ませるだけでアルテの身体を決して離そうとはしなかった。
「しな、ないで……」
やっとの思いで操縦席からアルテを引きずり出したイルミの手は酷く爛れていた。それに加え体内に入った太陽の毒に当てられたのだろう。
その場で力尽きたかのように彼女は座り込んでしまった。
「はやく、アルテを……」
アルテは意識を失ったまま地面に転がされていた。だが誰も彼に近づけるものはいない。
『ドワーフの穴』の職人も、競技場の救護員もイルミの両手から未だに吹き上がる煙に怯えて近づけずにいた。
「はやく!」
銀髪を血で汚したイルミが涙ながらに訴えた。クリスも何度か治癒の言葉を叫ぶが、意識を完全に失ったアルテに殆ど効果はない。
誰もが狂人の死を悟った。
必死に泣き叫ぶイルミ以外は皆諦めていた。
だがもう一人、例外がいた。
「本当に君は大馬鹿者だな……っ!!」
赤い作業着を身に纏ったスタッフに支えられて赤い魔導人形から出てきたレイチェル・クリムゾンだった。
彼女も何処か負傷しているのか、おぼつかない足取りでアルテのもとへ歩み寄る。
「太陽である君が墜落死しては笑えないぞ」
レイチェルはそっとアルテの身体を抱き起こした。彼の血が至る所に付着するが、レイチェルの身を焼くことはなかった。
事情を知らない会場の人間全てが息を呑む。
「だが悪い気分ではなかったよ。君の手によって舞い上がっていた自分を叩き落とされるのは。空はボクみたいな人間が飛ぶには広くて重すぎたんだ」
だから、これはお礼――。
アルテの半開きになった口へレイチェルのそれが重ねられる。
その瞬間、会場の全ての時が凍った。
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――これは対赤い魔導人形戦の後日談みたいなもの。
後からクリスに聞かされた話だが、俺はあれから五日間ほど目を覚まさなかったという。
格好付けて特攻ダイブをかましたところまでは良かったのだが、その衝撃は想像以上だった。
一応耐衝撃機構は効いていのだが、運悪く俺は操縦席に頭を打ち付けて昏倒していたらしい。
肉体にも少なくないダメージが蓄積されていて、放っておくとやばかったのだとか。
そんな俺を救ってくれたのは必死に操縦席から引っ張り出してくれたイルミと、何を隠そう対戦相手のレイチェルだった。
方法は多くは語らなかったものの、俺に魔の力を分け与えて肉体のダメージを治癒するように仕向けた。
魔の力の作用は俺には効果がないと思い込んでいたが、どうやらレイチェルの魔の力は俺にも作用するようだ。
彼女の言っていた「太陽病」と何か関係があるのだろうか。
もしも時間が許すのなら、一度ゆっくりと調べてみる必要があるだろう。
と、それはさておき。
俺が休養している宿の一室に来客が一人。
右腕を三角巾で吊り、身体のあちこちを包帯で覆っているレイチェル・クリムゾンだった。
「トーナメントは引退するよ」
開口一番、そう言ってのけたレイチェルに俺は驚きを隠せなかった。
鉄面皮がデフォルトの俺だが、今回ばかりは目を見開いていたと思う。
「そう驚くようなことじゃないさ。赤の魔導人形は再建が不可能なほど破壊されたんだ。引退するには十分すぎる理由だろう。
ああ、ちなみに勝敗は判定の結果引き分けだ。君が連れている少女の狼が反則じゃないか、とかいう声もあったんだがトーナメントは魔の力の行使自体は禁止していないからな。
今回に限り見逃されるようだ。使い魔の召喚までは規則で想定していなかったんだな」
彼女は俺が寝転ぶベッドの縁に腰掛けると静かに続けた。
「ところで一つ。ボクの願いを聞いてくれないか」
こちらに背を向けたままレイチェルは告げる。
俺は不器用ながらも何でも言ってくれ、と伝えた。
ついこの間まではトーナメントで争う敵同士だったが、今となっては俺の命を救ってくれた恩人と言っても過言ではないのだ。
出来る限りのことはするつもりだった。
「そうか。なら頼む。君の魔導人形も随分とダメージを受けたが、ぎりぎり修復可能なようだ。なら、その際、ボクの魔導人形の部品を使ってくれないだろうか」
理由を問う。
「何、これでも白の愚者への再戦はかなり楽しみにしていたんだ。だがもうそれは叶わない夢だからな。せめて君がその偉業を成し遂げるときの手伝いをしたいんだ。
いや、手伝いではないな。あの魔導人形の部品によって修復された君の魔導人形が白の愚者を倒すところを見てみたいんだ。
それは私が倒すのと殆ど同義だろう?」
悲しみでも怒りでもない、ただ少しばかり悪戯っぽい微笑みを浮かべる彼女に俺は答えた。
最初から、断るなんて選択肢は存在しない、と。




