第25話 「決戦! 風雲魔導人形」
その日の競技場は異常な雰囲気に包まれていた。
階段状に設けられた客席は全て満席で立ち見で溢れかえっている。さらには競技場の外にも何とかここで行われるイベントを一目見ようと、気の遠くなるような長蛇の列が出来上がっていた。
稼ぎを期待した即席の屋台も建ち並び、勝敗予想を売り出す賭博屋も多数顔を覗かせている。
その一角。
息苦しささえ感じるような熱気の中にエンリカとクリスはいた。
「いや、凄い人だなこれは。あのレイチェル・クリムゾンとかいう魔導人形遣いはここまで人気があるのか」
少しばかり圧倒されたようにクリスがきょろきょろと周囲を見回す。
グランディアを拠点に、ヘルドマンのもとでシスターと吸血鬼ハンターの二足の草鞋を履いていた彼女はこういった光景に慣れていなかった。
精々、吸血鬼に滅ぼされた村で百人単位の屍鬼を相手にしたことぐらいか。
「……それとこれとは全く違うと思いますけどな」
素直にそう感想を述べてみたらエンリカがうんざりしたような表情で零した。
彼女の中でクリスがアルテに勝るとも劣らない変人の称号を得た瞬間である。
「この馬鹿騒ぎはレイチェル・クリムゾンの人気ももちろんあるでしょうが、私はむしろアルテ殿の方に原因があると思います」
「ん? どういうことだ?」
トーナメントのトップランカーとして名を馳せているレイチェル・クリムゾンと、スーパーヒールとして嫌われているアルテは対照的だ。一方はバンデンベルク地区の期待の星、トーナメントのスーパースターとして。そしてもう一方は神聖なトーナメントの場を荒らしに参上した憎むべきスーパーヒールとして。
普通に考えればレイチェルがここへ集う人々の目当てということになるが、それをエンリカはやんわりと否定した。
「アルテ殿は良くも悪くも圧倒的すぎました。その強さを嫌悪する者、またはその強さを認め虜になる者。その両方がこのシュトラウトランドに溢れかえっています。
つまりはアルテ殿という分かりやすい悪役が退治される瞬間を、もしくはその悪役が皆のヒーローであるレイチェルを下す瞬間を、そのどちらかをここにいる皆が望んでいます」
「よーするに、さまざまな意味で知名度の高い二人の激突劇に全員が興奮しているということか」
「そういうことになりますな」
と、その時。不意に競技場にひしめく人々の歓声が割れた。
黄色い悲鳴もくぐもった罵声も、滝のように闘技場へと降り注いでいく。
何事か、と下を二人して見やれば漆黒の魔導騎士と赤の魔導騎士、それぞれが観客の前に姿を現していた。
「……どちらが勝つと思う?」
鋭い視線で両者を見つめるクリスが問うた。エンリカは少しばかり逡巡し、周囲の観客とアルテたちを見比べてこう告げた。
「私にはわかりかねます」
「何故だ?」
エンリカの答えはある程度予想していたのか、クリスは落ち着いた風にその理由を求める。
「レイチェル・クリムゾンの技量は疑うまでもなく、トーナメントにおける正真正銘のトップランカーです。さらには正体が殆ど明かされていない太陽の時代の機構もあります。
これらを総合して考えれば彼女が敗北する姿は中々想像できません。次にアルテ殿。機体性能は紛れもなくトップクラス、さらには本人の操縦技量も荒削りながら卓越したものがあります。
――恐らく彼がトーナメントの選手として戦い続ける人生を選択したならば間違いなく歴史に名を残すでしょう。その両者が刃を交えたとき、果たしてどちらが最後まで立っているのか、私の貧相な想像力では勝敗を決めきれませんでした」
「そうか……。なら、これは個人的な意見なんだが」
「?」
「わたしもそう思うぞ」
その言葉を聞いたと同時、エンリカはやはり自分の判断は間違っていなかったのだ、と一人納得した。
目の前のクリスという人物。彼女は間違いなくアルテに勝るとも劣らない立派な変人だった。
競技開始の時刻が着々と近づき、競技場の興奮は誰もが制御できない領域に到達していた。
赤と漆黒の二つの魔導人形はそれぞれ向かい合って静かに佇む。
『月の方角より現れますは既に通算六十勝を達成! 常勝必勝の戦乙女のレイチェル・クリムゾンだあーっ!!』
魔導具によるアナウンスが場内を駆け巡った。ただでさえ過剰だった歓声は最早決壊寸前で、競技場全体が揺れていた。
誰もが始まりの時を予感して、身を乗り出す。
『対して太陽の方角には新進気鋭、太陽の化身、いや、この強さは最早鬼神か! 漆黒の魔導騎士、狂人アルテ!』
罵倒七割歓声三割を一身に浴び、漆黒の魔導人形は一歩前にでる。
赤の魔導騎士もそれに併せて位置についた。それぞれの準備が完了したことを確認すると、主催者は試合開始の鐘に手を掛けた。
その瞬間今まで溢れかえっていた数多の歓声は止み、ほんの刹那の間、静寂が訪れる。
『いざ尋常に試合開始ィィッィィィっ!!』
鐘が鳴らされた。人々が雄叫びを上げる。両者の魔導人形の駆動系が唸りを上げ、共にその姿は残像となった。
「む、私としたことが殆ど目で追い切れなんだ」
激突の瞬間、目が覚めんばかりの火花が飛び散ったのは確認した。
だが肝心の二つの魔導人形の姿を見定められた者は競技場に誰一人として存在しなかった。
あまりに早すぎる両者の接近。未だに網膜に焼き付いたままでいる残像を振り払いながらクリスはその発達した視力で闘技場を観察する。
「ほぼ同時に最高速度で相手に突っ込みましたな。これは魔導人形の戦い方ではありませんぞ」
二つの魔導人形は共に一定の距離を置きながらにらみ合っている。競技開始の合図と共に互いに切り結んだせいか、それぞれが手にした両手剣の刃の一部か零れていた。
「あの一瞬でアルテは二合、レイチェルは三合斬撃を与えたのか。単純な操縦技術ではレイチェルに軍配が上がるな」
「ただ剣の状態はアルテ殿が勝っていますな。さすがに戦闘慣れしているだけはある。レイチェルは切っ先、アルテ殿は根元で相手の斬撃を受け止めたのでしょう。
同じだけ切り結べば限界が先に訪れるのはレイチェルです」
「五分五分、か」
にらみ合いは長くは続かない。直ぐさま漆黒の魔導人形が赤の魔導人形に突撃した。
エンリカが分析したとおりレイチェルはそれを手にした両手剣の切っ先で受け流している。
駆動系にも両手剣にも負担の大きい戦い方だ。レイチェルもそれは自覚しているのかアルテの追撃に対しては素早くバックステップを踏んで同じ場所への斬撃を防いでみせた。
両者の剣がぶつかる度、会場内には鈍い打撃音と鮮烈な火花が飛び散る。
一合、二合と続けられた斬り合いはやがてレイチェルのとある行動によって変化が訪れた。
「おおっ、これは!」
レイチェルが徐々にアルテから見て、右へステップを踏んでいった。アルテはそれに追従するように魔導人形を操作していくがどうしてもワンテンポ遅れていく。
そして遂に、レイチェルの両手剣による一撃がアルテの魔導人形の肩の装甲を叩きつぶす。
悲鳴と歓声が同時に爆発した。力を失った右腕を庇うように、漆黒の魔導人形が素早く後退する。
「そうか、奴はアルテの右腕がないことを利用したのか!」
クリスが感嘆の声を上げた。
そう。レイチェルはアルテが隻腕であるということの意味を熟知していたのだ。
魔導人形は動きをイメージすることによって操作される。それはつまり、操縦者が苦手としている動作は魔導人形に対して如実に表れるということだ。
隻腕の、右腕を失っているアルテはどうしても、その部位が動いているイメージというものを生成することが苦手だった。
今まではそれを悟られぬよう、開幕からの速攻で敵を屠り続けていた。
だが今日初めて、レイチェルという敵を前にしてまともな斬り合いを演じてしまったのだ。
おそらくその中でレイチェルはアルテの動きの不自然さを感じ取ったのだろう。
「見事だ」
だらり、と垂れ下がった右腕を抱えた漆黒の魔導人形の動きが明らかに鈍り出す。
赤の魔導人形は間髪入れずに一撃、二撃と斬撃を叩き込んでいった。
その殆どは左手だけで両手剣――巨大な黄金剣を操るアルテによって受け止められるも、受け損なったその他の斬撃は確実に漆黒の魔導人形にダメージを与えていった。
万事休す。
その言葉がクリスとエンリカの思考を塗りつぶしていた。




