第21話 「赤の魔導騎士」
魔導人形稼働の目処が完全に潰れてしまった。
イルミの膨大な魔力でショートした部分はエンリカたちが徹夜で修理してくれるそうだ。いや、月の民的には徹昼か。
イルミは魔導人形を壊したことがショックだったのか宿の一室に引きこもってしまった。こちらとしては下手な慰めをして地雷を踏みたくないので今はそっとしておくことにする。
今現在の時刻はおよそ深夜の三時。
あと四時間少々で日の出であると考えれば、酒場などの客入りが最も多い時間帯だ。
いよいよやることが無くなってしまった俺は一人でその酒場に来ていた。
そういえば銀髪の不思議な女に食事を奢ったとき以来か。
「おい、兄ちゃん。随分湿気た顔で呑んでんじゃねえか。もっと楽しめよ」
「いや、これでも楽しんでいるほうだ」
摘まみをいくつか頼みながら最早お馴染みと化しつつあるエールを傾ける。ただ殆ど無表情で呑んでいるせいか、周囲の酔っ払いからはしょっちゅう絡まれてしまう。
だがこの雰囲気自体はそれほど嫌いではない。まえの世界の居酒屋を思い出して感傷に浸れるためだ。
それにイルミを連れ来ればこうもいかないから尚更だ。
「ところで兄ちゃん。あんたはあの白の愚者に喧嘩を売った大馬鹿者の話を知ってるか?」
「いや、知らない」
ここ二日ほど外を出歩いて気が付いたことがある。トーナメントの競技場では有り難くもない鮮烈な殴り込みを仕掛けてしまった俺だが、その人相自体は実のところ殆ど広まっていないのだ。
カメラのような魔導具は非常に高価なのであの場面を写真に納めたものは皆無と言っていい。それに俺の特定に繋がりそうな黄金剣は宿に置いてきた。
唯一、隻腕という特徴で見破られることだけが気がかりだが、エンリカが貸してくれた無可動の義手でそれらしく見せてはいる。
余程振り回したりしない限り身元が周囲にバレることはないだろう。
「大馬鹿者と言えば、その現場に居合わせた戦乙女がよぉ……」
相も変わらずに絡んでくる酔っ払いを適当にいなしつつ、俺はちらりと酒場の入り口に目を向けた。
すると丁度良いと言って良いのか、赤い作業着に身を包んだ集団がぞろぞろと店に入ってきた。
俺以外にもその光景が気になったのか、数人の男たちがそちらに視線を向ける。そして一拍置いた後、それぞれがいっせいに声を張り上げた。
「戦乙女のレイチェル・クリムゾン!」
歓喜に満ちた声色がたちまち酒場に伝播していく。俺に絡んでいた酔っ払いも急にその場から離れて赤い集団に近づいていってしまった。
やはりこの界隈での彼女の人気は本物のようだ。
酒場にいた人間のほぼ全てが赤い集団を歓迎し道を空けていく。そのせいだろうか。のんびりとエールを口にしていた俺は行動が一瞬遅れてしまった。
「お前は……」
集団の先頭に立っていたのは他の者たちの同じような赤い作業着を着込んだ女だった。赤毛気味の茶髪をポニーテールでまとめ、勝ち気な性格を伺わせる面構えをしている。
スタイルもそこそこに整っており普通に美人だ。これは地元云々関係なしに人気が出るな、とどうでも良い感想を抱いた。
と、そんなことはどうでも良い。
重要なのは彼女の目線ははっきりとこちらを見ていることだった。
周囲には既に誰もおらず、俺一人が彼女と顔を向き合わす形になっていた。
あ、これはやばい。
「あの時の狂人か。まさかあの白の愚者にあそこまで正々堂々と喧嘩を売るとは。皆が言うとおりお前は大馬鹿者だ」
どことなく呆れた調子で先頭の女は口を開いた。俺はエールを手にして間抜け面を晒したままそこから動くことが出来ない。
酒場の空気が凍り付いているのを、目線を周囲にやらずとも察してしまった。
「おっと、名乗り遅れたな。ボクはレイチェル・クリムゾン。赤の魔導人形を操る者さ。ところでお前は?」
「アルテだ。それ以外に名は無い」
イルミやヘルドマンのようにこの世界での家名を持たない俺はそうとしか答えようがなかった。もとの世界での名前はこの世界の住人には発音できないらしいし。
だがレイチェルは俺に蔑ろにされたと思ったのだろうか。小さく眉を顰めながら――、そのまま俺の向かいに腰掛けた。
え? 何でさ。
「マスター、ボクにもエールを一つくれ」
そしてそのまま軽やかに注文を一つ。彼女と共に酒場へ来ていた赤い作業着の集団もそれぞれ思い思いのテーブルへ腰掛け始めた。
彼女はこちらにあらためて向き直る。
「お前は何故白の愚者に挑戦しようと思うんだ? もしかしてドワーフの穴の奴らに雇われでもしたか?」
一瞬、レイチェルの台詞の意味がわからなかった。だがエンリカがこの前話してくれたトーナメントの事情を思い出せばその意味は理解出来た。
確か白の愚者――ホワイト・レイランサーは自身への挑戦者を増やすために太陽の事態に制作された核を景品にした。そしてそれを欲しがるシュトラウトランドの様々な工房がトーナメントの参加者を雇ったのだ。
俺もその内の一人かどうか問われているのだろう。
さて、ここは何と答えるべきか。
エンリカに雇われているわけではないのだが、景品の核を手に入れたい、という願望自体は間違っていない。
まあ、正直に事情を話すのが得策か。
「雇われてなどいない。俺は俺の意思で、あいつを倒したいからドワーフの穴を利用しているだけだ」
おっ、今回は殆ど呪いが作用すること無く内面を伝えることが出来た。
義手のことについては正直に語るべきかどうか少しばかり悩んだが、青の愚者討伐についてこれ以上勘ぐられたくないのでその当たりは誤魔化した。
「……」
俺の返答を聞いたレイチェルが品定めするようにこちらを覗き込んでくる。
その目つきは余りにも真剣で、はっきり言って物凄く心地が悪い。
何かと理由を付けて退席してやろうかと考えついた瞬間、ようやく彼女は口を開いた。
「そうか。まあ、死なない程度に頑張るがいいさ」
諦めのような、感心のような、その心情を図りにくい声色で彼女は息を一つ吐いた。
そしてテーブルに届けられたエールに口を付けそれっきり黙り込んでしまう。ただ先ほどよりは心持ち機嫌は良さそうだった。
彼女を除いた周囲からは相変わらず無遠慮な視線が浴びせられる。恐らく、白の愚者に喧嘩を売った大馬鹿者を哀れむものと侮蔑するものだろう。
とてつもない居心地の悪さを拭い去ることが出来ず、俺は思わず席を立った。
レイチェルはそれを咎めることなく、視線を一つ寄こすだけだった。
俺は会計として適当に現金をテーブルに置いて、その場を去った。
明日からは今までのように、気軽に街を出歩くことが出来ない気配と雰囲気を感じながら。
稀代の大馬鹿者が去った途端、酒場の喧噪が戻ってきた。
皆が皆、冷や汗で濡れた頬を拭っている。やはり誰もが彼に警戒心と畏れを抱いていた。
白の愚者であるホワイト・レイランサーに宣戦布告することの意味を知らない者は、レイチェルを始め、このシュトラウトランドで暮らしている人間には存在しない。
いや、そもそも月の民で愚者たちを畏れない人間が果たして存在するのだろうか。
あの日。
勝利の余韻も覚めやらぬ中、魔導人形の中でレイチェルはその場面を目撃していた。
突如現れたホワイト・レイランサー。そして彼に宣戦布告をした隻腕の狂人。どちらもレイチェルにとって理解しがたい、まるで別次元の生き物のようだった。
ホワイト・レイランサーについてはその化け物染みた強さを身をもって体験している。
過去に一度だけ、レイチェルは彼に挑戦し、そして敗北した。
完敗という言葉すら生ぬるい、隔絶した壁を感じる敗北だった。
強さではどう足掻いても敵わぬ。まさに別の世界の住人だ。
――そして狂人は、
あのアルテとか言う青年もまた別の世界の住人のように感じた。
降って湧いたのは単純な疑問。
”なぜ、なぜあのホワイト・レイランサーに睨まれて平然としているのだ”
”なぜ、ホワイト・レイランサーにそこまで挑発的な表情を向けることができるのだ”
”恐れ多くも、あの神にも等しい一柱に対して、どうしてそこまで不遜なのだ”
疑問の次は怒りだ。
”舐めるな”
”ホワイト・レイランサーを舐めるな”
”私を蹴散らしたあのホワイト・レイランサーを舐めるな!”
自分のプライドが傷つけられたような気がした。
トーナメントに挑戦し続ける戦士としての自らの誇りが汚されたような気がした。
それはレイチェル・クリムゾンにとって到底許せることではなかった。だから殴ろうと思った。
お前なんか白の愚者に相対する権利すら持つことの出来ない、只の気狂いだと拳に乗せていつか教えてやろうと思った。
――奇遇なことにその機会はすぐに訪れた。
たまたま訪れた酒場。自分たちを歓迎して、道を空けてくれた人々の向こう。
堂々とテーブルに腰掛けたままの男がいた。
レイチェルは瞬間的に悟った。魔導人形の中で、しかも遠目にしか確認できなかったが、間違いなくこいつがあの大馬鹿者であり狂人であると悟った。
怒りは驚くほど冷たいものだった。
一目見たら言葉よりも先に拳が出ると予想しただけに、これには驚いた。
自分でも信じられないくらい冷静な態度で自己紹介をしていた。ほんの少しだけ何をやっているんだ、と己を叱咤したが拳が飛び出すことは無かった。
レイチェルはそれでも諦めない。
拳の出所を探るために、狂人へ質問を投げかける。
「お前は何故白の愚者に挑戦しようと思うんだ? もしかしてドワーフの穴の奴らに雇われでもしたか?」
ふぬけた答えが返ってきたら今すぐにでもその鼻っ面を叩き折ってやろうと意気込んだ。
ホワイト・レイランサーに挑む、その他大勢と同じような答えを返せば、自分が抱いた怒りをぶつけてやろうと決意していた。
しかしながら狂人の答えはある意味でレイチェルの予想通りで、ある意味で予想を裏切ってきた。
「雇われてなどいない。俺は俺の意思で、あいつを倒したいからドワーフの穴を利用しているだけだ」
机の下で握っていた拳は解かれた。
不思議な感覚だった。
あれほどまで渦巻いていた疑問や怒りはとっくの昔に霧散していた。
目の前の狂人は、ホワイト・レイランサーに挑もうとしている愚か者は自分と同じだった。
愚直に強者を倒したい――そう願っていた昔の自分と同じだった。
いつか忘れていた、いや、ホワイト・レイランサーに無残にも敗北した日から失っていた自分がそこにいた。
あの日の敗北は未だにレイチェルを縛り付ける鎖のようなものだ。
その呪縛を知らない、無垢なままの自分が目の前にいる。
緩みそうな頬を何とか抑える。随分と沈黙してしまったが、レイチェルは何とか言葉を紡ぎ出した。
「そうか。まあ、死なない程度に頑張るがいいさ」
その言葉は狂人へ向けたのか、それとも自分へ向けたのか。
答えは誰も知らない。
狂人は会計のつもりなのか現金をテーブルに残して席を立つ。
見れば丁度エール二人分の料金が支払われていた。
少しは彼にも興味を持って貰えたのだろうか。
だとすればもう一度だけ。
あの白の愚者に挑めるような気がしてきた。
この料金の礼は狂人とあの競技場でまみえたときに返せば良い。
そう独りごちたレイチェルは至極穏やかな気分で残されたエールを胃に流し込んだ。




