第15話 「いざ新たなる地へ」
遅くなりました。
あと次話新章といいましたが、これが今回の章のエピローグです。
出発準備は滞りなく進んだ。一度マクラミンあたりに挨拶するべきか、と迷いはしたものの、クリスの方から聖教会を通して討伐依頼の半成功を伝えておいてくれるそうだ。
旅に必要な物品は聖教会がいつのまにか用意していた。これからも各地の聖教会支部に出向けば恒久的な援助が得られるという。
右腕を失ったのははっきりいってかなりヘコんだが、こういったメリットがあるのなら、と割り切りもついてきた。
やはり七色の愚者のネームバリューは計り知れない。
そして何より、聖教会内でも随分と高い地位にいるヘルドマンとの個人的なパイプが出来たことが一番の収穫だった。
聞いたところによれば実質的なトップスリーの一人らしい。
まあ、今現在は弱体化しているものの、七色の愚者の一柱でもあるのだから当たり前か。
十分の一まで弱体化してようやっとブルーブリザードと同格だというのだから、愚者の上位陣は化け物揃いである。
ヘルドマンに「殺せ」と脅されているスカーレットナイトなんか目があっただけでも死にそうだ。それこそ魔の力の密度が強すぎて何もしなくても第三者を殺せるとか。
話を戻そう。
右腕を失った俺がそれほど多くの荷物を持てないこともあるので、魔導具の国「シュトラウトランド」までは聖教会の荷馬車に同乗させてくれることになった。
世界各地に点在している聖教会が独自に構築した交通網らしい。
一部を除いて中世レベルの生活をしているこの世界に於いては破格の交通網だ。
一体どうやってここまで組織が肥大化したのかは気になるところではあるが、俺がこちらの世界にやってきた時にはもう既に同規模で存在していたのだから不思議な物である。
いつかその謎が解き明かされる日はくるのだろうか。
それとなくヘルドマンやクリスに聞いてみたりしたものだが、ヘルドマンもここ十数年で聖教会に加わった新顔らしく知らないと返されてしまった。
実はクリスや俺の方がヘルドマンより在籍年数が長かったのである。
俺がこちらの世界に来て十年と少し経ってから加入したからおよそ三十年強。クリスもほぼ同じくらいか。
二人とも見た目は二十代そこそこだが、実年齢は倍くらい。これも吸血鬼ハンターが背負う異能の効用である。
「アルテ、そろそろ出発……」
とっくの昔に荷造りを終えたイルミが服の裾を引っ張ってきた。
ここ数日のことだが、彼女の態度が少しだけ軟化したような気がする。
もともと根は優しいのか、右腕がなくて危なっかしい俺のために、わざわざ常日頃から俺の右側を陣取り続けているのだ。
出来れば仲良くやっていきたいと考えている俺からしてみれば有り難いことである。
「あらあらもう出発ですか。もう少しばかりゆっくりしていけばいいのに」
古城の庭に止められた馬車に荷物を積み込んでいると、背後から声を掛けられた。
相変わらずの黒い外套に身を包んだヘルドマンである。傍らには聖教会の制服である修道着を着たクリスも控えていた。
「とは言ってもヘルドマン様、アルテも隻腕のままではやりきれないでしょう。ここは快くお見送りを」
諫めるような口調でヘルドマンをクリスが止めた。ヘルドマンも特に不快には思っていないのか、あらあらと暢気な笑顔を振りまく。
グランディアに滞在してかれこれ二ヶ月ほど経過しているが、この二人の関係は中々興味深いものだった。
他の聖教会の職員はヘルドマンのことを崇拝しているのか畏怖しているのかはわからないが、あからさまに避けている節がある。
それに関して職員たちを責めるのは酷というものだ。異世界人の俺には実感が湧かないが、腐ってもヘルドマンは七色の愚者の一柱。神にも等しい存在なのだ。
よそよそしい態度や言動を取ってしまっても仕方の無いことだろう。
その一方でクリスは常にヘルドマンのそばに控え、崇拝する態度は決して崩すことはないが、それでも一定の親密さを保っているように見える。
今のように苦言や忠言を唱える場面も何度か見た。
ヘルドマンの方も、そういったクリスの態度が好ましいのか決して邪険にはせず真摯に耳を傾けるか、機嫌が良さそうに笑っていた。
要するに非常に仲の良い二人なのである。
「それもそうですわね。……義手の制作依頼は一週間ほど前に送っておきました。恐らくシュトラウトランドに存在する聖教会の方から向こうの腕の立つ技師に連絡が成されていることでしょう。
ですからあなたはシュトラウトランドの聖教会の支部を訪ねて下さいな。ここほどは大きくはありませんが、それでも十分な設備は揃っているので旅の疲れを癒やすことも、新たな依頼を探すこともできるでしょう」
随分と丁寧なヘルドマンの気遣いに恐縮しながら、ずっと袖を引っ張り続けていたイルミに従って馬車に乗り込む。
時刻はもちろん太陽が完全に沈みきった深夜前。馬車の御者に挨拶を一つ交わし、積まれていた荷物の間に座り込んだ。
「では達者でな。アルテ。雪山ではいろいろと世話になった。この礼はいつか個人的に返させて貰うよ」
「健勝無事をお祈りしていますわ」
二人の美女に見送られながら俺とイルミはグランディアを出発する。古城に入場したときと同じように、馬車から顔を出すことは許されなかった。
どうやら七色の愚者の一人を下しても、領主様は俺のことを認めるつもりはないらしい。
まあ、自分のしでかしたことは理解しているつもりなので、異を唱えることはないのだけれど。
がたごとがたごとと揺れる馬車の中、幌の隙間から漏れる月明かりが少しだけ眩しかった。
アルテが出発してから数刻ほど。聖教会の幹部たちが集まる集会室にヘルドマンはいた。お供のクリスはいない。
ヘルドマンは円卓の一つに腰掛け、他の参加者たちの弁に耳を傾けていた。
「しかしあの狂人が青の愚者を討伐するとは思わなかった。精々返り討ちに遭うのが関の山だと踏んでいたのだが」
「ですが嬉しい誤算というわけにはいきませんよ。上からの意向で愚者の討伐を依頼しましたが、これで当初から懸念していた教団との関係悪化が現実味を帯びてきました」
「ふん、青の愚者を崇拝するあの狂信者どもか。殆どの領国から禁教指定を受けているというのに、ご苦労なことだ」
話題は主にアルテがブルーブリザードを討伐した事による今後の影響についてだった。ここ数日、耳にタコが出来るくらいには聞かされてきた話題ではあるが、ヘルドマンはその鉄面皮を微動ださせることなく澄ました表情で紅茶を啜った。
「それでも私は上の真意が気になりますね。我々聖教会は各地に支部を持つ非常に大きな組織です。それぞれの領国や自治国の支配者と綿密に連携しながらその勢力を維持してきました。今回の討伐騒動はこれまでの方針と真っ向から対立しています。
いくらブルーブリザードの非道が目に余るといっても少しばかり判断を焦りすぎたのでは?」
ちらり、とヘルドマンは発言の主に目を向けた。それはこの場に於いては小娘と形容されても仕方の無いような年若いシスターだった。
栗色のボブカットを揺らし、灯籠の証明に照らされた小さな顔はともすれば十代になったばかりの少女を思わせる。
だがヘルドマンは知っている。その見た目ばかりでこの人物を評してはいけないと。
「あらノスフェラトゥと称されるマザーでもやはりそのことは気になるのですね」
参加者の視線が一斉にヘルドマンへ向いた。今のままで沈黙を保っていた彼女が突然口を開いたのだから当然と言えば当然だ。
マザーと呼ばれた少女は円卓からやや身を乗り出してヘルドマンにその顔を近づける。
「ええ、もちろんです。今回の動きはそれだけ不自然ですからね。……それに上からの意向と皆さんは誤魔化していますけれども今回の討伐依頼を直接持ってきたのはヘルドマン、あなたです。一応上に確認したところあなたの独断でないことは証明されています。
けれども腑に落ちない――納得の出来ない出来事はいくらでもあるのですよ」
「例えば?」
「一つ、依頼の詳細は上に問い合わせたところヘルドマンを通してしか伝えられないと返ってきました。本支部ナンバー2である私を差し置いてナンバー3のあなたを通せ、と。
二つ、私の記憶違いでなければ七色の愚者というのはそれぞれがそれぞれに対し不干渉を貫くのが原則だった筈です。なのにあなたは率先して青の愚者を滅ぼす狂人の手助けをした。まあ、これに関しては過去に第一階層と争ったあなたには当てはまらないかもしれません。
ですがどうしても腑に落ちないのが三つ目のことです」
すっとヘルドマンの赤い瞳が細められた。二人の様子を見守っていた参加者全員が緊張の余り息を呑む。
それもその筈。たとえ牙を失っていても七色の愚者の一柱「ブラック・ウィドウ」
彼女の表情があからさまに不愉快であることを湛えていて平静でおられる者は殆どいない。
だがマザーと呼ばれた少女は物怖じすることなく続けた。
「あなた、あの狂人とどんな取引をしたのですか……?」
ぱきん、
その音がヘルドマンから発せられたことに気が付いたのは誰だったか。
少なくとも眼前に黒い影で出来た螺旋状の槍を突きつけられたマザーは気が付いていた。
影はヘルドマンから伸びていた。円卓に腰掛けカップを手にしたままのヘルドマンは自身の魔の力を練った黒槍をマザーに突きつけたのだ。
音は魔の力を一瞬で行使した音だった。
マザーの頬を冷たい汗が伝う。それでも彼女が引くことはなかった。
「練兵場での模擬試験の後、あなたは狂人を見舞いました。他の職員やシスターを押しのけて! そこであなたは何を取引したのです!」
「覗いて、いたのか」
声は底冷えのする、地獄から沸き上がる怨嗟だった。
ヘルドマンはゆらりと席を立つ。それに併せて他の参加者は皆円卓から転がり落ちるように離れていった。動かなかったのは未だ糾弾を続けるマザーだけだった。
「答えて、下さい」
「ノスフェラトゥ――その不死性から吸血鬼ハンターでありながら吸血鬼と呼ばれるあなたがよもや出歯亀とは。……どこまで不死でありつづけるのか試してみてもいいぞ」
マザーを取り囲むように黒槍が瞬時に作られていく。力を九割失っていてもさすがは愚者の一柱。その早業は神業に等しい。
「ユーリッヒ・ヘルドマン。いくらあなたでも教会内での流血沙汰は無事では済みませんよ」
「…………」
無限にも等しい時間が円卓を支配する。
沈黙を、停滞を破ったのは意外にもヘルドマンだった。
「少しばかり体調が優れません。今日は休ませて頂きますわ」
マザーを取り囲んでいた黒槍が霧散しヘルドマンの中へ消えていく。彼女は一度も振り返ることなく円卓の場を後にしていった。
只ならぬ雰囲気を感じていたのか、外で待機していたであろうクリスの慌てた声が聞こえてくる。
その場に残された参加者が安堵のため息をつく中、ヘルドマンの消えていった方向を睨み続ける影が一つ。
「ヘルドマン、あなたは何を隠しているのですか?」
魔導具の国、「シュトラウトランド」に到着したのは「グランディア」を出発して二週間経つか経たないかぐらいの時だった。
途中、吸血鬼もどきを二体ほど狩りながらも順調な旅だったと言える。
シュトラウトランドにある聖教会で簡単な手続きをし、近くにある宿の手配も依頼する。
ヘルドマンから貰った紹介状みたいなものの効果は絶大で、受付で提示した瞬間、最初から示し合わせていたかのように、この国での滞在で必要な情報や手形を発行して貰うことが出来た。
「さて、イルミ。ここはグランディアみたいに俺が狂人扱いされることはないから適当にぶらついてみるか」
馬車旅で退屈しているであろうイルミを気遣って町歩きを提案してみた。その際呆れたような、驚いたような表情をされたが俺はめげない。
「でも義手はいいの?」
俺の無くなった右腕を指してイルミが問う。
「別に急がなくても良いだろ。職人への委任状と紹介状も持ってるし明日にでも行けば良いさ」
「じゃあ」
俺の右腕を指していた指が外を指す。
「こんな昼間だけれども町歩きするの?」
イルミが指さしたその先。聖教会の建物内から見える外の景色は憎らしいくらいの快晴だった。
無言が支配する空気の中、俺の背筋を脂汗が滝のように流れていた。




