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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第一章 青の愚者編
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第11話 「氷の愚者」3

 そこは月の光も太陽の毒も届かない、強いて言うならば魔の力すら存在することの出来ない孤独の檻だった。

 物心付いたときからそこに繋がれていた少女にとっては、そこが世界の全てだった。

 時折天井から降ってくる食事と水を獣のように啜って、かれこれ数年は生きてきた。

 誰かが助けてくれる、と考えたことはない。

 そもそも自分が幽閉されていることにすら気が付くことが出来なかった。

 自我を宿したそのときから捕らわれていた少女は、自身がそういった身であることを理解していなかった。

 ただ生き物としての本能と、記憶の片隅に残っている姉の安否だけを考えながら生きていた。

 彼女にとっての姉がどういった存在だったのか、今となってはもう思い出せない。

 ただ漠然と、そういったものが自分にも存在しているという知識だけが頭に残されていた。

 もちろん姉が自分に会いに来るという発想も、”彼女”が施した呪いのような防衛式の存在に対しても疑問を抱かない。

 ただあるがままに、ただそこにあるという、とても希薄な意思を宿して彼女はそこにいた。


 

 変化が訪れたのは幽閉されてからおよそ十年が経とうとしているときだった。

 時折、外から人の話し声らしきものが聞こえてくるのは感じていた。たぶん、こちらに食料と水を落としていく役割を持った人だ。

 ただし彼女はそれが人の話し声であるとは理解していなかった。

 ただの環境音として、風が吹く音、水が流れる音と同じ調子でその声を聞いていた。

 だがその日は勝手が違った。

 まず話し声の質が違う。

 いつもならば、聞こえるか聞こえないかの境界ぎりぎりの声量であったのに対し、今日は少女が無意識にうるさいと感じるような、そんな声だった。

 恐らく普通の感性を持った人間が聞けば、それは断末魔だと答えただろう。

 幸か不幸か、少女にはそのような知識も感情も備わっていなかったが。

 そしてそれから暫く。

 声がこちらに近づいてくるのを感じた。

 すぐ真上で何かと何かが暴れている音が聞こえた。

 やがて食料などを落としていた天井の穴から何か液体が流れ落ちてきた。

 少女の頬に付いたそれは生臭い臭いがした。彼女は無意識のうちにそれを舐め取って、それの正体を悟った。

 そして、身体の奥底から沸き上がる、自身には制御しきれない獣の遠吠えを聞いた。


 

 二匹の獣は突然少女から生えてきた。

 少女の数倍はある体躯をもった、巨大な狼だった。狼はすぐさま一声咆哮を上げた後、恐るべき脚力で檻の天井を食い破った。

 その衝撃の所為か、食い破られた穴を中心として、天井が檻の元へと降り注いできた。

 片割れの狼が少女に覆い被さって瓦礫から匿う。

 黒々とした砂埃が世界を支配し、先ほどまであれほど響いていた断末魔と争いの声が完全に途絶えた。

 しばしの静寂が訪れる。


「ひっ……! 魔獣が召喚されている!」


 最初に静寂を破ったのは、天井と共に落ちてきた数人の男たちだった。それぞれ剣や槍などの思い思いの武器を手にしている。

 彼らは一様に二匹の狼を見て、表情を恐怖に引きつらせていた。

 少女の左右に控えていた狼が再び吠えた。

 檻全体を揺るがすような、少女ですら耳を塞いでしまいたくなるような、絶望の咆哮だった。

 殺戮はすぐさま始まる。

 狼たちはその巨躯からは信じられないような速度で男たちに躍りかかり、その凶悪な顎門で食い散らかした。

 鮮血と臓物が少女の元に降り注ぐ。

 彼女は今体中に浴びているそれが、先ほど口にした液体と同じものであることを確認した。

 やはり間違っていなかった。

 天井から流れてきたのは彼らの血だったのだ。


「うわあああああああああああああああああああああああ!!」


 なけなしの勇気を振り絞った数人の男が狼に向かって刃を突き立てた。

 しかしながら狼の厚い体毛に阻まれて、薄皮一枚切りつけることが出来ない。そしてそのまま怒り狂った狼の牙に貫かれて順番に果てていった。

 少女は目の前の光景を見てその場にへたり込んだ。

 感情らしいものなど抱いたことのない彼女は、自身をそうさせる原動力の正体を理解できない。

 だが少女に残された本能が正体を朧気ながら教えてくれた。

 無残に食い殺されていく男たちと同じだ。

 少女は二匹の捕食者に恐怖したのだ。


「いやああああああああああああああああああああああ!!」


 男たちの絶望の叫びに負けず劣らずの、少女による恐怖の悲鳴が檻に木霊した。

 だが狼はとどまることを知らない。むしろ少女の叫びを聞いて逆に興奮したのか、ついには食い破った天井から飛び出して、外の世界にまで殺戮の手を伸ばし始めた。

 恐らく檻の上でこちらの様子を見守っていたのだろう。

 幸いにも檻への落下を免れた男たちが、今度は狼の口に次々と納められていく。

 既に消滅した天井からは滝のように血と臓物、そして食い残された死体が降り注いでいた。

 いつまでも終わらぬ虐殺の光景。

 それに少女の、ただでさえ乏しかった心の器が壊れ始めたとき、事態は一転した。


「早く何とかしろ! テトラボルト!」


 声は男のものだった。

 少女の目の前に出現した血の滝を突き破って、男がこちらに飛びかかってきた。

 へたり込んでいた少女の身体を強く抱きしめ、男は天に向かって叫ぶ。


「なら一匹はそちらで相手してくれ! さすがに二匹同時に相手してこの式を壊すことは出来ない! ほら、今そちらに向かった!」


 返答は律儀に帰ってきた。それと同時、外の世界に駆け上がって行った二匹の狼の内一匹が、まるで落下するかのように戻ってきた。

 否、地面に鋭く叩きつけられたところを見ると、こちらにたたき落とされたのだろう。


「ちっ」


 舌打ちを一つして、少女を抱きしめていた男が剣を抜き放つ。

 少女はそれを見て、小さく悲鳴を上げた。

 剣は黄金色をしていた。

 それは太陽の元では生きてはいけない月の民が忌み嫌っている色だった。

 だが少女はその普遍的な事実を知らない。彼女が悲鳴を上げたのは剣の色ではなく、そこに宿っている力に対してだった。


「……太陽の、力」


 長年ここに繋がれていた少女もうっすらと記憶している、月の民の身を焼き焦がす悪魔の力。

 月の民ならば誰もが恐れる力を、男は手にしていた。

 狼の大気を揺るがす咆哮を浴びても、男は怯えの色一つ見せずに少女を庇うように立つ。

 やがて狼が今までそうしてきたように、男に向かって大口を開けて飛びかかった。

 剣と牙がゆっくりと交差していく。



 

 心地よい揺れを感じて、イルミは自身が眠っていたことに気がついた。

 閉じていた瞳を開き、視界を確保すれば、目の前にはクリスの背中が広がっていた。

 どうやら彼女に背負われていたようだ。


「あ、ゆめ……」


 懐かしい夢だった。

 自分が自分の不遇を知らなかった頃の、狂人の太陽に心を焼かれる前の夢だった。

 そういえば、アキュリスとの戦いはどうなったのだろうか。

 彼の蹴りをまともに喰らって、吹き飛ばされたところまでは覚えている。

 だがそこから先の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。


「君の狼の封印を一時的に解いたのさ。残念ながら私も彼には歯が立たなかった。あいつはアルテには勝てないと謙遜していたが、実際は同格だったのかもな」


 事の顛末をクリスに問えば、この様な返答が来た。

 まあ、こちらとの実力差を考えれば妥当な判断だとイルミは想った。

 自分たち二人では随分と手に余る、ヘルドマンを除けば久しぶりの実力者だったかもしれない。

 だとすればアキュリスと同格かそれ以上とされるアルテはどれほどの力を有しているのだろうか。


「そういえば……」


「ん?」


 クリスに負ぶわれたまま、イルミはふと口を開いた。

 クリスはこちらに振り向くことなく、黙々と山道を登っている。


「アルテがもう一度焼き尽くしてやる、って言ってた。多分、ブルーブリザードに対して言ったんだと思う。……あなたは昔のアルテを知ってる。

 じゃあ、この言葉の意味がわかる?」


 今度の返答は暫く帰ってこなかった。

 クリスも考え込んでいるのか、イルミを支えている両の手に自然と力が入っていた。

 イルミが問うてから五十メートル程先に進んだとき、ようやっとクリスは答えた。


「すまない。アルテがそう告げたことすら気が付いていなかった。私の知りうる限りでは、彼の過去の討伐記録にブルーブリザードとの交戦記録はない筈だ。

 なら君の聞き間違いではないか?

 それに聖教会の許可なくそんな大それたことは出来ないはずだ。

 もしも、もしも彼がブルーブリザードと無許可で交戦したことがあるのなら、それはそれで大問題だし、何よりそれを手引きした輩が存在することになる」


「? どういうこと?」


「確かにブルーブリザードは時折人里を襲って弱者を嬲り殺す悪癖がある。だが我々は今までずっと討伐を控えていた。

 もちろん奴を神と崇める集団との関係悪化を懸念したり、そもそもそのようなことを成し遂げられる人材がいなかったというのもあるのだが、

 一番の理由はそこではない。

 いいか? ヘルドマン様が今現在グランディアに定住されているように、七色の愚者は基本的に拠点を持ってそこからは滅多に動かないんだ。

 だがブルーブリザードは違う。奴の拠点が発見されたのはここ百年では今回が初めてだ。

 つまり奴は定住型の吸血鬼ではなく、各地をふらふらと放浪している、そもそもの発見が困難な吸血鬼なんだよ」


「だからアルテが聖教会の情報網なしに、個人の力で居場所を特定して討伐に向かうのはほぼ不可能なんだ。仮に聞き込みでブルーブリザードの居場所を突き止められたとしても、

 我々聖教会がその情報を見逃す筈がない。だから我々とは別にアルテをブルーブリザードの元に導いた存在がいることになる。

 さすがにそれは非現実的すぎてまともに検討しようとは思わないな」


 そこまで足早に告げて、クリスは押し黙ってしまった。

 恐らく傷が完治していないのと、体力の消耗を防ぐためだろう。

 少々申し訳ないことをしたかもしれないと反省しつつ、イルミはクリスの背中に顔を埋めた。

 やがて何処までも続くかと思っていた山道が途切れている場所に差し掛かった。

 周囲には雪が膝下くらいまでに降り積もり、氷の壁が岩肌を覆っている。

 まるで岩山をくり貫いて作られたかのような巨大な城塞。

 目の前に広がったのは、紛う事なき七色の愚者の一柱、ブルーブリザードの居城だった。

 物音は聞こえない。

 ただしんしんと雪が降り、静寂だけが世界を支配していた。


「おかしい。静かすぎるな。ここ以外に転移したとは考えられないが」


 イルミをいったん下ろし、クリスはあたりを見回した。

 ざくざくと積もった雪を踏みしめて、城塞に向かって歩いて行く。

 そのとき、丁度反対側、城塞の方角から人影がこちらにふらふらと向かってきていることに気が付いた。

 クリスに下ろされ、雪の上で腰を落としていたイルミが思わず立ち上がる。


「あ、アルテ」


 そう。人影はティアナという少女によってここに飛ばされていたアルテだった。

 だが様子がおかしい。

 

「おい、お前……」


 こちらに向かってくるアルテは傷だらけだった。手を伸ばせば届くような距離まで彼が近づいてきたとき、ふらふらとクリスに向かって倒れ込んだ。


「っ! おい! しっかりしろ!」


 咄嗟に抱き留めたクリスはアルテの体温が異常に低いことに驚く。

 そして何より、抱き留めたアルテの右腕が、肘の上から綺麗に消失していることに気が付いた。

 降り止まぬ雪の中、アルテから流れ出る赤い血が白銀の景色を徐々に侵していった。

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