第117話 「故郷」
どしどしいくよ
「要点を纏めよう。あの神の塔には私だけが知っている隠し通路がある。いや、もともとはエルサレムから電力をぶんどっていた送電線が通っていたパイプラインだ。それこそ戦車でも通ることのできる大きさだから、お仲間の魔導人形も通すことができるだろう」
手渡されたのは、バベルの塔の概略図。今の時代のは全く違った技術で描写された、太陽の時代の地図だ。
「あの軍勢の包囲を突破することは不可能だが、これならそれらをスキップして内部に侵入することができる。ただ、中であちらの勢力と交戦する可能性は高い。特に聖教会のシスターには気をつけろ」
ノウレッジは概略図を目で追いながら、アリアダストリスに問うた。
「あなたは加勢してくれないのですか? 正直、黄色の愚者は我々の手に余る。あれはあなたほどでないにしろ、理外の化け物と言って良い」
「————お前も知っているだろう? 私と黄色の愚者の関係を。私にはあれが知覚できない」
アリアダストリスが席を立った。その瞬間、部屋にノウレッジ一人が取り残されれる。まだ暖かい2つのカップが、世界最強がここにいたことを教えてくれている。
ノウレッジは残されたカップをようやく手に取ると、その苦い液体を飲み干して見せた。
「やはりアメリカンではなく、エスプレッソがいいようだ」
01/
割と何でも知っているノウレッジに連れられて、俺達が向かったのは禁足地に一番近い街とされているサルエレムのとある集落だ。位置的と規模的にロマリアーナと聖教会の軍勢か駐屯する可能性が低く、ここなら神の塔へ殴り込む前の最後の一呼吸がおけると踏んだためだ。
そして、レイチェルの生まれ故郷でもある。
「————何も変わっていないな。空気の匂いまでそのままだ」
俺たちの一番前を行くレイチェルがそんなことを呟いていた。彼女からしたら、おそらくあまり良い思い出のない街だろう。忌み子として、修道院に捨てられたとも聞いている。そこからさまざまな伝手を辿ってシュトラウトランドに流れ着いてきたのがレイチェル・クリムゾンという女だ。
「別に気を遣う必要はない。ボクもいい加減成人した身だ。年老いた両親にもし出会えたら文句の1つでも言えればそれでいい」
街は複数の集落が集まって構成されたものだった。砂を固めたような煉瓦造りの建物が並んでいる。人通りは多くもなく、少なくもない。
死の禁足地とみんな言うものだから、もっと殺伐とした雰囲気を想像していたが思っていたよりも普通の街だった。
だが————、
「異常な程の魔の力の密度だな。街を1つ出れば太陽の力が滞留している死の空間が広がっているのに、ここが無事なのは絶対的な密度で押し返しているからか」
エリムを初めてとした、魔の力に敏感な面々はこの街の特異性を正確に感じ取っていた。俺は何となくしかわからないが、月の民のみなさんは相当プレッシャーを感じているらしい。
あのノウレッジですら脂汗を浮かべているのだから相当なものだ。
「これはかなりのものですね。魔の力に酔いそうだ。取り敢えず休めるところを探しましょう。ただ、外部との交流も殆どない地域です。宿屋、みたいなものは期待できないでしょうね」
なんとまあ、不思議なものだ。普通、聖地と言ったら巡礼者用の施設が整っていることが多いが、ここは周囲の環境が酷すぎて誰も寄りつかないのかもしれない。
だとしたら少し困ったな。
「一応、簡易的なテントは持ってきています。最悪、それを広げて休みましょうか」
02/
そんなわけで、休める場所を探そうと三手に分かれることとなった。俺とイルミ、レイチェルのいつものグループ。エリムとティアナのグループ。それとノウレッジを初めとしたエンディミオン組のグループだ。
「子どもの頃、それなりにぶらぶらしてはいたが、宿らしきものは見たことがないな。ただ、修道院ならばそれなりの支度金を手渡せば止めてくれるだろう」
というわけで、レイチェルの案内で修道院を目指すこととなった。わりとサッパリとしているが、それでもレイチェルにどう言葉を掛ければいいのかわからない。
俺は黙ってついていくだけだ。
「————そう気を遣ってくれなくてもいい。さっきもそう言っただろう」
「ならもう聞いてしまうけれど、あなた、生家に顔を見せるつもりはないの?」
おいおい、イルミちゃんいきなりぶっこむね。いや、まあ俺もそれは気になったけど。
「さあ、どうだろうな。ただこのまま修道院を目指したら自ずとボクの生まれ育った家の前を通るよ。その時にでも考えるさ」
そんなわけで。
歩くこと小一時間。結構距離もすすんだかな、と思った頃合いでレイチェルが足を止めた。それは砂と石で作られた街の中でも、一際大きな建物だった。
いや、これ建築様式こそまったく違うから正確には判断できないけれど、割と豪邸じゃない?
あ、これが修道院ですか?
「まさか。ボクの家だ。本当にそのままなんだな」
魔の力を使った、インターホンの役割を持つベルをレイチェルが手に取る。こちらが何かを告げるよりも先に、彼女は事も無げにそれを三回叩いた。
「なんだ。家人も変わっていないじゃないか。あれはヨセフ。古くから家に遣えている男だよ」
庭の向こう側からこちらへと歩みを進めてくる偉丈夫が目に入る。偉丈夫は黒いスーツにも似た衣装に、同じく真っ黒なハットを被った、見慣れない服装をしていた。
「————お、お嬢様ですか! レイチェルお嬢様ではないですか! まさかこれは夢なのか! ああ、神よ! 本当に感謝します!」
レイチェルの容貌を確認した男が走り寄ってくる。偉丈夫はマジで偉丈夫だった。巨人族ほどではないが、俺より頭2つは確実にデカい。そんな男がレイチェルに近づき、腕を伸ばせば届きそうな距離になったら、感涙の余り地に跪いておいおいと泣き出してしまった。
「なあ、放逐された身だが『私を家に入れてくれますか? ヨセフ』」
レイチェルが自分の事を私と言うのを初めて聞いた。というか今までそんな片鱗一切なかったじゃんか。ほら、イルミちゃんも呆気にとられている。
「まさか放逐などと! 旦那様も奥様もあれから毎日のようにあなた様のことを思っておられました! ああ、こんなにも立派に成長されて! すぐにご案内致します! さ、お連れの方もこちらに!」
そんなわけで、まさかのお嬢様の屋敷に招かれることとなったのである。
そういえば今思い出した。レイチェル、幼少期はずっと医者に診て貰っていたって。
そりゃあ、実家は金持ちだ。
どおりで割と博識で、お行儀がいいわけね。
03/
「お父様、自分の足で帰ってこいと言うあなたの言葉、私はこの通り果たして見せました。忌み子として捨てられた身ですが、しばし私とその友人達とここに置いてはいただけませんでしょうか。そう長居はしません。友の使命もあります。少し休ませて頂ければ直ぐに出立します」
大広間というか、謁見場というか、そんな場所に俺たちは通されていた。ヨセフから着替えるように声を掛けられていたレイチェルだが、それは固持し、旅装のまま両親との再会を果たしていた。
「————今更言い訳するつもりはない。お前をこの家から遠ざけたのは事実だ。捨てたことを今更釈明するつもりもない。だが約束は果たそう。自分の足で帰ってきたお前を認め、しばしの休息を許そう。だが、家督は既にお前の弟が継いでいる。ここにとどまれると思うな」
「弁えているつもりです。お父様」
何となく空気を読んで、イルミちゃんとずっと床を見ている。俺たちは部外者だ。人様の家の事情に口出しするつもりはない。けれどもどうやら感動の再会、ハッピーエンドというわけではなさそうだ。
「ところでそこの客人はどのような方々だ? お前をここに連れてきてくれたのか」
「ええ、私の命の恩人達でもあります。この二人がいなければ私はもう神の元に還っていたでしょう。この二人がいたからこそ、私は再びこの家の門を潜ることができた」
「そうか。なら相応の礼を用意する。面を上げられよ。客人達よ」
初めて、レイチェルの父親の顔をしっかりと見ることができた。深い皺と、顎周りを整えられた髭で覆っている老紳士だった。ただ目の色がその他周囲とは違う。それなりに年を取っているだろうに、目だけは青年のようにギラギラと輝いている。
「————なんと、黒髪、黒眼。それに白銀、赤眼のお二人か。言い伝えなど信じるつもりはないが、まさか生きているうちにその姿を見ることになるとは」
何やら驚かれている。そりゃあ、日本人だから黒い髪と黒い目だ。イルミちゃんは出会ったときからこのカラー。
「我々を守護する赤の愚者さまの遣いと全く同じとは。そんな偶然、あるものなのか」
赤の愚者が守護する? ということはあれか。この街は赤の愚者を信奉しているのか。でもそりゃそうか。聖地が近いから、頂点の吸血鬼を信奉しているのはなんかしっくりくる。
「すまない。礼を失していた。直ぐに部屋を用意させよう。まだ街に連れ達がいると言ったな。その方々も直ぐに遣いをやってここに呼ぼう」
父親が家人たちになにか指示を飛ばしている中、レイチェルがこっそりとこちらに振り返った。
「ほら、これで宿屋ゲットだ」
こいつ、最初から修道院なんか行く気、なかったな。
04/
まさかの全員に個室を割り当てられた。屋敷が広すぎである。外からはわからなかったが、中央に巨大な庭園を抱えて、その外周に建物が存在している感じだ。
本当に、これだけ外部との交流が少ない中でどう財をなしているのか気になるところである。
「————ボクも幼いころ追い出されたから、金の出所は知らないな。ヨセフは何か知っているのか?」
レイチェルと二人で庭を散策していたら丁度その話題になった。イルミは引き続きポーションづくりに戻っている。付き人として常に控えているヨセフという偉丈夫にレイチェルは疑問を投げかけていた。
「旦那様は東への交易路で財を成された方です。西とは断絶したこの地ですが、東とはそれなりに通商もあります。その交易ルートの元締めがあなたのお父様なのです。お嬢様」
レイチェルはふーん、と興味なさげに返答を返していたが、俺は衝撃のあまり言葉が出なくなっていた。いや、もとから言葉は殆どでていないのだけれど。
「東とは、具体的にどのような国があるんだ?」
もっとたくさん聞きたいことはあったが、絞り出せた言葉はそれだけだった。
ヨセフは「そうですねえ」と数秒ばかり思案したあと、こう答えてきた。
「まずは我々のように小さな街をつくりながら生活している国ほどではない都市がいくつか。その先には定住せず、騎竜を操り移動を繰り返している民がおります。良質な騎竜の生産地になっており、旦那さまが主に取り扱う商品ですね。次に少し気温の高い南国の国、他にも竜を神と崇める変わった国もあるとか」
「その先は! その先には何がある!」
気が付けばヨセフに食ってかかっていた。もしも俺の生きていた時代と地形がそう変わらないのなら、思い描いている世界図がそのままならその先には————。
「そ、それはわかりかねます。どうやら東の果てには海が広がっているようでして、そこから先がどうなっているのかまだ誰も知らぬのです。ただ、何もかもが黄金で覆われたエルドラド、黄金郷があるとかないとか」
あ、あかん。視界がぼやける。
呪いを突き破って、自身の感情が零れそうになる。
「おいアルテ、しっかりしろ。突然どうした?」
ティアナを見てめっちゃ泣くやん、と脳天気に考えていた自分をぶん殴りたい。
人とはやはり泣く生き物なのだ。
涙を流すからこそ、生きていくことができる。もう少しだけ、頑張ることができる。
「————今のことは決して誰にも言わない。だから遠慮するな。お前の呪いを超えてそれが出ているのならば、それに従え」
レイチェルに抱きすくめられた。頭を抱えられ、背中を優しく撫でられる。
もうあの世界には未練なんてないと思っていたのに。こちらに血の繋がった存在もいて、救われたと考えていたのに。
何よりイルミというかけがえのない存在を見付けたと喜んでいたのに。
やっぱり日本という故郷は、まだまだ諦められそうになかった。
05/
明け方、ベッドに転がりながら俺は天井を見上げていた。突然泣き出した成人男性というあまりよくない絵面だったが、ヨセフとか言う家人は何も言わないままに見守ってくれていた。
それどころか「黄金郷が気になられるのならば、できる限りお調べしてみましょう」とまでいってくれた。本当、どうしてレイチェルが放逐されたのかわからないくらい優しい人たちである。
ふと、ドアがノックされた。誰だろうか。レイチェルが様子を見に来たのか、イルミが顔を覗かせ二きたのか、ノウレッジが悪巧みを話しに来たのか、ティアナが殺しに来たのか。
果たしてそれらの予想は全て外れだった。
ドアを開けた先にいたのは、これまでまだ出会ったことのない、初対面の老婦人だったから。
けれども顔立ちがあまりにもレイチェルに似ているものだから、これが誰かくらいアンポンタンの俺でも分かる。
「初めまして。レイチェルを産んだものです。ヨセフから聞きました。あなたがレイチェルの『よい』人だと」
うーん、ヨセフさんや。それは少し早とちりじゃないかい? 確かにレイチェルに縋って泣いちゃったけどさ。
「ならばあなたにはあの子のことをお話しする必要があると感じ、お尋ねさせていただきました。明け方の不躾な訪問、どうかお許し下さい」
————なるほど、彼女の放逐された理由を教えてくれる感じか。
なら断る理由など微塵もない。どうせ寝るような感じでもなかった。
レイチェルに断りもなにもしてはいないが、取り敢えず俺は彼女を招き入れることにした。