第113話 「愛してる」
しばらく頑張ります。
VG113
そもそも人類最強とはなんなのか。
ヘルドマンから心臓を抜き取っていった、甲冑の人物。それが俺の認識だ。唐竹割りに切り裂いても、どういう理屈か死ぬことはない不死生も兼ね備えている。
マリアのような超回復ではない。最初から死をなかったことのようにする厄介な手合いだ。ヘルドマンは世界に己を投影する力を持っていると分析していたが、その原理や能力の詳細は一切が不明。
ただ、その恐ろしいまでの実力は間違いがないだろう。
不意打ち気味だからこそ切り裂くことはできたが、真っ向から挑めば次はどうなるかわからない。
「殺すのは難しくない、ときたか。それは黄金剣の今分かった権能と関係があるのか?」
レイチェルが疑問を口にする。彼女もまた、人類最強についてはいろいろと思案していたのだろう。
「大ありよ。人類最強がは世界に自身を投影して、たとえ致命傷を負っても投影し直せば負傷そのものがなかったことになる。それが厄介なのよね? なら、負傷させずに殺せば良いの。いえ、殺してはならない。負傷もさせず、殺しもせず、でも半永久的に行動を封じる術が私たちにはある」
イルミの赤い瞳が黄金剣を見る。
あ、そっか。太陽の力を流し込んでいたから発動しなかったけれど、魔の力を流し込んだら——。
「斬った相手を黄金に変える、か。なるほど。理屈は通っている。だがアルテは魔の力を自由に扱えるわけではないぞ。近くは出来るようになったが、コントロールはできない」
「だからアルテ以外の誰かがやるのよ。それこそ私が振るっても良い。私の魔の力なら、掠っただけでもきっと権能が発動するわ」
おおー。イルミちゃん頭いいな。確かに、最近のイルミならば人類最強を封殺できる可能性は大きく向上するだろう。
「だが問題もあるぞ。アルテやヘルドマンがいうにはその人類最強とやらはずいぶんな手合いらしいじゃないか。お世辞にもイルミの剣技はそこまで秀でたものではないだろう。イルミが魔の力を行使するよりも先に、こちらが殺されかねない」
そうなんだよな。そこなんだよな。ヘルドマンですら対応に苦心した相手だ。とんでもない魔の力を持つとはいえ、イルミはそこまで戦い慣れた人間ではない。人類最強もきっと馬鹿ではないだろうから、大人しく斬られることなどないだろうし。
「ただ選択肢があるのはいいことだ。何も今すぐ対策を煮詰める必要もあるまい。そもそもサイクロプスとやらを打ち倒さねば、禁足地に近づくことすらできないのだからな」
レイチェルの言葉で自然と解散する雰囲気になった。それぞれ身の回り品を片づけ、貸し出された毛布にくるまった。久方ぶりの雑魚寝である。
いびき、かいたら恥ずかしいな。
01/
やはり日が昇りきった正午はどうしても眼が醒める。月の住民は太陽が登り切ったこの時間帯を明るいと感じていないらしい。何故なら彼らは月から降り注ぐ魔の力で視界を得ているからである。でも俺は太陽光を普通に視認できる存在だ。
明るくなりきったこの時間帯はしょっちゅう眠りが浅くなり、半強制的に覚醒させられることがままあるのだ。
宿所と割り当てられた小屋を出て、集落を眺める。当たり前と言うべきか、人影は全くない。ただ魔の力を利用していない鳥たちの囀りが何処かからか聞こえていた。
この光景を見る度に、本当にこの世界は人類が滅んでしまったのだと実感する。
さまざまな場面で見せつけられてきた旧人類の遺骸たち。そしてγから聞かされた世界の終焉の話。俺がいた世界というものは異世界ではなくて、この世界の過去であるという事実。
今なら何となく故郷で一人だったと語っているレイチェルの気持ちがよく分かる気がする。自分だけが周りと違って、自分だけが世界から取り残されている感覚。
たぶん、もうもとの場所には帰ることができないのだろう。
そして、もう俺と同じ存在には会えないのだろう。
ならせめて、俺の血を引いてくれたヘルドマンは、ユリだけはなんとしても救わなければならない。
「————アルテ?」
声は後ろからだった。日よけの外套を目深に被った見知った背丈。
イルミイラストリアス・A・ファンタジスタが真後ろに立っていた。
「日がある。うせろ」
最悪である。小屋に戻りなさい、と言うつもりがマジで嫌な奴の台詞がでてしまった。でももう焦ることはない。きっとイルミはこちらの言いたいことをわかってくれるだろうから。
「大丈夫よ、アルテ。私、魔の力が成長してあまり日光が苦じゃないの」
ほら、とイルミが外套のフードを捲った。すると銀の魔の力を薄らと纏って、日の光による浸食を防いでいる様子が見て取れた。マジかよ。そんなことできんの?
「ただ目が覚めただけだ」
イルミを心配させまいと、現状を口にする。別にうなされたわけでも、飛び起きたわけでもない。よくある話なのだ、と言いたかったが相変わらず一言しか言葉として紡げない。
「知ってる。アルテ、よくこの時間に起きているから」
イルミが隣に並んだ。何となく腰を下ろしてみれば、彼女も腰を下ろす。ただ距離が近い。どれくらい近いかというと肩が触れあっている。いや、本当に背が伸びたね君。
「アルテはこの世界が好き?」
ふと、イルミがそんなことを口にした。
うーん、どうなんだろう? ムカつくことも理不尽も多すぎるこの世界、自分はどう捉えているのだろうか。これまで生きることに必死で余り考えてこなかった問いだ。
「私はね、嫌い」
あら。そうなの。まあ、そんな気は薄々していたけれど。
「自我が芽生えたと思ったら、鎖で繋ぎ止めていたこの世界が嫌い。私を置いていった姉がいるこの世界が嫌い。一部の強い奴らが大きな顔をしているこの世界が嫌い」
でしょうね。君の人生ならばそうなるのが当たり前だ。むしろよく絶望せずにこちらについてきてくれているものである。
「でもね、最近はそう悪くないんじゃないか、って思うの」
イルミの赤い瞳がこちらを覗き込んできた。姉にそっくりな、血よりも真っ赤な大きな瞳。
彼女は小さく微笑んで言葉を続けた。
「だってあなたに出会えたから。ねえ、知ってる? 私、あなたとヘルドマンを置いていった馬鹿姉よりも、あなたのことを好いていると思うの。もちろん馬鹿姉はあなたを好いていたから子供まで産んだんでしょうけど、今この瞬間の愛情の大きさなら絶対に負けないわ」
そっか。まあ、そんな気も薄々していた。だって、感じるもん愛情。すごく大切にされているって、大馬鹿な俺でもわかるくらいに。ありがとね。
なんとなく、イルミの手を握った。拒否されないという直感があった。一瞬だけ、イルミは身を強ばらせたが、直ぐに満面の笑みをたたえるとこちらに身を寄せてきてくれた。
「好き好き。大好き。愛している。本当に愛している。あなたのことをこの世界の何よりも愛している。あなたが願うなら世界を滅ぼしたっていい。だからアルテ、教えて。あなたは私の事をどう思ってくれているの?」
悪戯っぽい声だった。多分俺の返事なんてわかっているのだろう。
俺と違って聡い彼女だ。言葉が足りなくても、ぶっきらぼうでも多分伝わる。
でも今だけは言葉が嫌だった。伝わるとしても、イルミに酷いことを言いたくなかった。
ここまで旅を共にしてくれた相棒に、報いたかったのだ。
「アルテ? ————むぐっ!」
多分歯が当たった。きっとファーストではない。さすがに夫婦だった相手とはしてるだろうし。でも、今の人生では初めてだ。
言葉はまだ伝えない。
呪いが癒えるかはわからないけれど、もっときちんと伝えられるその時まで取っておく。
夢うつつの表情でこちらを見上げるイルミが呟いた。
「もうわたししんでもいいかも」
縁起でもないことをいうな。
02/
意外なことに、禁足地へと繋がる桟橋にはあっさりと渡ることができた。てっきり桟橋にサイクロプスとやらが陣取っていると考えていたのだが、何もいなかった。
「————聞いていた話とは違いますね。こういうときは経験則上、良くないことが起こると相場は決まっています」
おいおいノウレッジ先生よ、いらんこというなよ。あんたの立てるフラグは殆どの場合で回収されるんだからさ。
桟橋に向かったのは、俺とノウレッジ、そしてイルミとレイチェル、あとは魔導力学科の面々。ヘルドマンとγは安全が確保でき次第、連れてくることになった。
集落で頂戴した船で、ケイプロス島からここまで渡ってきたのだが、動力はなんとイルミの魔の力。こういうこともあろうかと、エンジンのようなものを作り上げていたノウレッジには驚かされるばかりである。
「————念の為、上陸は私とアルテさん。そしてイルミさんの3人にしましょうか。本当に安全であると確定できたら残りの方々もお呼びします。レイチェルさんはゴリアテを使って、船の護衛をお願いします」
船からボートのようなものを降ろし、桟橋へと接近する。
人気はまったくない癖に、やけに立派な桟橋だった。もしかしたらこれも太陽の時代の遺物と屋良なのかも知れない。
「おやおや、勘が鋭いですね。元々ここは軍港ですよ。太陽の時代はハイファと呼ばれていた港です。そして太陽の時代の民が、最後の戦力を集めて戦った終焉の地でもあります」
戦った? 何と?
「偽りの神とですよ。ほら、私たちも地下で戦ったでしょう? まああれは全然小規模な分身の分身のそのまた分身くらいですが。あれと旧人類の残存艦隊が決戦を行ったのです。ま、結果はご覧の通りですが」
桟橋が近づく。いや、それは桟橋ではなかった。桟橋のように見えた細長い構造物は、巨大な円の外周の一部分だった。そう、いうなればそれは————
「核攻撃でありませんので放射線の心配はいりませんよ。偽りの神の放った神の雷が、軍港そのものを消し飛ばしてできあがったクレーターの外郭です。それを月の民が桟橋として利用しているに過ぎない」
つくづく何が太陽の時代の終わりにあったのだろう。多分、世界中で死と破壊が繰り返されていたのだろうけれど。自分の生きていた時代はどんな惨い終わり方をしたのやら。
桟橋に取り付き、禁足地とやらに上陸する。砂漠だけが広がっているのかと思いきや、桟橋の向こう側には確かな街の残骸が残されていた。焼けただれ、ガラス化しているところもあるが、ここはもともと栄達を極めた、人々の暮らす都市だったのだろう。
「いきましょう。ところでイルミさん、今のあなたは少々の太陽の力なら、克服していると考えても大丈夫ですか?」
ノウレッジの問いにイルミが首肯のみで返す。彼女もまた、眼前に広がる滅びの光景に目を奪われているようだった。
「よろしい。ならば少々無茶なルートでも大丈夫そうだ。途中、私が焼けただれても歩みを止めないで。どうせこの体も例のアレですから」
イルミが「アレって?」と疑問を呈す。俺は咄嗟に「遠くから操作している魔導人形だ。こいつの本体は別にいる」と口走りかけるが、よくよく考えたら、アルテミスでもない俺がその事実を知っているのも変な話なので、知らない振りをして黙っておいた。
あんまり迂闊な事をいうなよノウレッジ。
「なに、目に見えているものだけが真実ではないということですよ」
そういって、眼鏡を掛けた優男な青年はこちらに笑いかけてきた。
03/
サイクロプスはあっさりと見つかった。街の遺構を探索していたら、小一時間ほどでそいつを見付けることができた。
ただし、
「手傷を負っている。やはりロマリアーナの軍勢に退けられてここまできたのか」
サイクロプスは想像していたものとは少しだけ違っていた。漫画やゲームに出てくるような、巨大な筋肉もりもりの一つ目の巨人を想像していたのだが、その実態は生きた魔導人形ともいうべき、ようするにゴリアテのお仲間みたいな存在だった。
ただゴリアテの二倍くらいの大きさはあるし、目に該当する部分は1つの大きなカメラセンサーになっている。オリーブグリーンの装甲板を見れば、恐らくあれは————
「太陽の時代の人類が作り出した、都市防衛型の魔導人形です。太陽の時代の人間も馬鹿ではありませんでしたから、世界を侵食していく魔の力を解析してああいったものをたくさん生み出していた。その中でもあれはとくに頑丈で厄介な手合いなんです。だからこれまで禁足地を守る存在として恐れられていた」
だとしたら、だ。あいつの守るべき場所にもうロマリアーナや聖教会は辿り着いていることになる。
これはそうとう急がないと不味いのでは?
「可能性としては高そうだ。けれども、ある意味これはチャンスです。見て下さい。右腕が破損し、左腕のみが生きている。奴の武器は神槍と呼ばれる、太陽の時代の技術を集結させたパルバインカーです。本来は両手に装備されているものですが、今は片腕。イルミさんの火力と、アルテさんの機動力なら破壊することもそう難しくはないはず。神槍を手に入れることができれば、使いようによっては黄色の愚者に対する切り札にもなりえるでしょう」
なるほど。どの道奴を排除しなければここから先には進めないのだ。ならドロップアイテム目的でここで仕掛けるのが得策か。
イルミが革手袋の嵌められた手をサイクロプスに向けた。
詠唱などはなにもなかったが、直ぐに奴の周りに銀色の超高熱の火球達が複数生み出される。
俺も黄金剣を抜き、その時をじっと待った。
「爆ぜろ」
イルミの呟きと共に、焼けただれた廃墟が正しく消し炭へと変わっていった。
04/
「上だ!」
消し炭になった廃墟から飛び出した巨躯。それはこちらに落ちてきた。
ノウレッジを思いっきり蹴飛ばし、イルミを引っ掴んで直ぐさま逃げ出す。神槍————パイルバインカーが打ちこまれた地面は小規模なクレーターになっていた。
「とんでもない反応速度だ! まさかこの奇襲が通用しないとは!」
感激したように叫ぶノウレッジ。いや、それどころじゃないって。恐らくサイクロプスはイルミを驚異と捉えたのだろう。カメラセンサーがイルミを睨み付けているのが何となく分かる。
俺は彼女を肩に掴んで、廃墟の中を走り出した。
「少し時間を稼いで! 罠を仕掛けます!」
背後でノウレッジが何かを叫んでいる。イルミが肩に担がれたまま、次の魔の力を行使した。
突如として出現した銀の炎のカーテンがサイクロプスを包み隠す。しかしながら如何なる原理か、それを意に返すことなく、奴はそのまま突っ込んできた。
ひいいいいいいいいいいいいいい、殺される!
だれだドロップアイテム狙いで倒すとかアホなこと考えたの!
あ、俺か!
「アルテ、右!」
パイルバインカーの一撃が俺たちの立っていたところを穿ち抜いた。
いやいや、アレ食らったら血の煙になるって! 人に振るうものじゃない! あれは戦車とかに打ちこむやつ!
「アルテさん! こちらへ!」
サイクロプスの背後でノウレッジが叫び声を上げる。俺一人ならなんとか攻撃をかわしつつ回り込むことができるが、今はイルミを抱えている。この速度では必ず奴に追いつかれる。
「アルテ、大丈夫。私は大丈夫」
肩の上でイルミがこちらの耳元に囁いた。たぶん彼女はこちらが一瞬だけ考えた策を読み取ってくれたのだろう。迷っている暇はなかった。イルミがこちらを信じてくれているのならば、俺も彼女を信じるほかないのだ。
「まだ死ぬなよ」
イルミを肩から下ろす。そして彼女の足首を引っ掴んだ。後はそのまま、槍投げの要領で————
「あ、まさか投げるんですか! え、私にそれを受け止めろと!」
サイクロプスの頭上、放物線を描くように思い切りイルミをぶん投げた。それと同時、俺はサイクロプスに取り付いてカメラセンサーに来ていた外套を被せる。
ほんの数秒で良い。狙いを付けられているイルミから視線を外すことができれば。
「ぐえっ! 骨が折れました! で、でもなんとか! はやくアルテさんも!」
ノウレッジのもとへ飛ぼうと、サイクロプスの上で跳躍の姿勢を取る。しかしそこで気が付いてしまう。外套の隙間から奴がこちらを見ていることに。
あ、これは不味い。
ターゲットが完全にこちらに映っている。このままノウレッジのもとへ向かうには、奴との距離が近すぎる。その証拠に、パイルバインカーの切っ先がこちらを向いている。
間に合わない、そう感じたときには「槍の一撃」がこちらの眼前に迫っていた。