第104話 「黒の愚者」
ヘルドマンが海中から召喚したのはさらなる駆逐艦たちだった。最強の盾として太陽の時代に君臨していた彼女達を空母の周辺に展開させたヘルドマンはそれぞれの速射砲の照準を「人類最強」へと固定する。
「爆ぜろ」
瞬間、轟音、炸裂、閃光。
絶え間ない射撃音が鳴り響き、空母の甲板が爆炎で包まれた。装甲など存在していないロナルド・レーガンは特大のキノコ雲を吹き上げて、自身に砲撃を続ける駆逐艦たちを巻き添えに轟沈する。ヘルドマンは6翼の翼を広げてやや離れた場所に展開させていた「イオージマ」の上に着地した。
「お嬢様、私は捨て置き下さい。再生までかなりの時間が掛かります。お嬢様ほどでなくともアレはかなりの手練れ。私を抱えたままでは足元を掬われる可能性があります」
息も絶え絶えに言葉を発するαをヘルドマンは静かに抱き直した。返答の言葉こそはなかったが、その行動がヘルドマンの心情を雄弁に物語っている。
「ああ、駄目です。駄目なのです。私たちはおそらく罠に掛けられました。このままでは——」
「——美しい親子愛ねえ。ああいや、お前たちは血しか繋がっていないか。魂は別だもんな」
声は背後から。ヘルドマンは振り返ることなく翼の推進力によって甲板の端まで跳躍した。遅れて振るわれた大剣の斬撃が甲板表面をバターのようにスライスする。
「いやー、流石に速射砲はだめっしょ。あれは斬れない。流石に焦ったぜ」
言葉は出さない。無言のまま術式を刻み、今度は「イオージマ」の両脇から巡洋艦を召喚した。キーロフ級と呼ばれたそれを衝角から突っ込ませ、「人類最強」を挟み込むように配置する。
「おいおい、嘘だろマジかよ!」
キーロフ級の甲板に並べられていた対艦ミサイルが一斉に飛び出して「人類最強」に殺到する。またもやヘルドマンは結果を確認することなく次なる足場へと飛び移った。「タイフーン級」と呼ばれていた超巨大潜水艦を海中から出現させ、その上へと身を翻す。
それなりに距離が離れているというのに、火炎の熱がヘルドマンとαの頬を撫ぜていく。
「あのさあ、対艦ミサイルは対、艦のミサイルであって俺のような人間に撃つもんじゃないんだわ。アリアダストリスのお姫様はお母ちゃんとお父ちゃんからそんな簡単なことも教えて貰わなかったのか」
影がタイフーン級の船首から歩いてくる。いかな魔法を使っているのか、それは全くの無傷のままヘルドマンへと歩を進めていた。
「これはちょっと教育がいるだろうな。ネグレクトされてきた娘を調教する。いいじゃん、そそるじゃん」
剣が無造作に振るわれた。ヘルドマンは眼前に10式戦車の砲塔を複数積み重ねて盾とした。さらにそんな盾の背後へレオパルド2の主砲を召喚、複合装甲によって受け止められていた剣を抜こうと踏ん張っていた「人類最強」へと滑空弾が突き刺さる。
「いいねえ、いいねえ! どんどん抵抗しな! その分滾って来ちまう!」
しかしながら如何なる原理か滑空弾は直撃する直前に縦に裂けてしまった。真っ二つになった滑空弾が足元のタイフーン級に突き刺さって爆ぜる。大穴が空いたことで船首から急速に沈み始める潜水艦の上で「人類最強」とヘルドマンは向き合った。
「——お前は何だ? 私の知っている人類最強はあくまでロマリアーナの守護者の男だ。お前のような品性の欠片もない汚物とは似ても似つかない」
「おいおいお嬢ちゃん、ビジネスって言葉知ってるかい? 俺はプライベートとそれをきっちり分けるタイプなのよ」
再び剣が振るわれる。今度はヘルドマン自身の障壁によって上空へと斬撃が反らされた。切っ先が届いていなくとも、その衝撃波だけで肉体を切断しうる絶技だった。
「ふーん、今のを見切るのね。さっきみたいに戦車で防いでいたら擦り抜けてバラバラだったのにな。流石の戦闘勘はどちらの遺伝だ? いや、母親ではないか。あれは圧倒的な力でねじ伏せるスタイルだもんな。なら弱っちい父親だ。小手先だけの技で生き残ってきただけのドブネズミだよ。お前もそう思うだろ? お姫様?」
返答は上空からの戦闘機の特攻だった。F-35ライトニング ビーストモード。詰めるだけの武装を身に纏った音速のステルス戦闘機が垂直に「人類最強」へと落下した。それも一機だけでは終わらせない。
F-15EXスーパーイーグル
F/A-18E スーパーホーネット
F−16C Block70 ファイティングファルコン
F-3 震電
Su-57 フェロン
Su-47 ファーキン
Su-37 スーパーフランカー
J-20 ファイヤーファング
ユーロファイタータイフーン
SAAB 39 グリペン
旧人類が生み出してきた英知の結晶を惜しみなく「人類最強」へと叩き込んでいく。既にタイフーン級潜水艦は原型を留めていない。新たにジェラルド・R・フォードへと足を下ろしてもなお、様々な戦闘機を雨あられと降らせていく。
「あなた、恐らくαで間違っていませんね。助言をお願いします。あの『人類最強』は明らかにおかしい。次元跳躍や私のように影の海を渡っているわけでもないのに、その質量を自在に存在させたり消滅させたりしているように見えます。この見解は間違っていませんか?」
既に声を出すことができないのか、αはただ虚ろげに頷くだけだった。
「わかりました。でしたらその手段ですが——」
「おっと、もう答えに辿り着きかけてんのか。頭良すぎないか、お前? ますますぶち犯して母親の前に晒し捨ててやりたいぜ」
大剣とヘルドマンの硬質化した腕がぶつかった。その時に生じた衝撃がジェラルド・R・フォードの艦橋構造物をほぼ全て吹き飛ばす。
「さすが覚醒した愚者の力だ。俺の一撃を受け止められる奴なぞ、黄色と赤くらいしかいねえってのにもうその領域に足を踏み入れてんのか」
しかも片腕だ、と「人類最強」は甲冑の下で笑う。ヘルドマンは無表情のまま剣を受け止めている腕を前へと押し続けた。例え「人類最強」が最強を自負しようとそれは人類種という枠組みのこと。根本的に種族が異なっている吸血鬼相手に膂力で勝る道理はなかった。
「ただ俺とこれ以上やりあうってんならそいつを捨てな。心配せずともそれを人質にとったりはしねえ。折角興が乗って来たんだ。黒の愚者と正面切って殺しあえるのならばもうそいつには用がない」
甲冑の向こう側からαに対する視線をヘルドマンは感じた。自分から引き離すか否か、葛藤は一瞬のこと。
「離れていなさい。そしてもし下半身を再生できるのならばここから全力で撤退を。もうあなたに用はありません」
魚雷艇が一つ、ジェラルド・R・フォードの横に出現する。ヘルドマンはαをその魚雷艇へと放り投げた。魚雷艇の上では特殊アラミドで構成されたクッションが展開されており、そこに上半身だけのαが埋没する。
「さて、始めようか。俺は宣言通り『この甲冑を脱がない』 それがあんたに対するハンディだ」
「五月蠅い。御託は良い。早く死ね」
ヘルドマンの眼前が黒く瞬く。その瞬間、「人類最強」が初めて回避行動を取った。獣のように四肢をつき、しゃがみ込むことで何かしらの攻撃を回避していたのだ。
「——マジかよ。そうか、旧時代のおもちゃを振り回して喜んでいる餓鬼じゃなかったって訳だ。確かにあれは赤の愚者のようなファンタジーの化身には至極有効だが、俺みたいな奴には意味がないととっくの昔に気がついていたって訳か」
「理解しているのならば話は早い。早く死ね」
またヘルドマンの周囲が瞬いた。瞬間、「人類最強」の右半身が大剣ごと消失する。土砂降りとなりつつあった雨よりも激しい勢いで鮮血が甲板にぶちまけられる。
「私の影は何でも作り出せる万物の元素だ。だが本質はそこにはない。視たもの全てを無に帰す。それが私の力。奢るなよ人類最強。お前くらいこうして片手間で殺せるんだ。けれども今この時だけは全力で殺してやる。赤の愚者用に用意していたこの力でお前をこの世界から消し去ってやる」
激しい雨音の中、倒れ伏した「人類最強」が口を開く。
「……理由を聞いても?」
ヘルドマンは、黒の愚者は、いや、ユリは吐き捨てるようにこう言った。
「お前が私の母を、父を侮辱したからだ。私はこの世界に生まれ落ちたときからその二人への愛情を疑ったことなど一度もない。ならばその領域を土足で踏み荒らした輩を活かしておく道理など塵芥ほどにもありえない」
三度、ヘルドマンの周囲が黒く瞬く。「人類最強」の視界は永遠の漆黒に塗りつぶされた。
01/
「しかし驚いたよ。イルミには完全に効いている意識消失の術式、レイチェルは嘔吐のみで耐えきったか。アルテはともかく君も私の声が届きにくい体質だとは。アルテ一人ならばどうにでもなっただろうに」
クリスの口元から目線をそらすことが出来ない。声を操るという特性上、彼女の発声全てが武器になり得る。だがクリスという女は声の力だけで成り上がってきた人物では決してない。その卓越した状況判断力、身体能力、経験値、すべてを兼ね備えた理想的なマルチファイターだ。速度全振りで生きてきた俺は純粋な技量で勝ち目がない。
「もう一度請う。アルテ、私はお前と争いたくない。もともと、イルミの意識を一時的に奪えば何もしないつもりだった。そこの女も目覚めて余計なことを口走らなければ捨て置いただろう。だからこの場は見逃してくれ。——心配するな。そいつらは無限に換えが効く。βの時と同じだ。βを見事殺して見せたお前ならば聞き入れてくれないか」
一見、クリスの言っていることはそう矛盾していないように聞こえた。確かに背後のγは敵か味方かわからない。もしかしたら何か企んでいて、俺とレイチェルを奸計に嵌めようとしているのかもしれない。
けれども俺は黄金剣を構えた。既にベッドから起き上がっているレイチェルに目配せをして、クリスの前に立ち塞がる。
「——そうか。理由を聞かせてもらえないか」
悲しげにクリスが言葉を零す。俺は剣を握りしめたままこう答えた。
「友人がそんな顔をして汚れ仕事をしようとしているのならば、全力で止めに掛かるのが道理だ」
瞬間、俺たちのさらに背後の壁をぶち破って赤い腕が伸びてくる。それはイルミとγを掴み取ると、レイチェルを肩に載せて急速に宿から離脱していった。レイチェルのみが操作することの出来る魔導人形「ゴリアテ」の出番である。
「友人、か。嬉しいことを言ってくれるな。でもな、私も譲れないものって言うのがあるんだ」
クリスが腰を落とす。そしてその姿がぶれる。黄金剣に衝撃。
彼女の美しい顔がいつの間にか眼前まで迫っていた。
ネクロノミコンの輝きが禍々しさを増す。
『宣誓、もう戦わなくてもいいんだぞ。有田くん』
アルテの視界が白く塗りつぶされていく。
02/
「父と会えないとはどういうことですか?」
息が詰まりかねないほど美しく、荘厳で、それでいて何処か墓所のような雰囲気を思わせる白亜の宮殿。その真ん中でマリアは宮殿の召使いたちに詰め寄っていた。
「——言葉の通りでございます。姫よ。たった今、黄色の愚者様はかのサルエレムに向かって、一軍を率いて旅立たれることを決意されました。今はその準備のため、お忙しくされておられるのです」
「馬鹿なことを! あそこは禁足地! 我々月の民は足を踏み入れるだけで身が灰に還元されかねない悪魔の地なのです! そもそもそんな訳のわからない進軍、法王閣下がお許しになるはず有りません!」
いつもの聖教会の修道服ではなく、薄いカナリアイエローのドレスを身に纏ったマリアが声を張り上げる。だが対応する壮年の召使いは困ったように視線を反らすだけで言葉を返そうとしない。
痺れを切らしたマリアが宮殿の最深部に繋がっている回廊へ押し通ろうとしたとき、背後から声を掛けられた。
「法王閣下は私の説得を聞き入れて下さったのですよ。マリア次長」
振り返り、マリアは絶句する。まさか、とも何故ここに、とも声を発することができなかった。ただ驚きに見開いたその目で、人影の動きを追うのみ。
「レストリアブールを中継地として落とした今、西側に住む我々は東の果てにあるサルエレムに纏まった軍を送ることができるようになりました。黄色の愚者殿はどうやらその機会をずっとうかがわれていたようで、私どもが用意したレストリアブールの補給地点をお貸しすることになったのです。もともと聖教会とここロマリアーナは懇意にしているもの同士。こうして手を取り合うことは不思議ではないでしょう」
答えになっていない、とマリアはジョン・ドゥへと詰め寄る先を変えた。
「なに、私ども聖教会の最終目標と此度のあなたの父上の出征の利害が一致していただけのことですよ。あなたもご存知の筈。我々の大いなる目標をね」
「『全ての人々に安寧と幸福を』 何故それが今になってでてくるのですか」
マリアの問いにジョンは簡潔に答えた。
「あなたの父上が禁足地で行おうとするある儀式。それが我々の最終目標を達成する可能性が出てきたためです」
訳がわからない、とマリアが呻いた。ジョンは相変わらずの人当たりの良すぎる笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「法王閣下には禁足地に眠る聖遺物を持ち帰ることをお約束しました。かの宗教家たちにとってそれは何物にも代えがたい信仰の象徴になるでしょうから。そして禁足地についてよく語られる脅し文句。全てが灰に還元される。あれはあそこに充満している太陽毒の毒を語ったものです。幸い、ロマリアーナの研究はそれをようやく克服する段階まで来ている。これに関してはあなたもそれなりにお詳しいでしょう。なんせ、エンディミオンはその為の施設でもあったのですから。ほら、これでとくに表立った憂いもなく三者三様みなが幸せになる構図が完成しているのです。私としてはマリア次長にも我々に是非同行して貰いたいものですが」
特に反対する理由を見つけられずマリアは引き下がった。ここまで場というものが整えられていては自身に出来ることは何もない、と判断したためだ。
しかしながらマリアはふと疑問に感じたことを口にした。
それは彼女が不倶戴天の敵として見定めている、ある愚か者の話。
「ユーリッヒは、ヘルドマンはこのことを知っているのですか? サルエレムにどのような脅威が待ち構えているのかわからない以上、愚者である彼女の協力も必要でしょう」
ああ、とジョン。・ドゥが笑った。彼は事も無げにこう答えた。
「あの子は少しばかり用事があるみたいで、それに忙しいそうですよ」
03/
打ち付ける雨の中、αは何とか魚雷艇を空母に接舷させた。例え操作方法は知ってると言っても、荒れ狂う大海の中、再生したばかりの肉体を抱えての強行軍は彼女の体力を確実に奪っている。
記憶の中にある艦内構造図を頼りに、甲板を目指す。
さすが戦闘艦と言うべきか、艦内は数多の隔壁に分けられており、ちょっとした突起物によろめきながらもαは少しずつ上を目指し続けた。
途中、何度も行き止まりにぶつかって、自身の焦燥感に狂い殺されそうになりながらも、彼女は最後の隔壁扉の前に立つ。
円形の取っ手を掴んで、全体重を掛けながら回す。
殆ど滝のような雨が吹き込んできたが、それすらも無視してαは歩みをただ進めた。
「ああ……、ああそんな……」
甲板に人影は一つだけあった。
全身を黒——甲冑で覆われたそれがこちらを見る。
「戻ってきたか。まあいい。もうこの子を連れて行け。俺の役割は終わった。いけ好かない遣いはこれで終いだ」
よろよろと這いずるように甲板を進んでいくαの横を人影は「人類最強」は静かに通り過ぎていく。いつの間にか彼は世界から消え失せていたが、それを気にする余裕などαにはなかった。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 私が、私が弱いばかりに!」
甲板の中央には花が咲いていた。赤い、赤い花だった。
その中でも一際赤い瞳がαを見る。
「——謝らないで下さい。奪われた心臓は人工心臓を構築して代替しました。直ぐに死ぬことはありません」
ごふっ、と赤い血をヘルドマンが吐き出す。彼女は仰向けに倒れ伏したまま、激しい雨に打たれ続けていた。
胸の中央には綺麗な風穴が空けられており、甲板のアスファルトが透けて見えている。
「——あなた、ここから私を連れ出せますか? クリスがカラブリアにいます。そこへ連れて行って貰えればなんとかなるでしょう」
死人のように青白い肌は死人のように冷たかった。ヘルドマンを抱きしめたαは止めどなく溢れる涙を隠すことなく、ひたすら嗚咽を零すだけ。
「油断はしてなかったのになあ。ごめんなさい、お父さん。下らない奴に負けちゃったよ」
呟きは、豪雨に打ち消されて、世界に流れていった。
——黒の愚者編 了
一応、黒の愚者編の本編は終わりです。
次回と次々回くらいでエピローグを投稿します。