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ヴァンパイア/ジェネシス(勘違い)  作者: H&K
第五章 黒の愚者編
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第98話 「次回、アルテ死す。デュエルスタンバイ!」


 ——今からそちらに向かうので、ちょっと手合わせしませんか?


 起き抜け一番、指輪でそんなことを言われた。誰の言葉であるかなんて百も承知である。ごくごく一部の例外を除けば、こうして直接コンタクトを取ってくる人間? など一人しかいない。


「俺の場所はわかるのか?」


——ええ、指輪を辿れば何とか。そう聞いて頂けるということは了承と捉えてもよろしいのでしょうか?


 しまった。これは孔明の罠だ。何という鮮やかな誘導尋問。こんなに鮮やかに墓穴を掘らされるとは、なんと恐ろしい黒の愚者なのだろうか。ていうか、なんで戦う必要があるの?(名推理)


——理由、ですか? そうですね、ちょっと赤の愚者をぶち殺そうと思うのでその前哨戦です。力が制限されているとはいえ、あなたに黒星を頂いたままだと縁起が悪いですし。


 あれ? もしかして割とまだ根に持っていたりします? ていうか前哨戦て。それ間違いなく俺も一緒にぶち殺されかねないですよね?


——まあ胸を借りるつもりで挑ませて頂きますよ。では、今から出発しますので、小一時間ほど待っていて下さいな。それだけあればあなたなら準備も適うでしょうし。


 え、どういうこと? エンディミオンからこちらまで小一時間で来るって事? それは超音速戦闘機でもない限り無理では。というか小一時間で準備ってまた無茶苦茶な。あなたと以前やり合ったときはかなり念入りに準備をしたんですけれども。


——では、また。楽しみにしていて下さいね。


 ねえ、ちょっと待って。死が音速以上の速度で迫ってきているんだけれども。これどう思います? イルミさん、レイチェルさん。すいませんね、起き抜けの夕食途中に。


「くっくっく。君は随分とあのおっかない御仁に気に入られているんだな。世界広しといえども、愚者にそこまで気に掛けられている一個人は君くらいだろう」


「私も邪魔しないように気をつけるわ」


 ジーザス。事の重大さが伝わっていない。

 待ってください。あの人とじゃれ合うだけでも、五体無事でいられる気がしないんですが。プードルがチベタンマフティフと同じケージに入れられるようなもんですよ。


「だがあれだな。手を合わせるにしてもこのカラブリアに手頃な闘技場はないだろう。黒の愚者には何か心当たりがあるのだろうか」


「あの人、割と何でもありのところがあるから闘技場のひとつやふたつ、権能で造りだすのかもしれないわね」


 やめてよ。怖いこと言うの。本当にできそうだもん。いや、多分出来るな。会う度に彼女の影の能力は進化して行っている実感があるし。槍を打ち出すだけじゃなくて、槌にしたり翼にしたりとドラ○もん染みてきていたから。頼むから優しくしてよねヘルえもん。


「そんなわけだ。急いで食事を終わらせよう。ボクたちが観戦できるかどうかはわからないが、準備が必要なら早いところ動くべきだろうし」


 レイチェルの一言は鶴の一声。実質のパーティーブレインがそう宣言したことで、そういうことになった。



01/



 なんと一時間掛からなかった。たぶん体感的に四十分くらい。宿の裏庭で荷造りをしたら、ふわりと外套を翻していつの間にか背後に彼女は降り立っていた。

 レイチェルとイルミが反射的に戦闘態勢へと移行するが、俺だけは反応すら返すことが出来なかった。


「あら、少しは驚いてくれるかと思いましたのに。つまらないこと」


 それは違うぜ。ヘルドマンさん。びびりすぎて顔面の表情筋が即死しただけだ。呪いのないまともな肉体ならば情けない叫び声を上げて逃げ出していた自信すらあるぜ。


「アルテの釈放の件では世話になった。けれども、いきなりの申し出でボクたちは正直驚いている。あなたが個人的な恨み辛みをアルテに抱いているとは考えられないが、手合わせの形態や意図を教えて貰えないだろうか?」


 突如として姿を現した黒の愚者——ユーリッヒ・ヘルドマン、またの名をブラック・ウィドウと呼ばれる彼女は警戒を解いたレイチェルからの問いに「あら、」と笑みを溢した。


「アルテに伝えたようにただの験担ぎですよ。手合わせは、そうですね、クリスを立会人にして、あなたたちには見守って頂きましょうか。いつかのグランディアの時のように」


 ヘルドマンの答えに、レイチェルは「ちょっとまってくれ」と言葉を挟んだ。


「そのクリスだがついこの間、そちらの——エンディミオンに戻ったばかりだ。見たところ、あなたは連れてきていないようだし、何より何処でアルテと相対する? あなたクラスの吸血鬼が存分に暴れられる場所など、このカラブリアには存在していないぞ」


 さすレイ(さすがレイチェル)。俺が不思議に思っていたことを全部聞いてくれていた。もう本当に頼りになりすぎて助かる。俺とイルミちゃんは口下手すぎて、こういうまともなコミュニケーションが不可能だからね。


「さすがに場所は変えますよ。ここから少し北に行けば無人の丘陵がありますからそこへあなたたちを連れて行きます。そしてクリスですが……」


 ぱちん、と快活な音がした。それがヘルドマンの指から鳴らされた、と気がついたときには、もう既に彼女の影から何かがせり上がってきていた。まるで流体のように形を変える影は3,4メートル台の球体に変形する。


「実はエンディミオンであなたたちとマリアの吸血鬼退治の報告書を見ていたんですよ。すると面白い術式が記載されていましてね、圧縮の術式ですか。あれを私たちがいるこの世界の次元に作用させるのではなく、もう一つ上の次元に作用させるものを造ってみたんです。そのままだと対象を押し潰すだけの致死の術ですが、上手く扱えればどのようなものでも小さく折りたたんで、しかも変性させずに影の中に収納できるようになったんですよ。だから、ほら」


 もう一度ヘルドマンが指を鳴らした。すると球体がさらに形を変え、この世界では割と見かける騎竜にぶら下げる荷室になった。影で覆われているためか一切の光の反射は見受けられないが、形だけは間違いなくそれだった。

 そしてその荷室の扉が内側から開けられたと思えば、青白い顔をしたクリスが顔を覗かせた。


「——まさかこんな直近で再会するとは思っていたかったぞ、アルテ。もう私の主人に二度と刃向かわない方がいいぞ。これはそれなりに長い付き合い故の忠告だ」


 え? まさか生きているものを折りたたんで影に仕舞い込んでいるということ? 完全にドラえ○んですやん。四次元ポケットですやん。というか、そんな命がけの実験に付き合わせられたであろうクリスが不憫でならないんだけれど。ん? 待てよ、ヘルドマンの口ぶりが真ならば、今からこれに俺たちは乗せられるということ?


「エンディミオンの実験動物でいくらか試しましたから、特に問題は無いはずですよ。ノウレッジも『異常なことに、異常は見られない』と太鼓判を押していましたし」


 ヘルドマンさんや、それは太鼓判ではなくただただ引いているだけなのでは。彼の愚者としての権能は知らないが、それでも並外れた神がかりな知識を有した賢人であるということくらいあの数ヶ月で嫌というほど知らされている。そんな男が知識面で匙を投げるくらいの術となればもうそれは神を超えているのでは?


「見たところ、あなたがたの準備も終えているようですし、早速向かいましょうか。大丈夫、ちょっと音より早く飛びますけれど、クリスはこうして無事ですから心配はいらないはずです」


 いつか見た翼をヘルドマンは背後に展開した。二枚一組だった羽は、いつのまにか六枚三組に増えている。もう本格的に人型を辞め始めてますね、この吸血鬼。しかも今さらっと音より早いとか言ったよね。音速を超えたら云々が現実になっちゃったよ。


「——心配するな。揺れや振動は一切ないし、体調の異変は何も感じられないぞ。——だがそれがむしろ辛くて仕方がないのだがな」


 憔悴しきった表情のクリスが俺の手を引いた。続いてレイチェルとイルミが荷室に乗り込んでくる。さすがというべきか、愚者である彼女が用意したそれは俺の知っているものに比べて随分と豪華な内装だった。不気味な見た目の外観とは随分と違うモノだ。


「まあ座れ。例えこの奇妙で不気味な空間に人として初めて乗るハメになって、それが遠縁とはいえお前が原因であることなんて何一つ気にしていないからさ。ヘルドマン様が術を修練されているときに、人の数倍はあろうかという鉄塊を押し潰して元に戻せなくなっていたこととか、今となってはもう過ぎた話であるし」


 し、視線が、視線がいたい! クリスさんの視線が刃のように全身に突き刺さる。心なしかこちらの手のひらを握りしめる力も凄まじいものがあるし。

 結局、手を引かれたまま、クリスの隣に腰掛けることになってしまった。

 真向かいにイルミとレイチェルが座り込んだことで、自動的に荷室の扉が閉じられた。恐らくヘルドマンがそのように操作したのだろう。すると気持ちが悪いくらいの静寂が訪れる。風の音も木の葉がかすれる音も世界が奏でていたであろう全ての音が途絶えたのだ。外の世界と完全に隔絶されたことを今更ながら知った。


「——ヘルドマン様がこれだけ張り切っているのは、はっきり言ってお前のせいだ。ヘルドマン様は自身の赤の愚者殺しにお前を付き合わせるつもりはないようだが、それでも取り戻してきた力をお前に見て貰いたいのだろう。全く、可愛いお方だ」


 可愛いか、それ? 俺は普通に怖いけれど。

 それよりもさ、赤の愚者殺しって普通にスルーしていたけれど色々とヤバいよね。ヘルドマンの詳しい事情は知らないが、因縁のある赤の愚者との関係に決着をつけるということか? それならば赤の愚者の討伐を依頼された俺はもう何もしなくて良い感じ?


「おっと、そんな怖い目をしてくれるな。お前が真剣に赤の愚者を狙っていることは知っているが、こればっかりは早い者勝ちだろう。もちろんヘルドマン様はお前が先に討伐してしまっても怒りはしないだろうし、かといって、お前にこれからの決着を手伝わせるつもりもないようだ。つまり一度、自分一人でカタをつけられたいのだろう。——私個人としては、前も告げたように是非味方をして貰いたいものだが」


 クリスが背もたれにゆっくりと身を預ける。ヘルドマンの前ではまず見せないであろう、彼女本来のくつろぎ方だ。あれだけとやかく言っていた癖に、ヘルドマンの魔の力を操る技能を微塵も疑っていない態度。正直、そんな彼女が好ましいと感じた。彼女は瞳を伏せたまま、ぽつぽつと言葉を続ける。


「お前はまだ言葉でしか知らないだろうが、赤だけは本当に別格なんだ。この世界の全ての生き物を束にして挑んでもアレには勝てないように出来ている。神ですら恐らく殺すことはできないだろう。お前一人が助力したとてヘルドマン様の勝ち目は億が一もない。そんなことはわかっているのだがな」


 いや、俺も無条件に勝てるとは思ってないよ。本物は見たことがないけれども。ただ、今のヘルドマンならば割と良い線行ってるんじゃないの? これだけの権能を使いこなしている愚者なんて、これまで存在しなかっただろうに。

 多分、俺が何か言いかけているのを察したのだろう。クリスはこちらに視線を向けて小さく笑った。


「——無理だよ。アレは。私の主人への忠誠云々を差し置いてでも認めざるを得ない、そんな存在だ。だからさ、この前お前に告げた願い事が大事なんだ」


 クリスがこちらに向き直る。いつの間にか、彼女の両手がこちらの左腕を優しく掴む。まだ残されている生身の腕だ。


「いつまでもあの人の味方であってくれ。頼むよ、それだけであの人は、いや、あの子は救われるんだ。なにも残されていなかった女の子に安寧を与えられるのはお前だけだから」



02/



 いつかの時みたいに、練兵場ではない。結界もなにもない、だだっ広い平原が続くだけだ。足下はまばらに小さな花たちが群生し、風が吹けば足首くらいまでの雑草たちがゆらゆらと揺れている。


「互いに遠慮は無し。アルテは私を殺すつもりで挑んで下さい。ハンデというわけではないですが、人の身では捌くことのできない広域術式を私は展開しません。ですがこちらも真剣に挑みますので油断なきよう」


 淡々と告げられた殺し合いのルール。黄金剣を腰帯から抜き、眼前に構えてみれば月の光を受けて刃のような照り返しを周囲に放っている。


「レイチェルとイルミの安全は?」


 ふと気になったことをヘルドマンに問う。練兵場の時のように結界術式が展開されていない以上、近くで見守る彼女達を守る術はない。

 ヘルドマンは赤い目を細めて答えた。


「クリスの背後から離れないように徹底して下さい。あの子自身の実力と、私が与えた加護が護ってくれます。大丈夫、彼女らには傷一つつけないことを約束しますよ」


 そうか、ならよかった。とは言えなかった。それはつまり、ヘルドマン自身が護らねばならないほどの余波が彼女達に向かう可能性があるということ。彼女はついぞやり方を教えてはくれなかったが、間違いなく何らかの方法で力を確実に取り戻していったのだろう。全盛期がどんなものかは知らないが、間違いなく以前刃を交わした時とは別物になっているはずだ。


 はっ、と息が漏れる。いつもそうだ。この世界では少しでも油断をすればこうして命のやり取りが待っている。如何なる時も俺に余力なんてない。どれだけ年月が経とうとも慣れることの出来ないこのヒリついた感覚に目眩すら覚える。


「おい、アルテ。ボクはイルミのように自分の太陽の力を精製することはできない。だから面を貸せ」


 レイチェルに首を引っ張られた。イルミはこちらに背を向けている。恐らくイルミなりの配慮なのだろう。

 レイチェルとこちらの唇が数秒の間重なる場面からは目をそらしてくれていた。


「ぷはっ、これが今のボクのありったけだ。大事に使ってくれ」


 流し込まれてきた太陽の力が身体に馴染んでいく。もう何度も俺の命を救ってくれた頼もしい力だ。


「——わかっていると思うが、ヘルドマンはお前を殺すつもりで来るだろう。だから頼む、死ぬな」

 

 レイチェルに解放された。イルミは静かに振り返ると、三本の小さなガラス瓶をこちらの手に握らせてきた。

 マリアたちと吸血鬼退治に向かったとき、イルミが渡してくれた彼女自身の血だ。最早愚者クラスと言っても良い馬鹿げた質と量の魔の力が中には込められている。


「前に渡した分とあわせて使って。これはさっき抜いた分だからかなり強烈だと思う。本当に危ないと思った時以外は駄目。でも少しでも危ないと思ったらためらわないで」


 礼は残念ながら言葉に出来なかった。けれどもイルミは小さく微笑むと「頑張って」と言ってくれた。ここに来てようやく腹を括ることが出来た。彼女達がこうして応援してくれることが文字通り俺の力になる。


「さて、準備はよろしいでしょうか。開始の合図はクリスが投げたコインが地に触れたとき。終了の合図はどちらかがそれ以上戦えなくなったとき。判定はクリスに任せましょう。では最後に、————ありがとうございます。こうして我が儘に付き合ってくれたこと、本当に感謝していますよ」


 審判として少し離れた所に位置取ったクリスがコインを親指に乗せた。耳を澄ませれば数秒後にそれを弾いたであろう金属音が耳まで届く。そしてそれが地に触れた音は残念ながらしなかった。けれども、ヘルドマンから膨れ上がった殺気が手合わせ開始の合図となる。


 俺は四の五の言わずに、ただただ大地を蹴りその場から動き出した。



03/



 虚を突かれた。


 目を見開いて固まったのはヘルドマンだった。理由は至極単純。アルテが後方へと跳んだからだ。ただヘルドマンとの距離を空けただけなのだが、彼女にとってはそれは完全に想定外の挙動。


「——っ! 突っ込んでこないとは!」


 ヘルドマンの眼前には黒い槍達の森が出現している。それはアルテが手合わせの開始とともにこちらに突っ込んでくるとヘルドマンが予想したが故のものだった。彼女はアルテの癖を、戦い方を熟知している。彼ならば開始と同時に類い希なる瞬発力を生かした突進を強行するとヘルドマンは踏んでいたのだ。それが完全に裏切られた。アルテは前ではなく後ろに逃げたのだ。もちろん黒い槍の森は完全に空振り、虚空を貫いている。


「本当、あなたって人は!」


 アルテの単純なフェイントにヘルドマンは喜色を持って応える。犬歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべると、彼女もまた大地を強く強く蹴りつけた。そして衝撃波を一つ残して両者は肉薄する。


「そらっ!」


 ヘルドマンの腕が振るわれる。いつの間にか彼女の手には影で作られた黒剣が握られていた。アルテはそれを黄金剣をかち上げる事で迎え撃つ。如何なる原理か、全てを切り裂く黒い影は金色の刀身とぶつかり合って火花を散らしていた。


「さすがですね! 純粋な剣の技ではあなたに遠く及ばないようです!」


 ヘルドマンの剣撃がいなされ彼女の体勢が崩れる。それを見逃すほどアルテは愚かではない。かち上げていた剣を握り返すと、そのまま振り下ろす。黄金色の残滓を宙に残して刃がヘルドマンに叩き込まれた。


 が、しかし。


「!」


 次に驚きを得たのはアルテだった。この一撃で決着するとは微塵も考えていなかったが、何かしらの進展はあるはずだと期待して振るった刃だった。それなのに黄金色の刃はヘルドマンが展開する羽根に阻まれて彼女にはいかほどにも届いていなかった。しかも何かに囚われたように、その剣を自身へ引き戻すことも適わない。


「あら♫」


 獰猛な笑みが一変、してやったりと目を細めたヘルドマンがアルテを見た。それだけでアルテは自身の身の危険を——いや、命の終わりを悟りきり黄金剣をあろうことか手放してみせる。

 けれどもその判断は正解だったようで、彼が数瞬前までたっていた場所へは数多もの黒槍が叩き込まれていた。

 剣を引き抜くことに固執していたら即死は免れなかった。


「腹立たしいくらいセンス良いですねあなた。本当に実戦で培われた能力だと感心します。——ならこれはどう捌きますか?」


 ヘルドマンから生えた影が黄金剣の持ち手を掴んだ。そして一瞬でその影がブレる。アルテはその場から動くことなく、自身に投擲された剣を掴み取っていた。ただそれでヘルドマンの動きは止まらない。投擲された剣を追うように黒槍を撃ち出していたのだ。

 アルテが剣を手にしたその瞬間には、眼前に黒槍の切っ先が迫っていた。


「っ!」


 捌ききることは——できない。何とか軌道をそらすのが精一杯で、アルテの左のこめかみを槍が抉り取っていった。骨までは達しなかったものの、多量の血が大地にこぼれ落ちる。


 手合わせ開始からわずか数十秒。既に両者の間に横たわる圧倒的な実力の差が浮き彫りになっていた。



04/



 何度見ても嫌な光景だ、とイルミは表情を強ばらせた。

 どれだけ旅を重ねようと、アルテの流血だけは到底受け入れられないことに、彼女は気がついていた。

 イルミはアルテが傷つくことを良しとしない。彼が辛く痛い目に遭うのを見ることは何ものにも耐えがたい苦痛だった。

 

 ——だが、


「頑張って、アルテ」


 イルミはただアルテの背を押すのみ。

 彼の成すことについて私情は挟まない。ひたすらにアルテのことを信じて祈るのみ。

 並び立つのが許されるのならば身を挺して彼を護るだろうが、今は許されていない。愚者という世界最強の一角との真剣勝負。アルテがそこに至上の価値を見いだしていることを知っているからこそ、イルミは静かに成り行きを見守った。

 握りしめられた拳から例え血が流れ出ようとも、赤い瞳は愛しい男を捉えて放さない。

 

 アルテが地を蹴る。

 今度は前へ。

 ヘルドマンが腰を若干落とし、迎撃の構えを取った。

 愚者らしからぬ警戒に塗れた動きだったが、それを嗤う者はいない。彼女もまた、アルテという愚者を既に3人下してきた狂人を畏れていたが、それを臆病とは誰も誹らない。

 イルミはヘルドマンの心情に一定の理解を示しながらも、これ以上アルテを傷つけないでくれ、と願う。


「これならば!」


 数多の槍が大地から吹き上がる。アルテは素早く黄金剣を下段に構えると、両の脚をその上に乗せた。そしてそれを即席の盾とし、黒の槍が自身を串刺しにすることを防いで見せた。剣で弾ききれなかった分が肉体を削ぎ落としていくが、それを憂慮するような余裕はない。

 宙に打ち上げられたアルテが重心の移動で体を回転させ、ヘルドマンへと跳びかかった。しかしながらまたもや彼女を中心に展開された翼によって刃が拒まれる。


「——素晴らしいですね、アルテ。一つ一つ本当に気を抜くことが出来ない。恐らく人類種で私をここまで手こずらせる相手は存在しないでしょう」


 ヘルドマンが翼で黄金剣を再び絡め取る事は無かった。ただお返しと言わんばかりに、自身の力で作り出して見せた黒い剣をアルテに向かって突きだした。

 アルテはその刺突を身を大きく翻らすことで回避する。そしてもう一度下から黄金剣をかち上げて見せた。今度は剣ではなく伸びきったヘルドマンの肘を狙って。


 火花が散る。


 ヘルドマンの肘にはいつの間にか影が纏わり付いていた。質量なんて存在しないはずなのに、何故か超硬質である不可思議極まりない魔法の影。それが鎧の役割を果たした所為で、黄金剣の刃はヘルドマンの肌一つすら傷つけることは適わなかった。

 

 やはり強敵だ、とイルミが歯噛みをしたその刹那、両者に新たな動きがあった。


「おっとっと」


 二人が距離を空けるように飛び退く。ヘルドマンは剣を大地に突き刺し、自身の肘に手をやった。完璧な防御を演じて見せたところから時間差で白煙が噴き上がったからだ。アルテは少しばかり離れたところから油断なく剣を構えている。


「——まさかあの一瞬で防御を貫通するほどの太陽の毒を流して見せたのですか。とんでもない戦闘勘ですね。こればっかりは私はあなたに適わない」


 そう。肘を両断することこそ不可能だったが、その表層部へとアルテは確実にダメージを与えることに成功していた。やはりどれだけ力を取り戻そうと、太陽の力は通るのだとアルテは静かに剣を握り込む。

 それはすなわち勝機が決してゼロではないということの証明に他ならない。

 ヘルドマンは煙の噴き上がる腕をそのままにアルテへと笑いかけた。


「ですがこれは如何でしょう? 私、あなたの戦闘記録は一通り嗜んでいるんですよ。そしてその結果、こんな結論に達しました」

 

 無事な腕をヘルドマンは前へと突き出す。すると平原全体を揺らすような地響きが足下から発生した。レイチェルは咄嗟にイルミを庇い、クリスですら膝をつきかける大きな揺れ。


「いでよ、アラクネー。私の可愛い大蜘蛛よ」


 ヘルドマンとアルテを中心とした周囲三十メートルほどに八つの大穴が空いた。そしてそれぞれから影で形成された節足動物の巨大な脚が生えてくる。胴体や頭部は見えなくとも、それが言葉にするのも馬鹿らしくなるほど巨大な蜘蛛の脚であることは一目で理解することができた。

 態勢を立て直したクリスはこのままでは巻き込まれかねないと、レイチェルとイルミを抱えて後方へと退避していく。


「あなた、こういう大きな生き物、苦手ですよね?」


 アルテの周囲を巨大なかぎ爪がついた脚が取り囲む。こちらなど地下から見えていないだろうに、それぞれの脚は正確にアルテに狙いを定めていた。そして脚の中心に佇むヘルドマンは酷く嗜虐的な笑みでアルテを見た。


「私の二つ名はブラック・ウィドウ。さて女郎蜘蛛の脚をたんと召し上がれ?」


 瞬間、全ての脚がアルテに振り下ろされた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 次回に持ち越しであろうアルテの内心と、 ヘルドマンが探し求めていたものがここでバレるか。 [一言] あ、アルテー!
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