第9話 「氷の愚者」1
ヘルドマンとの模擬戦からほぼ二週間ほど経過した。
傷も完治し、クリスに頼んだ魔導具の補充も終えて、俺とイルミはグランディアを出発していた。
サポートとしてクリスも同行している。やはり腕利きのハンターである彼女の同行はとても心強い。
というか「声を使って戦う」とかとても格好良くてうらやましい。吸血鬼の呪いとして手に入れた異能らしいが、俺の内面を表に出せない、とかいう意味不明な能力の数百倍は実用的だ。
……そういえば、吸血鬼ハンターでもないイルミが使い魔を使役しているのは何故なのだろうか。
実を言うと俺はイルミの能力のことを殆ど知らない。
ただ、おっかない狼を二匹、影の中に侍らせているという事実くらいしか理解していない。
まあ、彼女に面と向かって問いただす勇気がなかったということが問題なのだけれども。
そのうちしれっと聞いてみようか。
どことなく、イルミの態度も当初に比べて軟化しているように見えるし。
「馬車はここまでだ。あとは徒歩で進むしかないな」
ぼんやりとそんなことを考えていたらクリスの声で現実に引き戻される。
声を武器にしているせいか、彼女のそれは良く通る。俺と同じようにぼんやりと過ごしていたイルミも「はっ」と視線をあげた。
「楽な旅路はいつまでもつづかない。成る程、大方の予想通りだな」
先ほどから感じていた揺れが完全に静止していた。
そう、
俺たち三人はグランディアを出発する際、ヘルドマンから馬車を一台借り受けていたのだ。
てっきり徒歩でブルーブリザードの根城まで向かわなければならないと考えていた俺からしてみれば、非常に有り難い心遣いだった。
ここからは残念ながら徒歩になるらしいが、それでも荷台で過ごしていた時間的に随分と距離を稼げただろう。
「……アルテ。こちらに来てくれ」
その辺に転がしていた荷物をまとめていたら御者台からクリスがこちらに声を掛けてきた。
心なしかその声は堅い。
どうしたものかと、俺は同じように荷物をまとめていたイルミの脇をすり抜けて、クリスの隣へと頭を突き出す。
当たり前だけれども、外の光景は昼ではなく夜だった。クリスとイルミ、彼女ら月の民が一般的に活動しうる普通の時間帯だ。
いや、そんなことはどうでもいい。
ただ月明かりに照らされる目の前の光景に言葉が出てこなかった。
もともと言葉数なんて殆どなかったけれど。
「聖教会がブルーブリザードの討伐を決意した理由を察してくれるか? ヘルドマン様は大変ご立腹だよ。あの方は人間が好きだからね」
御者台から降りたクリスがそのまま地面に膝をつく。
そしてこの世界では割と普遍的な追悼の言葉を口にして頭を垂れた。
俺はそのクリスの横でただ立ち尽くすだけだった。
「私個人としても、正直憤りを隠せないでいる。相手があのブルーブリザードでなければ即座に討伐へ向かっていただろう」
視界いっぱいに広がったのは、焼け焦げた死者が積み上げられた小山だった。
それも一つ二つではない。
ぱっと見渡すだけで二桁はありそうな死者の小山。
「もともとここには決して小さくはない町があったんだ。名はフィルメール。今は氷の墓場と呼ばれている。……ちょっとそこの死体の山に触ってみてくれ」
言われて小山の一つに手を伸ばした。
こちらの世界に飛ばされて早五十年。既に死体に対する嫌悪感は残ってはいない。
それでも少しばかりの勇気がいるその行動は、さらなる驚愕によって全てが塗りつぶされてしまった。
咄嗟に死体に触れた手を引っ込める。
そしてそれをまじまじと見つめた。
「どうだ? 冷たいだろう? ここの焼けた死者たちは炎によってこうなったのではない。氷によって焼かれたのだ。体中の水気を一瞬にして凍らされている。その結果、焼死体のような外見になってしまった」
そう。目の前に積み上げられた死体は、あろう事かドライアイスに触れたときと同じ冷気を纏っていた。
吸血鬼の呪いによって頑丈になった身体がそう感じたのだ。並大抵の人間は、近づくだけで火傷のような痛みを感じるだろう。
「法則性も規則性も見受けられない。男女、老若問わずにこのような状態で殺されている。
おまけにこの冷気は発見から数ヶ月が経過しても途絶えることはない。だから聖教会の職員が死に物狂いで死体の一つをグランディアに持ち帰ったよ。何でも普通の人間は近づくだけでその身が凍ってしまうそうだ。
だから埋葬も出来ないまま、この状態で放置されている。鳥も獣も決して近寄りはしない」
本当に苛立たしげに、クリスは言葉を吐いた。
「グランディアに持ち込まれた死体の検分はヘルドマン様にお願いした。結果は我々の想像通りだったよ。ヘルドマン様曰く臭いがしたそうだ。
小便くさい青の小僧の臭いだとさ」
青の小僧、それが誰を指す言葉なのか、クリスに問うまでもなかった。
俺は積み上げられた死体たちの、苦悶の表情を出来るだけ見ないように傍らを通り過ぎることしか出来ない。
この世界では何度もこういった理不尽な虐殺を見てきた。
けれどもそれに慣れたことは一度もない。
ただ一つだけ、自分が吸血鬼ハンターになろうと思い至った原風景を思い出した。
ブルーブリザードの悪癖、弱者を気まぐれに殺す、サディスティックな性格。
「もう一度、焼き尽くしてやろうか」
思えばブルーブリザードをぼこぼこにしたのも、奴の行動が我慢ならなかったからだ。
まだこの世界の事情にも通じていなかった、ただ生きていくだけで精一杯だった頃。
たまたま奴の遊びを目の当たりにして、俺はただただ怒り狂った。
虫けらのように殺されていく人々を救いたいと思った。
怒りにまかせて振るった剣は、奴の身体をずたずたに引き裂いた。
人間を奢っていたブルーブリザードは、ヘルドマンに施したのと同じ罠に引っかかり、その慢心ごと切り捨てられた。
多分、運が良かったのだと思う。
七色の愚者として最下層というのもある。だがそれ以上に、奴の行使する能力は絶望的に俺とは相性が悪かったのだ。
奴は冷気を操る能力を有している。
しかしながらその能力は有能に見えて実は無能だ。
ブルーブリザードの能力は別段、気温や物体の温度を下げる能力ではなかったのだ。
奴の真の能力はこの世に存在する魔の力を介して物体を凍結させるのだ。
だから俺には一切の能力が効かなかった。魔の力など、もともと有していない、月の民ではない俺には冷気を操る能力は通用しなかった。
精々周囲に満ちた魔の力で気温を下げるくらいだ。長い時間その攻撃を受け続ければ恐らく凍死してしまうだろうが、そうなる前にブルーブリザードを切り捨てれば良い話だった。
それに奴は冷気を操る能力に頼り切っていた所為で肉体は貧弱極まりなかった。
この世界の一般人とは比べるべくもなく強靱な肉体なのだろうが、吸血鬼ハンターとして強化された肉体を持つ俺とは大差なかったのだ。
後は技量のみ。
少なくとも剣の技量では俺の圧勝だった。
というかブルーブリザードは徒手だった。
ここまでくれば負ける方が難しい程の、俺と奴の相性の優劣だった。
話を戻そう。
俺が吸血鬼ハンターとして聖教会に登録をしたのも、ブルーブリザードを切り捨ててからだった。
人々を守りたいとか、正義を貫きたいとか言う、薄っぺらい道徳観だったことを否定するつもりはさらさらない。
今となってはただ吸血鬼を倒して、異世界ライフを堪能したいという、別の動機にすり替わってしまっているのだが、少なくとも原風景はそれだった。
だからこそ目の前の光景を見て、今芽生えたこの感情は恐らく原風景に近いものだろう。
今度こそは塵一つ残さないよう、切り刻み、焼き尽くしてやる。
前回は命まで取ることは出来なかった。すんでのところで逃げられた、というのもあるのだが、俺自身が追いかけようとは思わなかった。
だが今回は違う。
草の根を分けてでも奴を探しだし、吸血鬼ハンターとして、一人の正義の味方として、地獄に叩き込んでやるのだ。
標的はただ一つ。
七色の愚者、第七階層 「ブルーブリザード」
狂人から感じることの出来る圧力が増したのは予想通りと言えば予想通りだった。
我ながら卑怯な手ではあるが、こうしてブルーブリザードによる惨状をアルテに見せつけてやれば、彼の闘争心をさらに煽れると考えたのだ。
正直言って、まだまだ七色の愚者の一人であるブルーブリザード討伐には乗り気ではない。
ヘルドマン様はどうやらアルテの実力に安心しきっているようだが、私としてはやはり神の一柱に剣を向けるという行為が、どうしても納得できないのだ。
だがここで尻尾を巻いて逃げ出すわけにもいかない。
だからこそ少しでも我々パーティーの生存率を上げるため、アルテのやる気を増長させるような手を打ったのだ。
しかし結果は……
「もう一度、焼き尽くしてやろうか」
淡々と紡がれた言葉からは怒りの感情を読み取ることが出来なかった。
それでも彼が内に抱いている興奮のようなものは伝わってきた。
それはつまり、アルテがブルーブリザードの討伐に乗り気であることを示している。けれども、目の前の死者に対する憐憫や下手人に対する怒りは存在していない。
心のどこかで静かに落胆している私がいる。
これでも私は吸血鬼ハンターの端くれだ。
人並みの正義感と道徳心は持ち合わせているのは確かだった。
確かにここの犠牲者たちを打算的に、アルテを煽るために利用した。
だがその時口にした追悼の言葉は全くの本心だったのだ。
アルテがただ、「ブルーブリザードを討伐すること」にしか興味を抱いていないという事実に、気が付きたくはなかった。
「いくぞ」
短く告げられた声に応えることは出来ない。
いそいそとアルテの後ろについて行くイルミに少し遅れるようにして、私は二人の後を追った。
凍えんばかりの冷気が支配する氷の墓場。
そこを何事もないかのように、ただ歩を進める狂人を私は黙って見続けるしかなかった。
世界が変わったと、イルミは足を止めた。
馬車を降りて既に数時間。吸血鬼ハンターとして高いポテンシャルを持つアルテとクリスは疲労の色を一つとして見せてはいないが、普通の少女としての肉体を持つイルミはやや歩行速度が鈍っていた。
氷の墓場からブルーブリザードが拠点として使用している城までは険しい山道が続いている。
既に周囲には雪が積もり始め、突き刺すような寒さが肌を穿ってきていた。
だがイルミが気にしたのはそんな些細なことではなかった。
まず第一に彼女の陰の中で待機している二匹の狼たちが先ほどから警戒態勢を解こうとしていなかった。
イルミよりも遙かに優れた索敵能力を持つ使い魔たちが、数分ほど前から主人である彼女に危険を訴えかけているのだ。
先を歩くアルテの索敵能力は魔の力による視力を失っている所為か、それほど高くはない。クリスも何かに気が付いたそぶりを見せてはいないので、彼女もそれほど索敵には優れてはいないのだろう。
「あ、アルテ」
上ずった声を己の耳で聞いて、イルミは自身が思っているよりも山登りに疲弊していたことに気が付いた。
けれども今はそんなことどうでも良い。ただ己の主であるアルテに対してイルミは訴えかけた。
「何かが近くにいる。私たち、見られている」
訴えは果たして届いたのか、アルテが腰に下げた黄金剣に手を掛けた。クリスも聖教会から支給されている剣を掴む。
二人の吸血鬼ハンターが素早く視線を周囲に張り巡らせたとき、一迅の風が三人の間に吹いた。
否、風という単語では決して言い表せれない鋭い衝撃波だった。
「くそっ!」
声は誰のものか。
体重の軽いイルミが先に吹き飛ばされ、次にクリスが体勢を崩した。
そして装備、身体共にパーティーの中で一番の重さを持つアルテがその場に残される。
吹き飛ばされたイルミの眼前を黒い影が一瞬で通り過ぎていった。
「見つけたぞ! 忌々しき狂人よ!」
衝撃波に遅れて漆黒の陰がアルテに襲いかかる。誰も反応が出来ない中で、アルテだけが咄嗟に黄金剣を数センチ抜いて眼前に突き出した。
鋭い金属音が周囲に木霊し、イルミとクリスは襲撃者の姿をようやく見定めることが出来た。
「なんだこいつは!」
アルテが黄金剣で受け止めたのは甲冑の爪だった。黒々と輝く悪魔のような装甲に身を包む男。それが襲撃者の正体。
ぎりぎりと黄金剣が軋みをあげて、アルテが表情を歪める。
「ほう、あの方がお話された通りの実力だな。だがこれはどうだ?」
装飾の少ない、実践的な兜の向こう側で襲撃者が嗤ったような気がした。少なくともイルミはそう感じた。そしてアルテの背後に出現するもう一人の襲撃者にも気が付いた。
「アルテ!」
突然としか言いようのないタイミングでアルテは背後から殺気を感じ取る。甲冑の襲撃者の手甲を受け止めていた黄金剣を完全に鞘から抜き、さらにその鞘で背後をガードする。
遅れて、何か斬撃を受け止めた感触が腕全体に伝わった。
「残念、私の筋力じゃこれは押し切れない」
甲冑の襲撃者とは真逆の、今度は少女の声だった。甲冑の襲撃者を壮年の男だと仮定すれば、背後の襲撃者はイルミと同じような年頃の少女だった。
その証拠に、鞘で施した不完全なガードは、何とか短剣らしき一撃を完全に防いでいる。
「ぬ、確かに片腕で私の一撃を受け止めるとはいやはや呆れた胆力だ。貴様ではさすがに荷が重いか。
……かく言う私も持って数分だろうな。ならば実力差を理解した上で最善手を打つまで。
ティアナ、狂人をあの方の元へお連れしろ」
ぐぐっ、と黄金剣が手甲に押し込まれる。だがアルテも負けじと体重を掛けて剣を支えた。
その状況に危機感を抱いたのか、甲冑の男が淡々と少女に命令した。
「了解。じゃあ死なない程度に頑張って」
ティアナと呼ばれた少女の、間の抜けた声が周囲に響いた。
いつのまにかアルテが背後に感じていた斬撃の圧力が消えている。そのかわり、ふわりと腰回りに何かが抱きつくような感触が生まれた。
「まずい! ”禁呪”だアルテ! そいつは飛ぶぞ!」
魔の力の動きを一切関知することの出来ないアルテは反応が完全に遅れた。
その代わり、そういった動きに人一倍敏感なクリスが叫びを上げる。一拍遅れてイルミも声を上げた。
「転移! 座標『主様の元へ!』」
瞬間、アルテの視界が歪む。
そして奇妙な浮遊感を数秒感じて、世界は暗転した。
「さて、これでお膳立ては整ったな。後は貴様らの首をあのお方に献上するだけだ」
ティアナとかいう少女とアルテの二人はものの数秒で世界から姿を消した。
いや、クリスとイルミはそのからくりを知っている。「禁呪」と呼ばれる非常に高度な魔の力の方程式によって、何処か別の場所へ転移させられたのだ。
その何処かなど、想像するだけで無駄なことだった。
「一つだけ問おう。お前たちは『ブルーブリザード』の関係者か?」
完全に剣を抜き放ち、臨戦態勢を整えたクリスが甲冑の襲撃者を見据える。
彼女の吸血鬼ハンターとしての鋭い視線が襲撃者を射貫いていた。
だが襲撃者は特に臆した様子もなく、事も無げに答えた。
「なに、急がずとも数分後には貴様らの謁見が叶う。まあ、首だけで生きていられれば、の話だが」
はぐらかされているように見えるが答えは明らかだった。
イルミも二匹の狼を陰から召喚し、襲撃者を睨んだ。
「とはいえ礼を欠いた状態で殺してやるのも忍びない。だから名乗ろう。
私は七色の愚者 第七階層「ブルーブリザード」の第一の側近、アキュリスだ。短い間だがよろしく頼む」
「ふん、ならばこちらも自己紹介といこうか。
私は七色の愚者 第三階層「ブラックウィドウ」の第一のしもべ、クリス・E・テトラボルトだ。
安心しろ。短い間では済ましてやらないさ。お前たちには聞きたいことがごまんとある」
「それはそれは楽しみだ。で、そこのいたいけな少女はなんだ? 見たところハンターではない、普通の人間だな」
アキュリスとクリスの間で禍々しいやり取りが続く中、おもむろにアキュリスがイルミに興味を示した。
逆に視線を受けることとなったイルミは数秒沈黙した後、静かに口を開いた。
「狂人アルテ、いえ、神に挑む男の、歴史を、創世記を作る男の栄えある唯一奴隷のイルミ。
イルミ・A・ファンタジスタ」
何処か誇らしげな表情を浮かべるイルミを見て、クリスとアキュリスはその瞬間、完全に言葉を失った。
二人はイルミが笑顔を浮かべていることに、しばらくの間気が付かなかった。
更新ペースは遅いですが、ぼちぼちやっていきますん。




