停止
「こっちに早く来て下さい‼」
怒号が飛び、優綺の肩がびくりと跳ねた。
ソプラノの声は、森中によく通った。
遠くに優綺と同い年位の少女が立っている。
少女はグレーのローブにレザーブーツ、そして何より目につく蒼髪と、なんとも奇っ怪な格好だ。
そして、その右手には長さ70センチ程の空色の棒切れがシッカリと握り締められている。
「早く‼」
もう一度、少女の声が響く。
優綺は慌てて駆け出した。
少女の元へ。
優綺の遥か後方で、獣が再び吠えた。
「我、求むるは清き豪なる力。我、与うるは命の心…。」
駆ける優綺。
唱える少女。
追う大獣。
そして、ついに大獣は優綺に追いついた。
「そこの人‼伏せて下さい‼」
優綺は転がる様にその場に伏せた。
「上級水魔法、ポセイドンの戦斧‼」
バキバキと、緑のドームが音を立てる。
遥か頭上より押し寄せる、大量の水の奔流。
その迫力はまさに圧巻。
「魔法…‼すげえ‼」
優綺はこの非現実的なこの光景を面白いくらい受け入れていた。
なにせ見た事も無い化け物を目撃した事と、死を間近で体感した事により、感覚が研ぎ澄まされているのだ。
そして、強力な魔法が獣の脳天に降りそそぐ。
ーー…と言う事は無く、水魔法は明後日の方向に落撃した。
「…あ。」
「…え?」
優綺は意味が分からず、少女の顔を盗み見た。
そこには、冷や汗たっぷりの少女の顔。
今にでも「しまった」と、叫びそうな表情。
優綺は程無くして、直感した。
ああ、失敗したんだ、この人。と。
そして、あろう事か、少女は震える声でとんでもない事を口走った。
「ど…っ、どどどどどうしましょうっ。私、魔力切れちゃいました。」
バカかこの人おおおおおおおお‼
優綺は思わず心の中で、思い切り叫んだ。
初めてこの世界に来た優綺でも分かった。
魔力切れとは、もう魔法が使えない事を意味する。
故に今、優綺と少女は丸腰状態。
まさに、絶対絶命。
呆気に取られている獣もじき、二人を捕食すべく動き出すだろう。
「もっと小さい術を小出しにするとか、無かったのかよ⁉」
「あわわわわわわわ…。」
少女はパニック真っ只中だった。
そして、流石に焦りが極限にきた優綺。
もう抵抗の術がこちらには無い。
それを悟った獣はその巨体を揺らし、一目散に駆けてきた。
目標は蒼髪の少女。
少女は腰を抜かしていた。
「危ない‼」
優綺も少女に駆けつける。
どうせ行っても敵わない、が、優綺は本能的に少女の救出に向かった。
そして、獣より一歩早く、優綺は少女の目の前に躍り出た。
手を広げ、少女の盾になる優綺。
「殺るなら殺れや熊野郎…‼」
まさにとどめ、と言わんばかりに獣は大爪を振り立てた。
そして、現在優綺は本日二度目の走馬燈中だ。
死を意識すると、周りがスローモーションに見えると、よく言われるが、優綺はそれを今、身をもって体感した。
獣の動きが、次第に遅く、遅く。
優綺は自身の感覚が研ぎ澄まされている様は感じた。
そして、更に獣の動きが遅く、遅く、遅く…
ーー…止まった。
優綺の首元で、爪の動きが完全に停止した。
目をパチクリさせる優綺。
何が起こったのか、これは全く分からない。と言いたげな表情だ。
優綺は、とりあえずその場を離れてみた。
獣は一向に動かない。
「あのっ…。」
「うおっ‼」
未だに少女は腰を抜かしていた。
「これは一体…。あなたは魔法使いだったんですか?」
「俺じゃねえよ。」
優綺も緊張が途切れて、その場にへたれこんだ。