#8‐2
『終わった』
そう連絡を受けた女性魔術師…恆松美咲は内心で溜め息をつきながら、先刻自分が牢から案内した少女が居る部屋へ向かっていた。
美咲は思う。
『何故に、自分がこんな侍従みたいな事をせねばならんのか』と。
彼女とて、身に宿す魔力量こそ並だがイギリスのロンドンにある魔術協会本部直属の研究機関『学術院』を上位で出た秀才だ。
それ故に現支部長に目をかけられて居るというのも有るのだが…
まあ、愚痴を言っていても仕方ない。
と割り切ったのは部屋の前に着いたためだった。
礼儀としてノックしてから扉を開けた。
「…あら?」
だが、部屋の中に件の少女の姿は無い。
「もしかして…」
そう思って浴室へ向かってみたら………居た。
ただし、それは見るも無残な姿だった。
同性である美咲からすれば戦慄を覚えるくらいの。
白と紅に彩られた、生気の無い少女。
いくらやっても反応を返さず、その瞳に光は無い。
「…壊れちゃってる、か。」
心の壊れた状態―――精神崩壊とでも呼べる状態の時の特徴だ。
しかし、美咲は思う。
『壊れた方がこの少女にとって幸せなのかもしれない』
魔術師と言う生き物は『研究対象』に対してはとことん非情で酷薄だ。
この少女が今まで生きたままバラバラにされて瓶詰にされなかったのも、早々に支部長とその一派が別の目的で隠匿したからに過ぎない。
「これ、この子の身内に知られたらあたしら皆殺しにされても文句言えないわ」
美咲は支部長から聞いていた。
この少女は『睦斗市』という霊地を管理する『術師連合』の所属だと。
…極めて高い戦闘力を持つ、『あの』術師連合だ。
一族郎党皆殺し…くらい簡単だろう。
前支部長も『睦斗の術師連合とは事を構えるな』と言ったほどだというのだから。
まあ、そうなる前に逃げるけど。
『危ない橋に踏み入れる前にどうやって逃げ出すか』を汚された少女を流水で清めつつ考える。
「…やっぱり、一度師匠の所に顔を出しに行くかな」
そしてそのまま行方をくらましてしまおう。
部屋のベッドに少女を寝かせた時、それは起きた。
ガン…と音を立てて通気ダクトの金具が飛ぶ。
「な―――」
そこから飛び出してくる肌色が、その直後に意識を奪われた美咲の脳裏に強く焼き付いていた。
* * *
「まこ――――――ッ!」
排気ダクトから見張りらしき女性を蹴倒して降りてきた唯奈はその光景に自分が間に合わなかった事を悟った。
「…間に合わなかった。」
生気のない瞳が虚空を見つめている。
それが何を意味するのか、理解できない訳が無い。
一緒に脱出する為に回収してきた服や所持品を入れた袋が、『どさり』と音を立てて落ちた。
じわり、と目頭が熱くなる。
「…ごめん。もっと早く…」
残念ながら、この身体は純粋な魔力の塊。
通気ダクトの中から物理的な強襲をかけるため(あと、荷物を運ぶため)に作り上げた擬似的な肉体は細部までこって作り上げられている。
外見だけなら、小学生低学年の子供にしか見えないだろう。
その反面、人間なら当然の如く起こる生理現象(呼吸や発汗など)は一切起こらない。
だから、涙など流れる筈が無い。
けれども、私は涙を―――誠から分けてもらった心で流す。
そっと、開きっぱなしになっている目を閉じさせる。
その様子はまるで生きることを放棄した、温かい死体だった。
『恆松は一体何をしている。』
部屋の外から、そんな声が聞こえてきた。
どうやら、時間をかけすぎたらしい。
精霊とは違うので、一度安定させたこの身体を再び希薄化させることはできない。
だから、『わたし』は最初に蹴倒した女性からローブを剥いで袖を通す。
ついでに回収してきた荷物を入れた袋を体に括りつけ、身構える。
一撃を加えてから、通気ダクトを通って外へ逃げ出す。
そう決めて、手に魔力の塊を展開する。
今の私にとって魔力は文字通り体の一部だから、呼吸をするよりも簡単な事だ。
バン!
勢いよく空いたドア。
「恆m―――ふごっ!?」
ドアを開けた中年の顔面に勢いよく銀色の塊を叩きつけたわたしはまるで重力を無視したかのようにダクトへと潜り込む。
「侵入者だっ!」
その中年の付き人らしき青年が叫ぶ声を背に私は『誠に頼まれた事』を遂行すべく全速で逃げ出すことにした。
そして、協会の追手との戦闘を影で繰り広げながらの逃走劇が始まった。
* * *
それは八月も半分が終わったある日のことだった。
「…あらま」
行方知れずになっている息子の住処の、定期的な掃除と様子見に来た和葉はその家の玄関先で思いもよらないモノを見つけてしまった。
一見すればただのボロ布だ。
だが、その中から白い何かが見え隠れしているとなると話は違う。
めくってみたら中身は小学生くらいの女の子だった。
気絶しているようだが、目立った外傷はない。
そう、ローブが引き裂かれたりしているのに体の方は無傷なのだ。
「マナちゃん、鍵開けて」
今、家を管理している息子の使い魔に呼び鈴で声をかけつつ、濃紺のボロ布と化したローブをまとった少女を抱き上げる。
「さーて電話、電話。」
和葉は厄介事が起こるだろうな、と思いつつ、親友の娘であり後輩である少女たちに話を投げることにした。
* * *
「協会の日本支部…東京本部が襲われた?」
「ええ。それで各地の対魔組織に伝達が有ったわ。賊は睦斗市方面に逃走中。協会が放った追手も大分返り討ちにしてるみたい。」
聖奏学園の生徒会室では、急遽集められた聖奏の役員と各校の生徒会長が一枚の書面を前に頭を悩ませていた。
その書面というのが、魔術協会の東京支部が襲われたという話で、その賊の拘束もしくは殺害が各地の協会が配下に置いていると思っている組織に伝えられていた。
「姿恰好は身長一一五センチほど。協会の職員から奪った濃紺のローブと袋を一つ持ってる女の子ってのがまた不思議なのよね。」
協会が作っていた人工生命体が脱走したと言われた方がまだ現実味がある。
「それに、術師連合は従ってやる義理も無いしな」
「だからと言って無視と言う訳にもいかんだろう。睦斗市を目指す理由次第では捕縛殺傷を躊躇う訳にはいかないだろう」
男子陣―藤堂会長と藤澤会長―が挙げるそれはどちらも正論だった。
「それに、ウチの生徒を一人向こうに連れ去られてるからね。返すまで動かないってのも手ね」
「それで相手を頑なにしたら元も子も無い訳だけど」
会長たちの雑談に等しい会話。
「…とりあえずは見回り強化と会敵時は即全体へ連絡。目的次第では我々で保護」
「そのあたりが妥当か…?」
奈緒の出した結論にまとまりかけた時…
ルルルルルル…
電話が鳴った。
「ちょっと失礼するわ」
モニターの向こう側に断りを入れてから奈緒は受話器を取る。
「はい、聖―――ああ、和葉さん。どうしたんですか?」
電話の相手は和葉だった。
それにしても珍しい…と思っていたら
「―――不思議な子を拾ったから見て欲しい?どんな子なんですか?」
今から二十年ほど前の生徒会連合を切り盛りした会長から電話に奈緒は首をかしげる。
「―――濃紺のローブを着た小学生低学年くらいの女の子?」
その特徴は、協会から寄せられた『人相書き』に酷似していて…
「…今からそちらに行きます。―――みんな、悪いけど即時出動用意をお願い。準備が終わったら私に連絡して。追って指示出すわ。」
奈緒はモニターの向こう側に宣言し、
「みんな、藤谷くんの家に行くわよ。一応戦闘準備を忘れずにね」
生徒会室に集められていた役員たちに声をかける。
終始無言を護っていた遥と楓は居ても立っても居られず、到着まで終始そわそわしたままだった。