#3‐2
今回、主人公の特技の一つが…?
そこはレストランと喫茶店の中間くらいの規模の小洒落た店だった。
英語で藤棚を意味するその店は聖奏学園最寄駅にほど近い商店街の一角にある。
その店の前に俺が立ったのは予定の時間の十分前だった。
「wisteria trellis…ここだ」
おそらくあってると思われる読み方で声に出してみる。
スペルも一緒だし、地図で指定された場所の周囲の条件にもあっている。
『さて、あと十分をどう潰そうか』と店の外装を眺めていたら内側からドアが開いた。
「君、何の用?店開きまでまだ時間があるわよ」
何処となく佐伯会長に似た、女性だった。
おそらく、会長の言っていた『伯母』なのだろう。
「えっと、会ちょ…佐伯先輩に代理を頼ま―」
「ああ、キミが奈緒ちゃんの言ってた後輩くんね」
思いっきり遮られたがどうやら話は通っているらしい。
「入って。バックヤードに案内するからついてきて」
手招きするその人に案内されるまま『staff only』と書かれたパネルの張られたドアの向こう側へ。
「そういえば、まだ名前聞いてなかったわね。あたしは佐伯悠里。」
「藤谷誠です。」
「それじゃ、今日明日の二日間だけどよろしくね。で、早速だけど…」
悠里さんが備え付けロッカーの右端から二番目にあるネームプレートの入っていないところから一つの紙袋を引っ張り出す。
「制服に着替えて、準備してもらうわよ。」
紙袋から出てきたのは所謂エプロンドレスだった。
「知ってると思うけどウチはフロアスタッフは女の子しか取ってないから。」
「………え?」
「可愛いでしょ。これがウチの店の制服。」
「………本気ですか?」
「ええ。話は『全部』奈緒ちゃんから聞いてるわ。」
ポン、と肩に手を置いて反対側の手で一枚の写真を見せてくる。
「ね、橘高統夜ちゃん」
その写真は雑誌か何かの切りぬきではなく、印画紙に現像された本物の写真だった。
そして写っているのは何やら着飾った少女だ。
顔立ちは整っており美少女に分類されるだろう。
なめらかな絹布を思わせる肌。背中に伸びる長い髪が大人しそうな『深窓の令嬢』のような雰囲気を演出している。
………実はその少女は俺である。
色々誤解して欲しくないから弁解させてもらうと、これには深い訳があるのだ。
俺は警察官の父、藤谷成悟とファッションデザイナーの母、結城和葉の間に生まれた。
親父は俺が小学生になってすぐくらいに殉職してしまい、母さんはとある野望を頓挫させることになった。
『自分がデザインして作り上げた服を娘に着せたい』
その願いを叶えたくても母親はファッションデザイナー『ゆうきかずは』として名が大分売れている為に仕事も多く再婚相手を見つけるヒマもなかった。
そこで目をつけられたのが俺だ。
当時の俺は線も細いし身長も低かったし、今でこそ厳つくは無いがやや中性的と取れる程度の顔つきも当時は重度の母親似で完全な女顔だった。
結果、俺を女装させて『擬似娘』として扱うようにしたのだ。
当時の俺は負担をかけまいと『良い子』でいるようにしてしまった為、その歪んだ願いも聞き入れてしまった。
『何かおかしいぞ』と思った時にはすでに女装した俺はファッション誌の上に『ゆうきかずは専属ファッションモデル 橘高統夜』として写真が出てしまっており引っ込みがつかなくなってしまった。
急に消える事も出来ずにずるずると中学時代まで為されるがまま。完成前であってもイメージ用に着せられたりと日常的に女装させられ続けた。
それに終止符を打ったのが中三の冬の再婚だった。
俺は再婚相手の家族(その男性には娘が居た)と共謀し本来は四人で越す予定だった家に今は一人で暮らさせてもらっている。
…義理の妹の小学校の転校を取り辞めて引っ越しを延期してもらったのだ。
おかげで日常的な女装の強要から離れることが出来たのだ。
一人暮らしに当たっての家事能力は親父を亡くした頃から培って来ているので問題は無い。
だが、『何故この人がそのことを?』と思い、ふと会長やこの人の苗字を思い出した。
『佐伯』
何処にでもいそうな苗字だが、有名な苗字でもある。
睦斗市一帯を根拠地とし、幅広い事業を展開する一大グループ、その長に立つ一族の苗字も『佐伯』なのだ。
オマケに母親の事実上の雇用主であり、写真が掲載される雑誌の出版元は『佐伯出版』だ。
この人が…会長の一族がその『佐伯』の一門ならあり得ない話じゃない。
「あ、安心して。補正下着とか、パットとか、ウィッグとか、化粧品も一通り用意してあるわよ」
「全く安心できませんよ!」
だが、引き受けてしまった手前今更『帰ります』とは言わせてもらえないだろう。
「…はぁ。判りました。観念します。」
「物解りが良くて助かるわ。それじゃあ、着替え終わったらフロアの方に」
そう言って、悠里さんは更衣室兼待機室を出てゆく。
「………しゃーないか」
いろんなものを恨みながら、俺は着替えを始めることにした。
* * *[変身中]* * *
「…よく化けたものね」
控室から出た俺を迎えたのは悠里さんの関心したような声だった。
視線は頭の先からつま先へと降りて、ふたたび上がってくる。
幼少から女装させられ続けた結果、俺は『化け方』を体で覚えてしまっていた。
「はい、名札。」
そう言って差し出された名札には『橙屋真琴』という文字。
確かに『とうやまこと』と読むがこの『真琴』は主に女の名前として使われるものだ。
まあ、この格好じゃその方がいい訳だが…
一応『研修中』という免罪符が名前の下に貼ってある。
「それじゃあ、お願いね」
俺は顔見知りが来ないことを願いつつ『はい』と務めて高めの声で答えた。
「…にしても、ホント完成度高いわねー。化粧っ気殆どないように見えるし、胸も不自然さがないし、しぐさもちゃんと女の子っぽいし」
「…まあ、」
嫌な慣れだが俺は女装慣れしている。
歌舞伎の女形をやっている人に弟子入りさせられそうになったことすら、ある。
…その時は『体験』ということでお茶を濁してもらい解放してもらったが
「これだったらモテるんじゃないの?男の子に」
「…勘弁してください」
そんな俺の精神耐久度をガリガリと削るような話が続く中、俺にとっての救世主が現れた。
「悠ねえ、おはよー。」
これまた佐伯先輩によく似た少女が店にやってきたのである。
「あら、遥ちゃん。今日は早くからごめんなさいね」
「こっちも予定空いちゃってたから丁度よかったかな。えっと、その娘は………もしかして姉さんが差し出した生贄?」
まあ、見慣れぬ人間が居れば気になるのは当然か。
…一部気になるニュアンスの単語があったが
「そうよ。橙屋真琴さん。」
「よ、よろしくお願いします…」
不自然さがないように気遣う。
声の調は高めに安定してきた。
「えっと、佐伯遥よ。よろしく。判らないこととかあったら、遠慮なく聞いて」
「う、うん。お願いするよ」
「それじゃあ、着替えてくる」
そう言って佐伯(妹)は控室に入ってゆく。
一応、俺の私物(というか服)は端から二番目のロッカーにしっかりと隠してあるので問題は無い筈だ。
「それじゃあ、お仕事の簡単なレクチャーをしておくわね」
それから簡単な説明と注意事項、悠里さんと着替え終わった佐伯(妹)を相手にした接客練習。
大体の調子を掴む頃には他の店員さんたちも大体集まり開店用意はほぼ終了していた。
「それではみなさん。今日も一日張り切って行きましょー!」
「「「「「はい!」」」」」
ドアにかけられた『close』の掛札がひっくり返され『open』になる。
さて、バレないようにしつつ頑張るとしますか。
カラン
「いらっしゃいませ、『wisteria trellis』へようこそ。」
現れた客を出迎え、人数を把握し、最適な席へ案内し、注文を取り、出来上がった料理を運ぶ。
そして客が席をたったら会計、見送り。それと並行して片づけ。
それが今日やるべきことだ。
愛想笑いを振りまきつつ、拷問に等しい時間が過ぎるのを忙しさの中に身を置くことでなんとか気にしないようにすることにした。