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6. 断りの口上

 王都司令部から、書状が届いたのである。この屋敷には十年ぶりのことだそうで、受け取った家の空気が半段だけ張り詰め、当の旦那様は一晩、封を切らなかった。武人が封を切らないのは、中身が読めているからである。読めていて、返事だけが決まらないのだ。


 翌朝、読み終えた彼の眉間には、深い谷が刻まれていた。要するに――北の関所がきな臭い、ついては不敗侯の武名を再び北辺に、というお召しである。


「あら。歌の文句のまま頼んでいらっしゃるのね。司令部も、歌でお仕事をなさいますの」


「…………」


「千人。まだ増えておりませんこと?」


「……歌は、利子が付く」


 隣国の代替わりで国境が落ち着かず、司令部は「不敗侯の武名」を関所に立てたいらしい。歌を、砦の壁に塗る算段である。


「北は、そんなにきな臭うございますの?」


「……煙は、まだ見えん。だが、風向きは変わった。代替わりの国は、内へ揉める。内で揉めた分は、外へ出る」


 庭の豆の話でもするような声で、国境の講釈が済んだ。三十年、北の風を読んできた人の言葉は、触れ書きよりよほど手短で、よほど正確である。けれど、正確なだけの言葉は、眉間の谷を埋めてくれない。歌に頼られ、歌に断れない。三十年前の吹雪が、まだこの人の戸を叩きに来るのである。叩かれた家の者にできることといえば、せめて茶を濃くするくらいだ。


 その日、旦那様は返事を書かなかった。翌日も、書かない。困った人がどこへ行くかと言えば、庭である。午後の畑に、鍬の音だけが響く。いつもと同じ、規則正しい音のはずなのに、今日は妙に、答えの出ない音に聞こえた。


 夕餉の席でも、彼は黙ったままである。黙って、それでも私の皿へ塩豚の良いところを取り分けるのは忘れないのだから、この人の困り方は行儀がいい。


 私は急かさない。困りごとには旬があって、青いうちにつつくと固くなるのは、豆も人も同じである。待つ間、私は家政帳の判の練習をしていた。嫁いでまだ五週あまり、この家の帳面はきれいなもので、直すところがない。仕方がないので、余白に豆の収穫の見込みだけ書き込んでおいた。


 三日目の夜、暖炉の前で、彼のほうから口を開いたのである。


「……あなたなら、どう断る?」


 驚いた。この人が、人にものを尋ねている。


 聞けば、彼の頭の中には道が二つしかない。ひとつ、正直に「老いて役に立たん」と書く――嘘ではないが、歌を信じて国境に立つ若い者の胆を冷やす。ふたつ、体よく偽りを並べる――これは、この人にはできない。生まれつき、嘘の書けない筆なのである。正直者が三日唸って、二択の間で立ち往生していたわけだ。


「二つでお困りなら、三つ目の欄をお作りになればよろしいのよ」


「三つ目?」


「お役目は、お受けにならない。その代わり――北の若い方々の装具と兵糧の目録に、隠居の助言を差し上げますの。断り状ではなく、返し所のあるお断り。あちら様も、引っ込みが付きますわ」


 彼は長いこと黙っていた。薪が二度爆ぜて、それから、深い頷きがひとつ。


「……文には、せん。口上で行く」


「あら。それはまた」


「文は残る。残った文は、独り歩きをする。……歌と、同じでな」


 三十年、独り歩きする言葉に苦しめられてきた人の重みが、その一言にはある。私は口上の稽古のお相手を買って出た。衝立(ついたて)の向こうに座り、精一杯いかめしい声で「司令部である」とやる。旦那様は生真面目に口上を述べ、途中で私の司令部が笑い出すものだから、三度もやり直しになる始末である。


「司令部が笑うては、稽古にならん」


「あら、失礼いたしましたわ。……ですけれど旦那様、いまの節回し、少し歌に似ておりましてよ」


「…………以後、気をつける」


 四度目で、口上はようやく、私の司令部を笑わせない出来に仕上がった。


 翌朝、従士長のタンクレートが口上を預かり、王都へ発つ。老従士は出がけに折り目正しく一礼して、例によって、一枚置いていくのを忘れない。


「閣下が人に断りの相談をなさるのを、わたくしは三十年で初めて拝見いたしました。……補記でございます」


 三十年で、初めて。


 わしのことはよい、が口癖の人が、「わしのこと」をひとつ、こちらへ寄越したのである。差し引きも勘定も、今日は要らない。ただ、嬉しかった。


 嬉しい、をそのまま置いておけるのは、この家の良いところである。実家では、良い報せにもまず裏を読んだ。ここでは、読まなくていい。この人の言葉は、いつも表しかないからだ。


         ◇


 従士長が戻ったのは、三日後である。曰く、司令部の官房は口上を一言一句書き取り、幾度も読み返し、思案の顔をしていたという。断りのはずが、妙に丁寧に扱われている――そんな雲行きである。


 そのまた二日ののち、門前に先触れが立った。返事は、書状ではないらしい。


 使者が、直接来る。


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