プロローグ
"愛姫凪"
"マナヒメナギ"
"まなひめ なぎ"
パソコンのゲーム画面にはプレイヤーの名前が映し出されていた。それとともに可憐な少女のキャラクターのステータスが表示されている。
現在、パソコンの前には誰もいない。生活感のない部屋は夜であるのに明かりすらついておらず、ましてや窓があいているわけでもない。食事した形跡も見えない。
玄関の方を見ればその理由は一目瞭然であった。
そこには高く詰まれたダンボール箱。
つまり、引越し。
ここの住人は今日、この町にやってきたのだ。
突然、ガタン、と玄関の扉が開いた。
「疲れた、挨拶するのにこんなに時間がかかるとは…」
住人が帰ってきた。暗いので顔が見えないが、扉の隙間から射す月明かりにそのシルエットが浮かび上がる。華奢な体つきだ。芸術的なボディラインは『綺麗』と評価すべきだろう。
「それじゃ荷物の整理をするか」
住人は一番上に詰まれたダンボールをつま先立ちして取った。乱雑に梱包用のテープをはがし、ガサゴソと手探りで何かを探す。そして目的のものの感触を得ると、すぐさま手を引き抜いた。
そのまま外へ出ると、おもむろにそれを掲げ、玄関に取り付けた。表札である。外は室内と比べて幾分か明るい。表札を読むには十分な光量だ。
" 愛姫 "
RPGと思われるゲームのキャラクターと同じ名字だ。多分、名前も同じだろう。
住人――愛姫凪は特に理由もなく、月を眺めた。
月に照らされ、整った顔が暗闇から出現した。
だが、美しいというには的を外しているような気がするし、可愛いというのは全く逆方向に位置している気がする。
彼は女性的な顔立ちの男だった。
「ふあぁ、ねむ…。やっぱもう寝るかな。荷物の整理は明日帰ってきてからでもできるだろうし」
愛姫はそう呟くと気だるそうに部屋へと入り、つけっぱなしにしていたパソコンの電源を切った。
布団はまだ玄関に置かれていた。取ってこようと思えば簡単に取ってこれる距離だ。しかし、彼は風邪を引くことすら恐れず畳の上へ寝そべった。その数秒後にはダンゴムシのように体を丸め、スースーと静かな寝息を立て始める。
4月29日、まだ冬の跡が残る北国の春。そんな肌寒い祝日の夜に。
何かが変わることを信じて、彼はこの街へとやってきた。




