第23話 影祈学院は光の裏からやって来る
合同寮一階のホールは、すでに人と祈りでぎゅうぎゅうだった。
風祈、水祈、炎祈。
そこに土祈、雷祈、音祈、光祈が加わって――六属性だけで、空気の色がこんなに変わる。
「これで全学院? なんか、もっと増えそうな雰囲気だけど」
シエラが小声でつぶやく。
「“表向き”は、ってやつじゃない?」
シュンが肩をすくめる。
そのやり取りを聞いていたのか、前のほうにいた祈導局の係員が、咳払いを一つした。
「えー、それでは各学院代表チームの顔合わせを――」
と、言いかけたところで。
「一点、訂正があります」
列の後ろ側から、穏やかな、けれど妙に耳に残る声がした。
振り向くと、さっきホームで見かけた“祈導局の誰か”が一歩前に出ていた。
光でも闇でもない、乾いた色の瞳。
手には古い型の祈り板。
体温を感じさせない笑み。
「影祈学院代表チームが、まもなく到着します。
今回は、特例参加という扱いですね」
「影祈……」
シエラが小さく眉をひそめた。
名前だけは知っている学院だ。
祈りの「影」を扱う、情報と潜入の専門。
(やっぱり、来るのか)
心のどこかで予想はしていた。
“無祈”が動いているなら、その影を追う役目の学院が外されるはずがない。
◇
ホールの照明が、一瞬ふっと落ちた。
「え、停電?」
ノノハがきょろきょろする。
完全な闇になるわけではない。
光祈の灯りと、祈装の光が残っている。
ただ――照明と照明のあいだに、妙な“間”ができた。
そこから、影が伸びる。
床から、壁から、柱の陰から。
黒ではなく、薄い灰色の線のような影が、ホールの中央に集まってきた。
影が、形を取る。
人の背丈。
マントの輪郭。
ゆっくりと色が乗って――
「お邪魔しまーす」
一番前の影が、軽い調子で手を挙げた。
黒に近い紺のマント。
胸元には、墨色の紋章――影祈の印。
「影祈学院代表、影守クロトでーす。
遅れてすみませんね、光の裏側の電車は一本乗り過ごすと大変なんですよ」
「絶対ウソだろ、それ」
炎祈のレイカが即座に突っ込む。
クロトと名乗った男は、肩までの黒髪を適当に束ねていて、口元には皮肉っぽい笑みを浮かべていた。
目だけが、やけに冷静だ。
「影祈学院より五名。
情報・潜入・危機管理の“オブザーバー枠”で参加させていただきまーす」
後ろに並ぶ四人が、順番に軽く頭を下げる。
「夜鳴カスミ。……心の影、見る係」
「朧シメイ。……記録、撮っておきます」
「霞野ヒナタ! 前衛! 囮! 走る係!」
「黒間サトルでーす。交渉と、噂話担当。よろしくね、風祈くんたち」
最後の一言で、いきなりこっちを指差された。
「なんでそこで風祈?」
「いやぁ、なんとなく。
今回一番“美味しいところ”引きそうな線、君たちから伸びてるんだよね」
サトルは、からかうように笑う。
「線とか影とか言う前に、まずはちゃんと自己紹介してほしいな〜?」
祈導局の係員が、やれやれという顔をした。
「……というわけで、影祈学院は今回、
リーグ全体の安全管理と情報支援のために“例外参加”という形になります」
「例外は信用ならない、って教科書に書いてあったけど」
光祈のリィナが、ぼそっと漏らす。
「ひど〜い。光さん、影がなきゃコントラスト出ませんよ?」
クロトはまるで気にしていない。
その軽さの裏で、彼の周りの祈りは妙に静かだった。
底が見えない、薄暗い湖の水面みたいな。
(……やりにくそうな相手だな)
◇
「じゃ、せっかくだし――順に自己紹介でもしよっか」
誰が仕切るでもなく、自然と輪ができた。
炎祈のレイカが、一歩前に出る。
「焔道レイカ、火祈学院代表。
“燃やす範囲は決めてから燃やす”がモットー。
よろしく、風祈。あと水祈、毎回消火ありがとう」
「セラです。水祈学院代表。
“流しすぎないように流す”のが仕事です」
セラの紹介に合わせて、ほかの水祈メンバーが軽く頭を下げた。
土祈のガイは、短く言う。
「砦守ガイ。守る。以上」
「そのぶん、ミリアがしゃべるから大丈夫〜」
隣のミリアが明るく笑う。
「大地ミリア。壊れたところを立て直すの、得意です。
風祈の防壁と組むの、楽しみ!」
雷祈のリドは、片手をひらひらさせる。
「雷祈のリド〜。とりあえず“速い担当”。
風と組んだら面白そうだし、炎と組んでも面白そう。なんでも来い」
音祈のリラは、穏やかに微笑んだ。
「詠坂リラと申します。音祈学院代表。
祈りがこじれたら、なるべく“歌にまとめて返す”係……みたいなものですね。
ノノハさんとは、ぜひ一曲ご一緒したいです」
「ひゃ、ひゃい……!」
ノノハが、さっきからずっと魂が抜けかけている。
光祈のリィナは、姿勢を正して一礼した。
「光条リィナ。光祈学院代表。
“真正面から照らす”のが役目だと思っています」
それから、真っ直ぐこちらを見る。
「さっきも言いましたけど、
――あなたの線が“甘い”のかどうか、楽しみにしてます」
「プレッシャーのかけかた独特だな、この人」
シュンが小声でつぶやく。
◇
「じゃ、風祈側も」
レイカに促され、俺たちも前に出ることになった。
「風祈学院代表、一年戦線。
線を選ぶ役、天霧勇です」
いつもの自己紹介に、一言だけ足した。
「ここで、“守る線”をちゃんと決められたらいいなって思ってます」
「前衛、シエラ。
決めた線の中で、出来るだけ派手に暴れます」
シエラは、あくまでいつも通りだ。
でも、その視線の端に、光祈と影祈のほうをちらっと意識しているのが分かる。
「防御と支え担当、ヴァン。
崩れないように、折れないように、前で踏ん張る」
「脚と悪ノリ担当、シュン。
速く動いて、できるだけちゃんと戻ってくる」
「歌と場の空気と非常食担当、ノノハで〜す!」
最後だけ、肩書きの密度がやたら高い。
「非常食って自分で言う?」
「非常時に食べるおやつ、の意味ですよ!?
ボクが食べられちゃう的なやつじゃないですよ!?」
ノノハの慌てた声に、周りから笑いがこぼれた。
◇
「――ふむふむ」
その笑いの中で、影祈の夜鳴カスミが、じっとこちらを見ていた。
薄い色の瞳。
人の“後悔”や“罪悪感”を見るという彼女の視線は、どこか居心地が悪い。
「勇くんだっけ。
線が多いね」
「多い?」
「切った線も、結び直した線も。
ここまでの道で、けっこう無理してる」
さらっと、とんでもないことを言う人だ。
「カスミ、初対面でそれ言うのやめなよ。
そういうとこだから“審問導官”にスカウトされかけるんだって」
クロトが、彼女の頭を軽く小突く。
「……だって、見えちゃうんだもん」
「見えるからって何でも口に出していいわけじゃないの。
――ま、そのうち分かるよ」
クロトは、今度は俺のほうを見る。
「線、間違えるなよ、風祈。
間違えた線の先は、だいたい俺たちの仕事になるからさ」
「それは、脅しですか?」
シエラが、すっと一歩前に出た。
クロトは、肩をすくめる。
「警告と、保険の話。
“もしどっかの線が折れたら、俺たちが拾いに行きますよ”っていう」
「拾われる前提で線引きたくないんだけど」
思わず口を挟むと、クロトは愉快そうに笑った。
「それはいい心がけだね」
◇
ひと通り自己紹介が終わると、祈導局の係員が前に出た。
「では、代表チームのみなさん。
このあと開会式までの二時間は“自由交流時間”とします」
「自由って、何してもいいんですか?」
ノノハが手を挙げる。
「常識の範囲内でお願いします。
祈装の試し撃ちは専用の練習場で。
無断で競祈場に入るのは禁止です」
「“常識の範囲内で”が一番難しそうなメンバーだな〜」
レイカが笑い、ミオ先生が遠い目になった。
「各学院同士で交流してもいいし、
さっきの自己紹介で気になった人に話しかけても構いません。
ただし――」
係員は、少しだけ声を落とした。
「祈りの流れに、普段と違う“濁り”を感じた場合は、
すぐに教師か祈導局スタッフ、あるいは影祈学院のメンバーに報告してください」
その一言に、ホールの空気がわずかに引き締まる。
「無祈関連の事案が、完全に沈静化したわけではありません。
リーグ開催中も、警戒は解かないように」
(“完全に”ね)
言外に、“むしろこれからだ”と聞こえた。
◇
人の流れがばらけると、ホールの空気も少し軽くなった。
ノノハは早速、リラや音祈メンバーのほうへ走っていく。
ヴァンはミリアとガイに、防壁や地形操作の話をしに行った。
シュンは雷祈のリドと、どっちが速いか勝負する約束を取り付けている。
「勇は?」
隣でシエラが訊いてきた。
「んー……とりあえず、全体の流れ見たいかな」
「だろうと思った」
シエラはため息をつく。
「じゃ、あたしは炎祈の連中とちょっと話してくる。
“突撃組連盟”でも結成してくるわ」
「名称からして物騒なんだけど」
そう言い合いながら、いったん別々の方向に歩き出す。
◇
ホールの端のほう。
人の密度が少し薄い場所で、さっきの祈導局職員が祈り板を操作していた。
「さっき、どういう顔して見てたんです?」
気づいたら、近くまで歩いていた。
「ん?」
職員は、ゆっくり顔を上げた。
近くで見ると、やはり年齢不詳だ。
大人と言えば大人だけど、どこか“人間の時間”からずれているような雰囲気がある。
「さっき、ここに来たとき。
俺たちを見て、“折れたらどう光るか”みたいな目してましたよね」
「……言葉にするの、上手ですね」
職員は、唇の端だけで笑った。
「ヴィオラ、と申します。
祈導局で、祈りの“審問”を担当している者です」
「審問……」
「簡単に言うと、“心を試す係”です。
折れそうな祈りが、本当に折れるのかどうか。
折れたあと、何が残るのか」
さらっと、あまり優しくないことを言う。
「リーグの選手たちを、試すつもりですか」
「いいえ」
首を横に振る。
「今日は、ただの観察。
――あなたが、どこまで“甘さ”を守れるのか。
光祈のリィナさんが言っていたでしょう?」
さっきの言葉が、胸の奥をちくりと刺した。
「“甘さ”って、そんなに見ていて楽しいですか」
「楽しいですよ?」
即答だった。
「甘さが、どこまで届くか試したくなるのが、人間ですから」
そこで、ふっと視線を逸らす。
「……ただし。
私が試す前に、無祈が試しにくるかもしれませんけどね」
それだけ言って、ヴィオラは人混みの中に紛れた。
(試す、か)
さっきまで賑やかだったホールの祈りが、少しだけ重くなる。
(試される覚悟は、最初からしてるつもりだけど)
問題は――そのとき、自分がどの線を選べるかだ。
◇
その日の夜。
顔合わせと自由交流が一段落し、
各学院がそれぞれのフロアに引き上げていくころ。
風祈と炎祈で共有している廊下の片隅で、窓枠に腰を乗せている影があった。
影守クロトだ。
「夜風、好き?」
窓の外を見ながら問うと、クロトは肩をすくめた。
「嫌いじゃないよ。
光が強いときは、影がよく見えるからね」
「どっちかというと、光祈のセリフじゃない?」
「光は、自分が強いときのことはあんまり自覚してないんだよ」
クロトは、窓枠に背中を預けてこちらを見た。
「で? 風祈くん。
何か聞きたいこと、あったんでしょ」
「……勘が良すぎない?」
「人の“逡巡”は、影に出るからね」
さっきのカスミといい、この学院はほんとに遠慮がない。
「今日、少しだけ“無祈”の話が出たろ」
クロトが、自分から切り出した。
「ヴィオラが言ってた“試す”とか、
祈導局の人たちがあまり触れたがらない“沈静化してない何か”とか」
「無祈騎士、ってやつらが動いてるんですよね」
虚風のジル。
灰炎のロウ。
溺渦のミレーネ。
墓土のグラン。
終灯のルーメン。
名前だけは、資料で見た。
そのうちのひとり――虚風のジルは、もう学院の外側まで来ている。
「全部を詳しく話すと、きっと寝不足になるからざっくり言うとね」
クロトは、指で空中に一本線を引いた。
「無祈騎士たちは、“折れた先の大人たち”みたいなものだよ」
「大人?」
「祈るのを一度諦めた人。
“もう守れない”って、どっかで線を切った人。
“これ以上、光を見たくない”って思った人」
指先から落ちた影が、床に黒い点を作る。
「そういう人たちが、無祈王っていう“でかいゼロ”に拾われて、
騎士って名前をもらってる」
ざっくりと言うには、重たい話だった。
「だからね、風祈」
クロトは、真顔になる。
「線の引きかたは、気をつけなよ。
“誰も部品にしない線”を選びたいってのは、立派だと思う」
「……でも?」
「でも、その線を引くために無理をしすぎると、
いちばん最初に折れるのは、自分だから」
胸の奥が、どくりと脈打った。
ゼロライン。
あの白い部屋。
“何度も世界を救った”と言われた、よく分からない過去。
思い出せない記憶と、今の自分とが、ちらっと重なる。
「安心していいよ」
クロトは、妙に軽い声で付け足した。
「もし、君が折れそうになったら――
俺たち影祈が、ちゃんと“影”になってやるから」
「それ、安心できる台詞か?」
「光祈の子たちよりは、ちょっとだけ現実的でしょ」
皮肉屋の笑い方だった。
◇
そのころ。
連盟競祈場のずっと上空。
誰も届かない高さの、風祈塔の残響みたいな場所で。
虚風のジルが、ひとり、風を止めて座っていた。
下を見下ろせば、
いくつもの祈りの光が、競祈場の上に絡まり合っている。
「光、風、水、炎、土、雷、音、影……」
ジルは、ひとつひとつ数えるように呟いた。
「よくもまぁ、こんなに集めたもんだ」
指先で、空中に小さな穴を開ける。
その穴に落ちてくるのは、今日一日の祈りの残骸。
期待。
不安。
好奇心。
嫉妬。
“負けたくない”っていう真っ直ぐさ。
「うるさい」
ジルは目を閉じる。
「……でも、嫌いじゃない」
虚風の祈りが、静かに広がる。
まだ、この場所に“止まりきった風”はない。
けれど――準備は、少しずつ整いつつあった。
(動かない風の準備、ね)
誰にも聞こえない独り言が、夜の空に溶けていった。




