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第23話 影祈学院は光の裏からやって来る



 合同寮一階のホールは、すでに人と祈りでぎゅうぎゅうだった。


 風祈、水祈、炎祈。

 そこに土祈、雷祈、音祈、光祈が加わって――六属性だけで、空気の色がこんなに変わる。


「これで全学院? なんか、もっと増えそうな雰囲気だけど」


 シエラが小声でつぶやく。


「“表向き”は、ってやつじゃない?」


 シュンが肩をすくめる。


 そのやり取りを聞いていたのか、前のほうにいた祈導局の係員が、咳払いを一つした。


「えー、それでは各学院代表チームの顔合わせを――」


 と、言いかけたところで。


「一点、訂正があります」


 列の後ろ側から、穏やかな、けれど妙に耳に残る声がした。


 振り向くと、さっきホームで見かけた“祈導局の誰か”が一歩前に出ていた。


 光でも闇でもない、乾いた色の瞳。

 手には古い型の祈り板。

 体温を感じさせない笑み。


「影祈学院代表チームが、まもなく到着します。

 今回は、特例参加という扱いですね」


「影祈……」


 シエラが小さく眉をひそめた。


 名前だけは知っている学院だ。

 祈りの「影」を扱う、情報と潜入の専門。


(やっぱり、来るのか)


 心のどこかで予想はしていた。

 “無祈”が動いているなら、その影を追う役目の学院が外されるはずがない。



 ホールの照明が、一瞬ふっと落ちた。


「え、停電?」


 ノノハがきょろきょろする。


 完全な闇になるわけではない。

 光祈の灯りと、祈装の光が残っている。

 ただ――照明と照明のあいだに、妙な“間”ができた。


 そこから、影が伸びる。


 床から、壁から、柱の陰から。

 黒ではなく、薄い灰色の線のような影が、ホールの中央に集まってきた。


 影が、形を取る。


 人の背丈。

 マントの輪郭。

 ゆっくりと色が乗って――


「お邪魔しまーす」


 一番前の影が、軽い調子で手を挙げた。


 黒に近い紺のマント。

 胸元には、墨色の紋章――影祈の印。


「影祈学院代表、影守クロトでーす。

 遅れてすみませんね、光の裏側の電車は一本乗り過ごすと大変なんですよ」


「絶対ウソだろ、それ」


 炎祈のレイカが即座に突っ込む。


 クロトと名乗った男は、肩までの黒髪を適当に束ねていて、口元には皮肉っぽい笑みを浮かべていた。

 目だけが、やけに冷静だ。


「影祈学院より五名。

 情報・潜入・危機管理の“オブザーバー枠”で参加させていただきまーす」


 後ろに並ぶ四人が、順番に軽く頭を下げる。


「夜鳴カスミ。……心の影、見る係」

「朧シメイ。……記録、撮っておきます」

「霞野ヒナタ! 前衛! 囮! 走る係!」

「黒間サトルでーす。交渉と、噂話担当。よろしくね、風祈くんたち」


 最後の一言で、いきなりこっちを指差された。


「なんでそこで風祈?」


「いやぁ、なんとなく。

 今回一番“美味しいところ”引きそうな線、君たちから伸びてるんだよね」


 サトルは、からかうように笑う。


「線とか影とか言う前に、まずはちゃんと自己紹介してほしいな〜?」


 祈導局の係員が、やれやれという顔をした。


「……というわけで、影祈学院は今回、

 リーグ全体の安全管理と情報支援のために“例外参加”という形になります」


「例外は信用ならない、って教科書に書いてあったけど」


 光祈のリィナが、ぼそっと漏らす。


「ひど〜い。光さん、影がなきゃコントラスト出ませんよ?」


 クロトはまるで気にしていない。


 その軽さの裏で、彼の周りの祈りは妙に静かだった。

 底が見えない、薄暗い湖の水面みたいな。


(……やりにくそうな相手だな)



「じゃ、せっかくだし――順に自己紹介でもしよっか」


 誰が仕切るでもなく、自然と輪ができた。


 炎祈のレイカが、一歩前に出る。


「焔道レイカ、火祈学院代表。

 “燃やす範囲は決めてから燃やす”がモットー。

 よろしく、風祈。あと水祈、毎回消火ありがとう」


「セラです。水祈学院代表。

 “流しすぎないように流す”のが仕事です」


 セラの紹介に合わせて、ほかの水祈メンバーが軽く頭を下げた。


 土祈のガイは、短く言う。


「砦守ガイ。守る。以上」


「そのぶん、ミリアがしゃべるから大丈夫〜」


 隣のミリアが明るく笑う。


「大地ミリア。壊れたところを立て直すの、得意です。

 風祈の防壁と組むの、楽しみ!」


 雷祈のリドは、片手をひらひらさせる。


「雷祈のリド〜。とりあえず“速い担当”。

 風と組んだら面白そうだし、炎と組んでも面白そう。なんでも来い」


 音祈のリラは、穏やかに微笑んだ。


「詠坂リラと申します。音祈学院代表。

 祈りがこじれたら、なるべく“歌にまとめて返す”係……みたいなものですね。

 ノノハさんとは、ぜひ一曲ご一緒したいです」


「ひゃ、ひゃい……!」


 ノノハが、さっきからずっと魂が抜けかけている。


 光祈のリィナは、姿勢を正して一礼した。


「光条リィナ。光祈学院代表。

 “真正面から照らす”のが役目だと思っています」


 それから、真っ直ぐこちらを見る。


「さっきも言いましたけど、

 ――あなたの線が“甘い”のかどうか、楽しみにしてます」


「プレッシャーのかけかた独特だな、この人」


 シュンが小声でつぶやく。



「じゃ、風祈側も」


 レイカに促され、俺たちも前に出ることになった。


「風祈学院代表、一年戦線。

 線を選ぶ役、天霧勇です」


 いつもの自己紹介に、一言だけ足した。


「ここで、“守る線”をちゃんと決められたらいいなって思ってます」


「前衛、シエラ。

 決めた線の中で、出来るだけ派手に暴れます」


 シエラは、あくまでいつも通りだ。

 でも、その視線の端に、光祈と影祈のほうをちらっと意識しているのが分かる。


「防御と支え担当、ヴァン。

 崩れないように、折れないように、前で踏ん張る」


「脚と悪ノリ担当、シュン。

 速く動いて、できるだけちゃんと戻ってくる」


「歌と場の空気と非常食担当、ノノハで〜す!」


 最後だけ、肩書きの密度がやたら高い。


「非常食って自分で言う?」


「非常時に食べるおやつ、の意味ですよ!?

 ボクが食べられちゃう的なやつじゃないですよ!?」


 ノノハの慌てた声に、周りから笑いがこぼれた。



「――ふむふむ」


 その笑いの中で、影祈の夜鳴カスミが、じっとこちらを見ていた。


 薄い色の瞳。

 人の“後悔”や“罪悪感”を見るという彼女の視線は、どこか居心地が悪い。


「勇くんだっけ。

 線が多いね」


「多い?」


「切った線も、結び直した線も。

 ここまでの道で、けっこう無理してる」


 さらっと、とんでもないことを言う人だ。


「カスミ、初対面でそれ言うのやめなよ。

 そういうとこだから“審問導官”にスカウトされかけるんだって」


 クロトが、彼女の頭を軽く小突く。


「……だって、見えちゃうんだもん」


「見えるからって何でも口に出していいわけじゃないの。

 ――ま、そのうち分かるよ」


 クロトは、今度は俺のほうを見る。


「線、間違えるなよ、風祈。

 間違えた線の先は、だいたい俺たちの仕事になるからさ」


「それは、脅しですか?」


 シエラが、すっと一歩前に出た。


 クロトは、肩をすくめる。


「警告と、保険の話。

 “もしどっかの線が折れたら、俺たちが拾いに行きますよ”っていう」


「拾われる前提で線引きたくないんだけど」


 思わず口を挟むと、クロトは愉快そうに笑った。


「それはいい心がけだね」



 ひと通り自己紹介が終わると、祈導局の係員が前に出た。


「では、代表チームのみなさん。

 このあと開会式までの二時間は“自由交流時間”とします」


「自由って、何してもいいんですか?」


 ノノハが手を挙げる。


「常識の範囲内でお願いします。

 祈装の試し撃ちは専用の練習場で。

 無断で競祈場に入るのは禁止です」


「“常識の範囲内で”が一番難しそうなメンバーだな〜」


 レイカが笑い、ミオ先生が遠い目になった。


「各学院同士で交流してもいいし、

 さっきの自己紹介で気になった人に話しかけても構いません。

 ただし――」


 係員は、少しだけ声を落とした。


「祈りの流れに、普段と違う“濁り”を感じた場合は、

 すぐに教師か祈導局スタッフ、あるいは影祈学院のメンバーに報告してください」


 その一言に、ホールの空気がわずかに引き締まる。


「無祈関連の事案が、完全に沈静化したわけではありません。

 リーグ開催中も、警戒は解かないように」


(“完全に”ね)


 言外に、“むしろこれからだ”と聞こえた。



 人の流れがばらけると、ホールの空気も少し軽くなった。


 ノノハは早速、リラや音祈メンバーのほうへ走っていく。

 ヴァンはミリアとガイに、防壁や地形操作の話をしに行った。

 シュンは雷祈のリドと、どっちが速いか勝負する約束を取り付けている。


「勇は?」


 隣でシエラが訊いてきた。


「んー……とりあえず、全体の流れ見たいかな」


「だろうと思った」


 シエラはため息をつく。


「じゃ、あたしは炎祈の連中とちょっと話してくる。

 “突撃組連盟”でも結成してくるわ」


「名称からして物騒なんだけど」


 そう言い合いながら、いったん別々の方向に歩き出す。



 ホールの端のほう。

 人の密度が少し薄い場所で、さっきの祈導局職員が祈り板を操作していた。


「さっき、どういう顔して見てたんです?」


 気づいたら、近くまで歩いていた。


「ん?」


 職員は、ゆっくり顔を上げた。


 近くで見ると、やはり年齢不詳だ。

 大人と言えば大人だけど、どこか“人間の時間”からずれているような雰囲気がある。


「さっき、ここに来たとき。

 俺たちを見て、“折れたらどう光るか”みたいな目してましたよね」


「……言葉にするの、上手ですね」


 職員は、唇の端だけで笑った。


「ヴィオラ、と申します。

 祈導局で、祈りの“審問”を担当している者です」


「審問……」


「簡単に言うと、“心を試す係”です。

 折れそうな祈りが、本当に折れるのかどうか。

 折れたあと、何が残るのか」


 さらっと、あまり優しくないことを言う。


「リーグの選手たちを、試すつもりですか」


「いいえ」


 首を横に振る。


「今日は、ただの観察。

 ――あなたが、どこまで“甘さ”を守れるのか。

 光祈のリィナさんが言っていたでしょう?」


 さっきの言葉が、胸の奥をちくりと刺した。


「“甘さ”って、そんなに見ていて楽しいですか」


「楽しいですよ?」


 即答だった。


「甘さが、どこまで届くか試したくなるのが、人間ですから」


 そこで、ふっと視線を逸らす。


「……ただし。

 私が試す前に、無祈が試しにくるかもしれませんけどね」


 それだけ言って、ヴィオラは人混みの中に紛れた。


(試す、か)


 さっきまで賑やかだったホールの祈りが、少しだけ重くなる。


(試される覚悟は、最初からしてるつもりだけど)


 問題は――そのとき、自分がどの線を選べるかだ。



 その日の夜。


 顔合わせと自由交流が一段落し、

 各学院がそれぞれのフロアに引き上げていくころ。


 風祈と炎祈で共有している廊下の片隅で、窓枠に腰を乗せている影があった。


 影守クロトだ。


「夜風、好き?」


 窓の外を見ながら問うと、クロトは肩をすくめた。


「嫌いじゃないよ。

 光が強いときは、影がよく見えるからね」


「どっちかというと、光祈のセリフじゃない?」


「光は、自分が強いときのことはあんまり自覚してないんだよ」


 クロトは、窓枠に背中を預けてこちらを見た。


「で? 風祈くん。

 何か聞きたいこと、あったんでしょ」


「……勘が良すぎない?」


「人の“逡巡”は、影に出るからね」


 さっきのカスミといい、この学院はほんとに遠慮がない。


「今日、少しだけ“無祈”の話が出たろ」


 クロトが、自分から切り出した。


「ヴィオラが言ってた“試す”とか、

 祈導局の人たちがあまり触れたがらない“沈静化してない何か”とか」


「無祈騎士、ってやつらが動いてるんですよね」


 虚風のジル。

 灰炎のロウ。

 溺渦のミレーネ。

 墓土のグラン。

 終灯のルーメン。


 名前だけは、資料で見た。


 そのうちのひとり――虚風のジルは、もう学院の外側まで来ている。


「全部を詳しく話すと、きっと寝不足になるからざっくり言うとね」


 クロトは、指で空中に一本線を引いた。


「無祈騎士たちは、“折れた先の大人たち”みたいなものだよ」


「大人?」


「祈るのを一度諦めた人。

 “もう守れない”って、どっかで線を切った人。

 “これ以上、光を見たくない”って思った人」


 指先から落ちた影が、床に黒い点を作る。


「そういう人たちが、無祈王っていう“でかいゼロ”に拾われて、

 騎士って名前をもらってる」


 ざっくりと言うには、重たい話だった。


「だからね、風祈」


 クロトは、真顔になる。


「線の引きかたは、気をつけなよ。

 “誰も部品にしない線”を選びたいってのは、立派だと思う」


「……でも?」


「でも、その線を引くために無理をしすぎると、

 いちばん最初に折れるのは、自分だから」


 胸の奥が、どくりと脈打った。


 ゼロライン。

 あの白い部屋。

 “何度も世界を救った”と言われた、よく分からない過去。


 思い出せない記憶と、今の自分とが、ちらっと重なる。


「安心していいよ」


 クロトは、妙に軽い声で付け足した。


「もし、君が折れそうになったら――

 俺たち影祈が、ちゃんと“影”になってやるから」


「それ、安心できる台詞か?」


「光祈の子たちよりは、ちょっとだけ現実的でしょ」


 皮肉屋の笑い方だった。



 そのころ。


 連盟競祈場のずっと上空。

 誰も届かない高さの、風祈塔の残響みたいな場所で。


 虚風のジルが、ひとり、風を止めて座っていた。


 下を見下ろせば、

 いくつもの祈りの光が、競祈場の上に絡まり合っている。


「光、風、水、炎、土、雷、音、影……」


 ジルは、ひとつひとつ数えるように呟いた。


「よくもまぁ、こんなに集めたもんだ」


 指先で、空中に小さな穴を開ける。


 その穴に落ちてくるのは、今日一日の祈りの残骸。

 期待。

 不安。

 好奇心。

 嫉妬。

 “負けたくない”っていう真っ直ぐさ。


「うるさい」


 ジルは目を閉じる。


「……でも、嫌いじゃない」


 虚風の祈りが、静かに広がる。


 まだ、この場所に“止まりきった風”はない。

 けれど――準備は、少しずつ整いつつあった。


(動かない風の準備、ね)


 誰にも聞こえない独り言が、夜の空に溶けていった。


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