第22話 開会式、祈りは空へ
合同寮のホールでの顔合わせが一段落したあと、俺たちはいったん解散になった。
「開会式まではあと一時間ちょい、ですね〜」
ノノハが、ホールの大きな時計を見上げながら言う。
「それまで自由時間ってことか?」
シュンが伸びをする。
「“迷子にならない範囲で”ね」
ヴァンが、さっきの自分の台詞をそのままなぞるように言った。
「勇、線引いとけよ。“ここからここまで迷子セーフ”」
「だからそういう線引きたくないって」
口では否定しつつ、頭の中ではもう地図に線を引き始めていた。
合同寮。
競祈場への道。
祈りの塔。
それから、寮の屋上。
(ここからここまでは、“ちゃんと帰ってこられる”)
そう決めておくだけで、少し息がしやすくなる。
◇
「勇くんたちはどうします?」
セラが声をかけてきた。
「早めに競祈場の“風”を見に行こうかと思ってたけど」
「いいですね。風祈の線の見え方、気になります」
レイカが、横からひょいっと顔を出す。
「じゃあさ、軽く下見がてら一緒に行こっか。
炎祈としても、“どこまで燃やしていい場所か”見ときたいし」
「燃やす前提で言うのやめてください」
ミオ先生のツッコミが、半分本気だった。
「先生たちは?」
俺が振り向くと、ユラ先生はひらひらと手を振る。
「ボクらは開会式の打ち合わせに呼ばれててね〜。
生徒は、くれぐれも“開会式前に一騒ぎ起こさないように”」
「それ誰に言ってるんです?」
「全方向かな」
あっさりした答えだった。
◇
合同寮から競祈場までは、歩いて十分ほどだった。
広い石畳の道。
左右には屋台の準備が進んでいて、簡易の祈装屋台が次々と組まれている。
「お〜、これ、本番始まったら絶対寄りたい……」
ノノハが、焼き菓子の匂いに釣られてふらふらしている。
「開会式のあとならいくらでもどうぞ」
ヴァンが前を歩きながら言う。
「その前にお腹壊したら全部台無しだ」
「は〜い……」
口では返事しつつ、目はしっかり屋台をロックオンしていた。さすがだ。
◇
連盟競祈場の前に立つと、やっぱり圧倒される。
さっき列車の中から見たときよりも、ずっと大きい。
ぐるりと円形に広がる観客席。
その真ん中に、祈りをぶつけ合うための“空の箱”がぽっかり空いている。
地面には、まだ何も描かれていない。
(でも、ここに線が集まるんだ)
風祈、水祈、炎祈、土祈、雷祈、音祈、光祈。
それぞれの“守りたいもの”が、形を持ってぶつかる場所。
「どう?」
シエラが、観客席の一部に腰を下ろしながら聞いてきた。
「風」
「うるさい」
素直にそう答えた。
「楽しくて、怖くて、張り合ってて、見栄張ってて。
そういうやつが、全部まとめて飛び交ってる感じ」
「いいじゃん」
レイカが笑う。
「祭りって感じで」
「祭りだけで終わってくれればいいんだけどな」
思わず零れると、横でセラが小さく頷いた。
「でも、“祭りだからこそ”狙われる、っていうのもありますから」
その言いかたに、水の気配が少しひんやりする。
◇
「虚風っぽい“穴”は?」
シエラが、当たり前のように聞いてくる。
「今のところ、はっきりしたのはない。
けど――」
言いながら、空を見上げる。
競祈場の上空には、祈りの塔から伸びた細い線が、蜘蛛の巣みたいに広がっていた。
まだ“本気の試合”が始まっていないせいか、
線はどれも、薄くて柔らかい。
そこに、今のところ“完全な空白”は見えない。
「……“止まりたがってる”とこは、少しある」
「止まりたがってる?」
レイカが首をかしげる。
「風は今、全部“動け動け”って押し出されてるけど、
その中に、“もう止まってもいいんじゃない?”って囁きが混ざり始めてる感じ」
「それって、無祈?」
「まだ断言はできない。
ただ、“ああいう方向”の線ではある」
ゼロラインで見た、祈りが白くなったあとの世界。
あの冷たさを、ほんの少しだけ思い出す。
「……そういう話、開会式直前にする?」
シュンが、なんとも言えない顔をした。
「でも、知っといたほうがいいかもな。
“楽しいだけの場じゃない”って」
「楽しむのと、なめるのは違いますしね」
セラの声は、いつも通り柔らかい。
◇
開会式開始十分前。
俺たちは、代表チームとして競祈場の入り口付近に整列していた。
各学院ごとに色の帯を分けられていて、
風祈は淡い緑の帯の中に並ぶ。
「風祈学院代表、入場準備お願いします」
係員の声が響く。
観客席のざわめきが、少しずつ大きくなっていく。
「うわ、緊張してきた……」
ノノハが、胸の前で両手をぎゅっと握った。
「歌うわけでもないのに?」
「“歌わないようにする”のも緊張するんですよ〜」
それはたしかに、この人にとってはそうかもしれない。
シエラは、珍しくちょっとだけ深呼吸していた。
「大丈夫?」
「大丈夫。
ただ、“入場行進”ってのがどうにも好きじゃないだけ」
「なんで」
「歩いてるだけなのに、見られるから」
「それは、試合のほうがもっと見られるぞ」
「それは、殴れるからいいの」
理屈はよく分からないが、彼女なりの線引きなんだろう。
◇
開会式の始まりを告げる鐘の音が、空に広がる。
「各学院代表、入場!」
場内アナウンスの声に合わせて、土祈学院から順に競祈場へ入っていく。
土祈の重たい足音。
雷祈の弾む足音。
音祈の軽やかなリズム。
俺たち風祈学院は、四番目だった。
「行くぞ」
ヴァンが一歩踏み出す。
その後ろに、シエラ、シュン、ノノハ、俺の順で続く。
観客席からの歓声が、一気に近くなる。
「うわぁ……ほんとに、世界中から来てるんだ……」
ノノハが、思わず顔を上げる。
祈りの都だけじゃない。
地方の小さな村から来たらしい人たち。
祈導局関係者。
他の世界線の“風祈”たちも、もしかしたらどこかで見ているかもしれない。
(“世界に見られてる”って、こういう感じか)
息を吸い込むと、胸の中にざわざわしたものが入り込んでくる。
◇
各学院の代表が中央の円に並び終えると、
観客席側の一角が静かになった。
そこから、ゆっくり一人の老人が歩み出てくる。
祈導局・総導官、グラウス。
祈り板では何度も見た名前だ。
「遠路、よく集まってくれました」
静かな声が、祈りの増幅装置を通って競祈場全体に響く。
「祈りは、本来“願い”のためのものです。
しかし同時に、“競い合う”ことでも研ぎ澄まされる」
グラウスは、各学院の顔をゆっくり見回した。
「この祈装連盟リーグは、国と学院を越えた“祈りの共有”の場。
ここで交わされる祈りは、すべて記録され、
いずれ世界を守る線の一部となるでしょう」
その言いかたに、アリアの影が少し見える気がした。
(“記録されない祈りは、最初からなかったのと同じ”)
まだ会ってもいない導官の言葉が、
ふと頭をよぎる。
「同時に――」
ほんの一拍置いてから、グラウスは続けた。
「この場にいる全員に、伝えておきたいことがあります」
空気が、少しだけ締まった。
「無祈。
“何も祈らない”という祈りが、世界のあちこちで強くなりつつある」
観客席のあちこちで、ざわめきが上がる。
「祈導局は、その脅威に対処するために動いています。
しかし同時に――祈りの現場にいる皆さんの力も、必要となるでしょう」
グラウスの目が、ほんの一瞬だけこちらをかすめた気がした。
「リーグは“競技”。
けれど、それだけでは終わらないかもしれない」
そう言ってから、老人の声は少しだけ柔らかくなる。
「それでも、祈りは楽しんでいい。
誰かを思って、誇りを持って、譲れないものを抱えて――
それをぶつけ合うことを、恐れないでほしい」
その言葉に、観客席から自然と拍手が起こった。
◇
「代表チームから、一名だけ前へ」
司会役の声が響く。
「リーグ開会にあたっての“選手宣誓”をお願いします」
「誰が行く?」
ヴァンが、横目でこちらを見る。
「隊長か、線引きか」
「どっちでもいいけど?」
シエラは肩をすくめた。
「“守る線”の話するなら、あんたのほうが向いてる気はするけど」
「いや、でもさすがに初回から前に出るの、どうなんだろ」
そう言っているあいだに――
「風祈学院代表は、“線を引く一年”にお願いします」
グラウスが、さらっと指名してきた。
「……は?」
声には出さなかったが、頭の中では派手に叫んでいた。
「行け」
ヴァンが、背中を小突く。
「こういうの、逃げたくないだろ」
「……分かってる」
足が、勝手に前へ出る。
◇
中央の壇上に一人で立つと、
さっきまでよりも観客席が遠く感じた。
でも、その分、空は近い。
「名前と学院名を」
司会役が小さく促す。
「風祈学院一年、天霧勇です」
声が、増幅装置を通って広がる。
胸の内側で、さっきまでぐるぐるしていたものが、少しだけ静かになった。
「えっと――」
一瞬だけ迷ってから、言葉を選ぶ。
「俺たちは、全部は守れません」
ざわ、と小さく空気が揺れた。
「全部守ろうとして、逆に何も守れない線を選ぶのは、
……きっと、無祈と大差ないから」
虚風の穴。
ゼロライン。
“誰もこれ以上傷つかない世界にしたい”っていう、無祈王の線。
まだそこまで届いていない言葉を、
今言える範囲で、絞り出す。
「だから俺は、“ここからここまでは守る”って線を、ちゃんと引きます」
自分の足元を一度見てから、顔を上げる。
「その中に、
うちの学院の仲間も、
他の学院で一緒に戦う誰かも、
それから――」
一度だけ振り返る。
そこには、シエラ、ノノハ、シュン、ヴァン。
少し向こうに、レイカやセラや、他学院の隊長たち。
「ここで一緒に“祈ろうとしてくれてる”全員も、入れておきたい」
言いながら、自分でもちょっと欲張りだなと思う。
でも、一度口にした以上、引っ込めるつもりはない。
「それが“甘い線”かどうかは、
ここで確かめます」
光祈のリィナが、ほんの少しだけ目を細めたのが見えた。
挑発とも、興味ともつかない表情。
「以上です」
深く一礼する。
拍手が、少し遅れてから広がった。
◇
列に戻ると、シエラが小声で笑った。
「……らしいね」
「らしいって何が」
「なんかこう、“世界守ります!”でもなく、
“絶対勝ちます!”でもなく、
“ここからここまではやります”ってとこ」
レイカが、肩をぽんと叩いた。
「いいじゃん。
“ここまではちゃんと責任持ちます”って宣言したわけだし」
「甘いかどうかは、これからですね」
セラの声は穏やかだった。
「少なくとも、私はその線、好きですよ」
そう言って微笑む顔を見て、
胸の奥が少しだけ熱くなる。
◇
開会式の最後に、祈りの演出が行われた。
各学院から一人ずつ前に出て、
自分の属性の小さな祈りを空へ放つ。
土祈の光の粒。
雷祈の細い稲妻。
音祈の音符。
光祈の眩しい筋。
風祈の番になったとき、
シエラが俺のほうを見る。
「行ってきなよ。線の始まり、描いてきな」
「お前じゃなくて?」
「“殴るほう”は、本番に取っとく」
その言葉に押されて、一歩前に出る。
掌に、小さな風の線を描く。
「――帰ってくる線」
それを、空へ放った。
細い風の線が、他の学院の光と絡まりながら、
競祈場の上空でひとつの輪になっていく。
◇
開会式が終わり、代表チームは一度解散となった。
「ふ〜〜〜……緊張した……!」
ノノハが、ホールの椅子にばたりと倒れ込む。
「見てたよ〜、勇くん。
“全部は守れません”ってとこ、
ちょっと泣きそうになりましたからね?」
「泣くポイントそこ?」
「そこです」
ノノハはきっぱり言った。
「だって、“なんでも守ります”って言うほうが簡単ですよ。
“できないことはできない”って言ったうえで、
“それでもここは守る”って言ったの、すごくかっこよかったです」
「……ありがと」
照れくさくて、視線を逸らす。
◇
そのころ。
観客席の最上段、一般客がほとんどいないエリアで。
ひとりの青年が、顎に手を当てて空を見上げていた。
終灯のルーメン。
まだ名前も姿も、誰にも知られていない“無祈の騎士”が、
勇の放った線をぼんやり眺めていた。
「“全部は守れません”、か」
皮肉とも、感心ともつかない声。
「最初から諦めてるのか、
それとも、そこから先が欲張りなのか」
ルーメンの足元には、
この場所に来る前に“折れた”誰かの祈りが、小さく灯っている。
負けたくないのに負けた祈り。
届かなかった恋の祈り。
世界に見てもらえなかった、ちっぽけな光。
「……まあ、いいや」
ルーメンは肩をすくめた。
「折れたときに、どんな光を出すか。
それを眺めるのが、こっちの仕事だしね」
そう呟いて、
開会式の喧騒から一歩だけ離れた闇の中へと消えていった。
祈装連盟リーグは、ついに幕を開けた。




