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第19話 こじれた祈りが噛まれるとき



 水祈学院との合同訓練の翌日。


 風祈学院の空は、やたらとざわざわしていた。


「見た? 水祈の隊長さん」

「セラさんでしょ。やばくない? あの落ち着き方」

「ユイちゃんも可愛かった〜。“不吉な水”とか言ってたけど、何それこわい」


 廊下を歩くだけで、昨日の話題が耳に飛び込んでくる。


 期待と、憧れと、焦り。

 そこに、ほんの少し嫉妬が混ざった風。


(……やっぱり、増えてるな)


 自分でも理由が分かってる。


 祈装連盟リーグ。

 学院の代表。

 他学院との合同訓練。


 “選ばれる側”と“選ばれなかった側”の線が、

 少しずつ、はっきりしてきているからだ。



 教室に入ると、いつものメンバーがいつもの場所にいた。


 ヴァンは窓際でノートをめくっていて、

 シュンは机に突っ伏しながら何かぶつぶつ言っている。


「……炎祈との合同訓練、絶対ヤバいやつだろ。全員暑苦しいの確定だろ……」


「おはよう」


「うぃ……おはよ……」


 返事が弱い。


 ノノハは、机の上にノートを広げていた。

 びっしり書き込まれた、昨日の歌祈りのメモ。


「勇くん〜。昨日の合同訓練の感想、あとで細かく教えてくださいね〜。

 水祈さんたちとの“相性チェック”したいです」


「相性チェック?」


「歌、合わせる時に、“どの属性とどこが重なりやすいか”見るんですよ。

 水祈との共鳴、試してみたくて〜」


 ノノハが楽しそうに笑う。


 ……その声の裏側で、

 別の会話が耳に入ってきた。


「代表メンバー、やっぱ固定なんだろ?」

「さすがにもう変わらないでしょ。

 適性テストも、合同訓練も済ませたし」


「補欠でもいいから入りたかったなぁ……」


 教室の隅でそんなことを言っているのは、

 クラスメイトのソウタだった。


 背が高くて、足が速い。

 仮想決闘会でも悪くない動きを見せていた。


 その隣で、同じくクラスメイトのカナトが、困ったような顔をして立っている。


「お前だって、結構ギリギリまで残ってたろ」

「“結構ギリギリまで”が一番つらいんだよ。

 どうせダメなら、最初から名前出ないほうがマシだった」


(……うわ)


 風が、少しだけ重くなる。


 代表候補の最終選考のとき、

 ソウタの名前もたしかに残っていた。


 けど、実際に“補欠”として呼ばれたのは、カナトのほうだ。


「悪い」


 カナトが、俯きがちに言った。


「なんでお前が謝るんだよ」

「いや……なんとなく」


 ソウタは、軽く舌打ちした。


「“なんとなく謝る”くらいなら、いっそ――」


 そこで、彼の視線がふっとこちらをかすめた。


 勇。

 シエラ。

 一年戦線。


 風の色が、少しだけ濁る。


(やな色)


 胸の奥で、小さな警報が鳴った。



 午前の授業は、いつもどおり進んだ。


 祈装理論。

 線図の読み方。

 リーグに向けた安全管理。


 でも、生徒たちの祈りはじっとしていない。


 水祈との合同訓練でできた繋がり。

 代表メンバーの顔ぶれ。

 “自分はどこに立っているのか”って不安。


「――で、今日の宿題はここまで」


 ミオ先生が黒板を軽く叩く。


「午後は、代表メンバーは軽い調整訓練。

 それ以外の人は、自分たちの課題に集中してください」


 そう言って教室を見回したとき、一瞬だけ、ソウタのほうを見た気がした。


 けれど、何も言わずに教室を出ていった。



 昼休み。


 俺たちはいつもの中庭の隅で弁当を広げていた。


 風の通りがよくて、

 人の通りが少ない、お気に入りの場所。


「ふ〜……昨日の水祈との訓練の話、もっと聞きたかったなぁ〜」


 ノノハが、箸を持ったまま空を見上げる。


「セラさん、やっぱりすごかった?」


「うん。守りを決めるの、すごく早かった。

 “ここさえ守れればいい”って線を、ほとんど迷わず決めてた」


「戦場慣れしてる感じだったな」


 ヴァンが頷く。


「それに、ユイとシエラの連携も悪くなかったぞ。

 足元の水、うまく使ってた」


「ね」


 シエラが、唐揚げをかじりながら口を挟む。


「あの子、勢いだけじゃなくて、“どこまで滑らせていいか”ちゃんと見てる。

 ……ちょっとズルい」


「褒めてるだろ、それ」


「褒めてる」


 シエラの祈りは、昨日より少し軽い。

 他学院の“本気”を間近で見たぶん、自分の中のスイッチも入ったのだろう。


 風は、いい感じに回っている――


 ――はずだった。


 中庭の、反対側を除けば。



 木陰のベンチのあたり。


 昨日“風の穴”があった近くに、

 数人の人影が見えた。


 輪の中心にいるのは、ソウタとカナト。


(また、あの組み合わせか)


 思わず息を呑む。


「おい、あれって……」

「やめとけよ、また面倒事になるって」


 周りの生徒たちが、少し距離を取って様子を見ている。


 風のざわめきが、じりじりと灰色に寄っていく。


「……行く」


 俺は弁当箱をベンチに置き、立ち上がった。


「だと思った」


 シエラが、すぐ隣に立つ。


「ノノハ、ちょっと準備しといて」

「は〜い。“落ち着くやつ”スタンバっておきます〜」


 ヴァンとシュンも、少し距離を置きながらついてくる。



 近づくと、ソウタの声がはっきり聞こえてきた。


「――“補欠”ってさ。実質、見てるだけじゃん」


 笑っているようで、笑っていない声。


 カナトは、困ったように眉をしかめていた。


「でも、いざってときには出るかもしれないし」

「“いざってとき”って、誰かが怪我したときだろ」


 その一言で、風がきゅっと締まった。


 ソウタの祈りが、ぐしゃぐしゃに絡まっている。


 悔しさ。

 羨ましさ。

 自分が情けないって気持ち。


 それら全部が、“どこかにぶつけたい”って方向だけを探している。


「俺だって、ちゃんとやってきたんだよ」


 ソウタが、拳を握る。


「走るのも、戦うのも、祈装だって。

 “お前もいい線いってる”って、先生だって言ってたのに」


「言ってたな」


 カナトが、小さく頷く。


「だから――俺、悔しかったよ。マジで」


「……じゃあ、なんで謝るんだよ」


 ソウタの声が、低く震える。


「なんで、お前が補欠で、俺が何でもないほうなんだよ。

 いっそ――」


 その瞬間だった。


「いっそ、お前が怪我でもすりゃ――」


 口にしかけた言葉が、祈りに触れた。


 ソウタの足元から、細い灰色の線が伸びる。


 誰にも見えないはずのそれが、俺にははっきり見えた。


(まただ……)


 昨日、中庭の端に開いた“穴”と同じ色。


 人を傷つける方向にしか向かない、“こじれた願い”の線。


 それが、カナトの足元へと滑っていく。


「――そこで止まれ」


 考えるより先に、体が動いていた。


 俺は、ソウタとカナトの間に割り込む。


 足元の石畳に、線を一本引いた。


 二人を分ける線。

 “ここから先には行かせない”線。


 灰色の線が、その境目にぶつかる。


 火花のように、ぱちっと弾けた。


 けれど――消えない。


 むしろ、濁った感情を巻き込みながら、太くなろうとしている。


「な、何だ……?」


 ソウタが、膝を押さえてうずくまる。


 自分の足元から伸びているものは、見えてはいないはずだ。

 でも、“何か”があるのは分かるのか、顔が青ざめていた。


「ソウタ!」


 カナトが叫ぶ。


 彼の祈りも、揺れている。


 申し訳なさ。

 うしろめたさ。

 “選ばれた側の罪悪感”みたいなもの。


 その揺れが、灰色の線にさらに重さを与えていた。



(全部、混ざってる)


 胸の奥が、きしむ。


 ソウタの「怪我すればいい」とか、

 カナトの「申し訳ない」とか。


 “誰かを傷つけたい”と“自分が罰を受けたい”が、

 ぐちゃぐちゃに絡まって、一つの線になろうとしている。


(分けろ)


 自分に言い聞かせる。


「ここから、ここまで」


 もう一本、線を引いた。


 ソウタ側と、カナト側。

 灰色の塊を、ぎりぎりまで割り振るイメージで。


「ソウタの“悔しい”と“羨ましい”は、こっち。

 カナトの“怖い”と“悪いと思ってる”は、そっち」


 言葉と一緒に、線を強くイメージする。


 祈りが、少しだけ分かれた。


 ソウタの足元で暴れていた灰色が、線の手前で留まる。


 カナトの側に流れ込もうとしていた分は、

 ぎりぎりでそっち側に押し返された。


(でも、このままだと――)


 ソウタの側に残ってるぶんが、まだ濃い。


 誰かを傷つける前に、

 本人ごと折れてしまいそうな色だ。


「シエラ!」


 振り向かずに呼ぶ。


「分かってる!」


 風を蹴る音。


 シエラの祈装剣が、俺の線のすぐ外側を斜めに走る。


「“噛みつきそうなほう”だけ、切る!」


 風が、灰色の塊を叩きつける。


 ソウタの足元から伸びていた線が、ばきん、と音を立てて砕けた。


 残ったのは――素直な「悔しい」と「情けない」がむき出しの祈りだけ。


 それはたしかに重いけど、誰かを直接傷つける方向には向いていない。


「う、ぐっ……」


 ソウタが、膝から崩れた。


 その肩を、ヴァンが後ろから支える。


「立てるか」

「お、俺……今、何……」


 ソウタの視線が震えている。


 その前に、カナトが一歩踏み出した。


「さっきの、言葉のことなら」


 カナトは、自分の胸を軽く叩いた。


「正直、ぶん殴ってやろうかと思った」


「……だよな」


「でもさ」


 カナトは、ソウタの肩を掴む。


「俺、嬉しかったよ。

 お前が、本気で悔しがってくれてるの」


「は?」


「だって、“どうでもいい”って思ってたら、そんな顔しないだろ」


 カナトの祈りの色が、少しだけ透き通っていく。


「俺さ。補欠に選ばれたとき、正直、怖かった。

 “なんで俺なんだろう”“本当に足引っ張らないか”って」


「……知ってるよ」


 ソウタが、かすれた声で言う。


「お前、そういう顔してたし」


「でも、選ばれなかったお前の前では、あんまりそういう顔しちゃいけない気がしてさ」


 カナトは、少しだけ笑った。


「だから、正直に言う。

 俺、めちゃくちゃ怖い。自信なんて、そんなにない。

 でも――」


 ぎゅっと、ソウタの肩に力を込める。


「お前が悔しがってくれてるぶんまで、ちゃんとやるから」


 ソウタの目から、ぽろっと涙がこぼれた。


「……ずるい」


「どっちが」


「そっちだよ……」


 しゃくり上げるような声が、中庭の風に混ざる。


 さっきまで灰色だった風が、少しずつ、軽くなっていく。



「――はい、そこまで」


 背後から聞こえた声に振り向くと、

 ミオ先生が少し離れたところに立っていた。


 その隣には、ユラ先生。


「上手く割り振りましたね、天霧くん」


 ミオ先生が、足元の線を見て微笑む。


「全部なかったことにしようとしなかったの、正解です」


「……全部消そうとしたら、余計にこじれてた気がします」


「ですね」


 ミオ先生は頷く。


「“悔しい”も、“羨ましい”も、本来は悪いものじゃありませんから」


 ユラ先生が、くるっと指を回した。


「ただ、噛みつく口がつくと厄介なだけ」

「さっきの、そうでしたね」


 俺は、ソウタの足元を見下ろす。


 灰色の線は、もう残っていない。

 ただ、疲れ果てた少年が、一人分の重さで座り込んでいるだけだ。


「ちょっと、保健室行こっか」


 ユラ先生が、ソウタとカナトのほうへ歩いていく。


「二人とも。体のほうも心のほうも、ちょっと見せてもらうよ」


「……すみません」


 ソウタが、弱々しく頭を下げる。


「謝るのは、あとで落ち着いてからでいい」


 ユラ先生は、軽く肩を叩いた。


「今のところ、“噛みつきかけられた”くらいで済んでる。

 ちゃんと吐き出せば、まだ間に合う」


 その言い方に、ドキッとする。


「噛みつき、かけられた?」


 思わず問い返すと、ユラ先生は振り向いて目を細めた。


「さっきの色、見えたでしょ?」


「……はい」


「昨日、中庭の端で見た“穴”と、同じ系統だよ」


 胸の奥が冷たくなる。


「じゃあ、やっぱり――」


「無祈が、学内まで顔出し始めてる」


 ユラ先生の声は、さっきまでの軽さをすっかり消していた。


「今までは、せいぜい外から風をかき回してくるくらいだったのにね。

 昨日の穴で、“ここまで寄れる”って味をしめたんだろう」


 ミオ先生が、静かに続ける。


「“負けるくらいなら怪我させたい”。

 “選ばれないくらいなら、誰かを引きずり下ろしたい”」


 その言葉が、やけに中庭に響いた。


「そういうこじれた祈りは、向こうからしたら格好の標的です」


「……ソウタは、噛まれたんですか」


「まだ“噛まれかけた”くらいです」


 ミオ先生は首を振る。


「勇くんの線と、シエラさんの一撃が、ちゃんと盾になりましたから」


「でも、逆に言えばね」


 ユラ先生が、空を見上げる。


「“同じくらいのこじれ”が別の場所で起きてたら、

 今ので一本噛み切られててもおかしくなかった」


 誰かの「怪我すりゃいいのに」が、

 そのまま実現するくらいには。



 夕方。


 一連の騒ぎのあと、俺たちはミオ先生の部屋で簡単な聞き取りを受けた。


 ソウタとカナトは、保健室でしばらく休むことになったらしい。

 大きな怪我はない。

 でも、“何が起きかけたか”を理解するには時間が必要だ。


 解散したあと、俺はふらっと屋上に上がった。


 風は、昼間より少しだけ冷たい。


「やっぱ来てた」


 背後から聞き慣れた声。


 振り向くと、そこにアスハがいた。


 手すりにもたれ、街の灯りを見下ろしている。


「……今日の、見てたんですか」


「見てた」


 アスハは、あっさり言う。


「ソウタって子、ギリギリだったな。

 あと一歩線を引くのが遅かったら、たぶん中庭に“穴”空いてた」


「やっぱり、“穴”だったんですね」


「うん。昨日のと同じタイプ」


 アスハは、風に髪を揺らしながら続ける。


「“虚風”のやり口だよ」


 その言葉に、胸の奥で何かが引っかかった。


「虚風……」


「名前は覚えときな」


 アスハの瞳が、夜の空を映す。


「風を“止める”祈り。

 動けなくして、淀ませて、腐らせる」


「無祈の……騎士、でしたっけ」


「そう」


 アスハは、小さく笑う。


「昔、一緒に戦線にいたやつの“成れの果て”。

 風祈の、最悪の未来パターンみたいなもんだ」


 その言い方に、ぞくりとした。


「今日のソウタみたいなこじれが、放置された先にいるやつ、ってことですか」


「ざっくり言えばね」


 アスハは、柵の上に片足を乗せる。


「だから、今日のは“予告編”みたいなもんだよ」


「予告編、って」


「“学内まで手が届くようになりました”って、向こうからの」


 風が、一瞬だけ止まった。


「リーグは、祈りが一番集まる場所だろ。

 期待も、不安も、嫉妬も。

 ……噛みつくには、ちょうどいい」


 アスハの言葉は静かだったけれど、

 重さはさっきの灰色の線と同じくらいだった。



「俺、全部は救えないですよ」


 気づけば、そう口にしていた。


「ソウタみたいなこじれが、これから何回も起こるとしたら。

 全部拾い上げるなんて無理です」


「知ってるよ」


 アスハは、あっさり言う。


「お前一人じゃ、ね」


「……」


「だから、一人でどうにかしようとするのやめろって、

 前にも言ったろ」


 アスハは、指で風を弾いた。


「今日のだって、お前一人じゃ無理だった。

 線引いたのはお前だけど、噛みつきかけのところを叩き切ったのはシエラだし、

 空気整えたのはノノハで、支えたのはヴァンとカナトだ」


 さっきの光景が、頭に浮かぶ。


 線。

 風。

 歌。

 泣きそうな顔。


「……たしかに」


「これからもだよ」


 アスハは、こちらを振り向いた。


「これからリーグが始まって、

 他の学院のこじれも、祈導局のこじれも、

 もっとでかい“穴”も出てくる」


 その言葉の一つ一つが、これからの未来に線を引いていくような感覚。


「そのたびに、“全部救えないから何もしない”って線を引くか。

 “全部は無理でも、この中だけは今守る”って円を描くか」


 アスハは、口の端を上げた。


「お前は、どっちのほうが似合うと思う?」


「そんなの……決まってるじゃないですか」


 自分でも驚くくらい、答えはすぐに出た。


「全部は救えないけど、“ここまでは”って線を引くほうです」


「うん」


 アスハは、満足げに頷いた。


「そんで、気づいたらその円がちょっとずつ広がってる、ってのが一番タチ悪いんだ。

 敵からしたらね」


「褒めてます、それ」


「めちゃくちゃ褒めてる」


 ふたりで、少しだけ笑った。



 風が、夜の学院を撫でていく。


 その中に、さっきまでの灰色のざわめきは、ほとんど残っていない。


 代わりにあるのは――


 リーグに向けた期待。

 うまくいかなかった今日の後悔。

 ソウタとカナトが、どう向き合うかって不安。


 それでも、ちゃんと“動いている”祈りたち。


(止めさせない)


 胸の奥で、小さく決める。


 虚風がどれだけ穴を空けようとしても。

 無祈がどれだけ噛みつこうとしても。


 俺は、そのたびに線を引く。


 全部は無理でも、

 “ここだけは”って円を、何度でも描き直す。


 その円の中には、きっと――


 風祈学院。

 水祈学院。

 炎祈学院。

 これから出会う他の学院の連中も。


 そして、こじれながら笑っている仲間たちも。


 全部、入ってくる。


 夜の風が、少しだけ優しくなった気がした。



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