第19話 こじれた祈りが噛まれるとき
水祈学院との合同訓練の翌日。
風祈学院の空は、やたらとざわざわしていた。
「見た? 水祈の隊長さん」
「セラさんでしょ。やばくない? あの落ち着き方」
「ユイちゃんも可愛かった〜。“不吉な水”とか言ってたけど、何それこわい」
廊下を歩くだけで、昨日の話題が耳に飛び込んでくる。
期待と、憧れと、焦り。
そこに、ほんの少し嫉妬が混ざった風。
(……やっぱり、増えてるな)
自分でも理由が分かってる。
祈装連盟リーグ。
学院の代表。
他学院との合同訓練。
“選ばれる側”と“選ばれなかった側”の線が、
少しずつ、はっきりしてきているからだ。
◇
教室に入ると、いつものメンバーがいつもの場所にいた。
ヴァンは窓際でノートをめくっていて、
シュンは机に突っ伏しながら何かぶつぶつ言っている。
「……炎祈との合同訓練、絶対ヤバいやつだろ。全員暑苦しいの確定だろ……」
「おはよう」
「うぃ……おはよ……」
返事が弱い。
ノノハは、机の上にノートを広げていた。
びっしり書き込まれた、昨日の歌祈りのメモ。
「勇くん〜。昨日の合同訓練の感想、あとで細かく教えてくださいね〜。
水祈さんたちとの“相性チェック”したいです」
「相性チェック?」
「歌、合わせる時に、“どの属性とどこが重なりやすいか”見るんですよ。
水祈との共鳴、試してみたくて〜」
ノノハが楽しそうに笑う。
……その声の裏側で、
別の会話が耳に入ってきた。
「代表メンバー、やっぱ固定なんだろ?」
「さすがにもう変わらないでしょ。
適性テストも、合同訓練も済ませたし」
「補欠でもいいから入りたかったなぁ……」
教室の隅でそんなことを言っているのは、
クラスメイトのソウタだった。
背が高くて、足が速い。
仮想決闘会でも悪くない動きを見せていた。
その隣で、同じくクラスメイトのカナトが、困ったような顔をして立っている。
「お前だって、結構ギリギリまで残ってたろ」
「“結構ギリギリまで”が一番つらいんだよ。
どうせダメなら、最初から名前出ないほうがマシだった」
(……うわ)
風が、少しだけ重くなる。
代表候補の最終選考のとき、
ソウタの名前もたしかに残っていた。
けど、実際に“補欠”として呼ばれたのは、カナトのほうだ。
「悪い」
カナトが、俯きがちに言った。
「なんでお前が謝るんだよ」
「いや……なんとなく」
ソウタは、軽く舌打ちした。
「“なんとなく謝る”くらいなら、いっそ――」
そこで、彼の視線がふっとこちらをかすめた。
勇。
シエラ。
一年戦線。
風の色が、少しだけ濁る。
(やな色)
胸の奥で、小さな警報が鳴った。
◇
午前の授業は、いつもどおり進んだ。
祈装理論。
線図の読み方。
リーグに向けた安全管理。
でも、生徒たちの祈りはじっとしていない。
水祈との合同訓練でできた繋がり。
代表メンバーの顔ぶれ。
“自分はどこに立っているのか”って不安。
「――で、今日の宿題はここまで」
ミオ先生が黒板を軽く叩く。
「午後は、代表メンバーは軽い調整訓練。
それ以外の人は、自分たちの課題に集中してください」
そう言って教室を見回したとき、一瞬だけ、ソウタのほうを見た気がした。
けれど、何も言わずに教室を出ていった。
◇
昼休み。
俺たちはいつもの中庭の隅で弁当を広げていた。
風の通りがよくて、
人の通りが少ない、お気に入りの場所。
「ふ〜……昨日の水祈との訓練の話、もっと聞きたかったなぁ〜」
ノノハが、箸を持ったまま空を見上げる。
「セラさん、やっぱりすごかった?」
「うん。守りを決めるの、すごく早かった。
“ここさえ守れればいい”って線を、ほとんど迷わず決めてた」
「戦場慣れしてる感じだったな」
ヴァンが頷く。
「それに、ユイとシエラの連携も悪くなかったぞ。
足元の水、うまく使ってた」
「ね」
シエラが、唐揚げをかじりながら口を挟む。
「あの子、勢いだけじゃなくて、“どこまで滑らせていいか”ちゃんと見てる。
……ちょっとズルい」
「褒めてるだろ、それ」
「褒めてる」
シエラの祈りは、昨日より少し軽い。
他学院の“本気”を間近で見たぶん、自分の中のスイッチも入ったのだろう。
風は、いい感じに回っている――
――はずだった。
中庭の、反対側を除けば。
◇
木陰のベンチのあたり。
昨日“風の穴”があった近くに、
数人の人影が見えた。
輪の中心にいるのは、ソウタとカナト。
(また、あの組み合わせか)
思わず息を呑む。
「おい、あれって……」
「やめとけよ、また面倒事になるって」
周りの生徒たちが、少し距離を取って様子を見ている。
風のざわめきが、じりじりと灰色に寄っていく。
「……行く」
俺は弁当箱をベンチに置き、立ち上がった。
「だと思った」
シエラが、すぐ隣に立つ。
「ノノハ、ちょっと準備しといて」
「は〜い。“落ち着くやつ”スタンバっておきます〜」
ヴァンとシュンも、少し距離を置きながらついてくる。
◇
近づくと、ソウタの声がはっきり聞こえてきた。
「――“補欠”ってさ。実質、見てるだけじゃん」
笑っているようで、笑っていない声。
カナトは、困ったように眉をしかめていた。
「でも、いざってときには出るかもしれないし」
「“いざってとき”って、誰かが怪我したときだろ」
その一言で、風がきゅっと締まった。
ソウタの祈りが、ぐしゃぐしゃに絡まっている。
悔しさ。
羨ましさ。
自分が情けないって気持ち。
それら全部が、“どこかにぶつけたい”って方向だけを探している。
「俺だって、ちゃんとやってきたんだよ」
ソウタが、拳を握る。
「走るのも、戦うのも、祈装だって。
“お前もいい線いってる”って、先生だって言ってたのに」
「言ってたな」
カナトが、小さく頷く。
「だから――俺、悔しかったよ。マジで」
「……じゃあ、なんで謝るんだよ」
ソウタの声が、低く震える。
「なんで、お前が補欠で、俺が何でもないほうなんだよ。
いっそ――」
その瞬間だった。
「いっそ、お前が怪我でもすりゃ――」
口にしかけた言葉が、祈りに触れた。
ソウタの足元から、細い灰色の線が伸びる。
誰にも見えないはずのそれが、俺にははっきり見えた。
(まただ……)
昨日、中庭の端に開いた“穴”と同じ色。
人を傷つける方向にしか向かない、“こじれた願い”の線。
それが、カナトの足元へと滑っていく。
「――そこで止まれ」
考えるより先に、体が動いていた。
俺は、ソウタとカナトの間に割り込む。
足元の石畳に、線を一本引いた。
二人を分ける線。
“ここから先には行かせない”線。
灰色の線が、その境目にぶつかる。
火花のように、ぱちっと弾けた。
けれど――消えない。
むしろ、濁った感情を巻き込みながら、太くなろうとしている。
「な、何だ……?」
ソウタが、膝を押さえてうずくまる。
自分の足元から伸びているものは、見えてはいないはずだ。
でも、“何か”があるのは分かるのか、顔が青ざめていた。
「ソウタ!」
カナトが叫ぶ。
彼の祈りも、揺れている。
申し訳なさ。
うしろめたさ。
“選ばれた側の罪悪感”みたいなもの。
その揺れが、灰色の線にさらに重さを与えていた。
◇
(全部、混ざってる)
胸の奥が、きしむ。
ソウタの「怪我すればいい」とか、
カナトの「申し訳ない」とか。
“誰かを傷つけたい”と“自分が罰を受けたい”が、
ぐちゃぐちゃに絡まって、一つの線になろうとしている。
(分けろ)
自分に言い聞かせる。
「ここから、ここまで」
もう一本、線を引いた。
ソウタ側と、カナト側。
灰色の塊を、ぎりぎりまで割り振るイメージで。
「ソウタの“悔しい”と“羨ましい”は、こっち。
カナトの“怖い”と“悪いと思ってる”は、そっち」
言葉と一緒に、線を強くイメージする。
祈りが、少しだけ分かれた。
ソウタの足元で暴れていた灰色が、線の手前で留まる。
カナトの側に流れ込もうとしていた分は、
ぎりぎりでそっち側に押し返された。
(でも、このままだと――)
ソウタの側に残ってるぶんが、まだ濃い。
誰かを傷つける前に、
本人ごと折れてしまいそうな色だ。
「シエラ!」
振り向かずに呼ぶ。
「分かってる!」
風を蹴る音。
シエラの祈装剣が、俺の線のすぐ外側を斜めに走る。
「“噛みつきそうなほう”だけ、切る!」
風が、灰色の塊を叩きつける。
ソウタの足元から伸びていた線が、ばきん、と音を立てて砕けた。
残ったのは――素直な「悔しい」と「情けない」がむき出しの祈りだけ。
それはたしかに重いけど、誰かを直接傷つける方向には向いていない。
「う、ぐっ……」
ソウタが、膝から崩れた。
その肩を、ヴァンが後ろから支える。
「立てるか」
「お、俺……今、何……」
ソウタの視線が震えている。
その前に、カナトが一歩踏み出した。
「さっきの、言葉のことなら」
カナトは、自分の胸を軽く叩いた。
「正直、ぶん殴ってやろうかと思った」
「……だよな」
「でもさ」
カナトは、ソウタの肩を掴む。
「俺、嬉しかったよ。
お前が、本気で悔しがってくれてるの」
「は?」
「だって、“どうでもいい”って思ってたら、そんな顔しないだろ」
カナトの祈りの色が、少しだけ透き通っていく。
「俺さ。補欠に選ばれたとき、正直、怖かった。
“なんで俺なんだろう”“本当に足引っ張らないか”って」
「……知ってるよ」
ソウタが、かすれた声で言う。
「お前、そういう顔してたし」
「でも、選ばれなかったお前の前では、あんまりそういう顔しちゃいけない気がしてさ」
カナトは、少しだけ笑った。
「だから、正直に言う。
俺、めちゃくちゃ怖い。自信なんて、そんなにない。
でも――」
ぎゅっと、ソウタの肩に力を込める。
「お前が悔しがってくれてるぶんまで、ちゃんとやるから」
ソウタの目から、ぽろっと涙がこぼれた。
「……ずるい」
「どっちが」
「そっちだよ……」
しゃくり上げるような声が、中庭の風に混ざる。
さっきまで灰色だった風が、少しずつ、軽くなっていく。
◇
「――はい、そこまで」
背後から聞こえた声に振り向くと、
ミオ先生が少し離れたところに立っていた。
その隣には、ユラ先生。
「上手く割り振りましたね、天霧くん」
ミオ先生が、足元の線を見て微笑む。
「全部なかったことにしようとしなかったの、正解です」
「……全部消そうとしたら、余計にこじれてた気がします」
「ですね」
ミオ先生は頷く。
「“悔しい”も、“羨ましい”も、本来は悪いものじゃありませんから」
ユラ先生が、くるっと指を回した。
「ただ、噛みつく口がつくと厄介なだけ」
「さっきの、そうでしたね」
俺は、ソウタの足元を見下ろす。
灰色の線は、もう残っていない。
ただ、疲れ果てた少年が、一人分の重さで座り込んでいるだけだ。
「ちょっと、保健室行こっか」
ユラ先生が、ソウタとカナトのほうへ歩いていく。
「二人とも。体のほうも心のほうも、ちょっと見せてもらうよ」
「……すみません」
ソウタが、弱々しく頭を下げる。
「謝るのは、あとで落ち着いてからでいい」
ユラ先生は、軽く肩を叩いた。
「今のところ、“噛みつきかけられた”くらいで済んでる。
ちゃんと吐き出せば、まだ間に合う」
その言い方に、ドキッとする。
「噛みつき、かけられた?」
思わず問い返すと、ユラ先生は振り向いて目を細めた。
「さっきの色、見えたでしょ?」
「……はい」
「昨日、中庭の端で見た“穴”と、同じ系統だよ」
胸の奥が冷たくなる。
「じゃあ、やっぱり――」
「無祈が、学内まで顔出し始めてる」
ユラ先生の声は、さっきまでの軽さをすっかり消していた。
「今までは、せいぜい外から風をかき回してくるくらいだったのにね。
昨日の穴で、“ここまで寄れる”って味をしめたんだろう」
ミオ先生が、静かに続ける。
「“負けるくらいなら怪我させたい”。
“選ばれないくらいなら、誰かを引きずり下ろしたい”」
その言葉が、やけに中庭に響いた。
「そういうこじれた祈りは、向こうからしたら格好の標的です」
「……ソウタは、噛まれたんですか」
「まだ“噛まれかけた”くらいです」
ミオ先生は首を振る。
「勇くんの線と、シエラさんの一撃が、ちゃんと盾になりましたから」
「でも、逆に言えばね」
ユラ先生が、空を見上げる。
「“同じくらいのこじれ”が別の場所で起きてたら、
今ので一本噛み切られててもおかしくなかった」
誰かの「怪我すりゃいいのに」が、
そのまま実現するくらいには。
◇
夕方。
一連の騒ぎのあと、俺たちはミオ先生の部屋で簡単な聞き取りを受けた。
ソウタとカナトは、保健室でしばらく休むことになったらしい。
大きな怪我はない。
でも、“何が起きかけたか”を理解するには時間が必要だ。
解散したあと、俺はふらっと屋上に上がった。
風は、昼間より少しだけ冷たい。
「やっぱ来てた」
背後から聞き慣れた声。
振り向くと、そこにアスハがいた。
手すりにもたれ、街の灯りを見下ろしている。
「……今日の、見てたんですか」
「見てた」
アスハは、あっさり言う。
「ソウタって子、ギリギリだったな。
あと一歩線を引くのが遅かったら、たぶん中庭に“穴”空いてた」
「やっぱり、“穴”だったんですね」
「うん。昨日のと同じタイプ」
アスハは、風に髪を揺らしながら続ける。
「“虚風”のやり口だよ」
その言葉に、胸の奥で何かが引っかかった。
「虚風……」
「名前は覚えときな」
アスハの瞳が、夜の空を映す。
「風を“止める”祈り。
動けなくして、淀ませて、腐らせる」
「無祈の……騎士、でしたっけ」
「そう」
アスハは、小さく笑う。
「昔、一緒に戦線にいたやつの“成れの果て”。
風祈の、最悪の未来パターンみたいなもんだ」
その言い方に、ぞくりとした。
「今日のソウタみたいなこじれが、放置された先にいるやつ、ってことですか」
「ざっくり言えばね」
アスハは、柵の上に片足を乗せる。
「だから、今日のは“予告編”みたいなもんだよ」
「予告編、って」
「“学内まで手が届くようになりました”って、向こうからの」
風が、一瞬だけ止まった。
「リーグは、祈りが一番集まる場所だろ。
期待も、不安も、嫉妬も。
……噛みつくには、ちょうどいい」
アスハの言葉は静かだったけれど、
重さはさっきの灰色の線と同じくらいだった。
◇
「俺、全部は救えないですよ」
気づけば、そう口にしていた。
「ソウタみたいなこじれが、これから何回も起こるとしたら。
全部拾い上げるなんて無理です」
「知ってるよ」
アスハは、あっさり言う。
「お前一人じゃ、ね」
「……」
「だから、一人でどうにかしようとするのやめろって、
前にも言ったろ」
アスハは、指で風を弾いた。
「今日のだって、お前一人じゃ無理だった。
線引いたのはお前だけど、噛みつきかけのところを叩き切ったのはシエラだし、
空気整えたのはノノハで、支えたのはヴァンとカナトだ」
さっきの光景が、頭に浮かぶ。
線。
風。
歌。
泣きそうな顔。
「……たしかに」
「これからもだよ」
アスハは、こちらを振り向いた。
「これからリーグが始まって、
他の学院のこじれも、祈導局のこじれも、
もっとでかい“穴”も出てくる」
その言葉の一つ一つが、これからの未来に線を引いていくような感覚。
「そのたびに、“全部救えないから何もしない”って線を引くか。
“全部は無理でも、この中だけは今守る”って円を描くか」
アスハは、口の端を上げた。
「お前は、どっちのほうが似合うと思う?」
「そんなの……決まってるじゃないですか」
自分でも驚くくらい、答えはすぐに出た。
「全部は救えないけど、“ここまでは”って線を引くほうです」
「うん」
アスハは、満足げに頷いた。
「そんで、気づいたらその円がちょっとずつ広がってる、ってのが一番タチ悪いんだ。
敵からしたらね」
「褒めてます、それ」
「めちゃくちゃ褒めてる」
ふたりで、少しだけ笑った。
◇
風が、夜の学院を撫でていく。
その中に、さっきまでの灰色のざわめきは、ほとんど残っていない。
代わりにあるのは――
リーグに向けた期待。
うまくいかなかった今日の後悔。
ソウタとカナトが、どう向き合うかって不安。
それでも、ちゃんと“動いている”祈りたち。
(止めさせない)
胸の奥で、小さく決める。
虚風がどれだけ穴を空けようとしても。
無祈がどれだけ噛みつこうとしても。
俺は、そのたびに線を引く。
全部は無理でも、
“ここだけは”って円を、何度でも描き直す。
その円の中には、きっと――
風祈学院。
水祈学院。
炎祈学院。
これから出会う他の学院の連中も。
そして、こじれながら笑っている仲間たちも。
全部、入ってくる。
夜の風が、少しだけ優しくなった気がした。




