第18話 風と水、初めての共闘
水祈学院との合同訓練は、そのまま中庭で続けて行われた。
「じゃあ次は――“混成小隊での護衛訓練”いきましょうか」
ミオ先生の声が、穏やかに響く。
「想定は簡単です。
中央に“守るべき対象”を置きます。
そこを、風祈と水祈の混成チームで守りきること」
言いながら、先生は中庭の中央に小さな祈装柱を立てた。
淡い光が脈打っている。
「この柱が“祈りの拠点”だと思ってください。
誰か一人でも近づけたら“拠点損傷”として攻撃側の勝ち」
「攻撃側って誰がやるんです?」
シュンが手を挙げる。
「そこはもちろん――」
ミオ先生が微笑む。
「先生たち、ですね」
その言葉と同時に、ユラ先生とカガリ先生が、楽しそうに指を鳴らした。
「いやな予感しかしないんだけど」
シエラが、露骨に眉をひそめる。
「先生が本気出す訓練って、だいたいロクなことにならないよね」
「失礼だな〜。
ちゃんと“加減した本気”だから大丈夫だよ?」
「加減した本気が一番たち悪いって、前に自分で言ってましたよね」
ノノハのツッコミに、周りから笑いがこぼれた。
◇
「守り側の編成は――」
ミオ先生が祈り板を見て、名前を読み上げる。
「風祈学院から、天霧くん、シエラさん、ヴァンくん。
水祈学院から、セラさん、ユイさん、ナギくん」
「お、隊長組と、攻撃手と制御役で固めた感じか」
シュンが腕を組んで頷く。
「ノノハさんは、外側から“場の調整”をお願いします。
歌は強すぎないやつで」
「は〜い、“うっかり全員寝かせる歌”は封印しておきます〜」
「絶対に封印してくださいね」
ミオ先生の声が、ほんの少しだけ真剣になった。
◇
守り側六人は、祈装柱の周りに円を描くように立った。
セラが、ふんわりと水の膜を広げる。
淡い光を帯びた水が、柱の上にひとつの“天蓋”を作った。
「まずは、ここを基準にしましょう。
この膜が破られた時点で、かなり不利になります」
「了解」
ヴァンが短く返事をする。
「俺は、外側に風の壁を重ねる。
真正面から突っ込んでくる攻撃は、できるだけそっちで逸らす」
「なら、あたしは“動くほう”ね」
シエラが祈装剣の柄に手を添えた。
「風の壁の外側。
抜けてきそうなやつを、走って叩き落とす」
ユイと呼ばれた水祈の少女が、ぱっと手を挙げる。
「じゃあ、あたしはシエラさんの後ろにつきます!
足元、滑らないように“流れだけ”敷いておきますから!」
茶色がかった髪を短く結んだ、小柄な少女だった。
目つきは元気で、人懐っこい笑顔がよく似合う。
(この子が、ユイか)
以前、名前だけ聞いていた“攻撃寄りの水祈”。
ナギと呼ばれた少年は、口数少なくうなずくだけだった。
長い前髪の下から覗く目は、ひたすら周囲の流れを見ている。
「ボクは、風圧と衝撃の“逃がし”を担当します」
声は低いが、柔らかい。
「風と水、両方がぶつかりすぎたら、下に落としますね」
「助かる」
俺は自分の役目を確認する。
「じゃあ、俺は――」
「“どこを割り切るか”、決める役だね」
セラが、静かに言葉を継いだ。
「全部守ろうとしても、穴だらけになります。
“ここさえ守れればいい”って線を、あなたに決めてほしい」
「線、か」
足元の石畳の上に、視線を落とす。
祈装柱。
その周りにいる仲間。
守るべき範囲と、捨ててもいい範囲。
(全部は、無理だ)
それは分かっている。
だったら――
「……半径三歩分」
俺は、柱から少し離れた場所に立って、ぐるりと足を回した。
「ここから、ここまで。
この円の中に入った攻撃だけを、絶対通さない」
石畳の上に、淡い線が描かれる。
円の内側と外側で、風の流れがわずかに変わった。
「それより遠くは、“できるだけ”でいい。
届きそうなやつは叩き落とすし、無理だと思ったら外で受け流す」
シエラが口角を上げる。
「いいね。
“ここだけは絶対通さない”って場所、あたし好き」
「じゃあ、そこを中心に動きましょう」
セラが、天蓋の水膜を少しだけ薄くする。
「無理に広げるより、厚く、小さく。
勇くんの線の内側と、ぴったり重ねます」
ナギが、下から水の支えを差し込んだ。
線の内側の地面の色が、ほんの少し変わる。
「流れ、整えました。
これなら“落とす場所”も、分かりやすいです」
「よし」
ヴァンが静かに息を吐く。
「じゃあ、あとは――来るのを待つだけだな」
◇
攻撃側は、ユラ先生とカガリ先生。
それから、上級生の有志が数人。
ユラ先生は、いつもの笑顔のまま中庭の端に立った。
「攻撃側の目的は、簡単。
柱に触ること。もしくは、“誰かの戦意をくじくほどの一撃”を入れること」
「戦意って、どうやって見るんですか〜?」
ノノハが外野から手を挙げる。
「分かるよ。
風、見てればね」
ユラ先生は、軽く指を鳴らした。
「じゃ、始めよっか」
風が、一瞬だけ止まる。
次の瞬間、横合いから強い突風が吹き込んできた。
◇
「左、二枚!」
ヴァンの声と同時に、俺は線の外縁に風の壁を立てた。
ユラ先生の風が、さっと形を変える。
最初の突風は、壁に当たる直前で散り、細かい刃のようになって襲いかかってきた。
「細かいのずるい!」
思わず叫ぶと、どこか遠くから笑い声が返ってきた。
「戦場で“ずるい”は褒め言葉だよ〜!」
ユラ先生の声だ。
(くそ……)
細かい風刃は、壁をすり抜けて内側に入ってくる。
線の内側、柱のそばにいるセラとユイへ向かって――
「そこッ!」
シエラの風が横から叩きつけられた。
足場を蹴って駆け込んだ彼女の一撃が、風刃の軌道をまとめてそらす。
散らばりかけた風は、ナギの水流に絡め取られ、
そのまま地面へと吸い込まれていった。
「今の、気持ちよく決まった〜!」
シエラが笑う。
「シエラさん、足元の流れ、少しだけ強くしますね!」
ユイが、彼女の動きに合わせて水の筋を敷く。
シエラの踏み込みが、さっきよりも滑らかになった。
風と水が、ひとつの軌道を描いている。
(……本当に、よく合うな)
感心している暇もなく、今度は反対側――
上方向から、鋭い気配が降ってきた。
「上!」
叫ぶと同時に、線の内側へ飛び込む。
カガリ先生の祈装剣が、真上から振り下ろされる気配。
風に乗った殺気が、柱を狙っている。
セラの水膜が厚くなり、
ヴァンの防壁が、下から支えを入れる。
俺は、自分の線に沿って一歩踏み込んだ。
「ここから先は、通さない!」
風を“受ける線”に流す。
落ちてくる衝撃が、線に触れた瞬間――
力が横へと逸れた。
斜めに滑った一撃を、シエラがさらに叩き落とす。
「先生の一撃、重すぎ!」
「お前らが元気すぎるから、これでもだいぶ抑えてんだぞ!」
カガリ先生の怒鳴り声が、半分笑いになっていた。
◇
攻撃と防御の応酬は、しばらく続いた。
ユラ先生の変則的な風。
カガリ先生の真っ向勝負。
上級生たちの、実戦で鍛えられた祈装。
それら全部を、風祈と水祈の混成で受け止める。
風の壁で方向を変え、
水の膜で衝撃を和らげ、
落ちてきた力を地面に逃がす。
ノノハの歌が、場の空気を一定に保ち続けていた。
(――合ってきた)
何度目かの攻撃をしのぎながら、ふとそんな実感が生まれる。
俺の線と、セラの水膜。
シエラの突撃と、ユイの流れ。
ヴァンの防壁と、ナギの落とし。
それぞれの役目が、少しずつ“噛み合う位置”に収まってきていた。
「いいですね」
どこかでミオ先生の声がした。
「これなら――」
言葉の続きを、突然の違和感がさらっていった。
◇
(……ん?)
胸の奥が、ざわりとした。
今まで中庭を満たしていた祈りの流れ。
風祈と水祈と、歌と、先生たちの攻撃。
そのどれとも違う、乾いた“空白”が、どこかに混ざった気がした。
(何だ、今の)
線の外側に、目を向ける。
中庭の端。
石畳が芝に変わる境目。
そこに――一瞬だけ、風が止まった場所があった。
止まる、というより、“抜けている”。
穴のように、ぽっかりと。
「天霧くん?」
セラの声で、我に返る。
目の前には、ユラ先生の次の攻撃が迫っていた。
大量の風を“見せかけ”にして、その陰に本命を隠すやり方。
いつもならすぐに見抜けるはずなのに、一瞬判断が遅れた。
「悪い!」
慌てて線を引き直し、
本命の一撃のほうに壁を立てる。
ギリギリのところで受け止めることはできたが――
「ちょっと、どうしたの勇。
今の、いつものあんたなら余裕で捌けてたでしょ」
シエラが肩越しに言う。
「……変な“穴”を見つけた」
「穴?」
セラが、わずかに表情を引き締めた。
「どこですか」
「中庭の外れ。
芝のあたりに、一瞬だけ風が止まってた」
言葉にしながら、自分でもそれがどれだけおかしいことかを実感する。
この学院では、風は常にどこかを流れている。
完全に“ゼロ”になる場所なんて、そうそうない。
あるとしたら――
(ゼロライン。
それから、“無祈”に噛まれたところ)
背筋に、冷たいものが走った。
◇
そのとき。
中庭の端で、ぱち、と小さな音がした。
誰かが指を鳴らしたような、
祈りの線がひとつ切れたような。
そこから、じわりと“静けさ”が広がる。
風も、水も、歌も、そこだけ避けて流れていく。
――虚風。
昨日、塔の上から学院を見下ろしていた影。
ジルが、遠くの空白からそっと指を動かしていた。
「……さすがに、敏いな」
中庭の中心にいる少年――天霧勇の視線が、
確かに“穴”のほうを向いたのを、ジルは見ていた。
「でも、まだ“こっち側”までは届かない」
虚風の騎士は、外套の中で膝を抱え込む。
風を止める祈りが、芝の上に小さな円を描いた。
そこに落ちてきたのは、
さっきまで中庭を飛び交っていたはずの風祈の欠片たち。
笑い声。
負けた悔しさ。
勝った嬉しさ。
誰かのことを考える、甘いざわめき。
それら全部が、穴の中でいったん動きを止める。
「……うるさい」
ジルの肩が、僅かに震えた。
「そんなの、長くは続かないのに」
虚風の祈りが、穴の底に落ちていく。
けれど、その“完全な停止”は、あまり長くは続かなかった。
ふと、穴の縁を、別の風がなぞったからだ。
◇
「やっぱり、なんか変だ」
俺は、線の外側に向かって、そっと風を流した。
穴の位置を、直接覗き込まない。
ただ、“どこに流れが滞っているか”を探る程度に。
風が、ひとつ引っかかった。
何かに触れて、わずかに戻される。
(……空っぽ?)
祈りがあるわけじゃない。
でも、“何もない”とも言い切れない。
ゼロラインのような、はっきりした境界ではない。
もっと曖昧で、もっと中途半端な――
そのとき。
「勇くん、こっちに集中!」
ノノハの声が飛んできた。
見れば、攻撃側の上級生の一人が、
いつの間にか線のすぐ外側まで滑り込んでいた。
「っ――!」
反射的に線を引き直す。
風の壁で進路をずらし、
シエラとユイが挟むように飛び込んで、
その上級生を後ろへと弾き返した。
結界が、保護の光を一瞬だけ強くした。
「はい、そこまで!」
ミオ先生の声が高く響く。
「今日の合同訓練は、ここで終了です。
攻撃側も守り側も、お疲れさまでした」
ふっと、風の緊張がほどける。
◇
「……ごめん。
最後、集中切らした」
訓練が終わってから、俺は仲間の輪の中で頭を下げた。
「いや、通してはいないし」
ヴァンが肩をすくめる。
「ぎりぎりで間に合わせたなら、上等だ」
「それに」
シエラが、じろっと俺を見る。
「あんたが“変だ”って言うときは、大体ほんとに何かあるしね」
「信用があるんだかないんだか……」
「“やな予感”の当たり率だけは妙に高いって話」
悪態をつきながらも、声はどこか心配そうだった。
セラが、一歩こちらに近づく。
「穴の位置、教えてもらってもいいですか」
「……あの辺です」
中庭の端――芝生のあたりを指さす。
「今は、もうほとんど分からない。
でもさっき、一瞬だけ本当に“空白”みたいなものがあった」
「“無祈”の気配では?」
ナギが、静かに問う。
「はっきりそうとは言えない。
けど、“祈りがそこだけ届かない”感じは、似てた」
言いながら、自分の背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
◇
その会話を、少し離れたところで、
ミオ先生とユラ先生、リツ先生が静かに聞いていた。
「……気づきましたか」
ミオ先生が、低い声で言う。
「うん。
天霧くんが言うより、ちょっと前からね」
ユラ先生は、中庭の端を眺めながら頷く。
「風がひとところだけ、妙に“止まろうとしてた”」
「止まろうとしてた?」
「完全に止まったわけじゃないんだ。
でも、“止まりたがってる”感じ」
それは、ユラ先生特有の言い方だった。
リツ先生が、腕を組む。
「学院の結界には、今のところ大きな歪みはありません。
ただ……外側に、“風の抜け道”みたいなものができかけている」
「無祈、ですか」
「だと思ったほうがいいでしょうね」
リツ先生は、淡々と続けた。
「ただ、今の段階では、まだ“噛まれた”というほどではありません。
様子見に来た、くらいのものです」
「様子見、ねぇ……」
ユラ先生は、空を見上げる。
「相手が“虚風”だとしたら、確かにやりそう」
ミオ先生が、わずかに目を見開いた。
「もう、そこまで特定を?」
「風の止めかたが、昔見た記録と似てたからね〜」
ユラ先生は軽く肩をすくめた。
「風を動かさない祈り。
“虚風”の線の引きかた」
リツ先生が頷く。
「ジル、でしたね。
元・風祈系の戦線要員」
「今は、“無祈の騎士”か」
ユラ先生は、少しだけ目を細めた。
「……来るねぇ。
思ってたより早い」
◇
夕方。
水祈学院との合同訓練は解散となり、
それぞれが寮や食堂へと散っていった。
俺たち一年戦線は、少し遅れて中庭を後にする。
「勇くん、さっきの“穴”の話、
あとでちゃんと先生にも共有してくださいね〜」
ノノハが、少し真面目な顔で言う。
「もちろん」
「なんかあったら、また歌で場を落ち着かせますから」
彼女の笑顔は、いつものふわふわしたものより、
少しだけ強かった。
「頼りにしてる」
そう言うと、ノノハは照れたように頬をかいた。
シエラが、隣で腕を組む。
「……あんたさ」
「ん?」
「ああいう“やな感じ”感じたときは、
ちゃんと早めに言いなよ」
「言ったつもりなんだけど」
「さっきのは“ちょっと変”くらいの言い方だった。
あれ、“かなりやばい”の手前でしょ」
図星だった。
「ごめん」
「べつに、責めてるわけじゃないけどさ」
シエラは、前を向いたまま続ける。
「あたしら、同じ線の中にいるんだから。
“ここからここまで守る”って決めたなら、
そこに入ってる全員も、ちゃんと頼って」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「……分かった。
次からは、もっとちゃんと言う」
「よろしい」
シエラは、それだけ言って歩調を少し早めた。
その背中を見送っていると――
「天霧くん」
背後から、静かな声がした。
振り向けば、セラが一人で立っていた。
◇
「さっきの“穴”のことですが」
セラは、本題から入った。
「こちらの隊でも共有しておきます。
ナギは流れの変化に敏いですし、
ユイは――ああ見えて、“不吉な水”を感じるのが得意でして」
「不吉な水……?」
「はい。
“流れてはいけないほうへ流れようとする水”は、だいたい厄介ごとの前触れです」
セラは、淡く笑った。
「あなたが言っていた“穴”に、似ていますね」
「……似てるかもしれません」
しばらく、言葉を選んでから続ける。
「助かります。
正直、俺ひとりじゃ見落とすことも多いと思うんで」
「ひとりではありませんよ」
セラの声は、柔らかかった。
「あなたには、風祈学院の仲間がいて、
私たち水祈の者もいます」
そして、少しだけ目を伏せる。
「それに――」
「それに?」
「……風祈の線は、何度か、世界を繋ぎ直してくれましたから」
唐突に出た言葉に、胸がひやりとした。
何かを思い出しそうになる感覚。
でも、その“何か”は、いつものように霧に飲み込まれていく。
(……今のは)
俺が黙り込んだのを察したのか、
セラはすぐに話題を変えた。
「リーグ本番までに、
今日のような合同訓練、何度かお願いすると思います」
「ああ、もちろん」
今度は、すぐに答えられた。
「風と水、ちゃんと噛み合わせておかないと、
本番で困るのはこっちですし」
「それは、お互い様ですね」
セラは、穏やかに笑う。
「――では、今日はこれで。
また明日、お会いしましょう」
軽く頭を下げて、彼女は水祈学院の宿泊棟のほうへと歩いていった。
その背中を見送りながら、
さっき感じた“穴”の感覚が、じわりと胸に残り続けていた。
(虚風……か)
名前までは、まだ知らない。
けれど、“風が止まる”というだけで、十分に嫌な予感がした。
風祈学院。
水祈学院。
明日来る炎祈学院。
そして、その外側で、風を止めようとする何か。
祈装連盟リーグは、たぶんもう――
ただの“交流戦”ではなくなりつつある。
そんな確信だけが、
夕方の風の中で、妙にはっきりと形を持っていった。




