第17話 他属性学院、風に乗ってやって来る
翌朝の教室は、いつものざわめきに、少しだけよそ行きの気配が混ざっていた。
「なんか、空気違うよね?」
ノノハが椅子にくるくる回りながら言う。
「昨日の適性テストの結果、もう出たとか?」
「それだけなら、先生の顔、もっと暗いと思うけどな」
シュンが窓の外をちらりと見る。
廊下を行き来する上級生たちの足取りが、いつもより整っている。
祈装服もちゃんと着ていて、髪もちゃんと結んでいて――
簡単に言えば、「外からの目」をやたら気にしている感じだ。
(たぶん、理由は一つだな)
俺がそう思ったタイミングで、教室の扉が開いた。
「はーい、みんな。おはよう〜」
いつもの調子で入ってきたユラ先生の後ろに、
童顔の学院長――リツ先生がついてきていた。
教室の空気が、一瞬だけぴんと張る。
「うわ、朝から学院長セットだ」
シュンが小声でつぶやき、ヴァンが肘で小突く。
「ビビるな。どうせまた“そんなに怖い話じゃない”って前置きされる」
「前置きされるってことは、たいていややこしい話ってことだろ」
そんな囁きを聞き流しながら、俺も姿勢を正した。
◇
「じゃ、さっそくだけど」
ユラ先生が教壇に立ち、教室をぐるりと見回す。
「祈装連盟リーグ、正式に“顔合わせの日程”が決まったから、お知らせしま〜す」
教室のざわめきが、少し大きくなる。
「まずは、ここ風祈学院には――
水祈学院と炎祈学院、それから雷祈学院の一部隊が、順番にやって来ます」
「順番に?」
「うん。
最初に来るのが水祈学院。今日の午後だね。
あさってに炎祈、そのあと雷祈の子たちが合流する予定」
ノノハが、机の上で手をぱたぱたさせた。
「え、今日の午後!?
もっとこう、“一週間前から心の準備を”みたいなのは……」
「ないよ〜。風の世界にそんなゆっくりした日程は、あんまり存在しない」
ユラ先生は笑いながら、祈り板を指で弾く。
「で。
うちの一年戦線は、その“最初の迎え役”兼、“交流戦線の看板”に抜擢されました〜」
「看板……」
俺たちは顔を見合わせた。
ヴァンは苦笑し、シュンは妙にやる気のある顔をしている。
シエラは、窓のほうに視線を向けたまま、何かを考えていた。
リツ先生が、一歩前に出る。
「詳しいリーグの形式は、また別の機会にお話しします。
ただ、一つだけ先に伝えておきたいことがあります」
さっきまで穏やかだった声が、少しだけ硬くなる。
「これは“学院同士の交流”であると同時に――
“これから同じ戦線に立つかもしれない相手との顔合わせ”でもあります」
教室の空気が、すっと静まる。
「だから、仲良くなるのも大事ですし、
“この人たちとなら一緒に歩けるか”を見極めるのも、同じくらい大事です」
「見極める……」
思わず、昨日の言葉を思い出す。
誰となら、一緒に歩けるか。
「まあ、難しく考えなくていいですよ」
リツ先生は、ふっと笑った。
「まずは、ちゃんと迎えて、ちゃんと話して、
ちゃんと一緒にご飯でも食べてみてください」
「最後が急に生活感あるね〜」
ユラ先生が笑いをこぼす。
「というわけで――
午前中の授業は短縮。
午後からは一年戦線、歓迎準備と中庭の整備に回ってもらいます」
「え、飾りつけとかするんですか?」
ノノハが目を輝かせる。
「ほどほどにね〜。
あんまり派手にやると、炎祈の子たちが張り合って燃やしかねないから」
「それはそれで見てみたい気もしますけど」
「見たいだけで言わない」
シエラの冷静なツッコミに、教室の緊張が少しだけ緩んだ。
◇
午前の授業は、いつもよりあっという間に終わった。
昼食を早めに済ませた俺たちは、
ユラ先生に連れられて中庭へ向かう。
昨日の仮想決闘会で使った立体足場は、すでに片づけられていた。
かわりに、風祈学院の紋章が刻まれた布が、
中庭の端々にかかっている。
「お〜、ちゃんと“迎える側”って感じになってきたな」
シュンが腕を組む。
「一年は、あそこの入口と、中央の広場。
それから、寮と食堂の案内係に分かれてもらうよ〜」
ユラ先生が、祈り板を見ながら役割を振り分けていく。
「勇とシエラとヴァンは、中央の広場組。
シュンとノノハは入口で歓迎の声かけ」
「やった、入口番!」
「番って言うと牢屋みたいだからやめなさい」
ノノハのはしゃいだ声に、シュンが笑う。
俺は中庭の中央――
学院の旗の立つあたりに立って、空を見上げた。
風の流れが、いつもと違う。
(遠くから、別の祈りが混ざってきてる)
冷たくて、でもやわらかい。
水の面を渡る風みたいな感触だ。
「来るよ〜」
屋上から声がした。
見上げると、ユラ先生が手を振っている。
隣には、リツ先生の姿もあった。
学院の門のほうから、ゆっくりと行列が近づいてくる。
◇
最初に見えたのは、水祈学院の紋章だった。
青い布に、波と雫を組み合わせたような印が揺れる。
その後ろを歩いてくる一団は、全体的に落ち着いた雰囲気だった。
祈装服は、白と淡い水色。
肩や裾に、流れを思わせる模様。
その先頭にいるのが――
(あの人、か)
背筋の伸びた女性だった。
長い髪を一つに束ね、肩まで流している。
穏やかな顔立ちなのに、目だけは油断なく周囲を見ている。
歩き方が静かで、足音がほとんどしない。
でも、通ったあとに残る空気は、確かに“隊長”のそれだった。
「水祈学院・前衛隊長、セラ・リヴェル。
お招きに預かり、感謝します」
中庭の中央で立ち止まり、彼女は丁寧に頭を下げた。
その視線の先――
風祈学院側の代表として、リツ先生が前に出る。
「風祈学院・学院長、リツです。
遠いところ、ようこそ」
童顔の笑みはいつも通りだが、声にはきちんとした威厳が乗っている。
横でユラ先生が「ほんとに“学院長の顔”だ」と小声でつぶやいていた。
◇
セラ隊長の後ろには、水祈のメンバーが並んでいた。
鋭い目をした短髪の男性。
癒し手らしい、柔らかな雰囲気の女性。
大きな水壺のような祈装を背負った少年。
小柄で、やたらと視線がよく動く少女。
それぞれの祈りが、静かな波のように揺れている。
「わぁ、きれい……」
いつの間にか近くまで来ていたノノハが、うっとりとつぶやいた。
「祈りの粒ひとつひとつが、ちゃんと丸い感じがします……」
「丸いってなんだよ」
シュンが笑う。
でも、分からなくはない。
風祈学院の祈りが“風にちぎられた光”だとしたら、
水祈学院の祈りは、“つながった雫”みたいだ。
◇
簡単な挨拶が済んだあと、
各学院の代表同士で少しだけ言葉を交わす時間が設けられた。
「一年戦線の代表として、天霧勇くんたちを紹介しておきますね」
ミオ先生に呼ばれ、俺たちはセラ隊長の前に並んだ。
「風祈学院一年戦線、小隊長候補の天霧勇です」
少し緊張して名乗ると、セラは穏やかに頷いた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。
水祈学院・前衛隊長、セラ・リヴェルです」
近くで見ると、瞳の色は深い湖のような青だった。
真剣な目つきなのに、どこか柔らかさも含んでいる。
「……“線の色”が、面白いですね」
「線の、色?」
思わず聞き返すと、セラは少しだけ目を細めた。
「水祈のやり方では、祈りの流れを“筋”として見ることがあります。
あなたの筋は、途中で何度も分岐しながら、
それでも“戻ってくる先”がきちんと決まっている」
「戻ってくる先……?」
「ええ」
セラは視線を横に滑らせた。
そこには、俺の隣に立つシエラたち一年戦の面々。
シエラは、セラと俺の視線が重なったのを見て、
ほんの少しだけ眉をひそめた。
「仲間のもとに、ですね」
セラは、静かに言った。
「そういう筋を持つ人は、戦線にとって、とても心強い」
褒め言葉のはずなのに、なんとなくくすぐったい。
「ありがと……ございます」
思わず言いかけて、余計にぎこちなくなる。
横でノノハが「勇くん、かたい〜」と小声で笑っていた。
◇
歓迎の儀は、それほど長くは続かなかった。
水祈学院の一行は、そのまま寮へ案内される。
炎祈学院は明日到着なので、今日は水祈との顔合わせが中心だ。
「午後は、軽く合同訓練をしましょう」
ミオ先生が、双方の代表を集めて言った。
「実戦形式ではなく、“お互いの祈りの癖を知る”ことが目的です。
全力はまだ取っておいてくださいね」
セラは頷き、こちらを振り向く。
「天霧くんたち一年戦線も、参加してもらえますか」
「もちろんです」
答えると、シエラがちらりと俺を見る。
「……面白くなってきたじゃん」
口調はいつも通りなのに、目の奥に負けん気の光が宿っている。
「風祈学院の“軸”、ちゃんと見せてあげないとね」
「プレッシャーのかけかた間違ってない?」
「間違ってない」
即答された。
ヴァンも、静かに頷く。
「水祈との共闘は、きっとリーグ本番でも必要になりますからね。
今のうちに、どこまで合わせられるか確かめておきたい」
「俺、濡れるの嫌なんだけどな〜」
シュンがぼやくと、ノノハが「雷祈来たらもっと大変ですよ〜」と笑った。
◇
午後。
中庭の半分を使って、
風祈と水祈の“合わせ”が始まった。
「じゃあまずは、簡単な守りと流しからね」
ミオ先生の指示で、祈りの流れが組み替えられていく。
水祈のメンバーが、薄い水の膜のような防護を張る。
その外側で、俺たち風祈組が風の動きを調整する。
「風、強すぎると水面が崩れるわ」
セラが、淡々と指示を飛ばす。
「もっと、“なでる”感じに」
「なでるってどういう……」
「こう」
セラは、俺の手の甲を指先でなぞるように触れた。
祈りが、その軌跡をなぞって流れていく。
ぴり、と肌が震えた。
「……こう、ですか?」
真似をして、風を少しだけ弱める。
水の膜が、ばらけそうだった形を整え、
きれいな楕円を描いた。
「それです。それなら、水が崩れない」
セラは満足そうに頷く。
「風と水は、喧嘩させなければ、相性は悪くありません」
「喧嘩させなければ、ね」
横からシエラが割り込んできた。
水面ぎりぎりの高さを、風の刃が走る。
寸前で、水膜がそれを受け止めて、力を溶かした。
「……ちゃんと合わせると、気持ちいい」
「でしょ?」
セラが少し笑う。
「単純な突撃だけじゃなくて、
“守りと一緒に動く突撃”も、試してみませんか」
「面白そう」
シエラの目が、さらに鋭くなる。
(うん、これはこれで、やばい組み合わせだな)
風で生まれた隙間に、水が滑り込み、
水が作った滑らかな面を、風の突撃が走る。
攻めも守りも、速度も重さも、
思っていた以上に噛み合っていく。
◇
その様子を、少し離れたところから見ている視線があった。
中庭の外壁にある小さな塔の上。
誰も使っていない見張り台。
そこに、風の流れから切り離された影が一つ、
じっと座り込んでいた。
長い前髪が顔の半分を隠している。
祈装服でも学院服でもない、灰色がかった外套。
風が吹いているのに、その外套だけはまったく揺れない。
「……やっぱり、動きすぎる」
かすれた声が、空に溶けた。
「風も、水も。
生きたいほうに、好きに流れていく」
塔の上の人物――
虚風の騎士、ジルは、
中庭で笑い合う生徒たちを見下ろしていた。
風祈の祈り。
水祈の祈り。
それらが重なって、きらきらと光る。
「そんなの、長く保つわけないのに」
口調は淡々としていた。
けれど、瞳の奥には、
消えかけた炎のような色が、かすかに残っている。
「……まあ、いいか」
ジルは外套の裾を握りしめた。
その指先から、風が音もなくほどけていく。
学院の外側――
誰も見ない空白の空間へと、
祈りの流れを切り離すように。
「どうせ、そのうち止まる」
「風が止まったときに、
まだ立っているやつだけを、拾えばいい」
塔の上に、風のない空気が広がった。
学院中庭の賑やかな声は、そこまでは届かない。
ただ、どこか遠くで、
誰かが新しい線を引く気配だけが――
かすかに、虚風の騎士の皮膚をかすめていた。




