第13話 恋と祈りと境界線
午後の授業が終わったころ、俺たちはまとめて呼び出しをくらった。
「一年戦線のみなさん、放課後は保健室隣の相談室に集合してください〜。
昨日から今日にかけての“祈りの揺れ”について、お話しましょう〜」
ミオ先生の、いつもの柔らかい声。
けど、その「お話しましょう」に、
ヴァンとシュンが同時に肩をすくめた。
「……なんか、嫌な予感しかしねぇ」
「聞かれて困ることでもあんの?」
「困るっていうかさ……めんどくさいっていうか……」
「めんどくさいのはお前の言い回しだよ」
そんなやり取りをしつつ、俺たちは相談室の扉をくぐった。
◇
保健室隣の相談室は、学院のどの部屋より“柔らかい”。
床には厚手の敷物。
壁際には低い棚と、湯呑みが並んだ小さな台。
真ん中には、座りやすい高さのソファが四つ。
その一つに、ユラ先生がだらんと腰掛けていた。
「いらっしゃ〜い。一年戦線、全員集合だね」
隣の椅子にはミオ先生。
机の向こう側には、祈り板を抱えたリツも座っている。
「千紗たちは?」
俺が聞くと、ミオ先生が頷いた。
「さっきまでここにいました。
今は保健室で、ノノハちゃんの歌を子守唄にしてお昼寝中です」
「寝かせたんだ……」
「ちゃんと起きたときに、“少し楽になってる”って思えるように、ですね」
ミオ先生は、そう言って俺たちを手招きした。
「では、少し話しましょう。
――恋と祈りと、境界線の話を」
◇
全員がソファに腰を下ろすと、部屋の空気が少しだけ落ち着いた。
ミオ先生は、湯呑みに温かいお茶を注ぎながら話し始める。
「今日みたいな“祈りの暴走”は、実は珍しくありません。
特に学院では、よく起こります」
「……よく?」
シエラが眉をひそめる。
「そんなにしょっちゅうあったら、学院崩壊してない?」
「崩壊する前に止めるから崩壊してないんですよ〜」
ユラ先生が、ひらひらと手を振る。
「恋とか、友達とか、家族とか。
そういう近いものに向かう祈りは、強くなりやすいからね〜」
ミオ先生は頷き、指を一本立てた。
「今日の千紗さんの祈りは――
“いなくなればいい”でも、“全部終わればいい”でもありませんでした」
「“見えなければいい”」
俺が口にすると、ミオ先生がにっこり笑う。
「はい。よく分かりましたね」
「線の色が、そんな感じでした」
さっき見た風の渦を思い返す。
「全部を消したいわけじゃなくてさ。
友達も、先輩も、きっと好きなままで。
ただ、それが同じ場所に並んで見えるのがつらかったんだと思います」
「その通りです」
ミオ先生は湯呑みを一口飲んで、続けた。
「だから天霧くんは、“外”と“中”の線を分けた。
“外側は見えるようにする。中身は今すぐ決めなくていい”と」
「……あれ、正解だったんですか?」
「正解か不正解かで言えば、“今の彼女に必要だった線”ですね」
ミオ先生の目が、少し真面目になる。
「私たち大人はつい、
“どの相手を選ぶのか”“どう決着をつけるのか”を知りたくなりがちです。
でも、当人からしたら、まだそこまで行く準備ができていないことも多い」
ユラ先生が、横から口を挟んだ。
「だからさ〜、“今はここまで見えてれば十分”って線を誰かが引いてやるのも、
時々は必要なんだよね」
「それをやったのが、天霧くんとノノハちゃんです」
ミオ先生は、ノノハを見る。
「場の空気を柔らかくする歌、助かりました。
あのままだと、周りの“見てはいけないもの見ちゃった”も混ざって、
もっと酷い渦になっていましたから」
「えへへ……心のお仕事、しました〜」
ノノハは照れくさそうに笑った。
◇
「で――」
そこでリツが、祈り板を軽く叩いた。
「ここからが、少しだけ“世界側”の話です」
童顔の目が、少し鋭くなる。
「恋に限らず、祈りがこじれたとき。
“見えなければいい”“聞こえなければいい”“なかったことにしたい”」
板の上に、いくつもの祈りログが流れる。
「そういった祈りは、そのまま“無祈”の入り口になります」
空気が、わずかに冷えた気がした。
シエラが、思わず姿勢を正す。
「境界でよく出会ったろ? “何も感じたくない”って願って、
自分の線を全部切っちまいそうになってるやつ」
ユラ先生の言葉に、アスハの顔が一瞬重なった。
ゼロラインで向き合った、いくつかの魂たち。
世界からも、自分からも、逃げようとしていた祈り。
「今日の千紗さんの祈りは、まだそこまで行っていません。
でも、向きは似ていました」
ミオ先生の声は淡々としている。
「だからこそ、学院で止められてよかったんです」
◇
「……質問いい?」
ヴァンが、手を軽く上げた。
「どうぞ」
「俺たちは今日、たまたま近くにいて、たまたま勇が線を引けたから、
ああして止められたわけですよね」
「そうですね」
「じゃあ、明日は? あいつらが別の場所でこじれたら?
俺たちが見てないところで、誰かの“見えなくなればいい”がもっと大きくなったら?」
その問いに、部屋の空気がぴんと張る。
「……全部は、拾えない」
シュンが、ぽつりと呟いた。
「学院中、世界中で起きてる“こじれ”全部見つけ出して、
線を引き直して回るなんて無理だろ」
「はい。全部は無理です」
リツは、あっさり認めた。
「だからこそ、“できる場所”と“できる人”から始めるんです」
祈り板の上に、学院の簡略図と、世界の線図が重ねられる。
「風祈学院は、“第四の線”の窓口のひとつ。
ここで“こじれがどう起きて、どう戻せるか”を、
あなたたちを通して学ばせてもらうつもりです」
「学ばせるって、誰に?」
シエラが首をかしげる。
リツは、少し笑った。
「世界に、ですよ。――と、神界にも」
胸の奥で、何かがちくりと疼いた。
白室βの、あのソファ。
そこから見ている誰かの気配を、ふと感じる。
◇
「……って、ちょっと難しい話になってきたね〜」
ユラ先生が、手をぱん、と叩いた。
「要するにだ。
恋でも何でも、“こじれたまま放っておくな”って話だよ」
「ざっくりまとめましたね」
ミオ先生が苦笑する。
「でも、合ってます。
自分が今どんな祈りをしているのか。
誰に、どこまで届かせたいと思っているのか」
ミオ先生は、俺たち一人ひとりの顔を見た。
「それを、ちょっとずつでいいから、自分で見る練習をしてください。
――特に、天霧くんとシエラさん」
「えっ」
「なんであたし?」
同時に声が出た。
「昨日今日で、一番“目立って”ますからね」
ミオ先生はさらっと言う。
「線を引く側と、突っ込んでいく側。
どちらも、無自覚でいると周りを巻き込みやすいです」
胸の奥が、少し痛んだ。
「……気をつけます」
そう言うと、ミオ先生は首を横に振る。
「気をつけるだけじゃなくて、誰かに頼ることも覚えてくださいね。
自分の心の線を誰にも見せないまま、“全部分かってます”って顔をする人が――」
少し間を置いてから、はっきり言った。
「いちばん危ないですから」
その言葉は、俺の真ん中に刺さった。
◇
相談室を出るころには、外はすっかり夕方になっていた。
空は薄い朱色。
風は、昼間よりもずっと穏やかだ。
「ふ〜〜〜」
ノノハが、大きく伸びをする。
「今日はほんと、心が忙しかったですね〜」
「まだ終わってねぇけどな」
シュンが肩を回す。
「このあと宿題あるし、祈装の点検もあるし……」
「それはいつものことだろ」
ヴァンと二人でぼやきながら、男子寮のほうへ歩いていく。
シエラは、と言えば――
「ちょっと行ってくる」
ふいにそう言って、屋上のほうへ歩き出した。
その背中を見送っていると、リツの声が背中に届く。
「天霧くん」
「はい?」
「彼女、今ちょうど“自分の祈り”を持て余してるところだと思います」
童顔の目が、少しだけ笑う。
「もしよければ……少しだけ、付き合ってあげてください」
そこまで言われたら――
「……わかりました」
断る理由は、なかった。
◇
風祈学院の屋上は、昼と夜の境目にいた。
空には、まだ淡い朱色が残っている。
けれど、校舎の影はすでに長く伸びていた。
柵にもたれて、シエラが空を見上げている。
「また、ここか」
声をかけると、彼女は肩越しにちらりとこっちを見た。
「……ついてきたの?」
「リツさんに、半分押された」
「あの人、ほんと余計なことばっかりする……」
文句を言いながらも、どこか嬉しそうな顔だ。
俺は彼女の隣に立ち、同じ方向を見上げる。
風が、ゆっくり頬を撫でていった。
◇
「千紗、どうだった?」
少しの沈黙のあと、シエラがぽつりと訊ねる。
「さっき、ちょっとだけ様子見た。
ちゃんと、リオの顔見ながら話してたよ」
「そっか」
シエラは小さく笑った。
「……あたしさ」
「ん?」
「ちょっと、びびったんだよね」
風が、一瞬だけ強く吹く。
「“見えなければいい”って祈り。
あれ、もしあたしでも、同じ状況だったら――
たぶん、ちょっとは思ったと思う」
好きな人と、友達と。
両方をちゃんと好きなままでいたくて。
でも、どうにもならない瞬間。
「そういうときにさ。
“どっちも見えなくなれば楽なのに”って、
ちょっとでも思ったら」
シエラは、自分の胸元をぎゅっと掴んだ。
「――すぐ、ああなるのかもって」
俺はしばらく黙っていた。
代わりに、足元に一本線を描く。
「なら、そのときは」
「ん?」
「また、“外”から線引けばいい」
自分に言い聞かせるみたいに、ゆっくりと言う。
「全部見えなくするんじゃなくてさ。
まず、“ここまでは見えてていい”って範囲を決める」
千紗のときと同じように。
「それができるなら、多分――
“全部消えてしまえ”みたいな祈りには、ならないと思う」
シエラは、少しだけ目を丸くした。
「……あんたさ」
「なに」
「人のことばっか考えて、自分のことは?」
痛いとこ突いてくる。
「自分のこと?」
「そう。
あんた、自分の祈りがこじれたときのこと、考えたことある?」
「…………」
言葉が喉で詰まった。
そうして初めて、自分が今まで
“誰かのこじれ”の話ばっかしてたことに気づく。
「俺は……」
空を見上げる。
風祈学院。
ゼロライン。
白室β。
それら全部と繋がってる線の真ん中で、
自分がどう祈ってるのか。
――ちゃんとは、見たことがない。
「たぶん、まだよく分かってない」
正直に言った。
「怖いから?」
「……かもしれない」
自分の中にある“何か”を覗き込んだら、
そこから何が出てくるのか、よく分からない。
それが、少し怖い。
◇
「ふーん」
シエラは短く相槌を打つ。
それから、柵から背中を離して、俺のほうを向いた。
「じゃあさ」
「ん?」
「あんたがこじれたときは、あたしが止める」
真顔で、さらっと言う。
「たぶんあたし、“見えなくなればいい”って祈りより、
“殴ってでも正気に戻す”ほうが得意だから」
「物騒な自己紹介だな」
「向いてる方向が違うだけ」
シエラは、少しだけ笑った。
「だから、あたしがこじれたら、あんたが止めて。
あんたがこじれたら、あたしが止める」
風が、ふっと強く吹く。
彼女の髪が揺れ、その影が俺の肩にかかった。
「――それで、多分、十分でしょ」
胸のどこかが、きゅっと鳴った。
祈りでも契約でもない。
でも、たしかに線が一本繋がった感覚。
「……了解」
俺も、まっすぐ彼女を見る。
「じゃあ、お互い変な祈り始めたら、ちゃんと言う」
「遠慮したら殴る」
「殴るのはやめろ」
「いやそこは譲らない」
そんな他愛のないやり取りをしてるうちに、
さっきまで胸の奥に溜まってた刺々しさが、少しずつ溶けていく。
風は、さっきよりもずっと穏やかだった。
◇
同じころ、学院の上階。
職員室の一角で、リツが一通の祈り板を開いていた。
「……来ましたね」
板に刻まれている、正式な文面。
【祈装連盟リーグ開催通知】
【各属性学院・代表戦線の選出を要請】
【付記:無祈反応観測ログ/共有】
「お?」
ユラ先生が、リツの肩越しに覗き込む。
「うわ、本当に来た。
“お祭りの顔した本気のやつ”だ」
「ですね」
リツは淡々と内容を読み進める。
ミオ先生も、静かにそれを見つめていた。
「無祈反応のログ……
やっぱり、“こじれた祈り”を狙って集めてる気配がありますね」
「こっちが学院の中でコツコツ片付けてるのに、
あっちは外から増やしてるのか〜……」
ユラ先生が、頭をかいた。
「恋だの何だのでこじれてる暇、なくなってきたかもね」
「いえ、こじれたまま戦場に出すほうが、もっと危険ですよ」
ミオ先生は、きっぱりと言う。
「だから――今のうちに、です」
リツは、開いた祈り板をぱたんと閉じた。
「風祈学院から始めましょう。
“こじれた祈りを、無祈にしない”練習を」
窓の外、遠く空の上。
目には見えないけれど、
白室βのふかふかしたソファの上で、誰かが小さく笑った気がした。
『……また、忙しくなりそうだな』
風に混じった、そんな気配が一瞬だけ胸をかすめる。
◇
屋上の風が、やさしく吹き抜ける。
シエラと並んで見上げた空は、
もう朱色ではなく、淡い蒼に変わりつつあった。
祈りと恋と、境界線。
まだ、どれも上手く扱えない。
それでも――
(たぶん、今みたいに)
誰かの“こじれ”に気づいたら足を止めて。
自分の“こじれ”は、誰かに預けて。
そんなふうに、線を引き合いながら進んでいけばいい。
「さ、降りよ」
シエラが、くるりと背を向ける。
「明日から、また忙しくなるよ」
「どうして分かるんだよ」
「勘」
その“勘”は、おそらく当たる。
祈装連盟リーグ。
他属性学院。
無祈。
風祈学院の日常は、きっとここから、
少しずつ形を変えていくんだろう。
それでも――
今はまだ、隣を歩く足音の確かさだけを頼りに、
階段を降りていく。
風が、背中を押した。




