表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/70

第13話 恋と祈りと境界線



 午後の授業が終わったころ、俺たちはまとめて呼び出しをくらった。


「一年戦線のみなさん、放課後は保健室隣の相談室に集合してください〜。

 昨日から今日にかけての“祈りの揺れ”について、お話しましょう〜」


 ミオ先生の、いつもの柔らかい声。


 けど、その「お話しましょう」に、

 ヴァンとシュンが同時に肩をすくめた。


「……なんか、嫌な予感しかしねぇ」

「聞かれて困ることでもあんの?」


「困るっていうかさ……めんどくさいっていうか……」


「めんどくさいのはお前の言い回しだよ」


 そんなやり取りをしつつ、俺たちは相談室の扉をくぐった。



 保健室隣の相談室は、学院のどの部屋より“柔らかい”。


 床には厚手の敷物。

 壁際には低い棚と、湯呑みが並んだ小さな台。

 真ん中には、座りやすい高さのソファが四つ。


 その一つに、ユラ先生がだらんと腰掛けていた。


「いらっしゃ〜い。一年戦線、全員集合だね」


 隣の椅子にはミオ先生。

 机の向こう側には、祈り板を抱えたリツも座っている。


「千紗たちは?」


 俺が聞くと、ミオ先生が頷いた。


「さっきまでここにいました。

 今は保健室で、ノノハちゃんの歌を子守唄にしてお昼寝中です」


「寝かせたんだ……」


「ちゃんと起きたときに、“少し楽になってる”って思えるように、ですね」


 ミオ先生は、そう言って俺たちを手招きした。


「では、少し話しましょう。

 ――恋と祈りと、境界線の話を」



 全員がソファに腰を下ろすと、部屋の空気が少しだけ落ち着いた。


 ミオ先生は、湯呑みに温かいお茶を注ぎながら話し始める。


「今日みたいな“祈りの暴走”は、実は珍しくありません。

 特に学院では、よく起こります」


「……よく?」


 シエラが眉をひそめる。


「そんなにしょっちゅうあったら、学院崩壊してない?」


「崩壊する前に止めるから崩壊してないんですよ〜」


 ユラ先生が、ひらひらと手を振る。


「恋とか、友達とか、家族とか。

 そういう近いものに向かう祈りは、強くなりやすいからね〜」


 ミオ先生は頷き、指を一本立てた。


「今日の千紗さんの祈りは――

 “いなくなればいい”でも、“全部終わればいい”でもありませんでした」


「“見えなければいい”」


 俺が口にすると、ミオ先生がにっこり笑う。


「はい。よく分かりましたね」


「線の色が、そんな感じでした」


 さっき見た風の渦を思い返す。


「全部を消したいわけじゃなくてさ。

 友達も、先輩も、きっと好きなままで。

 ただ、それが同じ場所に並んで見えるのがつらかったんだと思います」


「その通りです」


 ミオ先生は湯呑みを一口飲んで、続けた。


「だから天霧くんは、“外”と“中”の線を分けた。

 “外側は見えるようにする。中身は今すぐ決めなくていい”と」


「……あれ、正解だったんですか?」


「正解か不正解かで言えば、“今の彼女に必要だった線”ですね」


 ミオ先生の目が、少し真面目になる。


「私たち大人はつい、

 “どの相手を選ぶのか”“どう決着をつけるのか”を知りたくなりがちです。

 でも、当人からしたら、まだそこまで行く準備ができていないことも多い」


 ユラ先生が、横から口を挟んだ。


「だからさ〜、“今はここまで見えてれば十分”って線を誰かが引いてやるのも、

 時々は必要なんだよね」


「それをやったのが、天霧くんとノノハちゃんです」


 ミオ先生は、ノノハを見る。


「場の空気を柔らかくする歌、助かりました。

 あのままだと、周りの“見てはいけないもの見ちゃった”も混ざって、

 もっと酷い渦になっていましたから」


「えへへ……心のお仕事、しました〜」


 ノノハは照れくさそうに笑った。



「で――」


 そこでリツが、祈り板を軽く叩いた。


「ここからが、少しだけ“世界側”の話です」


 童顔の目が、少し鋭くなる。


「恋に限らず、祈りがこじれたとき。

 “見えなければいい”“聞こえなければいい”“なかったことにしたい”」


 板の上に、いくつもの祈りログが流れる。


「そういった祈りは、そのまま“無祈”の入り口になります」


 空気が、わずかに冷えた気がした。


 シエラが、思わず姿勢を正す。


「境界でよく出会ったろ? “何も感じたくない”って願って、

 自分の線を全部切っちまいそうになってるやつ」


 ユラ先生の言葉に、アスハの顔が一瞬重なった。


 ゼロラインで向き合った、いくつかの魂たち。

 世界からも、自分からも、逃げようとしていた祈り。


「今日の千紗さんの祈りは、まだそこまで行っていません。

 でも、向きは似ていました」


 ミオ先生の声は淡々としている。


「だからこそ、学院で止められてよかったんです」



「……質問いい?」


 ヴァンが、手を軽く上げた。


「どうぞ」


「俺たちは今日、たまたま近くにいて、たまたま勇が線を引けたから、

 ああして止められたわけですよね」


「そうですね」


「じゃあ、明日は? あいつらが別の場所でこじれたら?

 俺たちが見てないところで、誰かの“見えなくなればいい”がもっと大きくなったら?」


 その問いに、部屋の空気がぴんと張る。


「……全部は、拾えない」


 シュンが、ぽつりと呟いた。


「学院中、世界中で起きてる“こじれ”全部見つけ出して、

 線を引き直して回るなんて無理だろ」


「はい。全部は無理です」


 リツは、あっさり認めた。


「だからこそ、“できる場所”と“できる人”から始めるんです」


 祈り板の上に、学院の簡略図と、世界の線図が重ねられる。


「風祈学院は、“第四の線”の窓口のひとつ。

 ここで“こじれがどう起きて、どう戻せるか”を、

 あなたたちを通して学ばせてもらうつもりです」


「学ばせるって、誰に?」


 シエラが首をかしげる。


 リツは、少し笑った。


「世界に、ですよ。――と、神界にも」


 胸の奥で、何かがちくりと疼いた。


 白室βの、あのソファ。

 そこから見ている誰かの気配を、ふと感じる。



「……って、ちょっと難しい話になってきたね〜」


 ユラ先生が、手をぱん、と叩いた。


「要するにだ。

 恋でも何でも、“こじれたまま放っておくな”って話だよ」


「ざっくりまとめましたね」


 ミオ先生が苦笑する。


「でも、合ってます。

 自分が今どんな祈りをしているのか。

 誰に、どこまで届かせたいと思っているのか」


 ミオ先生は、俺たち一人ひとりの顔を見た。


「それを、ちょっとずつでいいから、自分で見る練習をしてください。

 ――特に、天霧くんとシエラさん」


「えっ」


「なんであたし?」


 同時に声が出た。


「昨日今日で、一番“目立って”ますからね」


 ミオ先生はさらっと言う。


「線を引く側と、突っ込んでいく側。

 どちらも、無自覚でいると周りを巻き込みやすいです」


 胸の奥が、少し痛んだ。


「……気をつけます」


 そう言うと、ミオ先生は首を横に振る。


「気をつけるだけじゃなくて、誰かに頼ることも覚えてくださいね。

 自分の心の線を誰にも見せないまま、“全部分かってます”って顔をする人が――」


 少し間を置いてから、はっきり言った。


「いちばん危ないですから」


 その言葉は、俺の真ん中に刺さった。



 相談室を出るころには、外はすっかり夕方になっていた。


 空は薄い朱色。

 風は、昼間よりもずっと穏やかだ。


「ふ〜〜〜」


 ノノハが、大きく伸びをする。


「今日はほんと、心が忙しかったですね〜」


「まだ終わってねぇけどな」


 シュンが肩を回す。


「このあと宿題あるし、祈装の点検もあるし……」


「それはいつものことだろ」


 ヴァンと二人でぼやきながら、男子寮のほうへ歩いていく。


 シエラは、と言えば――


「ちょっと行ってくる」


 ふいにそう言って、屋上のほうへ歩き出した。


 その背中を見送っていると、リツの声が背中に届く。


「天霧くん」


「はい?」


「彼女、今ちょうど“自分の祈り”を持て余してるところだと思います」


 童顔の目が、少しだけ笑う。


「もしよければ……少しだけ、付き合ってあげてください」


 そこまで言われたら――


「……わかりました」


 断る理由は、なかった。



 風祈学院の屋上は、昼と夜の境目にいた。


 空には、まだ淡い朱色が残っている。

 けれど、校舎の影はすでに長く伸びていた。


 柵にもたれて、シエラが空を見上げている。


「また、ここか」


 声をかけると、彼女は肩越しにちらりとこっちを見た。


「……ついてきたの?」


「リツさんに、半分押された」


「あの人、ほんと余計なことばっかりする……」


 文句を言いながらも、どこか嬉しそうな顔だ。


 俺は彼女の隣に立ち、同じ方向を見上げる。


 風が、ゆっくり頬を撫でていった。



「千紗、どうだった?」


 少しの沈黙のあと、シエラがぽつりと訊ねる。


「さっき、ちょっとだけ様子見た。

 ちゃんと、リオの顔見ながら話してたよ」


「そっか」


 シエラは小さく笑った。


「……あたしさ」


「ん?」


「ちょっと、びびったんだよね」


 風が、一瞬だけ強く吹く。


「“見えなければいい”って祈り。

 あれ、もしあたしでも、同じ状況だったら――

 たぶん、ちょっとは思ったと思う」


 好きな人と、友達と。

 両方をちゃんと好きなままでいたくて。

 でも、どうにもならない瞬間。


「そういうときにさ。

 “どっちも見えなくなれば楽なのに”って、

 ちょっとでも思ったら」


 シエラは、自分の胸元をぎゅっと掴んだ。


「――すぐ、ああなるのかもって」


 俺はしばらく黙っていた。


 代わりに、足元に一本線を描く。


「なら、そのときは」


「ん?」


「また、“外”から線引けばいい」


 自分に言い聞かせるみたいに、ゆっくりと言う。


「全部見えなくするんじゃなくてさ。

 まず、“ここまでは見えてていい”って範囲を決める」


 千紗のときと同じように。


「それができるなら、多分――

 “全部消えてしまえ”みたいな祈りには、ならないと思う」


 シエラは、少しだけ目を丸くした。


「……あんたさ」


「なに」


「人のことばっか考えて、自分のことは?」


 痛いとこ突いてくる。


「自分のこと?」


「そう。

 あんた、自分の祈りがこじれたときのこと、考えたことある?」


「…………」


 言葉が喉で詰まった。


 そうして初めて、自分が今まで

 “誰かのこじれ”の話ばっかしてたことに気づく。


「俺は……」


 空を見上げる。


 風祈学院。

 ゼロライン。

 白室β。


 それら全部と繋がってる線の真ん中で、

 自分がどう祈ってるのか。


 ――ちゃんとは、見たことがない。


「たぶん、まだよく分かってない」


 正直に言った。


「怖いから?」


「……かもしれない」


 自分の中にある“何か”を覗き込んだら、

 そこから何が出てくるのか、よく分からない。


 それが、少し怖い。



「ふーん」


 シエラは短く相槌を打つ。


 それから、柵から背中を離して、俺のほうを向いた。


「じゃあさ」


「ん?」


「あんたがこじれたときは、あたしが止める」


 真顔で、さらっと言う。


「たぶんあたし、“見えなくなればいい”って祈りより、

 “殴ってでも正気に戻す”ほうが得意だから」


「物騒な自己紹介だな」


「向いてる方向が違うだけ」


 シエラは、少しだけ笑った。


「だから、あたしがこじれたら、あんたが止めて。

 あんたがこじれたら、あたしが止める」


 風が、ふっと強く吹く。


 彼女の髪が揺れ、その影が俺の肩にかかった。


「――それで、多分、十分でしょ」


 胸のどこかが、きゅっと鳴った。


 祈りでも契約でもない。

 でも、たしかに線が一本繋がった感覚。


「……了解」


 俺も、まっすぐ彼女を見る。


「じゃあ、お互い変な祈り始めたら、ちゃんと言う」


「遠慮したら殴る」


「殴るのはやめろ」


「いやそこは譲らない」


 そんな他愛のないやり取りをしてるうちに、

 さっきまで胸の奥に溜まってた刺々しさが、少しずつ溶けていく。


 風は、さっきよりもずっと穏やかだった。



 同じころ、学院の上階。


 職員室の一角で、リツが一通の祈り板を開いていた。


「……来ましたね」


 板に刻まれている、正式な文面。


【祈装連盟リーグ開催通知】

【各属性学院・代表戦線の選出を要請】

【付記:無祈反応観測ログ/共有】


「お?」


 ユラ先生が、リツの肩越しに覗き込む。


「うわ、本当に来た。

 “お祭りの顔した本気のやつ”だ」


「ですね」


 リツは淡々と内容を読み進める。


 ミオ先生も、静かにそれを見つめていた。


「無祈反応のログ……

 やっぱり、“こじれた祈り”を狙って集めてる気配がありますね」


「こっちが学院の中でコツコツ片付けてるのに、

 あっちは外から増やしてるのか〜……」


 ユラ先生が、頭をかいた。


「恋だの何だのでこじれてる暇、なくなってきたかもね」


「いえ、こじれたまま戦場に出すほうが、もっと危険ですよ」


 ミオ先生は、きっぱりと言う。


「だから――今のうちに、です」


 リツは、開いた祈り板をぱたんと閉じた。


「風祈学院から始めましょう。

 “こじれた祈りを、無祈にしない”練習を」


 窓の外、遠く空の上。


 目には見えないけれど、

 白室βのふかふかしたソファの上で、誰かが小さく笑った気がした。


『……また、忙しくなりそうだな』


 風に混じった、そんな気配が一瞬だけ胸をかすめる。



 屋上の風が、やさしく吹き抜ける。


 シエラと並んで見上げた空は、

 もう朱色ではなく、淡い蒼に変わりつつあった。


 祈りと恋と、境界線。


 まだ、どれも上手く扱えない。


 それでも――


(たぶん、今みたいに)


 誰かの“こじれ”に気づいたら足を止めて。

 自分の“こじれ”は、誰かに預けて。


 そんなふうに、線を引き合いながら進んでいけばいい。


「さ、降りよ」


 シエラが、くるりと背を向ける。


「明日から、また忙しくなるよ」


「どうして分かるんだよ」


「勘」


 その“勘”は、おそらく当たる。


 祈装連盟リーグ。

 他属性学院。

 無祈。


 風祈学院の日常は、きっとここから、

 少しずつ形を変えていくんだろう。


 それでも――


 今はまだ、隣を歩く足音の確かさだけを頼りに、

 階段を降りていく。


 風が、背中を押した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ