表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/70

第11話 それぞれの朝と、遠くで揺れる影



 目が覚めたとき、まず最初に自分の腕を動かしてみた。


(……ちゃんと動くな)


 昨日の疲れが、骨の奥にまで沈んでいる。

 でも、動けないほどじゃない。


 窓の外では、いつもの朝の風が学院の塔を撫でていた。

 あの工房とは違う、素直に吹き抜ける風だ。


 顔を洗って制服に袖を通す。

 鏡越しに自分の顔を見ると、目の下にうっすらと疲れの影があった。


「……まあ、このくらいなら“頑張った勲章”ってことでいいか」


 誰に聞かせるでもなく呟いて、部屋を出る。



 食堂は、いつもより少しざわざわしていた。


 昨日の任務の噂が、早くも広まっているのだろう。

 一年戦線チームが姿を見せるたび、あちこちの席で視線が動く。


「おはよ、勇」


 シエラが先に来ていて、手を振った。


 その向かいにはヴァン、隣にはノノハとシュン。

 いつものメンバーが、いつもの席に揃っている。


 トレーを持って近づくと、シュンがにやりと笑った。


「生きてたか、“めんどうブレイカー”」


「誰がそんなあだ名つけた」


「レイカ」


 ノノハが即答した。


「昨日の帰りに、“あいつさ、無祈から見たら完全にめんどうな奴だよな〜”ってケラケラ笑ってました〜」


「褒められてるのか、貶されてるのか分からないな」


「半分ずつくらいなんじゃない?」


 シエラが笑う。


「少なくとも、“真っ先に狙われる側”ではあると思うけど」


「それ慰めになってる?」


「なってないね」


 そんな会話をしていると、後ろから声をかけられた。


「一年戦線」


 振り向くと、二年の上級生が立っていた。

 どこか気まずそうな顔をしている。


「昨日の件、聞いた。……助かった」


「え?」


「俺の実家、あの工房の祈祷塔の近くなんだ」


 ぽつりと、それだけ。


「昨日、連絡板で“暴走鎮圧”って見てさ。

 誰が行ったのかまでは知らなかったけど……お前らだったんだってな」


「たまたまです」


 思わずそう返す。


「俺たちじゃなくても、誰かが行ってましたよ」


「それでも、だよ」


 上級生は、少しだけ目を伏せた。


「“まだ祈れるようにしてくれた”ことには変わりない。

 ありがとな」


 それだけ言って、足早に去っていった。


 トレーの上のパンが、急に重くなった気がした。


「……そういう顔、するんだ」


 シエラが、じっとこちらを見ている。


「どんな顔だよ」


「“お礼を正面から受け取るの苦手です”って顔」


「図星つくな」


 思わず頭を掻いた。


「でも、嫌じゃないでしょ?」


「……まあ」


 否定できなかった。



 朝食のあと、一度教室に集められた。


 黒板の前には、ユラ先生とリツ、それからミオ先生。

 教師三人がそろうのは、かなり珍しい。


「えー、まずはー」


 ユラ先生が、いつもの調子で手を叩いた。


「昨日、ちゃんと生きて帰ってきてくれてありがと〜。

 これが何より大事です。拍手〜」


 半分強制的に、教室の中で拍手が起こる。


「で、次に大事なのは、“何が起こったかちゃんと共有すること”です」


 ユラ先生は、すぐ真面目な顔に戻った。


「一年戦線だけじゃなく、クラス全員が知っておくべきこともある。

 だから今日は、昨日の任務をもとにした“無祈講義・初級編”です」


「講義名が軽いです〜」


 ノノハが小声で突っ込む。


「いいの。“怖い名前”にすると、逆に変な期待で見ちゃう人も出るからね」


 ユラ先生は肩をすくめた。


「リツ〜、説明お願い」


「はい」


 リツが祈り板を掲げると、黒板の上に工房の図と、

 昨日見た黒い円の未完成な線が浮かび上がった。


「昨日、天霧くんたちが対処した工房を中心に、

 同じ時間帯に“小規模な祈りの乱れ”が起きていました」


 ざわ、と教室の空気が揺れる。


「全部が無祈化したわけではありません。

 ですが、“広がろうとしていた”傾向は見られます」


「つまり、工房だけが狙われてたわけじゃないってことですか」


 ユウゴが真剣な顔で問う。


「そうですね。

 “あちこちを少しずつ揺らして、その中で特に崩れかけた場所を押し倒す”

 そんなやり方に見えます」


「卑怯だな」


 誰かがぽつりと呟いた。


「“ちゃんと勝負してから壊す”んじゃなくて、

 “勝負にならないところを狙う”感じ」


「卑怯だけど、効率的でもある」


 ミオ先生が言う。


「だからこそ、こちら側にできることは――」


「“揺れてる場所に、先に気づくこと”だね〜」


 ユラ先生が、チョークで黒板を軽く叩いた。


「天霧くん」


「はい」


「昨日、“ここからここまで”って線を決めたとき、

 何を基準にした?」


 教室中の視線が集まる。


 少し考えてから、言葉を選んだ。


「……上手く言えませんけど。

 “今ならまだ間に合う”って思った場所と、

 “もう完全に飲まれてしまってる”場所の境目、でしょうか」


「その境目、具体的には?」


「祈りの“色”がまだ残ってるかどうかです。

 黒に引きずられてはいるけど、

 完全に“何もしない”に変わっていない線」


 工房で見た札の欠片。

 胸板のあたりに微かに残っていた祈り。


「あそこまで飲み込まれると、

 今の僕じゃ引き戻せないな、ってところは手を出さないようにしました」


「そこを“ちゃんと分けた”のが、今回いちばん良かったところだよ」


 ミオ先生が、静かに言った。


「全部助けようとして、全部中途半端にしてたら、

 あの工房まるごと無祈に食われてた」


「……でも、全部助けたかったって気持ちも、ある」


「それはあっていいよ」


 ミオ先生は柔らかく笑った。


「それがないなら、戦線向きじゃない。

 ただ、それと“どこまでできるか”を分けて考えられるかどうかは、別の話」


「“助けたい”と、“助けられる”を分ける、か」


 シエラが小さく復唱した。


「難しいね」


「難しいから、時間をかけて身につけるものです」


 リツが言葉を継ぐ。


「だから、天霧くん一人に押しつけるつもりはありません。

 これから他属性との合同戦線が本格的に始まります。

 線を読む人、祈装を組む人、歌う人、守る人、壊す人。

 それぞれの“ここからここまで”が重なって、ようやく一つの戦いになります」


「……それ、ちょっと楽しみかも」


 ノノハが、目をきらきらさせた。


「他の学院の歌も聞けるってことですよね〜」


「そこか」


 シュンが苦笑する。


「でもまあ、俺も他の雷祈の術式、見てみたいな」


「私は、炎祈の子たちと、もう一回ちゃんと戦ってみたい」


 シエラが拳を握る。


 その横顔は、昨日工房で祈装兵を受け止めていたときと同じくらい、真剣だった。



 その日の午後、

 訓練場の一角で、風祈一年戦線と火祈の面々が再び顔を合わせた。


「お、思ったより元気そうだな、風祈」


 レイカが両手を腰に当てて笑う。


「寝込んでたら、山ほど煽りに来てやろうと思ってたのに」


「朝食ちゃんと食べられたくらいには元気です」


 そう返すと、レイカは満足そうに頷いた。


「よし、それなら追加訓練だ」


「ですよね〜」


 ノノハが肩を落とす。


「今度は何ですか」


「昨日の工房で、一番厄介だったのは何だった?」


 カガリ先生が問う。


「……足場、ですかね」


 ヴァンが即答した。


「床にこぼれた黒の上で踏ん張ろうとすると、

 踏んだ瞬間に足場が消えたみたいになって」


「そうか」


 カガリ先生が、にやりと笑う。


「じゃあ今日のテーマは“足場が信用できない場所での戦い方”だ」


「嫌なテーマだな!」


 シュンが叫んだが、容赦はない。


 訓練場の地面に、カガリ先生とレイカたちが次々と印を刻んでいく。

 そこだけ、風の流れが不自然に弱くなる。

 熱も、すっと逃げていく。


 無祈そのものではないけれど、

 似た条件を人工的に作る訓練だ。


「まずは風祈だけでやってみろ」


 カガリ先生が腕を組む。


「“信用できない足場”を前提に、どう動くか考えろ」


「……信用してる仲間のほうに足を出す、とか」


 シエラがぼそっと言った。


「足場より、人間を信用したほうがまだマシって意味で」


「お、いいなそれ」


 レイカが楽しそうに笑う。


「じゃあ試してみようぜ、“人間足場作戦”」


「名前が雑だ」


 そうぼやきつつ、

 俺たちは再び、訓練場の中央へと歩み出した。


 黒い札を追い返したあとの、

 “楽じゃない訓練”が始まる。


 世界の端っこで揺れている無祈に届くのは、

 こういう地味で、めんどうで、それでもやめない一歩なのだろう。



 ――そのころ。


 風祈学院から、いくつかの山と川を越えた先。

 静かな祈り街の一角。


 古い水祈の祈祷塔の裏手にある、小さな井戸のほとりで、

 ひとりの少女が桶を洗っていた。


「……ん?」


 井戸の水面に、黒い“濁り”が一瞬だけ走る。


 少女――水祈学院の制服を着たその子は、

 眉をひそめて水面を覗き込んだ。


「なに、これ」


 水に混ざった黒は、すぐに形を失って消えていく。

 ただ、消える前に、

 どこかで聞いたことのあるような声が、水底から微かにした。


『祈るの、やめちゃいなよ』


 少女は、きゅっと桶を握りしめた。


 その瞳には、風祈の一年戦線がまだ知らない、

 別の「めんどう」と戦ってきた強さが宿っていた。


「……やだよ」


 ぽつりと、誰に聞かせるでもなく答える。


「だって、あたしが祈るのやめたら、

 あの人、また笑えなくなっちゃうもん」


 黒い濁りは、それ以上何も言わず、

 井戸の底へと沈んでいった。


 風と、水と、炎と。

 世界のあちこちで、“めんどうでも祈り続ける奴ら”が、

 少しずつ増えていく。


 無祈の影が本格的に形を持つときまで、

 まだ少し、時間が残されている――その猶予を、

 俺たちはこのとき、訓練場のど真ん中で必死に使っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ