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第10話 報告と、それぞれの夜



 風の舟が学院の塔のそばに降り立つころには、空はもう薄く茜色に染まっていた。


 足を地面につけた瞬間、ふわっとした浮遊感がようやく抜ける。


「……帰ってきた、って感じだな」


 ヴァンが、大きく肩を回した。


「工房の空気、ずっと重かったもんね」


 ノノハが胸に手を当てる。


「歌が響かなかったです〜。やっぱりイヤです、ああいう静けさ」


「嫌いな場所ができたってことは、好きな場所がはっきりしたってことだろ」


 シュンが、少しだけ照れたように付け足した。


「……ここは、まだマシなほうだ」


 そう言ってみて、ようやく自分の胸のあたりのざわつきが少し落ち着いていることに気づく。


 工房の黒い“めんどう”の気配は、もう追ってこない。

 代わりに、学院の上を走る風の線が、いつもの調子でざわざわと笑っていた。


「よし、全員無事だな」


 カガリ先生が、ざっと一同を見回した。


「今からその足で報告会だ。逃げるなよ」


「逃げませんって」


 シエラが苦笑いする。


「むしろ座りたいです。足がぷるぷるしてる」


「そこまで震えてるのか?」


 からかい半分で言うと、シエラがじろっと睨んできた。


「勇だって、工房の中で顔真っ青だったくせに」


「……見てたのか」


「ちゃんと見てたよ。あんたの線も」


 シエラはそう言って、少しだけ唇をかんだ。


「だから、あとでちゃんと話聞かせて」


 それだけ言って、さっさと前を歩いていく。


 胸のあたりが、また別の意味でざわついた。


(話……ね)


 全部きれいに整理して話せる自信はないけれど、

 聞いてくれると言ってくれるなら、それはきっと甘えていい線だ。



 会議室には、すでに大人組が揃っていた。


 長机の向こうに、リツ、ユラ先生、ミオ先生。

 壁際にはアスハさんと、炎祈のカレン先生。

 それから――白室側と繋がる小さな祈り板に、淡い光がともっていた。


「やあ、おかえり」


 祈り板の向こうから、シロの声がする。


「ちゃんと“全員”帰ってきたみたいだね」


「お出迎えまであるとは。贅沢だな」


 アスハさんが腕を組んで言う。


「お前も仕事しろよ、ソファ神」


「してるってば。ちゃんと世界の線を見張ってたからね」


 軽口の応酬に、少しだけ空気が柔らかくなる。


「では、報告をお願いします」


 リツが、いつもの穏やかな声で切り出した。


「天霧くん。現場指揮として、全体の流れから」


「はい」


 立ち上がりながら、一度深呼吸をした。


 工房に着くまでの街の様子。

 祈装兵暴走の状態。

 黒い“ささやき”の出方。

 炎の輪で囲んで、歌と風で“帰り道”を作ったこと。

 最後に、黒が自分たちを嫌ってしぼんでいったこと。


 できるだけ冷静に、順番に並べていく。


 言い終えたころには、喉が少し乾いていた。


「補足ありますか?」


 リツの視線が、レイカたち火祈側に向く。


「温度面の話を少し」


 ユウゴが、すっと手を挙げた。


「黒い部分は、熱の流れが完全に“止まっていました。

 燃えもしないし、冷えもしない。

 ただ、周囲から熱を少しずつ奪って、自分は変わらない」


「火の観点でも、“何もしないくせに、奪うだけ”って感じでした」


 サラが、眉をひそめながら続ける。


「燃えたいところまで一緒に冷やされていく感じ、ほんとに気持ち悪かったです」


「歌の感覚からも、似たような印象ですね〜」


 ノノハが、おずおずと口を開いた。


「歌を響かせようとしても、黒いところだけ声がすべっていくというか……。

 “聴く気ないから通さないね”って言われてるみたいでした〜」


「祈りを拒んでいる、というより――」


 ミオ先生が、祈り板にペンを走らせながら呟く。


「“祈るって行為そのものを、存在ごと消したがっている”感じかな」


「言ってたんですよ、“祈るのやめちゃいなよ”って」


 シエラが、工房の入口にいた子どもの言葉を思い出すように言った。


「めんどうでしょ、って」


「……うわ、嫌な言い方」


 ユラ先生が、露骨に顔をしかめる。


「でも、いそうなんだよね。

 そういう“全部めんどうだから消してくれよ”って思ってる何かがさ」


「ゼロラインの向こう側の気配とも、近かった」


 アスハさんが静かに言う。


「ただの穴じゃねぇ。

 “穴にしてやりたい”って意志が混ざり始めてる」


「無祈の“芯”が形を持ち始めた、という解釈でよろしいでしょうか」


 リツが問うと、祈り板越しのシロが小さくため息をついた。


「嫌だけど、多分そう。

 今まで世界中から流れてきた“やめたい気持ち”が、

 ひとつの顔をつくり始めてる」


 背中に、冷たいものが走る。


 それは、工房で感じた黒とはまた違う種類の悪寒だった。


「ただ、今回の件で分かったこともあります」


 リツが、一同を見回す。


「黒は、“めんどくさいことを全部消したい”と言っているようで、

 実際には――」


「“消すまでの手間”はかけたくない、ですよね」


 思わず口から出ていた。


 皆の視線がこちらに向く。


「工房の中で、黒は動く場所をあまり増やそうとしませんでした。

 広がろうとすると、自分の“濃さ”が薄くなるのを嫌がっている感じがしました。

 だから、放っておけばじわじわ侵食しますけど、

 こちらが面倒を増やしてやると、あっさりしぼむところがありました」


 炎の輪。

 歌の目印。

 風で作った“帰り道”。


 全部、黒から見れば「邪魔な手間」のはずだ。


「つまり、“楽なほう”しか選びたくないやつ、ってことか」


 アスハさんが、あきれたように言う。


「面倒ごとは嫌いで、でも奪うことはやめない。

 やっぱり腹立つ性格してやがるな」


「そうですね」


 ミオ先生が、ふっと笑う。


「でも、“楽なほうしか選ばない敵”っていうのは、

 戦い方次第では扱いやすくもなる」


「こっちが“楽じゃない選択”を次々に突きつければ、逃げるしかなくなるからね〜」


 ユラ先生が、指先で机をとんとん叩く。


「問題は、その手間をかけてやる人間側のほうが、

 先に疲れないかどうか、だけど」


 その言葉に、誰もすぐには返事ができなかった。



「それと――」


 リツが、祈り板をめくる。


「もう一つ、気になる点があります」


 工房の地図が、会議室の中央に浮かぶ。


 そこに、赤い印がひとつ、ふたつと灯った。


「今日、君たちが対処した工房以外に、

 同じ時間帯に“小規模な札の乱れ”が起こっていた場所です」


「そんなにあったのか?」


 レイカが目を見開く。


「今回は、どれも現地の祈祷士の方が対応してくれました。

 完全な無祈化までは至らなかったようです。

 ですが――こちらをご覧ください」


 リツが指を走らせると、印が線で結ばれた。


 まるで、工房を中心にしたゆるい円のようだった。


「……囲んでる?」


 シュンが思わず呟く。


「今回の工房が“本命”だったのか、

 それとも“ここまで広げられるか”の試しだったのかは、まだ分かりません」


 リツは、静かに続ける。


「ですが、“一カ所だけの偶然”とは考えにくい」


「連中、線図見ながら遊んでやがるな」


 アスハさんが、舌打ちした。


「めんどうくさがりのくせに、こういうところだけ器用だ」


「だからこそ、こちらも線を読める人間を前に出す必要があります」


 リツの視線が、こちらに戻ってきた。


「天霧くん」


「はい」


「今日一日で、世界が“ちょっとだけ”変わりました」


 穏やかな口調なのに、その言葉には重さがあった。


「君たちが工房で選んだ線は、

 無祈にとって“楽じゃない道”だった。

 だから向こうは、次はもっと楽な場所を探しに行くでしょう」


「……世界中の、“諦めかけている祈り”のところに、ですか」


「かもしれません」


 祈り板の上で、世界地図が淡く光る。


 その上を、うっすらと、

 黒い影のようなものが流れていくのが見えた気がした。


「でも」


 祈り板の向こうで、シロが言う。


「“めんどうでも祈りたい”って奴らも、

 世界中にちゃんと散らばってる」


 リツが、皆の顔を一人ずつ見ていく。


「その一部が、ここにいる君たちです」


「大げさですよ〜」


 ノノハが、照れたように笑う。


「大げさに言っておかないと、

 自分のやってることの重さに気づかないで潰れるからね」


 ミオ先生が、さらりと言った。


「“自分はまだまだだ”って思ってるくらいでちょうどいい。

 でも、“今日の自分が選んだ線”は、ちゃんと認めてください」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。


 全部は救えなかった。

 全部を黒から取り戻すことは、できなかった。


 それでも、完全に飲まれる前に引き戻せた線がいくつかある。

 そのことを、認めてもいいのかもしれない。



「とりあえず今日は解散だ」


 ユラ先生が、椅子から立ち上がる。


「風祈側は明日、簡単に振り返りの時間を取るからね〜。

 火祈のみんなは、カレン先生とレイカたちとで記録の整理をお願い」


「了解」


 レイカが、軽く敬礼した。


「風祈の一年戦線。

 初任務にしては、上出来だ」


 カガリ先生が、ぶっきらぼうに言う。


「いいか、勘違いするなよ。

 “上出来”ってのは、“これで十分”って意味じゃない。

 “もっとやれるはずだから、ここを起点にしろ”って意味だ」


「はい!」


 声が揃う。


「よろしい。

 じゃ、風呂入って飯食って寝ろ」


 やっぱり最後は、それになるのか、と思いながら、

 会議室をあとにした。



 夜の学院は、昼間よりも静かだ。


 食堂で簡単に食事を済ませ、

 寮に戻る途中で、足が自然と屋上への階段に向いていた。


 風に当たりたかった。

 工房の閉じた空気が、まだ肌にまとわりついている気がして。


 階段を登りきると、すでにそこには誰かがいた。


「……あ、勇」


 フェンスにもたれて空を見ていたシエラが、振り向く。


「やっぱり来た」


「“やっぱり”って何だよ」


「なんとなく。

 終わったあと、ここに来たくなる線してたから」


 そう言って、少しだけ笑う。


「座る?」


 屋上の端、いつも二人で陣取る場所に腰を下ろす。


 夜風が、汗と埃と、工房の匂いをさらっていく。


 しばらく、何も話さずに空を見ていた。


 星は、街の灯りに少し負けている。

 それでも、線の上に小さな光が点々と浮かんでいるのが見えた。


(あの工房で、歌ってた線も)


 どこかを流れて、

 こうして空に出てきているのかもしれない。


「ねえ」


 シエラが、ぽつりと言った。


「さっき、会議で言ってたでしょ」


「どれだ」


「“全部戻すのは無理だ”って顔してた、ってあたり」


 見られていたらしい。


「正直に言うと、悔しかったんだよ」


 隠しても仕方がないので、そのまま言った。


「もっと上手くやれたかもしれないって、

 頭のどこかがずっと言ってる」


「うん」


 シエラは否定しない。


「そりゃ悔しいよね。

 あんた、変に真面目だし」


「変にって何だ」


「褒めてるの」


 シエラは、膝を抱えて空を見上げた。


「でもさ」


「うん?」


「あの工房で、あんたが“ここからここまで”って線を決めなかったらさ。

 ノノハの歌も、ミレイの火も、レイカたちの炎の輪も、

 多分あそこまで綺麗にそろってなかったと思う」


 思わず横顔を見る。


 シエラは、こっちを見ずに続けた。


「全部は無理だって、分かってたんでしょ?」


「……うん」


「だったら、今日の“ここまで”はさ。

 もうちょっと自分で褒めときなよ」


 言いながら、シエラは小さく笑う。


「じゃないとさ。

 明日の“ここから”まで届かなくなるよ」


 胸の奥の、何かがほどけた気がした。


 悔しさも、足りなさも消えない。

 けれど、それだけじゃなくていいのかもしれない。


「……ありがとな」


 素直に頭を下げると、

 シエラが少しだけびくっとした。


「な、なにそれ。いきなり真面目」


「いつも真面目だろ」


「そうだった。そういえばそうだった」


 くすくす笑いながら、シエラは夜空を指差した。


「見て。

 あの辺、さっきよりちょっと線が増えた気がしない?」


「気のせいじゃないか?」


「気のせいでもいいの。

 “増えた気がする”って思えるだけで、

 無祈の連中への勝ちだと思うから」


 その言い方がなんだか悔しくて、

 つられて空を見上げた。


 たしかに、

 さっき会議室から見たときよりも、

 風の線が少しだけ賑やかに見える。


(あの工房で、消えなかった線が)


 どこかで、また風に乗り始めたのかもしれない。



 部屋に戻ると、ベッドの端に祈り板が置かれていた。


 誰かと思えば、

 そこに映っていたのはリツの顔だった。


「……盗撮ですか、学院長」


『しませんよ』


 あきれ顔で返される。


『さっきの報告で言えなかったことで、

 一つだけ伝えたいことがありまして』


「何ですか」


『さっき、無祈の影が円を描いていたでしょう』


 世界地図の上の黒い影を思い出す。


『あれ、完全な円ではなかったんです』


「どういうことです?」


『君たちが到着する直前まで、

 工房の線が“まだあきらめていなかった”からです』


 リツは、祈り板の向こうで微笑んだ。


『つまり、“最後まで祈っていた工房”がひとつだけあったから、

 あの円は完成しなかった』


 胸のどこかが、ぽん、と鳴った。


『その工房を選んだのは、こちら側です。

 でも、その中で“ここまで守る”って決めたのは、君たちです』


「……それ、反則じゃないですか」


『何がです?』


「そんなふうに言われたら、

 もう“今日は失敗でした”って顔できないじゃないですか」


 苦笑いがこぼれた。


 リツも、少しだけ笑う。


『失敗も、もちろんありましたよ。

 けれど、“今日の線”は、間違いなくプラスです』


「了解です」


『では、ちゃんと寝てください』


 祈り板の光がふっと消える。


 ベッドに倒れ込むと、

 身体のあちこちが、戦いの疲れを思い出したように重くなった。


(無祈は、楽な線を選びたがる)


(でも、楽じゃない線を一緒に選んでくれるやつも、

 隣にいる)


 そんな当たり前のことを、

 今日、ようやく実感として掴めた気がした。


 瞼が落ちる直前、

 窓の外の風の線が、ほんの少しだけ明るく見えた。


 ――そのころ、遠く離れた別の祈り街で。

 黒い“めんどうくさがり”の気配が、新しい獲物を探して揺れていたことに、

 このときの俺は、まだ気づいていなかった。

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