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第9話 黒いささやきと、線の守り方



 黒く震えた指先から、冷たい気配が広がった。


 工房の空気が、一瞬で変わる。


 さっきまでただの「焦げ跡」だった祈装兵が、

 今は、工房の一番暗い場所になっていた。


「……今、動いたよね?」


 シエラが、小さく槍を構える。


「鎖は?」


「まだ切れてない。けど――」


 タケルが、祈装兵のつなぎ目に目を凝らす。


 関節の隙間から、黒い“染み”がにじみ出ていた。

 祈りでも、熱でもない。

 それなのに、線の流れだけは、ずるずるとそこに引きずられていく。


「全員、後ろ三歩」


 アスハさんの声に、身体が勝手に従った。


 俺たち十人が後ろに下がると同時に、

 カガリ先生が一歩前に出る。


 鎖につながれた祈装兵の札のあった場所――

 そこに、黒い何かがじわりと浮かび上がった。


 形はない。

 ただ“濃さ”だけが、そこに集まっている。


(ゼロラインの向こうの気配と、似てる)


 昨日、遠くに見えた“黒い穴”。

 それを小さく丸めて、札のあった位置に押し込んだみたいだ。


「……あ」


 工房の入口のほうで、さっきの子どもが小さく声を漏らした。


「あいつ、だ」


「見えるか」


 アスハさんが、子どものほうをちらと見る。


「昨日も、それみたいなのが工房の上をふわふわ飛んでて……。

 『祈るのやめちゃいなよ』って、笑ってた」


 黒い“濃さ”が、ひとつぶ震えた。


 まるで、「そうそう」と頷いたみたいに。



『――めんどう、でしょ』


 工房の空気のどこかから、声がした。


 男でも女でもない。

 若くも老いてもいない。


 ただ、やる気のない笑いだけをべったり塗った声。


『祈るのも。願うのも。

 がんばるのも。

 ぜんぶ、めんどう』


 その言葉に、胸の奥がざらついた。


 たしかに、面倒だ。

 祈り続けるのも、願い続けるのも、

 うまくいかないときは特に。


 けれど――


「だからって、全部やめて黒くなるっていうのは、どうなんだろうね」


 ユラ先生みたいな軽い口調で、

 アスハさんがぼそっと言った。


『やめれば、楽になる』


 声は、祈装兵の口が動いているわけでもないのに、

 そこから漏れているように聞こえる。


『期待しなければ、がっかりしない。

 願わなければ、叶わなくても悲しくない。

 線なんか、無くなっちゃえばいい』


「……そういう言い方、腹立つな」


 シエラが、小さく歯を食いしばる。


「がんばってる人の前で、よく言えたね」


『がんばるのが好きなら、勝手にどうぞ。

 でも、それを他の奴にまで押しつけないでよ』


 黒い“濃さ”が、祈装兵の胸の辺りからじわじわと広がる。


 鎖が、きしんだ。


 祈装兵の身体が、不自然な角度で起き上がろうとする。


「止めます?」


 タケルが槌を握り直す。


「まだ」


 カレン先生が、そっと手で制した。


 その横で、レイカが小さく呟く。


「今、熱の線がほとんど無い。

 “燃やす相手”としても、やりづらいんだよな……」



「勇」


 アスハさんの声が飛ぶ。


「線、どう見える」


「……悪いです」


 正直に答える。


「祈装兵本体の線は、ほとんど切れてます。

 まだ残ってるのは、工房の床と、繋がってる鎖と――」


 黒い“濃さ”に吸い込まれそうになりながらも、

 そこから目を逸らさないようにする。


「工房の中に残ってる祈りの“名残”です」


 誰かがここで作業していたときの歌。

 祈祷塔から降りてきた祝詞の余韻。

 工具の持ち主がつぶやいた小さな愚痴と、それでも続けようとした意地。


「それを、あいつが全部、“めんどう”にまとめて飲み込もうとしてる」


『そうそう』


 声が、少しだけ楽しそうに響いた。


『がんばった跡も。願いの残りも。

 ぜんぶまとめて、無かったことにしちゃえば、

 あとで思い出して苦しくなることもない』


「……それは」


 喉の奥から、思わず声が漏れた。


「“自分でそうしたいって決めた人”が、

 自分の責任でやることだろ」


 黒い“濃さ”が、一瞬だけぴたりと止まる。


『なに、それ。

 めんどくさい理屈』


「誰かの祈りを、勝手に“消してあげる”みたいな言い方しないでください」


 声が震えているのは、自覚していた。


 ゼロラインで感じたあの冷たさとは、少し違う。

 これは、もっと直接的な苛立ちだ。


「めんどくさいのが嫌なら、

 “嫌だ”って言う祈りくらい、自分で持てばいいのに」


『……ふうん』


 黒い“濃さ”が、じわりと動いた。


『きみ、嫌い』


 突然、祈装兵の足元から黒が弾けた。


 鎖が、内側から押し広げられるようにちぎれる。


 無祈の塊に引きずられる形で、

 祈装兵がこちらに向かって倒れかかってきた。



「前!」


 アスハさんが叫ぶ。


「ヴァン、シエラ!」


「っ!」


 ヴァンが即座に盾を構え、

 シエラがその横に滑り込む。


 黒く染まりかけた祈装兵の腕が、

 鈍い音を立てて盾にぶつかった。


 重さだけは、正常なときと変わらない。


「重っ……!」


「足元、滑る」


 床にこぼれた黒が、

 オイルみたいにじわじわと広がっていた。


 そこに足を踏み出そうとした瞬間、

 線が一瞬だけ、足場の感覚を失う。


(踏んだら、線ごと掴まれる)


 直感的にそう感じた。


「ヴァン、片足ずつ!」


「分かってる!」


 ヴァンが、黒に直接触れないぎりぎりのラインで踏ん張る。

 シエラは、黒の上を飛び越えるように槍を突き出した。


 槍の穂先が、祈装兵の肩関節に突き刺さる。

 しかし、黒がさらりとかわすように形を変えた。


『痛くないよ。

 こうなれば、何も感じない』


「それ、褒め言葉だと思ってんの?」


 シエラが、歯をむき出しにして笑う。


「だったら、あたしたちには向いてないね!」



「風が滑る」


 ノノハが、眉をひそめた。


「歌を乗せても、

 黒いところだけ、風がすり抜けちゃう感じがします」


「火も、乗りづらい」


 サラが、小さく火を灯してみせる。


 黒に近づけた瞬間、火がひゅっとしぼんだ。


「燃え移るどころか、温度を吸われてる」


「じゃあ、逆だな」


 レイカが、目を細める。


「燃やすんじゃなくて、“燃やせない”って条件を利用する」


「どうやって?」


「黒いとこ以外を、全部火の回廊にする」


 レイカの目が、祈装兵と床の黒、

 そして周囲のまだ侵されていない場所を素早くなぞる。


「シュン!」


「ああ」


 シュンが、天井に向かって手を上げた。


 雷鳴――ではなく、

 乾いた風の裂け目だけが走る。


 音に驚いた工房の祈りの線が、一瞬だけ浮き上がった。


「その“浮いた”タイミングで――サラ!」


「了解!」


 サラが指先を弾くと、

 小さな火がいくつも床に点々と灯る。


 黒い染みを避けるように、

 あちこちに灯ったその火を――


「ユウゴ!」


「温度、一定に固定」


 ユウゴが祈りを流し込み、

 火の高さと熱を揃えた。


 工房の床に、

 黒い線だけを避ける“炎の輪”ができる。


『……』


 黒い“濃さ”が、わずかに動きを止めた。


 周囲の炎を飲み込もうとすれば、形を変えなければならない。

 けれど、広がれば広がるほど、

 自分の“濃さ”が薄まりそうになる。


『めんどう』


「そうだろ」


 レイカが、口の端を上げる。


「一カ所でだらだらしてるほうが楽なんだろ。

 でも、こっちはそうさせない」



「勇」


 アスハさんが、視線だけで合図してくる。


 炎の輪と、黒い染み。

 その真ん中で、祈装兵がぎしぎしと軋んでいた。


 まだ、札のあった場所は真っ黒だ。

 でも、その周り――胸板や腕の関節のあたりには、

 かろうじて元の祈りの線が残っている。


(全部を元に戻すのは無理だ)


 それは、見ただけで分かった。


 でも、“いま飲み込まれそうな線”くらいは、

 まだ引き戻せるかもしれない。


「ノノハ、ミレイ」


「はい〜」


「は、はい!」


「黒じゃなくて、祈装兵の“外側”のほうに歌と炎。

 “ここまで戻ってこい”って目印を作れますか」


 ノノハが、すうっと息を吸う。


 高くも低くもない、真ん中の音から歌い出す。

 ミレイが、その音に合わせて柔らかい火を灯し、

 炎の輪の内側――黒の手前に、小さな灯りを点ける。


 帰り道の目印。


『……うるさい』


 黒い声が、少しだけ震えた。


『そんな面倒な道、覚えなくていいのに』


「面倒だからって、全部忘れたくなるときもあるけどさ」


 シエラが、祈装兵の腕を槍で受け止めながら叫ぶ。


「“帰れる場所”まで燃やすなよ!」


 ヴァンが、隙を見て祈装兵の膝を蹴る。

 その衝撃で、黒い染みが一瞬だけ浮いた。


 胸の奥――札の周りに残っていた微かな祈りの線が、

 ノノハの歌とミレイの火に、ほんの少しだけ揺れた。


 そこに、自分の風をそっと差し込む。


(全部じゃなくていい)


 ゼロラインで学んだように、

 “今できるぶんだけ”を意識する。


(ここから、ここまで)


 黒に完全に飲まれてしまったところには、手を出さない。

 まだ色が残っているところだけを、

 炎の輪の内側――“帰り道”のほうへ少しだけ押し返す。


『……めんどう』


 声が、さっきより少し小さくなった。


『めんどうなら、ここでやめちゃえばいいのに』


「それを決めるのは、お前じゃない」


 アスハさんの声が、低く響く。


「ここで祈り続けるか、やめるか決めるのは、

 工房の連中と、この祈装兵を作った奴だ」


『作った奴なんて、

 とっくに祈る余裕なんて無くしてるよ』


 黒い“濃さ”が、最後にそう吐き捨てた。


 その言葉に、

 工房の管理者の顔がぐっと歪む。


「……っ」


 何か言いかけたその声を遮るように、

 黒が一気にしぼんだ。


 炎の輪の熱と、歌と、風に挟まれるようにして。



 残ったのは、

 使い古された札の欠片と、焦げた金属の匂いだけだった。


 祈装兵は、完全に沈黙している。

 胸板のあたりに、わずかに祈りの線の名残が残っているが、

 もう動き出すことはない。


「……ふう」


 シエラが、槍を肩に担ぎ直した。


「勝った、って言っていいのかな、これ」


「“追い返した”くらいじゃないか?」


 シュンが、慎重に黒の残り香を確かめる。


「向こう側の本体は、多分ほとんど削れてない」


「でも」


 ノノハが、小さく笑う。


「“めんどうがってた線”の一部は、

 ちゃんとこっち側に残せました〜」


「そうだな」


 タケルが、静かに頷く。


「全部守れなくても、

 全部捨てさせもしなかった」



「天霧くん」


 カレン先生が、俺のほうを見た。


「さっき、“全部を戻すのは無理だ”って顔してたでしょう」


「……見えてましたか」


「熱の線がそう言ってました」


 苦笑混じりにそう言ってから、

 カレン先生は続ける。


「それでも、“できるぶんだけ”をちゃんと選んで動いた。

 その判断は、悪くないです」


「ありがとうございます」


 ほっとするより先に、

 少しだけ悔しさがにじむ。


(もっと、上手くやれたかもしれないのに)


 そう思ってしまう自分がいる。


 全部救えないのは分かってる。

 頭では分かっているのに、

 胸のどこかで「全部何とかしたい」とまだ言っている。


「その顔」


 隣から、そっとミオ先生の声が聞こえた気がした。


 実際にはここにいないはずなのに、

 保健室で何度も見られてきた視線が、自然と思い出される。


『前より、“全部背負おうとする顔”が薄くなってるよ』


 そう言われたときのことを思い出して、

 少しだけ肩の力を抜く。


(全部じゃない。

 今できたぶんだけ)


 それを、ちゃんと認めてやらないと、

 次の一歩も踏み出せない。



「で」


 レイカが、祈装兵の残骸を見下ろしながら言った。


「“黒い人たち”ってやつ、

 この工房だけじゃないよな」


 街全体の線が、まだざわついている。


 工房の外――

 祈祷塔の上のほうで、かすかに黒い影が揺れた。


 すぐ消えたが、

 見間違いではない。


「追いかける?」


 シエラが、槍を握り直す。


「今日のところは、やめとけ」


 カガリ先生が、短く言った。


「お前らが“初任務で全部終わらせました”なんて話、

 世界のほうが信用しねぇ」


「それに」


 アスハさんが、腕を組む。


「向こうの“本体”は、多分まだゼロラインの向こうだ。

 今日のは、ただの手先だな」


 その言い方には、

 長いあいだ境界に立ってきた者の実感がこもっていた。


「でも、“手先でもこれだけややこしい”って分かったのは収穫だ」


「今の戦いの全部は記録して、

 学院に持ち帰ります」


 リツが、祈り板にさっきの戦いのログをまとめている。


「黒の広がり方。

 火と風の通りにくさ。

 歌と“帰り道”の効き方」


「あと、“めんどう”って言葉にムカつく度合い」


 シエラが、真顔で言った。


「重要な情報だよ」


「それは……参考値として扱います」


 リツが、少しだけ笑う。



 工房を出ると、

 街の空気は少しだけ軽くなっていた。


 祈り塔の鐘が、小さく鳴る。


 さっきの子どもが、

 祈祷塔の階段の下でこちらを見ていた。


「黒い人たち、もう来ない?」


「来ても、また追い返す」


 シエラが、胸を張って言う。


「“祈るのめんどくさい”って言われたときは、

 『めんどくさくても祈るの!』って言っていいからね」


 子どもは、少し考えてから、小さく頷いた。


「……めんどくさいって言われたら、

 『うるさい』って言ってやる」


「それでいい」


 アスハさんが、どこか満足げに頷いた。


「“うるさい”って返せるうちは、

 まだちゃんと祈れてる」



 学院に戻る風の舟の上で、

 レイカがふっと空を見上げた。


「なあ、線読み」


「何だ」


「さっきの黒い声、

 ちょっとだけ分かる気がした」


 意外な言葉だった。


「火祈にも、“もう燃えたくない”って顔の奴らいる。

 熱くいるのが疲れて、

 “別に自分がやらなくてもいいだろ”って思ってる奴」


「風祈にも、似たようなのはいます」


 頷く。


「だからこそ、“全部めんどうだからやめようぜ”って線は、

 すぐそこにある」


「そうだな」


 レイカは、目を細めた。


「でも、“めんどう”って言いながら、

 それでもまだ動いてる奴らを見てるとさ」


 横目で、こっちを見る。


「ちょっとくらい、一緒にめんどう見てもいいかな、って思うんだよな」


「それは……」


 言いかけて、苦笑する。


「たぶん“戦線向き”の考え方だと思います」


「そりゃよかった」


 レイカが笑った。


 風の舟の下で、

 街の線が少しずつ落ち着いていく。


 黒い“めんどうくさがり”の気配は、

 まだどこかに残っている。


 でも――

 そこに風と火の線を引いた今日の記録は、

 ちゃんと世界側にも刻まれたはずだ。


 これが、

 多属性戦線の最初の一歩目。


 世界を「めんどう」で塗り潰そうとする何かとの戦いは、

 ここから、少しずつ大きくなっていく。

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