第7話 風と炎、はじめての合同戦線
午後の訓練場は、いつもより熱かった。
日差しのせいだけじゃない。
広場の片側には風祈学院一年戦線チーム。
反対側には火祈学院代表戦線チーム。
空気そのものが、二つの属性のせめぎ合いみたいにざわついていた。
「……あつい」
横でヴァンが、額の汗をぬぐった。
「まだ、火祈は本気出してないよ?」
ノノハが、少し遠慮がちに笑う。
「熱の線が、手前でぐるぐるしてます〜」
たしかに、向こう側の五人はまだ炎を立ち上げてはいない。
でも、足元から立ち上る空気の揺れ方が、いつもと違う。
「よし、全員そろってるわね〜」
訓練場の中央で、ユラ先生が手を叩いた。
隣には腕を組んだカガリ先生。
少し離れたところでリツ学院長が祈り板を抱え、その後ろの柱にもたれているのがアスハさん。
「今日のテーマは、“風と炎の段取り練習”です!」
「段取り、ですか」
思わず聞き返すと、ユラ先生は元気よく頷いた。
「そ。いきなり本番で“はい一緒に戦って〜”ってやると、だいたい大惨事だからね〜」
「具体的には?」
シュンが、少しだけ興味ありげに聞く。
「風が調子に乗って煽る → 火が調子に乗って燃える → 周りが全部巻き込まれる、みたいな?」
「……笑えない」
ヴァンが小さく呟いた。
「なので、今日は“あえて”決まりごとをつけます」
ユラ先生が指を一本立てる。
「風は、“火を大きくしたいとき”だけ押す。
火は、“自分で制御しきれる範囲”から出ない。
あと、どっちも『面白そうだからやってみた』は禁止」
「最後の一個、誰に向けて言ってます?」
「両チームの前のほうに立ってる人たちかな〜?」
ユラ先生の視線が、レイカとシエラをなぞる。
「心外だな」
「光栄です!」
心外と光栄が同時に出てくるのもどうかと思う。
◇
「まずは、並び替えからね」
リツが祈り板に線を描く。
「風祈と火祈を、それぞれ前衛・中衛・後衛に混ぜてみましょう」
「混ぜる?」
「ええ。
“風だけ”“火だけ”のときと、
“隣に別の属性がいるとき”で、線の流れがどう変わるか見るんです」
描かれた配置図を見て、俺は小さく息をのむ。
中央前方――
そこに描かれているのは、「シエラ+タケル」の二人組だった。
「お、やるじゃん」
シエラがにっと笑う。
「前向きすぎる組み合わせだな」
シュンが、あきれたように言う。
俺はというと、
中衛の少し下がった位置、「レイカ+勇」と書かれた場所に名前がある。
「……俺、前じゃないんですね」
「線読みは、“真ん中から端まで”見える場所に置きたいの」
リツが、穏やかに説明する。
「レイカくんは、火祈側の判断役。
天霧くんは、風祈側の判断役。
それぞれが自分のチームを見ながら、
“ここまでは合わせていい”“ここからは引く”を決めてください」
「責任重くないですか?」
「重いですよ?」
さらっと返された。
「でも、全員を一人で守る必要はありません。
“今はあっちに任せる”って決めるのも、立派な判断ですから」
「任せていい、と言われると、燃えますね」
横から、レイカの声がした。
「“全部自分でやるな”って言われると、逆にやる気出ない?」
「……少しだけ」
苦笑いが漏れる。
◇
「じゃ、まずは簡単な標的からね〜」
ユラ先生が、訓練場の端にいくつかの木製人形を浮かせる。
頭に祈り札が貼られた、祈装兵の簡易型。
動きこそしないが、祈りの線が人間のように組んである。
「条件は二つ」
カガリ先生が、低い声で告げる。
「一、“風と火を両方使って落とす”こと。
二、“周囲を巻き込まない”こと」
「外側を焼いたら失格?」
サラが聞く。
「焼きたければ、一体にまとめろ。
飛び火させたら、お前の負けだ」
「分かりやすいですね」
ユウゴが、小さく頷く。
シエラは槍をくるりと回し、タケルは槌の柄を握り直した。
「前は任せなさいって感じだね!」
「前を空けてくれれば、いくらでも叩ける」
ヴァンは盾に触れながら、風の厚みを確かめている。
ノノハは小さく喉を鳴らし、調律用の短い歌を準備。
シュンは、空を一度見上げてから、足元に意識を落とす。
「じゃあ、いきましょうか」
リツが手を上げた。
「第一陣、“風と炎の歩調合わせ”――始め!」
◇
最初に動いたのは、火祈側だった。
「サラ、左。ユウゴ、温度低め」
「了解」
「分かった」
サラが手を伸ばすと、やわらかい炎が手のひらに灯る。
それをユウゴが横から支えるように祈りを流し、
熱だけを少し抑え込む。
「風、少しだけ貸してもらえる?」
レイカが、隣の俺を見る。
「“少しだけ”って、どれくらいですか」
「これくらい」
レイカが指を立てると、
足元から細い上昇気流がひと筋、炎に向かって立ち上る。
そのままだと、炎はふくらんでしまう。
でも――
(線の太さは、このくらいなら保てる)
俺は、自分の足元の線を手繰りながら、
風の通り道を反対側に誘導する。
炎を膨らませるんじゃなく、
狙った一点に押し込むように。
「今」
「いくよ!」
シエラが前へ跳ぶ。
槍の穂先に、押し込まれた炎がまとわりつく。
タケルが、その横で一歩踏み込み、
炎の通り道を読むように槌を構えた。
「そーれっ!」
シエラの槍が、人形の胸元の札をかすめる。
炎の線がそこに吸い込まれるように走り――
「下」
タケルの槌が、ちょうど支えの部分を叩き上げた。
炎の熱と風の押し込みが合わさって、
人形はきれいに後ろへ倒れる。
周囲の人形には、一切火の粉が飛んでいなかった。
「おお〜」
ノノハが素直な声を上げる。
「きれいに倒れました〜」
「悪くない」
カガリ先生が、腕を組んだまま頷いた。
「どう? 線読み役」
横でレイカが、少しだけ得意げに笑う。
「火祈としては控えめにしたつもりなんだけど」
「控えめ、なんですか」
「うん。まだ訓練場、全部は焦がしてないから」
「それは控えめって言うんですかね」
会話をしながらも、俺の視線は他の線を拾っている。
風祈側の祈り。
火祈側の祈り。
それぞれの線が交わりそうなところと、絶対交えちゃいけないところ。
さっきの一手は、うまくいった。
目の前の的を落としつつ、周囲は無傷。
その“ギリギリ”のところを保つのは、思った以上に神経を使う。
(でも――)
ゼロラインの冷たさとは違う、
熱と風がぶつかり合うだけのこの場所は、まだ“マシ”だ。
◇
「じゃ、次はこっちね」
今度はヴァンとミレイが前に出た。
「えっと、その……」
ミレイが、少し緊張した声で話しかけてくる。
「風の壁に、炎を通さない“道”を作るやり方、試してみたいんだけど……いい?」
「炎の避難路、か」
ヴァンが短く問う。
「それで、後ろの人を守れるならやる」
「が、がんばる」
ミレイが両手を胸の前で組むと、
柔らかい炎の線が小さく灯った。
さっきのサラの炎よりもずっと静かで、
あたたかい。
「ノノハ〜、支えお願い」
「は〜い」
ノノハの歌声が、風の調子を整えていく。
ヴァンの周囲に立ち上がった風の壁に、
ミレイの炎がゆっくりと染み込む。
普通なら、そこで風と火はぶつかって乱れるはずだ。
でも――
「……道、できてる」
気づいて思わず呟く。
炎が一カ所に集まらないように、
壁の中に細い“すき間”がいくつも作られている。
そこだけ温度が少し高くなり、
他の部分は逆に温度が下がる。
「ここを通って」
ミレイの声に応じるように、
後ろからサラの小さな火種が滑り込んでくる。
あまり熱くないその火は、
風の壁の中の“道”だけをなぞって進む。
やがて、ヴァンの合図と同時に、
壁の一箇所だけが開いた。
「今」
その瞬間だけ、炎が外に抜ける。
狙い通り、人形の札の端だけを焼き、
周りの木は焦げもしなかった。
「すごい……」
シエラがぽかんと口を開ける。
「なにそれ、可愛い顔してやってることえげつないんですけど?」
「え、えっと……ごめん?」
「褒めてる褒めてる!」
シエラが慌てて手を振る。
「ね、勇。あれ、すごくない?」
「すごいな」
正直、見とれていた。
風で“守る”役だったヴァンと、
火で“逃げ道”を作るミレイの組み合わせは、思っていた以上に噛み合っている。
(これなら、熱が暴走する前に、
人だけ逃がすってこともできる)
そう考えると、胸の奥の重さが少しだけ軽くなった。
◇
いくつかのパターンを試したあと、
訓練場の中央に残った標的は、最後のひとつになっていた。
「さて、と」
カガリ先生が、わざとらしく肩を回す。
「最後は、俺が線をぐちゃぐちゃに混ぜてやる」
「先生、楽しそうですね」
シュンが少しだけ引き気味に言う。
「お前らがどこまで“マシな道”を探せるか見るのは、楽しい」
カガリ先生が一歩前に出ると、
訓練場の風と熱が一斉にざわめいた。
風祈の線と火祈の線が、意図的に絡められていく。
上昇気流と下降気流。
熱い空気と冷たい空気。
それ全部が、中央の人形に向けて押し寄せるようになっていた。
「うわ、これ……」
ノノハが思わず呻く。
「歌っても全然整わない感じがします〜」
「“格闘戦線仕様”になってるからな」
ユラ先生が隣で笑う。
「カガリ式。現場でよく見るぐちゃぐちゃパターンだよ〜」
「聞きたくなかった現場情報だ」
レイカが苦笑する。
「どうする、線読み」
真ん中あたりで、レイカが俺を見る。
「これ、どこから触ればいい?」
目を閉じる。
ゼロラインとは違うけれど、それでも濃い線の乱れ方だ。
(全部を一度に何とかしようとすると、潰れる)
昨日、ゼロラインで学んだことを思い出す。
あれよりはまだ、マシだ。
少しずつ、視野を絞る。
中央の人形と、それに向かっている線だけを見る。
上から押し込む熱の線。
下から吹き上げる風の線。
右から噴き出して、左に逃げ場を求めている線。
(全部止める必要はない)
穴に向かっていた線をそらしたときと同じだ。
危ない方向に出ようとしている線を、“マシなほう”に流す。
「レイカ」
「おう」
「あの人形、完全に守るのは無理です」
「だろうな」
「だから、“燃え方を決める”ほうに切り替えます」
レイカが目を細める。
「やってみろ」
◇
空から落ちてくる熱の線を、
俺は自分の風で少しだけ右にずらす。
同時に、シュンが雷鳴を空の上で鳴らした。
音だけの雷が、空気の層を一瞬だけずらす。
熱は中央を外れ、少し右寄りに流れた。
「サラ!」
「分かってる!」
サラが、その右側に炎を少しだけ灯す。
風と熱がそこに集まり、
大きな火柱になりかける――その前に。
「ユウゴ!」
「はいはい」
ユウゴがすっと祈りを切り替え、温度を抑え込んだ。
火柱にはならず、
熱だけが低く、広く広がる。
「ヴァン!」
「受ける」
ヴァンの風の壁が、その熱を抱き込む。
ノノハの歌が、その輪郭を丸く整える。
「ミレイ!」
「ここ……!」
ミレイが作った“抜け道”を、熱と炎が一気に走る。
その先には――
シエラとタケルが待っていた。
「行くよ、タケル!」
「任せろ!」
シエラの槍が、熱と炎の“道”をなぞるように走り、
タケルの槌が、人形の足元をすくう。
炎は、狙った場所だけを焼き、
風は、その周囲の火の粉を外へ逃がさないように包み込んだ。
最後の人形が倒れたとき、
訓練場には焦げ跡ひとつ残っていなかった。
代わりに残っていたのは、妙な静けさだった。
◇
「……」
カガリ先生が、しばらく黙って地面を見ていた。
「失敗、でした?」
シエラが、おそるおそる聞く。
「いや」
カガリ先生は、わずかに口元を上げた。
「上出来だ」
その一言に、訓練場の空気が一気にゆるむ。
「やった〜!」
シエラが槍をぶんぶん振り回しそうになり、
ヴァンにあわてて止められていた。
「危ない」
「ごめんごめん!」
「風祈と火祈、
思っていたよりも歩調が合うね」
ユラ先生が、目を細める。
「勢い任せに見えて、ちゃんと“ここまで”を決められてる」
「線読みが、いい“引き際”選んでくれたからね」
レイカが、隣で軽く肘を当ててきた。
「ありがとな」
「いや、こっちも助けてもらった」
本音だった。
風だけじゃ、あのぐちゃぐちゃはさばききれない。
火だけでも、たぶん同じだ。
どこかで誰かが、“任せる”と決めてくれたおかげで、
全体が保てている。
(これが、“多属性戦線”か)
実感が、少しだけ胸の奥に落ちてきた。
◇
訓練が終わりかけた、そのときだった。
倒れた木製人形のうち、一体の札が、ふっと黒くにじんだ。
「……?」
最初は、ごく小さな染みだった。
祈り札の端に浮かんだ、墨のような色。
それが、一気に広がる。
札の文字が消え、祈りの線がばらばらにほどける。
解き放たれた線の一部が、黒に飲み込まれた。
周囲の空気が、一瞬だけ冷たくなる。
(ゼロラインの……)
あの遠くの黒い“何か”を思い出させる、温度の落ち方だった。
「下がれ!」
ほとんど同時に、アスハさんとカガリ先生の声が飛ぶ。
アスハさんが一歩で距離を詰め、
黒く染まりかけた札を蹴り飛ばした。
黒は、空中でふっと霧散する。
残ったのは、ただ焦げた木片だけ。
「今の……」
ノノハの声が震えていた。
「祈り、じゃなかった」
「“祈らないほうへ落ちる穴”だ」
アスハさんの声が低くなる。
「ゼロラインの向こう側から、ちょっかい出してきやがった」
リツが札の破片を拾い上げ、
祈り板の上にそっと置く。
「線が、勝手に書き換えられた形跡がありますね」
その額に、深いしわが刻まれる。
「祈装兵の札を使ってたから、入り込みやすかったのかもしれません」
「ってことは」
レイカが、真剣な顔になる。
「こういう“黒”が、他の場所の祈装兵にも紛れ込んでる可能性があるってことか」
「ある」
カガリ先生が即答する。
「だからこそ、多属性戦線が必要なんだ」
◇
「一年戦線チーム、火祈代表戦線チーム」
アスハさんが、訓練場の全員を見渡す。
「今見たのが、“世界を面倒くさがってる何か”の手だ」
ゼロラインで見た黒と同じ温度の言葉だった。
「祈るのも、願うのも、諦めるのも、全部めんどくさい。
だから、線ごと落として無かったことにしようとする」
「……最悪ですね」
シエラが、顔をしかめる。
「こっちは一生懸命“どうにかしよう”ってやってんのに」
「だから、そいつらに線を渡さないために、
世界側でできるだけのことをする」
アスハさんが、俺たちと火祈の五人を順番に見た。
「風で、火で、他の属性で。
その線を支えるのが、“多属性戦線”だ」
「“世界のために誰か一人を零にする”やり方は、
もう選べないようにしたからな」
カガリ先生が、どこか遠くを見るような目で言う。
「今度は、“世界の線を世界側で守り切る”やり方を選ぶ番だ」
その意味を、全部理解できたわけじゃない。
でも――
胸の奥で、さっきの黒への怒りが小さく灯る。
(祈りもしないなら、せめて邪魔はするな)
そう思ってしまった自分に、少し驚いた。
前の自分がどうだったかなんて知らない。
でも、少なくとも今の天霧勇は、
「全部めんどくさい」と切り捨てようとする何かに対して、
素直にむかっときている。
◇
「今日はここまで」
リツが、訓練場全体に風を通した。
黒の残り香を、きれいに掃き出すように。
「いい合同訓練でした。
最後に見たものは、たぶん忘れられないと思いますが――」
そこで一度、言葉を切る。
「忘れなくていいです」
穏やかな声なのに、強さがこもっていた。
「怖かったなら、そのまま覚えていてください。
“あれよりマシな線”を、これからたくさん見つけていくために」
「はい!」
シエラが、誰よりも大きな声で返事をした。
その横で、ヴァンが静かに頷き、
ノノハが胸の前で手を組み、
シュンが空を一度だけ見上げる。
火祈の五人も、それぞれのやり方でうなずいていた。
レイカは、少しだけ横目で俺を見る。
「線読み」
「何だ」
「今度、本物の祈装兵相手に、さっきの“火柱になりかけた熱”のやつ、試してみようぜ」
「……安全な場所なら、考えます」
「そうこなくちゃ」
レイカの笑みは、炎よりもまっすぐだった。
風と炎が同じ方向を向き始めた、その最初の一日。
ゼロラインの向こう側から伸びてきた黒い手は、
たぶんまだほんの触りに過ぎない。
それでも――
いま隣にいる仲間たちとなら、
“マシなほう”を選んでいける気がした。




