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第3話 無祈という名の穴



 保健室に運ばれるほどではなかったが、

 頭の重さはその日の午後まで続いた。


「はーい、勇くん、もう一回」


 ミオ先生が、俺の額にそっと手を当てる。


 柔らかい風が、頭の中を撫でていくような感覚。

 痛みの尖ったところを丸くされていく。


「うん、さっきよりだいぶマシね」


「だいぶってレベルですかね」


「線を見すぎた後にしては、優秀なほうよ。

 もうちょっと無茶したら、ここで一晩コースだったわね」


「それは遠慮したい」


 ベッドの上に浅く腰かけたまま、ため息をつく。


「先生は、あの穴が見えてるんですか」


「穴?」


「祈装兵の中にあったやつと、空に浮いてるやつ」


 ミオ先生の手が、ほんの一瞬だけ止まる。


 けれど、すぐにいつものやわらかい笑みを浮かべた。


「私はね、“流れが変なところ”は分かるけど、

 勇くんみたいに“穴の形”までは見えないの」


「流れが変?」


「そう。

 本当ならすっと通り抜けるはずの風が、

 途中で止められて、胸のあたりがきゅっとする感じ」


 言葉よりも、感覚をそのまま渡すような話し方だった。


「だから、さっき市場で“嫌だな”って感じた場所はあったけど……

 勇くんほど全部は見えてなかったと思う」


「……見えないほうが楽そうですね」


「ふふ。そうかも」


 ミオ先生は、少しだけ申し訳なさそうに笑う。


「でも、誰かひとりはちゃんと見える人が必要なのよ。

 全部じゃなくていいから、“ここが変だよ”って言ってくれる人が」


 その言い方は、どこかアスハに向けているようにも聞こえた。


「で、その変なやつの名前が――」


「無祈」


 ミオ先生は、少し声を落として言った。


「流れなかった祈り。

 捨ててしまったお願い。

 諦めて蓋をした“本当はこうしたかった”のかけら。

 そういうものが積もって、澱んだもの」


「祈りの……残骸、みたいなものですか」


「うん、そんな感じ」


 頷いてから、少しだけ眉を寄せる。


「本当はね、それもどこかに流したいのよ。

 ちゃんと泣いて、ちゃんと怒って、ちゃんと諦めるっていう線に」


「諦める線、ですか」


「変に聞こえる?」


「いや、ちょっと分かる気がします」


 叶わないって分かっていても、

 どこかに置き場があれば、少しは楽になる。


 そんな感覚が、なぜかすとんと胸に落ちた。


「でね」


 ミオ先生は、少しだけ真面目な声になる。


「さっきみたいに、勇くんが無理に線をいじろうとすると、

 頭の中の“自分の線”までぐちゃぐちゃになっちゃうの」


「さっき怒られました」


「怒ってないわよ。心配してるだけ」


 ほんの少しだけ、頬を膨らませる仕草が子どもっぽい。


「だから、“ここがおかしい”って見つけるのは大事。

 でも、“どう直すか”は、一人で背負わないこと。

 学院には先生たちもいるし、仲間もいるし――」


 保健室の扉のほうに視線を向ける。


「境界の上で、無茶しがちな人もいるしね」


「……アスハさんですか」


「他に誰がいるのよ」


 ミオ先生は、あからさまにため息をついた。


 その顔は、怒っているというより、呆れと心配が半々だ。


「前はね、あの人、全部自分で抱えて勝手に傷だらけになってたから。

 もうそういうのはごめんって決めたの」


「アスハさん、そんなだったんですか」


「今度、本人から聞いてみなさい」


 ミオ先生は、そこで話を打ち切るように立ち上がった。


「とりあえず、勇くんは今日は午後から座学だけ。

 その前に――特別説明会、ね」


「特別?」


「一年戦線チームだけの、ちょっと重めの話。

 覚悟して行きなさい」


 そう言って、保健室のカーテンをしゃっと開けた。


「さ、立てる?」


「はい」


 足元は少しふらつくが、問題なく歩ける。


「無理そうなら途中で椅子に沈んでいいからね。

 倒れそうなときは、ちゃんと言うこと。

 ……いい?」


 最後だけ、少しだけ強く確認してくる。


「分かってます」


 そう答えると、ミオ先生はようやく安心したように微笑んだ。



 学院の小さめの講義室。


 一年戦線チームの五人だけのために、

 リツが世界図を描き出していた。


 教壇の前には、リツとユラ先生。

 後ろの壁にもたれているのがカガリ先生とミオ先生。

 窓枠のところには、アスハが腕を組んで寄りかかっている。


 妙に濃いメンバーだ。


「さて」


 リツが指先で祈り板をなぞる。


 空中に、網目状の世界図が浮かんだ。


 上層神界。祈核殿。白室α/β。各属性学院。

 そして、それらを結ぶ第四祈路。


「世界の祈りは、本来、この線を通ります」


 リツは、柔らかい声で説明を始めた。


「上から降りてきて、白室を経由し、

 学院や街角の小さな祈りの場を通り、また上に戻る」


「昨日見た穴は、その途中にできてたやつ?」


 ノノハが、おそるおそる手を挙げる。


「そうです」


 リツは頷き、世界図のあちこちに灰色の点を灯した。


「これが、無祈。

 流れ切らなかった祈りの澱み。

 放っておくと周りの線を喰って、少しずつ広がっていきます」


「だから、祈装兵の中にもいたわけか」


 シュンが腕を組み直す。


「祈導局が余計なことしてるからだよね〜?」


 ユラ先生が、はっきりと名前を出した。


「祈導局?」


 俺が眉をひそめると、カガリ先生が前に出る。


「祈りを“導く”ことを仕事にしている組織だ。

 祈りの“効率”を上げるとか、きれいな理屈を掲げているが――」


 そこで、言葉を区切る。


「役に立たない祈りはまとめて捨てればいい、

 という考え方を隠し持っている」


 声が低くなった。

 実際に何度もぶつかったことがある人の話し方だ。


「こっちは、捨てる場所じゃなくて、流し直す場所を作ろうとしてるのにね〜」


 ユラ先生が肩をすくめる。


「だから、風祈学院は“窓口”なんだ。

 上からの線と下からの線、両方を見て、

 できるだけマシな通り道を探す」


「マシ、って言い切るんですね」


 俺は思わず口を挟んだ。


「最善なんて、そうそうないからね〜」


 ユラ先生があっけらかんと言う。


「でも、“全部ダメ”と“ここはまだマシ”の差って、

 生きてる人にはけっこう大事でしょ?」


 言われてみれば、その通りだ。


「で」


 リツが、俺たちのほうを向く。


「勇くん」


「はい」


「君には、その“マシな線”が、人より少し多めに見えている」


「……多め、ですか」


「全部じゃない。そこが大事」


 リツは、童顔のまま、珍しく少し真剣な目をした。


「全部見えると思い込んだ瞬間、人は自分を壊しにかかりますからね」


 その言い方には、実感が滲んでいた。


 窓際のアスハが、ちらっとリツを睨む。


「誰の話してんだよ」


「さあ、誰でしょうね」


 とぼける声の裏で、ミオ先生が小さくため息をついていた。


「でも」


 リツは、俺に向き直る。


「君一人に全部押しつけるつもりはありません。

 線を見るのが得意なのは君。

 風を通すのが得意なのはシエラたち。

 壁を作るのがヴァン。

 支えるのがノノハ。

 詰まりを壊すのがシュン」


 それぞれの名前を呼ぶたびに、祈り板の上の線が少しずつ太くなる。


「それをまとめて、“一年戦線チーム”と呼びます」


「昨日、“候補”って書いてましたよね」


 ヴァンが問いかける。


「今日から“候補”が取れます」


 リツは軽く肩をすくめた。


「市場での動き、合格点でしたから」


「やった!」


 シエラが小さくガッツポーズをする。


「でも、調子に乗るのはほどほどにね〜」


 ユラ先生がすかさず釘を刺す。


「特にシエラ。槍が先に出て体が後からついてきてるときあるから」


「う……気をつけます」


「勇」


 今度は、アスハが名前を呼んだ。


「お前、さっき保健室で何言われた」


「“一人で背負うな”って」


「なら、その通りにしろ」


 アスハの声は、いつもより少しだけ柔らかかった。


「ゼロラインの上で全部抱え込むやつは、もう見飽きてんだよ。

 あとはミオに怒られるのも見飽きた」


「誰の話?」


「お前だよ」


 即答されて、ミオ先生がじろっと睨む。


「ほら、すぐそうやって自分で反省しない」


「してる」


「口だけでしょ」


 そのやりとりは、明らかに俺たちの知っている先生同士の距離感より、

 一歩近いものだった。


 シエラが、ひそひそと耳打ちしてくる。


「ね、なんか……あるよね、あれ」


「知らない」


 反射的に返すと、シエラは「ふーん」と意味ありげな笑みを浮かべた。



 説明会の最後に、リツがひとつだけ念を押した。


「これから、無祈と祈導局の動きは、少しずつ激しくなっていくと思います」


 世界図の一部が、赤く縁取られる。

 市場、街はずれの祈祷所、遠くの山間。


「だからこそ、君たちには“急がない勇気”も持ってほしい」


「急がない……?」


 シュンが眉を寄せる。


「全部の穴を埋めようとしない。

 届かないところを無理に引っ張らない。

 “今ここをどうにかする”線を選ぶ」


 その言葉に、俺の胸がひりっとした。


 どこかで、似たことを言われた気がする。

 でも、深く考えないようにする。


「世界は、一人の犠牲でなんとかするには、ちょっと広すぎますからね」


 リツは、軽い口調に戻った。


「だから、五人分の風でなんとかしてください。

 上からは、ひねくれた神様たちが見てますから」


 その言葉に、ユラ先生が笑い、カガリ先生が鼻で笑い、

 ミオ先生が小さく肩をすくめ、アスハが窓の外を一瞬だけ見上げた。


 その視線の先に、白い部屋のソファがあることなど、

 この時の俺は、まだ知らない。



 説明会が終わり、教室を出ようとしたとき。


「勇」


 ユラ先生に呼び止められた。


「ちょっとだけ」


「はい」


「さっき、リツの話聞いてるときの顔。

 “全部見えてなきゃいけない”って顔してた」


「……そんなつもりは」


「あるある」


 ユラ先生は、元気な声のまま、真面目な目をした。


「あのね、戦線で一番危ないのは、

 “自分が一番分かってる”って思ってるやつじゃなくて――」


 人差し指で、俺の額を軽く弾く。


「“自分が一番分かってなきゃいけない”って思い込んでるやつ」


 言葉が、妙にすっと入ってくる。


「勇は、そうなりやすそうだから、ちょっとだけ気にしておきなさい」


「……気をつけます」


「よろしい!」


 ユラ先生はすぐにいつもの笑顔に戻った。


「じゃ、午後の座学、寝ないようにね〜。

 寝たら、次の実技で倍走りだよ!」


「それは勘弁してほしい」


 素直にそう言うと、ユラ先生は満足そうに笑い、

 教室から出て行った。


 廊下に出ると、シエラたちが待っていた。


「どうだった?」


「説教された」


「だろうね〜」


 シエラは悪びれもなく笑う。


「でもまあ、あんた一人で抱え込まれても困るからさ。

 ちゃんと四人に投げなよ?」


「四人?」


「ヴァン、ノノハ、シュン、あたし。

 ……それとも、数に入れてもらえない?」


 半分冗談、半分本気のような目。


「入れてます。むしろ頼る気満々です」


「よろしい!」


 どこかで聞いたような言い回しだった。


 窓の外を吹き抜ける風に、

 色付きの線が絡んでいる。


 その少し高い場所で、

 誰かが白いソファに沈んだまま、

 くすっと笑った気がした。


 ――まだ、何も思い出してはいない。

 でも、今の俺には、それより先にやるべきことがある。


 風祈学院で、祈りの線を見て、

 仲間と一緒に“マシなほう”を選ぶこと。


 それが、天霧勇としての今の役目だった。


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