第9話 独立統祈領域での再会
扉をくぐった瞬間、足場の感覚が変わった。
さっきまでいた祈核殿の、冷たい石の床はもうない。
代わりに――細い線と光が、空間そのものを編んでいた。
上も、下も、左右も分からない。
無数の祈りの線が、網目になって世界を支えている。
「……気持ち悪ぃな、ここ」
アスハが顔をしかめる。
それでも、足はちゃんと地を踏んでいる感覚があった。
“踏んでいる”と思い込ませてくれる程度には、
この場所は俺たちに優しいらしい。
ログで見た“祈りの裏地”と、よく似ている。
けれど――これは記録じゃなく、“今”だ。
線の一本一本に、現在進行形の祈りが流れている。
「ここが……“独立統祈領域”か」
思わず、そう呟いたとき。
「正確には、“その一部”だな」
聞き慣れた声が、少し離れたところから返ってきた。
◇
振り向くと、そこにルカダスがいた。
ログの中より、少しだけ痩せて見えた。
長い髪はそのままだけど、
統祈神の衣はどこかくたびれている。
だけど、目だけは変わらない。
世界全体を見て、
なお何かを諦めきれない目だ。
「久しぶりだな、二人とも」
柔らかい、けれど距離を測るような声。
アスハが一歩、前に出た。
「殴っていいか?」
「いきなりだね、アスハ」
「順番的に自然だろ」
アスハは指を折って数える。
「一個目。
俺とシロを、勝手に欠員枠に巻き込んだ」
「当時は“勝手に”ではなかったはずだが」
「二個目。
白室分割んとき、ろくに相談もなしに独立線引いた」
「一応、会議はしただろう」
「三個目。
学院襲撃のとき、全力で敵やってくれた」
「……」
そこだけ、ルカダスは反論しなかった。
アスハは、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「だから、一発ぐらい殴ってもバチ当たんねぇだろ」
「殴るなら、話を聞いてからにしてほしいな」
「先に殴るタイプなんだよ、俺は」
「知ってる」
ルカダスは、少しだけ笑った。
その笑い方が、あまりにも昔と変わらなくて、
胸の奥がきゅっと痛くなる。
「――まぁ」
アスハは、拳を握りかけて、
ゆっくりと開いた。
「今ここで殴ったら、線千本ぐらい切れそうだからやめとく」
「助かる」
「代わりに、後でまとめてやる」
「それはあまり助からない」
そんなふうに言い合いながらも、
ルカダスの視線は、ずっと俺たちから逸れなかった。
逃げていない。
それだけは分かった。
◇
「欠員枠の不整合――」
先に口を開いたのは、俺だった。
「お前が、仕込んだんだろ」
祈核殿のログ。
会議層。
白室分割。
独立統祈回路。
全部に“手動追記:統祈神ルカダス”の名前があった。
「そうだ」
ルカダスはあっさり認めた。
「最初の欠員枠会議ログ。
二回目の転生神席再構成。
独立統祈回路の構築ログ。
それぞれに、不整合フラグをつけた」
「何のために」
アスハが噛みつくように問う。
ルカダスは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「“二回目の削除”をさせないためだよ」
静かな声だった。
「一回目――
シロがお前と俺の前で、
勝手に“行く”と決めたとき」
地上での欠員枠会議。
ログで見た、あの夜のことだ。
「俺は、あれを止めきれなかった」
言葉に、微かな苦味が混ざる。
「だから二回目――
白室αからβへ分割するとき、
“今度こそ完全に部品にはさせない”って、
統祈のほうから勝手に線をいじった」
「それが、不整合か」
「神界の歴史から見たら“余計な一文”だからな」
ルカダスは、肩をすくめる。
「“二度目の記憶削除は原則非推奨”“裁量は世界にとって必要”。
ああいう注釈は、本来ログに入らない」
「でも入れた」
「入れた」
簡潔な返事。
「その結果、
ログ全体に“神界の綺麗な歴史と合わない部分”ができた。
それが不整合だ」
◇
「じゃあ、なんでその不整合が“今”動いた」
俺は、さっき祈核殿で見た通達を思い出す。
転生神シロの召集。
候補魂アスハの招請。
欠員枠ログの不整合。
「二回目のときに仕込んだ保険が、
今になって発動した理由だ」
「簡単だよ」
ルカダスは、背後の回路図を指した。
無数の線が、じわじわと赤く染まりかけている。
【独立統祈回路:負荷上昇】
【神界統祈ライン:調整限界】
【世界循環:現行モデルでの維持可能期間/減少】
「神界上層が、
“また誰か一人を部品にする案”を持ち出した」
「ああ?」
アスハの顔から、すっと血の気が引いた。
「またかよ。
懲りねぇのか、あいつら」
「今度の候補は、統祈神席だ」
ルカダスの声が、少しだけ低くなる。
「統祈神界のコアを一つ潰して、
そこに“新しい自動制御モジュール”を埋め込む案が出ている」
「……」
それが何を意味するか、
言葉にしなくても分かった。
「つまり、お前を――」
「俺か、俺と同等の何か、だな」
ルカダスは、苦笑のようなものを浮かべる。
「高効率ルートで世界を回しながら、
独立統祈回路で歪みを逃がす線を引いてきた。
その“もう一本の線”を丸ごと削って、
また綺麗なグラフに戻したいらしい」
「戻した結果、
また同じ歪みが出ることまで、
綺麗に忘れてんだろうな」
アスハが、呆れとも怒りともつかない溜息を吐いた。
◇
「だから、だ」
ルカダスは俺たちを見る。
「不整合フラグを、“呼び鈴”にした」
「呼び鈴?」
「転生神シロと、
候補魂アスハが、
もう一度神界に呼ばれる条件として」
祈核殿の通達が脳裏に浮かぶ。
――『転生神欠員枠発動ログに不整合発生。
コア神格シロ、および関連候補魂の確認を要す』
「あれ、全部お前の仕込み?」
俺は呆れ半分で尋ねる。
「全部じゃない。
“欠員枠の不整合が問題だ”と判断したのは、神界中枢だ」
ルカダスは首を振る。
「ただ、“じゃあシロとアスハを呼んで監査させよう”って発想に、
さりげなく線を引いたのは俺だな」
「自覚犯かよ」
「そうしないと、
俺一人の判断で“誰かを部品にする/しない”を決めることになる」
ルカダスの口調は淡々としていた。
けれど、その目にははっきりとした迷いがあった。
「それだけは、やりたくなかった」
前と同じだ。
一度目の欠員枠会議でも、
ルカダスは“全部を揃えようとした”結果、自分を縛った。
今度は、“一人で決めること”を拒否した。
それで、俺たちを引っ張り出した。
◇
「分かったよ」
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
「お前の思惑も、不整合の意味も、
だいたい飲み込めた」
「全部は飲み込まなくていい」
ルカダスは、首を横に振る。
「これは俺の仕事でもある。
統祈の責任だ」
「責任だけなら好きなだけかぶってろ」
アスハが、そこで口を挟んだ。
「問題は、結果だ」
祈りの網目を、アスハが睨む。
「お前の独立統祈回路のせいで助かった世界があるなら、
それはちゃんと評価してやる。
けど――」
言葉が、そこで一度止まる。
「学院襲撃のときみたいに、
“揺さぶるために”人間の祈りを踏みつけた部分もあるだろ」
ルカダスの目が、一瞬だけ細くなった。
「……ある」
短い答えだった。
「そこは、弁解しない」
「弁解しないなら、殴らせろ」
「話を最後まで聞いてからにしてくれ」
ルカダスは、自嘲気味に笑う。
「独立統祈回路が本当に“生きてる”かどうか。
ただの自己満足じゃなく、
世界の祈りに必要な線になっているか確かめる必要があった」
「だから、人間のほうを揺さぶった?」
「神界側の線だけ見ていても、
結局“数字の安定”に引きずられる」
ルカダスは、網目の一点を指した。
そこには、小さな世界が揺れている。
ログではなく、“今”の世界だ。
「地上に、“祈りを扱える集団”を作る構想を出したのは覚えているか」
祈り学院計画――としか呼ばれていなかった素案。
具体的な地名も、人名も書かれていなかった計画だ。
「それが、今の世界でどういう形になったか、
お前たちは知っているだろう」
「……まぁな」
学院。
祈り回路を学ぶ場所。
人間たちが、祈りを自分の手で扱おうとする場。
そこに、俺たちはいた。
ルカダスは、あのとき、
敵としてそこへ現れた。
「地上の祈りが、
神界の都合からどこまで外に出られるか。
その“試験場”として、
俺はあの場所を選んだ」
「言い方ひとつで、印象最悪になるの分かってて言ってんだろ」
アスハの声に、はっきりと怒気が混じる。
「試験だかなんだか知らねぇが、
そこにいたのは“人間”だ。
世界のバランスとか統祈回路とか知らねぇ奴らだ」
「分かっている」
「分かってたら、ああいうやり方はしねぇよ」
アスハの拳が、きゅっと握られる。
細い祈りの線が、
その指先に触れそうな距離で震えた。
◇
「アスハ」
思わず、名前を呼んでいた。
アスハが、眉を寄せる。
「学院のことは、
俺もまだ怒ってる」
その怒りは、今でも消えていない。
けれど――
「でも今は、“ここ”で線切ったら、
それこそルカダスの独立回路ごと世界がぐしゃっと潰れる」
「分かってるよ」
アスハは、ゆっくり手を開いた。
「殴るのは、ちゃんと落ち着いてからだ」
「いつ落ち着くんだろうね、それ」
「知らねぇ。いつかだ」
ルカダスは、二人のやりとりを
どこか安堵したような、痛そうな顔で眺めていた。
「殴られる覚悟はある」
「よろしい」
アスハは、短く言い捨てる。
「じゃあ、その前に全部吐け」
「全部は無理だ」
ルカダスは首を振る。
「統祈の全部をここで喋ったら、
それこそ祈り回路が崩壊する」
「じゃあ、“今必要な分”だけでいい」
俺がそう言うと、
ルカダスはわずかに目を細めた。
「今必要な分、か」
その言い方を、彼は昔から好んでいた。
全部を一度にどうにかしようとするのではなく、
“今”世界が保つラインを見極めること。
統祈神の癖だ。
◇
「今、世界はこうなっている」
ルカダスが、指先を動かす。
網目の世界図が、大きく形を変えた。
神界統祈ライン。
独立統祈回路。
白室αと白室β。
境界線。
地上の祈りのハブ。
それらが、一本の巨大な図として浮かび上がる。
「高効率ルートの調整。
白室βでの転生処理。
白室αでのこぼれ祈りの受け止め。
ゼロラインでの止血。
独立回路での迂回」
それぞれのラインに、細かい数字と記号が踊っている。
「全部合わせて、
今の世界は“なんとか”保っている」
「“なんとか”、か」
「“なんとか”だ」
ルカダスは、あっさり認めた。
「これ以上、神界側の制御を増やせば、
またどこかで祈りがはじき出される。
逆に、独立回路を維持するために
統祈神席を差し出せば、
今度は神界全体の線が崩れる」
「つまり」
アスハが言う。
「どっちにしろ、もう一回“誰かを部品にする”話が出てる」
「そうだ」
ルカダスは、俺のほうを見た。
「最初の欠員枠で、シロを部品にした。
二回目で、それを半分戻した。
三回目――今度は、俺の番だ」
「……」
喉の奥が、ざらっと乾く。
「だから、お前たちを呼んだ」
ルカダスの声は、静かだった。
「“俺を部品にするかどうか”を、
お前たちに見届けてもらうためじゃない」
一拍おいて、続ける。
「“そもそも、誰か一人を部品にしないと世界が保てない構造”を、
ここで終わらせるためだ」
網目の図が、わずかに揺れる。
祈りの線がざわめき、
どこか遠くで神界中枢の監査の気配が動いた。
「時間は、あまりない」
ルカダスは笑う。
ひどく疲れた笑いだった。
「だから――
お前たちと一緒に、
“第四の線”を引く必要がある」
「第四?」
思わず聞き返す。
「神界統祈ライン、独立統祈回路、白室のライン、ゼロライン。
それでもまだ足りないものがある」
ルカダスは、網目の一点を指した。
そこには、小さな光が固まっていた。
地上の祈りのハブ。
人間たちが、自分たちで祈りを扱う場所。
学院。
勇者帰りの常連。
祈りを学ぶ子どもたち。
「“人間が、自分たちの祈りを自分で流す線”だ」
それが――
ルカダスの言う『第四の線』。
「それを正式に、
神界と同じ高さまで引き上げる。
独立回路の“実験場”じゃなく、
世界の一部として認めさせる」
そのために、
俺とアスハが必要だという。
◇
「……ハードル、高くない?」
思わず、冗談っぽく言った。
「神界と、独立統祈と、白室とゼロラインと人間。
ぜんぶまとめて“平行な線”にしようって話だろ」
「高い」
ルカダスは、あっさり頷く。
「でも、ここでやらなかったら、
また誰か一人を削る案に戻るだけだ」
「世界のために、な」
アスハの声に、皮肉が滲む。
「何回同じパターン踏む気だよ、神界は」
「だからこそ、
今度は――」
ルカダスは、俺をまっすぐ見た。
「“世界のために”って言葉で自分を削ろうとするやつを、
ちゃんと止められる線が必要なんだよ」
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
それは、俺自身の癖でもある。
「……やっとか」
アスハが、ふっと息を吐いた。
「少しはマシなこと言うようになったな、独立統祈」
「褒め言葉として受け取っておく」
「まだ褒めてねぇよ。
殴るのは後だって言っただけだ」
それでも――
アスハの拳は、さっきより少しだけ緩んでいた。
◇
「シロ」
ルカダスが、今度は俺の名を呼ぶ。
「ここから先は、お前が決めろ」
「俺が?」
「欠員枠の一度目も、二度目も、お前は“世界のために”を選んだ。
その結果、白室に座って、
たくさんの祈りを見てきた」
勇者帰りの常連。
こぼれ祈り。
保留層。
「今度は、“世界のために誰かを削る”んじゃなくて、
“世界のために線のほうを変える”かどうかを選んでほしい」
「そんな大層な決断、
軽く投げてくんなよ」
「軽くは投げていないつもりだが」
ルカダスは、少しだけ笑った。
「俺一人で決めるよりは、よほどマシだ」
「……アスハ」
隣を見る。
「どう思う」
「決まってんだろ」
アスハは、網目の世界図を睨みつけたまま言った。
「“誰か一人を部品にしないと保てない世界”なんざ、
欠陥品だ」
言い切って、俺を見る。
「直せるなら直す。
そのために殴りに来たんだよ、俺は」
「殴りに来た、か」
喉の奥で、笑いが漏れた。
「じゃあ――
世界のほうを殴り直そうか」
「上等だ」
アスハが、にやりと笑う。
「神界ごと、な」
ルカダスも、小さく頷いた。
「監査の目が、もうすぐここに届く」
遠くで、機械じみた視線が動いた気配がする。
神界中枢。
統祈神界。
祈核殿。
全部が、この独立統祈領域を覗き込もうとしている。
「その前に、“第四の線”の図を描くぞ」
ルカダスが、両手を広げた。
祈りの網目が、一斉にざわめく。
白室βのソファに座っていたはずの俺は、
今ここで――
世界そのものの配線図の前に、
またしても立たされていた。
でも今回は。
もう、誰か一人を犠牲にする前提じゃない。
――そこだけは、
自分で選べる気がしていた。




