第5話 こぼれた祈りと、次の欠員枠
――勇者が、白室αからいなくなった。
最後の転生先は、勇者とも魔王とも無縁の、
ただの“普通の世界”だ。
あいつはそこで、勇者じゃない一生を一回分、ちゃんと生きる。
高効率勇者ルートは、俺の裁量で終わった。
白室αに、ほんの少しだけ静けさが戻る。
(……これで、少しはマシになってくれればいいんだけど)
そう思っていた頃の俺は、
まだ事態を甘く見ていた。
◇
祈り板の片隅で、見慣れないグラフが伸び始めたのは、それからだ。
【行き先保留魂】
【“高効率選別外”祈り】
最初は、ほんの数本の棒だった。
気にしなければ見落とす程度の、小さな揺らぎ。
それが、いつの間にか白室αの床の端に
“ノイズ”として現れるようになった。
ザザッ、と。
耳の裏をひっかくような音とともに、
真っ白な床に黒いヒビが走る。
「……またか」
短く舌打ちする。
本来、この部屋にノイズなんて存在しない。
ここを通るのは、“流れが決まった魂”と、
その行き先を整える祈りだけのはずだ。
なのに――
ヒビの隙間から、
こぼれた声が漏れ出してくる。
『なんで自分じゃ駄目なんだ』
『あいつばっかり』
『期待されるほうだけ選ばれて、残りはどうなる』
高効率ルートの裏側に押し込められた祈りたちだ。
「……ごめん」
思わずそう呟いてしまう。
謝っても、届かない。
届くようにできていない。
◇
その日、ノイズはいつにも増して濃かった。
白室αの片隅から、
黒いヒビがじわじわと大きくなっていく。
いつものように魂を送り出しているあいだも、
視界の端でそれが広がっていくのが見えた。
(まずいな)
祈り板の警告が、明滅する。
【行き先未決定魂・滞留閾値超過】
【世界循環の偏り・危険ライン接近】
「危険ラインって、おい」
今までグラフでしか見てこなかった“崩壊ライン”の影が、
白室の内側にまで伸びてきている。
そこに、さらに一本の通知が重なった。
【ゼロライン側より緊急連絡】
次の瞬間、白室の扉が勢いよく開いた。
「――おいシロ!」
荒っぽい声と一緒に、黒い影が飛び込んでくる。
短髪。
鋭い目。
境界線の匂いをまとった男。
アスハだった。
◇
「何やらかした」
開口一番、それだ。
「ひどくない?」
「事実から確認してるだけだ。
境界線側が一部吹っ飛びかけてんだよ。
祈りの行き場がない魂が、こっちに流れ込んでる」
「あー……」
心当たりがありすぎて、言葉に詰まる。
「高効率ルートの“外れ枠”が、
まとめてこっちに来てるっぽい」
「っぽい、じゃねぇ」
アスハが、床のヒビを睨みつける。
ノイズの隙間から、
さっきよりも濃い声が漏れ出している。
『どうせ駄目だ』
『期待されないなら、いっそ消えたい』
『誰も見てくれないなら――』
「……クソが」
アスハが、低く吐き捨てた。
「数字で切り捨てた祈りの行き先が、
まるっとこっちに流れてきてんじゃねぇか」
「そんな仕様、聞いてないんだけど」
「神界の連中も、そこまで想定してなかったか、
もしくは“見なかったことにした”かだな」
アスハは、白室の中央に歩み出る。
「どっちにしろ、現場に降ってきてる以上、
放っとくわけにはいかねぇ」
「……どうする」
「境界線側で抱えるには、もう限界だ。
ゼロラインは止血が仕事で、
溜まった血の処理まではやれねぇ」
アスハは、俺を真っ直ぐ見た。
「白室で、一回受け止めるしかねぇだろ」
「ここ、これ以上詰め込んだら、
今度はこっちが弾けるんだけど」
「弾ける前にどうにかするんだよ、神様」
言いぐさは相変わらずだが、
目つきは本気だ。
「お前が“公平さ”にこだわって、
勇者のループにブレーキかけたのは否定しねぇよ。
だけど、そのしわ寄せをどこで止めるか、
今度はちゃんと決めねぇと」
「……分かってる」
喉の奥が、ひりつくように痛んだ。
高効率ルートの勇者たちに、
“普通の人生”を返した。
そのこと自体は、間違いじゃないと今も思っている。
ただ、そのぶんの祈りと期待の行き場が、
別のところで溢れ始めている。
それが、今この白室αだ。
◇
「とりあえず、応急処置から」
アスハが、床のノイズに手をかざす。
ゼロラインの祈り式。
境界線で使う、祈りの流れを“切り替える”術式だ。
「行き先未決定魂を、一旦“保留層”に退避させる。
お前の白室と、ゼロラインのあいだに、緩衝地帯を作る」
「そんな器用なことできるの?」
「できるようになるために、俺はここにいるんだよ」
言いながら、アスハは器用に祈り式を書き連ねていく。
境界線側から見たとき、
こいつはずっとこうやって、
世界の歪みを局所的に誤魔化してきたのだろう。
「お前は?」
「俺は――」
言いかけて、口を閉じる。
何をすればいいかなんて、本当は分かっている。
分かっているけれど、それを口にすると、
また一つ、戻れないラインを踏み越える気がした。
「白室側で、“保留層”の出口を作る。
どこにも行けなかった祈りのための、もう一つの出口」
「高効率でも、通常ルートでもない、
“第三の行き先”ってやつか」
「名前はあとで考える」
「考える前に許可取れよ、神界から」
「取ってたら間に合わないだろ、こういうの」
アスハが呆れたように笑う。
「……やっぱりそういうとこだな、お前は」
言葉の裏に、微妙な温度が混じっていた。
呆れと、諦めと、
ちょっとだけ安心と。
◇
二人で祈り式を走らせる。
アスハが境界線側から“保留層”へ祈りを押し込み、
俺が白室側から、その出口をつなぐ。
白室αの天井に、
今までなかった“薄い層”が一枚増えた。
行き先を決められなかった祈りが、
そこで一旦静まることができる層。
「……とりあえず、爆発は止まったな」
ノイズがおさまり、
白室の床のヒビがゆっくり閉じていく。
ほっと息を吐いたところで、
祈り板に別方向からの通知が走った。
【統祈神管理局より緊急招集】
「うわ、早い」
「そりゃそうだろうな」
アスハが肩をすくめる。
「世界の流れ見てるやつが、
今のドタバタに気づかないわけがねぇ」
「怒られるかな」
「怒られるだろ」
断言された。
そのくせ、アスハの目はどこか楽しそうだ。
「行ってこいよ。ルカダスの顔見てこい」
「お前は?」
「ゼロライン戻らねぇと、また別のとこが穴空く。
境界線の穴塞ぐのが俺の仕事だからな」
アスハは、白室の扉の前で一度だけ立ち止まる。
「……シロ」
「ん?」
「さっきみたいな“勝手な第三の行き先”を作るのは、
たぶん正解だ」
「意外と褒めるじゃん」
「ただし、やるならちゃんと話通せよ」
アスハの声が、少しだけ低くなる。
「一人で全部背負い込むな。
前みたいに、“自分が行くから”で全部片付けようとするな」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
地上での記憶はない。
それでも、「前みたいに」と言われて、
何となくその意味が分かってしまう自分がいる。
「……努力します」
「努力で済ませんな。ちゃんとやれ」
アスハは、それだけ言って白室を出て行った。
◇
統祈神管理局の会議層は、
白室とは別の意味で息苦しい場所だった。
祈りの柱が円形に並び、
その中心に浮かぶ巨大な光の輪。
世界の祈りと、神々の席が、
立体的な図になって見える。
「来ましたね、シロ」
輪の下で、ルカダスが待っていた。
統祈神の衣は、見習いの頃よりも重たそうだ。
それでも、目の奥の光は変わっていない。
「高効率ルートの“外側”で何が起きているか、
一応、全部見えていました」
「じゃ、止めてよ」
「止める権限は、私にはないので」
淡々と言いながらも、
ルカダスの口調には苦味が混じっていた。
「あなたが勇者ループを途中で止めたときも、
本当は“よくやった”と言いたかった」
「言えばよかったのに」
「言ったら仕事が増えます」
そこだけは、昔と変わらない冗談だった。
◇
「本題です」
ルカダスが、光の輪を指し示す。
輪の一部――転生神席のあたりが、
うっすらと赤く滲んでいた。
【転生神席:負荷限界ライン接近】
【欠員枠再発動検討】
「……おい」
思わず声が低くなる。
「欠員枠って、俺のときので最後にしようって話だったんじゃないの」
「“そのつもりだった”そうです」
ルカダスが、かすかに肩をすくめる。
「高効率ルートでどうにかなると思っていた。
勇者や、似たような“よく回る魂”を何度か使い回せば、
追加の神席なんて作らなくても済むと」
「で、実際は?」
「外れとして弾かれた祈りが積もって、
別の形で世界を軋ませ始めている」
ルカダスの指先が、輪の別の部分をなぞる。
【保留魂層:臨界ライン接近】
【境界線のノイズ:増大】
「あなたとアスハがさっきやった処置、
“保留層”の新設と白室への出口。
あれ自体は正しい応急処置です」
「よかった」
「ただ――」
そこで、ルカダスは言葉を区切った。
「“そこまでしてでも転生神席を増やしたくない”という意志が、
上層にあるのも事実です」
「またかよ」
思わず頭を抱えたくなる。
直視したくない現実ほど、
神界は「効率」や「安定」の言葉で包装する。
「だからこそ、
また“誰か一人を部品にするかどうか”的な話が出てきている」
「ふざけんな」
今度は、はっきりと言えた。
前に自分がそこへ飛び込んだときよりも、
ずっと強く。
ルカダスが、少しだけ目を細める。
「その反応を見るために、
あなたをここへ呼んだのかもしれませんね、上は」
「性格悪すぎない?」
「神界の標準仕様です」
そう言いながらも、
ルカダスの表情には怒りが滲んでいた。
◇
「シロ」
ルカダスが、光の輪から視線を外してこちらを見る。
「“欠員枠をもう一度動かす”という案が、
正式に議題に上がります」
「……転生神席、また一つ空けるってこと?」
「そうです。
そのために、誰かの座っている席を崩す必要がある」
「嫌な予感しかしないんだけど」
「その予感はだいたい当たりますからね、あなた」
ルカダスの声が少しだけ固くなる。
「次の会議で、
“転生神席の再構成”と“欠員枠の再発動”が話し合われる。
あなたと、アスハと、私――
三人全員の名前が、候補に挙がっています」
「は?」
思わず素で返した。
「俺はもう欠員枠で神になってるんだけど?
今さらどこをどう崩すんだよ」
「あなたの席そのものを、“別の形”に変えようという案です」
ルカダスは、淡々と説明を続ける。
「白室の機能を、もっと自動的な仕組みに置き換える。
あなたの“判断”を極力減らして、
ただ祈りを流すだけの装置に近づける」
「それ、ほぼクビじゃん」
「神格としては残ります。
ただ、“シロ”としての自由度はほとんどなくなるでしょう」
それはつまり――
もう一度、記憶を削られるかもしれない、ということだ。
「ふざけるなよ」
今度は、声に殺気が混じった。
「せめて一回目の意味ぐらい、回収させろよ。
ここまで世界のためとか公平性とか言ってきておいて、
また“はい記憶消しますね”って?」
「だからこそ、
ここにいるのはあなたと私だけではありません」
ルカダスが、会議層の入口の方へ視線を向ける。
そこに、新しい足音が響いた。
「……また、神界の使いかよ」
低い声。
聞き慣れた棘。
振り向くと、アスハが立っていた。
ゼロラインの衣をまといながらも、
目つきは地上にいた頃と何ひとつ変わっていない。
「境界線側にも話は届いてる。
“転生神席をもう一回バラすかも”ってな」
「仕事早いな、情報」
「崩壊ラインの匂いがしたら、
ゼロラインには一番先に届くようになってんだよ」
アスハは、光の輪を見上げる。
転生神席の赤い滲み。
保留魂層の危険ライン。
神々の席の欠け方。
「……ひでぇ顔してんな、世界」
ぼそっとそう言ってから、
こちらを振り向いた。
「で? 今度は誰を“部品”にするつもりだ、神界は」
答えは、
次の会議で明かされることになっている。
転生神欠員枠発動ログ。
“不整合”が生じたとされる、あの会議だ。
◇
今、この記録を見ている俺は、
喉の奥がきゅっと締まるのを感じていた。
横では、今のアスハが腕を組んでいる。
「……ここか」
「ここだね」
白室αで再生されているログの中。
数え切れない祈りと神の席の図の中心で、
昔の俺たち三人が、同じ輪を見上げている。
このあと続く会議こそが、
“転生神欠員枠発動ログ”だ。
ただし、その記録には、不整合がある。
何かが削られているのか。
何かが書き換えられているのか。
「シロ」
隣で、今のアスハが言う。
「神界が見せたい“きれいなログ”じゃなくて、
ちゃんと“お前が選んだほう”を見ろ」
「……善処します」
「善処じゃねぇ。ちゃんと見ろ」
アスハは、昔の自分を睨むように、ログの中を見つめていた。
ルカダスも、アスハも、俺も。
三人とも、まだ何も知らない顔をしている。
この会議の結果が――
どれだけ大きな穴を、それぞれの記憶と心に開けるのかを。
白室αの空気が、ひんやりと冷えた。
次の瞬間、
“欠員枠会議”の扉が、ゆっくりと開こうとしていた。




