表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/70

第5話 こぼれた祈りと、次の欠員枠



 ――勇者が、白室αからいなくなった。


 最後の転生先は、勇者とも魔王とも無縁の、

 ただの“普通の世界”だ。


 あいつはそこで、勇者じゃない一生を一回分、ちゃんと生きる。

 高効率勇者ルートは、俺の裁量で終わった。


 白室αに、ほんの少しだけ静けさが戻る。


(……これで、少しはマシになってくれればいいんだけど)


 そう思っていた頃の俺は、

 まだ事態を甘く見ていた。



 祈り板の片隅で、見慣れないグラフが伸び始めたのは、それからだ。


【行き先保留魂】

【“高効率選別外”祈り】


 最初は、ほんの数本の棒だった。

 気にしなければ見落とす程度の、小さな揺らぎ。


 それが、いつの間にか白室αの床の端に

 “ノイズ”として現れるようになった。


 ザザッ、と。

 耳の裏をひっかくような音とともに、

 真っ白な床に黒いヒビが走る。


「……またか」


 短く舌打ちする。


 本来、この部屋にノイズなんて存在しない。


 ここを通るのは、“流れが決まった魂”と、

 その行き先を整える祈りだけのはずだ。


 なのに――


 ヒビの隙間から、

 こぼれた声が漏れ出してくる。


『なんで自分じゃ駄目なんだ』

『あいつばっかり』

『期待されるほうだけ選ばれて、残りはどうなる』


 高効率ルートの裏側に押し込められた祈りたちだ。


「……ごめん」


 思わずそう呟いてしまう。


 謝っても、届かない。


 届くようにできていない。



 その日、ノイズはいつにも増して濃かった。


 白室αの片隅から、

 黒いヒビがじわじわと大きくなっていく。


 いつものように魂を送り出しているあいだも、

 視界の端でそれが広がっていくのが見えた。


(まずいな)


 祈り板の警告が、明滅する。


【行き先未決定魂・滞留閾値超過】

【世界循環の偏り・危険ライン接近】


「危険ラインって、おい」


 今までグラフでしか見てこなかった“崩壊ライン”の影が、

 白室の内側にまで伸びてきている。


 そこに、さらに一本の通知が重なった。


【ゼロライン側より緊急連絡】


 次の瞬間、白室の扉が勢いよく開いた。


「――おいシロ!」


 荒っぽい声と一緒に、黒い影が飛び込んでくる。


 短髪。

 鋭い目。

 境界線の匂いをまとった男。


 アスハだった。



「何やらかした」


 開口一番、それだ。


「ひどくない?」


「事実から確認してるだけだ。

 境界線側が一部吹っ飛びかけてんだよ。

 祈りの行き場がない魂が、こっちに流れ込んでる」


「あー……」


 心当たりがありすぎて、言葉に詰まる。


「高効率ルートの“外れ枠”が、

 まとめてこっちに来てるっぽい」


「っぽい、じゃねぇ」


 アスハが、床のヒビを睨みつける。


 ノイズの隙間から、

 さっきよりも濃い声が漏れ出している。


『どうせ駄目だ』

『期待されないなら、いっそ消えたい』

『誰も見てくれないなら――』


「……クソが」


 アスハが、低く吐き捨てた。


「数字で切り捨てた祈りの行き先が、

 まるっとこっちに流れてきてんじゃねぇか」


「そんな仕様、聞いてないんだけど」


「神界の連中も、そこまで想定してなかったか、

 もしくは“見なかったことにした”かだな」


 アスハは、白室の中央に歩み出る。


「どっちにしろ、現場に降ってきてる以上、

 放っとくわけにはいかねぇ」


「……どうする」


「境界線側で抱えるには、もう限界だ。

 ゼロラインは止血が仕事で、

 溜まった血の処理まではやれねぇ」


 アスハは、俺を真っ直ぐ見た。


「白室で、一回受け止めるしかねぇだろ」


「ここ、これ以上詰め込んだら、

 今度はこっちが弾けるんだけど」


「弾ける前にどうにかするんだよ、神様」


 言いぐさは相変わらずだが、

 目つきは本気だ。


「お前が“公平さ”にこだわって、

 勇者のループにブレーキかけたのは否定しねぇよ。

 だけど、そのしわ寄せをどこで止めるか、

 今度はちゃんと決めねぇと」


「……分かってる」


 喉の奥が、ひりつくように痛んだ。


 高効率ルートの勇者たちに、

 “普通の人生”を返した。


 そのこと自体は、間違いじゃないと今も思っている。


 ただ、そのぶんの祈りと期待の行き場が、

 別のところで溢れ始めている。


 それが、今この白室αだ。



「とりあえず、応急処置から」


 アスハが、床のノイズに手をかざす。


 ゼロラインの祈り式。

 境界線で使う、祈りの流れを“切り替える”術式だ。


「行き先未決定魂を、一旦“保留層”に退避させる。

 お前の白室と、ゼロラインのあいだに、緩衝地帯を作る」


「そんな器用なことできるの?」


「できるようになるために、俺はここにいるんだよ」


 言いながら、アスハは器用に祈り式を書き連ねていく。


 境界線側から見たとき、

 こいつはずっとこうやって、

 世界の歪みを局所的に誤魔化してきたのだろう。


「お前は?」


「俺は――」


 言いかけて、口を閉じる。


 何をすればいいかなんて、本当は分かっている。


 分かっているけれど、それを口にすると、

 また一つ、戻れないラインを踏み越える気がした。


「白室側で、“保留層”の出口を作る。

 どこにも行けなかった祈りのための、もう一つの出口」


「高効率でも、通常ルートでもない、

 “第三の行き先”ってやつか」


「名前はあとで考える」


「考える前に許可取れよ、神界から」


「取ってたら間に合わないだろ、こういうの」


 アスハが呆れたように笑う。


「……やっぱりそういうとこだな、お前は」


 言葉の裏に、微妙な温度が混じっていた。


 呆れと、諦めと、

 ちょっとだけ安心と。



 二人で祈り式を走らせる。


 アスハが境界線側から“保留層”へ祈りを押し込み、

 俺が白室側から、その出口をつなぐ。


 白室αの天井に、

 今までなかった“薄い層”が一枚増えた。


 行き先を決められなかった祈りが、

 そこで一旦静まることができる層。


「……とりあえず、爆発は止まったな」


 ノイズがおさまり、

 白室の床のヒビがゆっくり閉じていく。


 ほっと息を吐いたところで、

 祈り板に別方向からの通知が走った。


【統祈神管理局より緊急招集】


「うわ、早い」


「そりゃそうだろうな」


 アスハが肩をすくめる。


「世界の流れ見てるやつが、

 今のドタバタに気づかないわけがねぇ」


「怒られるかな」


「怒られるだろ」


 断言された。


 そのくせ、アスハの目はどこか楽しそうだ。


「行ってこいよ。ルカダスの顔見てこい」


「お前は?」


「ゼロライン戻らねぇと、また別のとこが穴空く。

 境界線の穴塞ぐのが俺の仕事だからな」


 アスハは、白室の扉の前で一度だけ立ち止まる。


「……シロ」


「ん?」


「さっきみたいな“勝手な第三の行き先”を作るのは、

 たぶん正解だ」


「意外と褒めるじゃん」


「ただし、やるならちゃんと話通せよ」


 アスハの声が、少しだけ低くなる。


「一人で全部背負い込むな。

 前みたいに、“自分が行くから”で全部片付けようとするな」


 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。


 地上での記憶はない。

 それでも、「前みたいに」と言われて、

 何となくその意味が分かってしまう自分がいる。


「……努力します」


「努力で済ませんな。ちゃんとやれ」


 アスハは、それだけ言って白室を出て行った。



 統祈神管理局の会議層は、

 白室とは別の意味で息苦しい場所だった。


 祈りの柱が円形に並び、

 その中心に浮かぶ巨大な光の輪。


 世界の祈りと、神々の席が、

 立体的な図になって見える。


「来ましたね、シロ」


 輪の下で、ルカダスが待っていた。


 統祈神の衣は、見習いの頃よりも重たそうだ。

 それでも、目の奥の光は変わっていない。


「高効率ルートの“外側”で何が起きているか、

 一応、全部見えていました」


「じゃ、止めてよ」


「止める権限は、私にはないので」


 淡々と言いながらも、

 ルカダスの口調には苦味が混じっていた。


「あなたが勇者ループを途中で止めたときも、

 本当は“よくやった”と言いたかった」


「言えばよかったのに」


「言ったら仕事が増えます」


 そこだけは、昔と変わらない冗談だった。



「本題です」


 ルカダスが、光の輪を指し示す。


 輪の一部――転生神席のあたりが、

 うっすらと赤く滲んでいた。


【転生神席:負荷限界ライン接近】

【欠員枠再発動検討】


「……おい」


 思わず声が低くなる。


「欠員枠って、俺のときので最後にしようって話だったんじゃないの」


「“そのつもりだった”そうです」


 ルカダスが、かすかに肩をすくめる。


「高効率ルートでどうにかなると思っていた。

 勇者や、似たような“よく回る魂”を何度か使い回せば、

 追加の神席なんて作らなくても済むと」


「で、実際は?」


「外れとして弾かれた祈りが積もって、

 別の形で世界を軋ませ始めている」


 ルカダスの指先が、輪の別の部分をなぞる。


【保留魂層:臨界ライン接近】

【境界線のノイズ:増大】


「あなたとアスハがさっきやった処置、

 “保留層”の新設と白室への出口。

 あれ自体は正しい応急処置です」


「よかった」


「ただ――」


 そこで、ルカダスは言葉を区切った。


「“そこまでしてでも転生神席を増やしたくない”という意志が、

 上層にあるのも事実です」


「またかよ」


 思わず頭を抱えたくなる。


 直視したくない現実ほど、

 神界は「効率」や「安定」の言葉で包装する。


「だからこそ、

 また“誰か一人を部品にするかどうか”的な話が出てきている」


「ふざけんな」


 今度は、はっきりと言えた。


 前に自分がそこへ飛び込んだときよりも、

 ずっと強く。


 ルカダスが、少しだけ目を細める。


「その反応を見るために、

 あなたをここへ呼んだのかもしれませんね、上は」


「性格悪すぎない?」


「神界の標準仕様です」


 そう言いながらも、

 ルカダスの表情には怒りが滲んでいた。



「シロ」


 ルカダスが、光の輪から視線を外してこちらを見る。


「“欠員枠をもう一度動かす”という案が、

 正式に議題に上がります」


「……転生神席、また一つ空けるってこと?」


「そうです。

 そのために、誰かの座っている席を崩す必要がある」


「嫌な予感しかしないんだけど」


「その予感はだいたい当たりますからね、あなた」


 ルカダスの声が少しだけ固くなる。


「次の会議で、

 “転生神席の再構成”と“欠員枠の再発動”が話し合われる。

 あなたと、アスハと、私――

 三人全員の名前が、候補に挙がっています」


「は?」


 思わず素で返した。


「俺はもう欠員枠で神になってるんだけど?

 今さらどこをどう崩すんだよ」


「あなたの席そのものを、“別の形”に変えようという案です」


 ルカダスは、淡々と説明を続ける。


「白室の機能を、もっと自動的な仕組みに置き換える。

 あなたの“判断”を極力減らして、

 ただ祈りを流すだけの装置に近づける」


「それ、ほぼクビじゃん」


「神格としては残ります。

 ただ、“シロ”としての自由度はほとんどなくなるでしょう」


 それはつまり――


 もう一度、記憶を削られるかもしれない、ということだ。


「ふざけるなよ」


 今度は、声に殺気が混じった。


「せめて一回目の意味ぐらい、回収させろよ。

 ここまで世界のためとか公平性とか言ってきておいて、

 また“はい記憶消しますね”って?」


「だからこそ、

 ここにいるのはあなたと私だけではありません」


 ルカダスが、会議層の入口の方へ視線を向ける。


 そこに、新しい足音が響いた。


「……また、神界の使いかよ」


 低い声。

 聞き慣れた棘。


 振り向くと、アスハが立っていた。


 ゼロラインの衣をまといながらも、

 目つきは地上にいた頃と何ひとつ変わっていない。


「境界線側にも話は届いてる。

 “転生神席をもう一回バラすかも”ってな」


「仕事早いな、情報」


「崩壊ラインの匂いがしたら、

 ゼロラインには一番先に届くようになってんだよ」


 アスハは、光の輪を見上げる。


 転生神席の赤い滲み。

 保留魂層の危険ライン。

 神々の席の欠け方。


「……ひでぇ顔してんな、世界」


 ぼそっとそう言ってから、

 こちらを振り向いた。


「で? 今度は誰を“部品”にするつもりだ、神界は」


 答えは、

 次の会議で明かされることになっている。


 転生神欠員枠発動ログ。

 “不整合”が生じたとされる、あの会議だ。



 今、この記録を見ている俺は、

 喉の奥がきゅっと締まるのを感じていた。


 横では、今のアスハが腕を組んでいる。


「……ここか」


「ここだね」


 白室αで再生されているログの中。

 数え切れない祈りと神の席の図の中心で、

 昔の俺たち三人が、同じ輪を見上げている。


 このあと続く会議こそが、

 “転生神欠員枠発動ログ”だ。


 ただし、その記録には、不整合がある。


 何かが削られているのか。

 何かが書き換えられているのか。


「シロ」


 隣で、今のアスハが言う。


「神界が見せたい“きれいなログ”じゃなくて、

 ちゃんと“お前が選んだほう”を見ろ」


「……善処します」


「善処じゃねぇ。ちゃんと見ろ」


 アスハは、昔の自分を睨むように、ログの中を見つめていた。


 ルカダスも、アスハも、俺も。

 三人とも、まだ何も知らない顔をしている。


 この会議の結果が――

 どれだけ大きな穴を、それぞれの記憶と心に開けるのかを。


 白室αの空気が、ひんやりと冷えた。


 次の瞬間、

 “欠員枠会議”の扉が、ゆっくりと開こうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ