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第3話 神様になった日と、二人が来た日



 ――世界の色が、一度ぜんぶ溶けた。


 さっきまで俺は、

 巨大な影と、二つの背中と、欠員枠の話をしていたはずだ。


 俺と、ルカダスと、アスハ。

 誰が神界に行くのか。

 誰が地上に残るのか。


 その結論として――俺が行く、と決めた。


(……そのあとのことを)


 思い出そうとした瞬間、

 そこから先が丸ごと白に塗り潰されていく。


 空の色。

 仲間の顔。

 崩れかけた街の輪郭。


 全部まとめて、遠ざかっていった。


『神格移行プロセス、開始』


 どこかで、機械みたいな声がした。


 死んだわけじゃない。

 “選ばれた”んだ、と理解する前に――


 その理解ごと、真っ白な光に飲まれた。



 目を開けると、そこは白い部屋だった。


 ……いや、「白い」と言うには、少しムラがある。


 今の白室βより狭くて、

 壁も床も、ところどころ“塗り残し”みたいなまだらな白。


 原初白室。

 シロ室α。


 ――この名前を、当時の俺はまだ知らない。


「意識、戻りましたね」


 静かな声がした。


 見上げると、白い衣の女神が立っていた。

 冷たそうな雰囲気なのに、目の奥だけが少し柔らかい。


「ここは白室α。あなたの持ち場です」


「……俺は?」


「転生神シロ。

 欠員枠の引き継ぎ神格――今日から、ですね」


 “欠員枠”という単語が、どこかで引っかかった。

 けれど、その前後の記憶にはもう手が届かない。


「地上でのあなたに関する記憶は、

 公平性確保のため、すべて削除されています」


 女神は、事務的にそう告げた。


「あなたが誰かを贔屓しないように。

 誰か一人を、特別扱いしないように」


「……そういうもの、なんですね」


「そういうものです」


 後から振り返れば、その言い方の裏に、

 飲み込んだ言葉がたくさんあったのだろう。


 けれど、“いま生まれたばかりの転生神シロ”には、

 それを読む余裕なんてなかった。


「監査神エフェリア。

 私は神界側の窓口です。困ったら、まず私宛に文句を」


「文句前提なんですか」


「転生神は、だいたい文句を言いますから」


 エフェリアと名乗った女神は、少しだけ口元を緩めた。



 神様になって最初にやった仕事は、

 魂の片付けだった。


「そこに、しばらく滞留していた魂が残っています」


 エフェリアが顎で示した先。

 白室の中央には、小さな光の粒がいくつも浮かんでいる。


「行き先が決まらないまま、

 次の流れを待っている魂たちです」


「……俺が、決めるんですか」


「あなたが“好きに選ぶ”のではなく、

 祈りの向きを“読み解く”だけです」


 エフェリアは、薄い祈り板を出して見せた。


「この部屋は、魂の中継点。

 世界と世界のあいだで、

 “どこへ行くのが一番自然か”を整える場所です」


「自然、か」


「あなたの好みではなく、

 魂自身の祈りに沿ってくださいね。……できる限り」


「難しいこと言うなぁ、神界」


「だから、あなたが選ばれたんですよ」


 そう言ってエフェリアは、教科書みたいな口調で

 祈り板の使い方を一通り説明してくれた。


 転生神シロとしての、最初の一日が始まった。



 最初は、ひどいものだった。


 祈りログを読むのに時間はかかるし、

 魂と話せば、妙に情に流されそうになる。


「えーと、生前ログ……過労死。

 未練、“ちゃんと休みたかった”……」


『す、すみません……』


「そこで謝るなって」


『ですよね……』


「じゃあ、次は“残業禁止の世界”とかどう?」


『そんな世界、あるんですか?』


「探すところから頑張るわ」


 魂は、生前の記憶を全部覚えているわけじゃない。

 それでも、祈りの向きだけは妙にくっきり残っている。


 それを拾い上げて、

 行き先候補を祈り板に並べて、

 「じゃあ、あなたはこっち」と送り出す。


 ――それが、転生神の仕事だった。


 気づけば、白室αは少しずつ“仕事場”になっていった。


 けれど、その頃の俺の周りには、まだ誰もいなかった。


 背中が三つ並ぶこともなく、

 肩をぶつけ合って笑い合う相手もいない。


 最初から一人で神様だった。

 少なくとも、このときの俺は、そう思い込んでいた。



 ある日、白室αの空気が変わった。


 光の粒――魂たちの中に、

 妙に目立つ二つが混じっている。


 一つは、深い藍色。

 一つは、濃い紅。


 他の魂たちより輪郭がはっきりしていて、

 祈りの密度が異様に高い。


(……これ、普通の転生じゃないな)


 そう思った瞬間、

 祈り板に通知が走った。


【神界特例案件】

【転生神シロが一次対応せよ】

【統祈神候補およびゼロライン候補】


「……統祈神?」


 聞き覚えのある単語だった。

 けれど、“どこで聞いたか”までは思い出せない。


「ゼロライン、ってのも……」


 頭の奥が、かすかに痛んだ。


 すぐに、何事もなかったみたいに痛みは消える。

 消えるように、消された。


「……まあいいか」


 そのときの俺は、本気でそう思った。


 記憶が抜け落ちていることよりも、

 目の前の祈りの濃さの方が、よほど気になったからだ。



「じゃあ、順番に行こうか」


 藍色の魂と紅い魂を、

 白室の中央まで引き寄せる。


「まずは、こっちから」


 藍色の方に手を伸ばしかけて――やめた。


 触る前から、誰かの名前が喉まで出かかってしまったからだ。


(ル……)


 そこから先は、どうしても出てこない。


 代わりに、祈り板の情報が目に飛び込んでくる。


【生前:地上・統祈一族】

【役割:祈りの流れの監視・調停】

【死因:世界循環の崩壊ラインでの戦死】

【未練:“もっと上から全体を見たい”】


「……崩壊ライン、か」


 文字を追った瞬間、胸の奥がざわついた。

 大きな何かが、ひとつ軋む音だけが、遠くで響いた気がする。


「聞こえてる?」


『聞こえている』


 静かな声だった。


 その響きに、胸の奥がさらにざわつく。

 でも、その正体までは掴めない。


「転生先の希望、ある?」


『世界の流れを、上から見たい。

 できれば、地上と神界のあいだを繋ぐ役目がいい』


「……ずいぶんと具体的だね」


『そういう仕事をしていた気がする』


 “気がする”。


 魂も、全部を覚えているわけじゃないらしい。


 人間としての記憶は薄れかけている。

 それでも、祈りだけは芯として残っている。


「統祈神って知ってる?」


『聞いたことがある。

 そこへ行けるなら、行きたい』


 祈り板に、候補ルートがいくつも浮かぶ。


 神界の書記官。

 上層の監査補助。

 統祈神見習い。


「……見習いから、だね」


『構わない』


 迷いのない返事だった。


 そのまっすぐさが、どこか懐かしい。


 理由は分からない。

 けれど、胸のどこかがほっとする。


「統祈神見習いルートで送る。

 世界の流れ、ちゃんと見てきてよ」


『任された』


 藍色の魂が、静かに光を増す。


 祈り式を書き、指定されたルートへと送り出す。

 細くなった光は、神界の奥へと溶けていった。



「……次」


 紅い魂のほうを振り向く。


 さっきよりも、胸のざわつきが強い。


(ア……)


 また、名前が喉まで出かかって止まった。


 その代わりに、祈り板の文字が並ぶ。


【生前:地上・統祈一族異端筋】

【役割:祈りの現場対応・ゼロライン候補】

【死因:世界循環の崩壊ラインでの戦死(同戦場)】

【未練:“線の上に立ち続けたかった”】


「……さっきの藍色のやつと、同じ場所か」


 思わず口に出ていた。


 世界循環の崩壊ライン。

 祈りと世界の境目が一番軋むところ。


 二つの魂は、同じ戦場で倒れている。


「聞こえてる?」


『ああ』


 さっきよりも低い、無駄のない声。


 紅い魂が、こちらをじっと見ている気がした。


「転生先の希望、聞いてもいい?」


『ゼロライン』


 即答だった。


「早いな」


『元から、そのつもりで動いてた』


 その言い方にも、どこか馴染みがある。

 でも、やっぱり“どこで”馴染んだのかは分からない。


「ゼロラインってさ。

 世界と世界の境目で、

 誰かの祈りを拾って、誰かの祈りを切る仕事だよ」


『知ってる』


「地上からも神界からも、

 どっちからも文句言われる立場だよ」


『ちょうどいい』


 紅い魂が、少しだけ光を増す。


『中途半端な場所が欲しかった』


「……変わってるね」


『お前が言うか、それ』


 その瞬間、胸の奥がドクンと鳴った。


 さっきの藍色の魂よりも、強く、鋭く。


 俺は、咄嗟に口元を押さえる。


(今の……)


 “お前が言うか”という言い方。

 そのタイミング。

 その軽い刺し方。


 ぜんぶ、知っている気がした。


 でも、記憶はない。


 神界にきれいに削られた穴が、

 そこにぽっかり空いているだけだ。


「……ゼロラインルート、出てるよ」


 祈り板に、候補ルートが浮かんでいる。


 地上と神界の境界線で動く者たち。

 祈りの流れを中から切り替える者たち。


『そこに送れ』


「行くの、怖くない?」


『怖いに決まってる』


 あっさりした答えだった。


『でも、誰かがやるなら――

 線の上に立ちたがるやつがやったほうがマシだ』


 今度は、笑い声まで聞こえた気がした。


 その笑い方を、

 俺は胸の奥で何度も何度も聞いてきたのだろう。


 でも、それを思い出すことはできない。


「……分かった」


 喉が少しだけ焼ける感覚を誤魔化して、

 俺は祈り式を書いた。


「ゼロラインルートで転生。

 ほかの誰かの代わりじゃなくて、

 ちゃんとお前自身の足で、線の上に立ってこい」


『命令すんな、神様』


「お願いに変換しといて」


『検討しといてやる』


 短いやりとりのあと、

 紅い魂もまた細くなっていく。


 さっき藍色の魂が消えていった、

 あの崩壊ラインの延長線上――

 地上とも神界とも言えない、“線”の方向へ。



 藍色と紅の光が消えたあと、

 白室αには静けさが戻った。


 ほかの魂たちは、いつも通りだ。


 行き先に悩む者も、

 すぐに飛び出していく者もいる。


 それなのに、胸のざわつきだけは、しばらく収まらなかった。


「……変な感じだな」


 誰にともなく呟く。


「今の二人、どこかで会ったことがある気がする。

 しかも、同じ場所で倒れたっていうのに」


 当時の俺は、

 それをただの“既視感”として処理した。


 神様になったばかりで、

 まだ感覚も定まっていないのだろう、と。


 ――けれど、本当は違う。


 藍の魂はルカダス。

 紅の魂はアスハ。


 元は三人とも地上の仲間で、

 神界から欠員枠の話が来たとき、

 誰が行くかを並んで話していた相手たちだ。


 ルカダスとアスハは、崩壊ラインで戦って命を落とし、

 俺だけが生きたまま神界に引き抜かれた。


 その事実を、このときの俺はまだ知らない。


 だからこそ、転生神シロとしての俺は、

 ただいつも通りに次の魂を呼び出した。


「はい、次の転生希望者どうぞー」


 いつもと同じ調子で。

 その“いつも”が、もう二度と戻らないとは知らないままで。


 ――こうして、神様になった日の少しあと。

 白室αで一人きりだった俺と、

 ルカダスとアスハの“二度目の出会い”は、何も気づかないまま終わった。

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