第3話 神様になった日と、二人が来た日
――世界の色が、一度ぜんぶ溶けた。
さっきまで俺は、
巨大な影と、二つの背中と、欠員枠の話をしていたはずだ。
俺と、ルカダスと、アスハ。
誰が神界に行くのか。
誰が地上に残るのか。
その結論として――俺が行く、と決めた。
(……そのあとのことを)
思い出そうとした瞬間、
そこから先が丸ごと白に塗り潰されていく。
空の色。
仲間の顔。
崩れかけた街の輪郭。
全部まとめて、遠ざかっていった。
『神格移行プロセス、開始』
どこかで、機械みたいな声がした。
死んだわけじゃない。
“選ばれた”んだ、と理解する前に――
その理解ごと、真っ白な光に飲まれた。
◇
目を開けると、そこは白い部屋だった。
……いや、「白い」と言うには、少しムラがある。
今の白室βより狭くて、
壁も床も、ところどころ“塗り残し”みたいなまだらな白。
原初白室。
シロ室α。
――この名前を、当時の俺はまだ知らない。
「意識、戻りましたね」
静かな声がした。
見上げると、白い衣の女神が立っていた。
冷たそうな雰囲気なのに、目の奥だけが少し柔らかい。
「ここは白室α。あなたの持ち場です」
「……俺は?」
「転生神シロ。
欠員枠の引き継ぎ神格――今日から、ですね」
“欠員枠”という単語が、どこかで引っかかった。
けれど、その前後の記憶にはもう手が届かない。
「地上でのあなたに関する記憶は、
公平性確保のため、すべて削除されています」
女神は、事務的にそう告げた。
「あなたが誰かを贔屓しないように。
誰か一人を、特別扱いしないように」
「……そういうもの、なんですね」
「そういうものです」
後から振り返れば、その言い方の裏に、
飲み込んだ言葉がたくさんあったのだろう。
けれど、“いま生まれたばかりの転生神シロ”には、
それを読む余裕なんてなかった。
「監査神エフェリア。
私は神界側の窓口です。困ったら、まず私宛に文句を」
「文句前提なんですか」
「転生神は、だいたい文句を言いますから」
エフェリアと名乗った女神は、少しだけ口元を緩めた。
◇
神様になって最初にやった仕事は、
魂の片付けだった。
「そこに、しばらく滞留していた魂が残っています」
エフェリアが顎で示した先。
白室の中央には、小さな光の粒がいくつも浮かんでいる。
「行き先が決まらないまま、
次の流れを待っている魂たちです」
「……俺が、決めるんですか」
「あなたが“好きに選ぶ”のではなく、
祈りの向きを“読み解く”だけです」
エフェリアは、薄い祈り板を出して見せた。
「この部屋は、魂の中継点。
世界と世界のあいだで、
“どこへ行くのが一番自然か”を整える場所です」
「自然、か」
「あなたの好みではなく、
魂自身の祈りに沿ってくださいね。……できる限り」
「難しいこと言うなぁ、神界」
「だから、あなたが選ばれたんですよ」
そう言ってエフェリアは、教科書みたいな口調で
祈り板の使い方を一通り説明してくれた。
転生神シロとしての、最初の一日が始まった。
◇
最初は、ひどいものだった。
祈りログを読むのに時間はかかるし、
魂と話せば、妙に情に流されそうになる。
「えーと、生前ログ……過労死。
未練、“ちゃんと休みたかった”……」
『す、すみません……』
「そこで謝るなって」
『ですよね……』
「じゃあ、次は“残業禁止の世界”とかどう?」
『そんな世界、あるんですか?』
「探すところから頑張るわ」
魂は、生前の記憶を全部覚えているわけじゃない。
それでも、祈りの向きだけは妙にくっきり残っている。
それを拾い上げて、
行き先候補を祈り板に並べて、
「じゃあ、あなたはこっち」と送り出す。
――それが、転生神の仕事だった。
気づけば、白室αは少しずつ“仕事場”になっていった。
けれど、その頃の俺の周りには、まだ誰もいなかった。
背中が三つ並ぶこともなく、
肩をぶつけ合って笑い合う相手もいない。
最初から一人で神様だった。
少なくとも、このときの俺は、そう思い込んでいた。
◇
ある日、白室αの空気が変わった。
光の粒――魂たちの中に、
妙に目立つ二つが混じっている。
一つは、深い藍色。
一つは、濃い紅。
他の魂たちより輪郭がはっきりしていて、
祈りの密度が異様に高い。
(……これ、普通の転生じゃないな)
そう思った瞬間、
祈り板に通知が走った。
【神界特例案件】
【転生神シロが一次対応せよ】
【統祈神候補およびゼロライン候補】
「……統祈神?」
聞き覚えのある単語だった。
けれど、“どこで聞いたか”までは思い出せない。
「ゼロライン、ってのも……」
頭の奥が、かすかに痛んだ。
すぐに、何事もなかったみたいに痛みは消える。
消えるように、消された。
「……まあいいか」
そのときの俺は、本気でそう思った。
記憶が抜け落ちていることよりも、
目の前の祈りの濃さの方が、よほど気になったからだ。
◇
「じゃあ、順番に行こうか」
藍色の魂と紅い魂を、
白室の中央まで引き寄せる。
「まずは、こっちから」
藍色の方に手を伸ばしかけて――やめた。
触る前から、誰かの名前が喉まで出かかってしまったからだ。
(ル……)
そこから先は、どうしても出てこない。
代わりに、祈り板の情報が目に飛び込んでくる。
【生前:地上・統祈一族】
【役割:祈りの流れの監視・調停】
【死因:世界循環の崩壊ラインでの戦死】
【未練:“もっと上から全体を見たい”】
「……崩壊ライン、か」
文字を追った瞬間、胸の奥がざわついた。
大きな何かが、ひとつ軋む音だけが、遠くで響いた気がする。
「聞こえてる?」
『聞こえている』
静かな声だった。
その響きに、胸の奥がさらにざわつく。
でも、その正体までは掴めない。
「転生先の希望、ある?」
『世界の流れを、上から見たい。
できれば、地上と神界のあいだを繋ぐ役目がいい』
「……ずいぶんと具体的だね」
『そういう仕事をしていた気がする』
“気がする”。
魂も、全部を覚えているわけじゃないらしい。
人間としての記憶は薄れかけている。
それでも、祈りだけは芯として残っている。
「統祈神って知ってる?」
『聞いたことがある。
そこへ行けるなら、行きたい』
祈り板に、候補ルートがいくつも浮かぶ。
神界の書記官。
上層の監査補助。
統祈神見習い。
「……見習いから、だね」
『構わない』
迷いのない返事だった。
そのまっすぐさが、どこか懐かしい。
理由は分からない。
けれど、胸のどこかがほっとする。
「統祈神見習いルートで送る。
世界の流れ、ちゃんと見てきてよ」
『任された』
藍色の魂が、静かに光を増す。
祈り式を書き、指定されたルートへと送り出す。
細くなった光は、神界の奥へと溶けていった。
◇
「……次」
紅い魂のほうを振り向く。
さっきよりも、胸のざわつきが強い。
(ア……)
また、名前が喉まで出かかって止まった。
その代わりに、祈り板の文字が並ぶ。
【生前:地上・統祈一族異端筋】
【役割:祈りの現場対応・ゼロライン候補】
【死因:世界循環の崩壊ラインでの戦死(同戦場)】
【未練:“線の上に立ち続けたかった”】
「……さっきの藍色のやつと、同じ場所か」
思わず口に出ていた。
世界循環の崩壊ライン。
祈りと世界の境目が一番軋むところ。
二つの魂は、同じ戦場で倒れている。
「聞こえてる?」
『ああ』
さっきよりも低い、無駄のない声。
紅い魂が、こちらをじっと見ている気がした。
「転生先の希望、聞いてもいい?」
『ゼロライン』
即答だった。
「早いな」
『元から、そのつもりで動いてた』
その言い方にも、どこか馴染みがある。
でも、やっぱり“どこで”馴染んだのかは分からない。
「ゼロラインってさ。
世界と世界の境目で、
誰かの祈りを拾って、誰かの祈りを切る仕事だよ」
『知ってる』
「地上からも神界からも、
どっちからも文句言われる立場だよ」
『ちょうどいい』
紅い魂が、少しだけ光を増す。
『中途半端な場所が欲しかった』
「……変わってるね」
『お前が言うか、それ』
その瞬間、胸の奥がドクンと鳴った。
さっきの藍色の魂よりも、強く、鋭く。
俺は、咄嗟に口元を押さえる。
(今の……)
“お前が言うか”という言い方。
そのタイミング。
その軽い刺し方。
ぜんぶ、知っている気がした。
でも、記憶はない。
神界にきれいに削られた穴が、
そこにぽっかり空いているだけだ。
「……ゼロラインルート、出てるよ」
祈り板に、候補ルートが浮かんでいる。
地上と神界の境界線で動く者たち。
祈りの流れを中から切り替える者たち。
『そこに送れ』
「行くの、怖くない?」
『怖いに決まってる』
あっさりした答えだった。
『でも、誰かがやるなら――
線の上に立ちたがるやつがやったほうがマシだ』
今度は、笑い声まで聞こえた気がした。
その笑い方を、
俺は胸の奥で何度も何度も聞いてきたのだろう。
でも、それを思い出すことはできない。
「……分かった」
喉が少しだけ焼ける感覚を誤魔化して、
俺は祈り式を書いた。
「ゼロラインルートで転生。
ほかの誰かの代わりじゃなくて、
ちゃんとお前自身の足で、線の上に立ってこい」
『命令すんな、神様』
「お願いに変換しといて」
『検討しといてやる』
短いやりとりのあと、
紅い魂もまた細くなっていく。
さっき藍色の魂が消えていった、
あの崩壊ラインの延長線上――
地上とも神界とも言えない、“線”の方向へ。
◇
藍色と紅の光が消えたあと、
白室αには静けさが戻った。
ほかの魂たちは、いつも通りだ。
行き先に悩む者も、
すぐに飛び出していく者もいる。
それなのに、胸のざわつきだけは、しばらく収まらなかった。
「……変な感じだな」
誰にともなく呟く。
「今の二人、どこかで会ったことがある気がする。
しかも、同じ場所で倒れたっていうのに」
当時の俺は、
それをただの“既視感”として処理した。
神様になったばかりで、
まだ感覚も定まっていないのだろう、と。
――けれど、本当は違う。
藍の魂はルカダス。
紅の魂はアスハ。
元は三人とも地上の仲間で、
神界から欠員枠の話が来たとき、
誰が行くかを並んで話していた相手たちだ。
ルカダスとアスハは、崩壊ラインで戦って命を落とし、
俺だけが生きたまま神界に引き抜かれた。
その事実を、このときの俺はまだ知らない。
だからこそ、転生神シロとしての俺は、
ただいつも通りに次の魂を呼び出した。
「はい、次の転生希望者どうぞー」
いつもと同じ調子で。
その“いつも”が、もう二度と戻らないとは知らないままで。
――こうして、神様になった日の少しあと。
白室αで一人きりだった俺と、
ルカダスとアスハの“二度目の出会い”は、何も気づかないまま終わった。




