第4部 白室オリジン編 第1話 欠員枠の神様たち
――今日も、転生待ちはゼロ件。
真っ白な部屋の、場違いにふかふかしたソファに沈みながら、
俺はあくびを噛み殺した。
ここは白室β。
かつては「次の世界へ行く魂」がひしめいていた中継点だ。
生前の未練。
願いの向き。
世界との相性。
そういうものを全部整理して、
「じゃあ、あなたはこっち」と送り出す。
それが――転生神シロのお仕事だった。
過去形なのが、ちょっと悲しい。
今はもう、世界そのものが祈りと魂の流れを
“自動で”決めてくれるようになった。
迷子になった魂が、たまに相談に来るくらいだ。
けれど今日は、その「たまに」すらない。
「神様って、こんなにヒマで良かったっけな……」
独り言は天井に吸い込まれていく。
もちろん、返事なんてない。
目を閉じて、昔を思い出そうとしてみる。
――真っ白。
白室の色と同じように、俺の過去はきれいに塗り潰されている。
いつから神なのか。
その前に何をしていたのか。
誰と何を話して、どこを歩いていたのか。
何ひとつ、形にならない。
それが「公平な転生神」の条件だと、
神界から教えられてきた。
……それでも、心だけはときどき文句を言う。
背中が三つ並んでいた気がする。
ひとつは俺。
ひとつは、髪の長い誰か。
ひとつは、短くてよく怒鳴る誰か。
肩をぶつけ合いながら同じ空を見上げて、
くだらないことで言い合って――その先が、どうしても思い出せない。
「思い出さなくていい」
俺は、いつものように自分に言い聞かせた。
覚えていなくても、仕事はできる。
神様なんて、そんなものだ。
そのときだ。
白室βの床の端に、黒い“ノイズ”が走った。
「……ん?」
ザザッ、と耳の裏をひっかくような不快な音。
真っ白な床に、一瞬だけ黒いひびが入って、すぐ消える。
ありえない。
ここは、整理された祈りと行き先の決まった魂しか通らない場所だ。
ノイズなんて、本来存在しないはず。
胸の奥が、ざわつく。
嫌な予感は、だいたい当たってほしくないけれど――
だいたい当たる。
「……やな感じ」
ぼそっと呟いたところで、白室の扉がノックされた。
こんなところをちゃんとノックして入ってくるのは、
世界が広くなった今でも、だいたい一人しかいない。
「どうぞー」
返事をすると、扉が静かに開いた。
「失礼します、シロさん。やっぱりいましたね」
メガネの青年――リツが入ってきた。
風祈学院の学院長で、祈り回路の変態研究者。
人間のくせに、神界から「面倒な書類」を押し付けられる係でもある。
「“やっぱり”ってなんだ、“白ニート”みたいに言うなよ」
「事実ですし。
白室β滞在率、体感九割はありますよ?」
「統計取るな」
悪態をつきながらも、俺は上体を起こす。
リツの顔が、いつもより少し硬い。
嫌な予感、二段階目だ。
「で? 何かあったんだろ」
「ええ。ボクでは完結できない案件ですので、
ちゃんと本職にお伝えに来ました」
リツは、薄い祈り板を掲げる。
神界との通信文が、細かい文字で流れていた。
「神界上層からの正式通達です。
『転生神シロ、上層神界に出頭せよ』」
「あー……やっぱり、そう来たか」
いつかこうなる気はしていた。
けど、“今”であってほしくはなかった。
「理由は?」
「本分を読み上げますね」
リツは板に指を滑らせ、該当箇所を指し示す。
「『転生神欠員枠発動ログに不整合発生。
コア神格シロ、および関連候補魂の確認を要す』」
「……欠員枠」
口に出した瞬間、
背中に冷たいものが走った。
初めて聞くはずの単語なのに、
耳が「知っている」と判断してしまう感覚。
空いた席。
足りない一枠。
誰かが座らなくてはいけない椅子。
そこに、誰が座った?
白い霧が、思考をすべて飲み込んでいく。
「シロさん?」
「ああ、悪い。ちょっと、変な感覚がしただけ」
自分の声が少し乾いている。
誤魔化すように咳払いを一つ。
「で、“関連候補魂”って?」
「そこが問題でしてね」
リツは、少しだけ言いにくそうにしながらも続けた。
「追伸がついていました。
『候補魂代表として、“アスハ”も神界に招請する』と」
「……は?」
思わず素の声が出た。
アスハ。
あの口の悪いゼロライン。
統祈一族の、はぐれ者。
「何でアイツが“候補”なんだよ。
っていうか、どの候補だよ」
「それを確かめてきてください、というのが神界の言い分です。
ボクは地上待機。神界との通信ログと、
祈り構造の変化をこちら側で監視します」
「お前も来いよ。神界、きっとツッコミどころ多いぞ」
「行きたいのは山々ですが、完全に権限外です。
ボクはあくまで“人間側の管理者”。
神界常駐許可は出ていませんし、
世界の祈りバランスを見張る役目からも離れられません」
「……真面目かよ」
でも、それが正しい。
神様ばっかりが神界に集まっても、
地上を見てくれる人間がいなきゃ意味がない。
「じゃ、行くのは――」
「シロさんと、アスハくんです」
リツははっきりと言った。
「ナナシさんは半分神界側の存在ですが、
今回の通達は『転生神と欠員枠候補』が対象ですから。
どうしても必要になったら、あとから呼びましょう」
「……了解」
胸のどこかで、「やっぱり」という声がした。
転生神。
欠員枠。
候補魂。
その全部に、自分が深く関わっているのは分かっている。
だけど何にどう関わったのかは、
きれいさっぱり削られている。
それが、たまらなく気持ち悪い。
「アスハには、ボクから声をかけておきました。
今、屋上にいるはずです」
「先回りが良すぎるんだよ、お前は」
「準備は早いほうがいいですから」
リツは小さく笑い、それから真剣な目でこちらを見た。
「……シロさん」
「ん?」
「神界が、あなたに“全部”を見せたいとは限りません。
だから、見るべきものと見せられたものを、ちゃんと区別してください」
いつもの穏やかな口調のまま、
それでも珍しく強い言い方だった。
俺は、笑って返す。
「大丈夫だよ。
俺には、間違ったときに殴ってくれるやつがいるから」
「それは心強いですね」
リツの視線が、屋上のほうへ向く。
⸻
風祈学院の屋上は、昼の光と風で満ちていた。
空は高く、雲はゆっくり流れ、
遠くからは生徒たちの笑い声。
その景色の端で、
アスハがフェンスにもたれて空を見ていた。
声をかける前に、アスハがこちらを振り向く。
「……また、神界の使いか」
「お前な、人を見るたびそれ言うのやめろ」
「事実だろ。神界臭ぇ顔してる」
「神界臭って何だよ」
くだらない言い合いをしながらも、
アスハの目は、いつもより少し鋭かった。
リツが一歩前に出る。
「アスハくん。
神界から、あなたにも召集がかかりました」
「は?」
眉間にしわが寄る。
「命令文を端的に言うと――
『転生神欠員枠の発動ログに不整合。
コア神格シロおよび、関連候補魂“アスハ”を確認せよ』だそうです」
欠員枠、という言葉が出た瞬間。
風が、短く止まった。
アスハの瞳が、細くなる。
「今、なんて言った」
「欠員枠。
そして、“候補魂アスハ”です」
しばしの沈黙。
風の音さえ薄くなる。
やがてアスハは、ゆっくりとこちらを向いた。
「シロ」
「な、なんだよ」
「本当に――何も覚えてないのか」
胸の奥が、ギリッと軋んだ。
何を、とは言わない。
でも、言わなくても分かる。
背中が三つ並んでいた景色。
横で、長い髪が風に揺れていた気がする。
もう一人の、短髪でよく怒鳴る声。
そこまで浮かびかけて、
真っ白な霧が全部塗り潰す。
「……悪い」
俺は、正直に言った。
「“何かある”感じはするけど、
ちゃんとした形では思い出せない」
「そうかよ」
アスハは、小さく舌打ちした。
怒ってる。
でも、それだけじゃない。
その奥に、
長い間押し込めてきた何かがうずくまっているのが見える。
リツが一歩下がった。
「ボクはここまでです。
神界との通信回線は、こちらで維持しておきますから」
「来ないのか?」
「来たいのは山ほどですが、役割外ですからね。
こっちからも神界ログを引っ張って解析しておきます。
だから――」
リツは、珍しくほんの少しだけ、目を細めた。
「ちゃんと帰ってきてください。
白室は、まだあなたの席ですから」
「……了解」
そんなふうに言われたら、
帰らない選択肢はなくなる。
アスハが、ふっと息を吐いた。
「行くしかねぇんだろ」
「嫌なら――」
「黙れ」
俺の言葉を、アスハは短く切った。
「前にも似た匂いがする。
お前が“何となく嫌な予感がする”とか言い出したときは、
大体、本当にロクなことにならねぇ」
「ひどくない?」
「事実だ。
前は、その結果――」
そこまで言って、アスハは言葉を飲み込んだ。
何かを喉の奥で噛み砕いて、
代わりに、別の言葉を吐き出す。
「……今度は、勝手に一人で座りに行くなよ」
フェンスを離れ、こちらに歩いてくる。
瞳の奥では、怒りと、悔しさと、
それから、名前をつけづらい何かが渦巻いていた。
「欠員だか何だか知らねぇが、
もう一回お前一人を“神様”にする気なら、
今度は俺が止める」
「頼もしいな、統祈の一族」
「皮肉で言ってんだろ、それ」
アスハは鼻を鳴らし、空を見上げた。
「……ルカダスも、きっと向こうに残ってる」
その名前に、胸がひくりと跳ねた。
ルカダス。
襲撃戦で戦った、あの統祈神。
でも、今アスハの口から出た響きは、
どこか昔の、もっと柔らかい音だった。
「昔、三人で組んでた頃の話を、
やっとちゃんとできるかもしれねぇな」
「三人で、ね」
俺はその言葉を、飲み込むように繰り返した。
シロ。アスハ。ルカダス。
背中が三つ並んでいた記憶の断片が、
心の中で、少しだけ輪郭を増した気がした。
「……行こうか」
俺は、神界への祈り式を描く。
白室とは違う、古い響きの道。
空間がゆっくりと裂けて、
その向こうに、重たい光の層が見えた。
「行ってらっしゃい」
リツの声が、背中に届く。
「神界が隠してきた“最初の話”を、
ちゃんとこっちにも持って帰ってきてくださいね」
「任せとけ」
俺は笑ってみせる。
「どうせ俺の話なんだろ。
だったら、最後まで付き合わないと」
「そういうとこだけ格好つけるよな、お前は」
アスハが呆れたように言い、
それでも隣に並んだ。
「行くぞ、欠員枠の神様」
「その呼び方マジでやめろ。刺さる」
「刺さっておけ。
答えを見に行くんだからな」
一歩、足を踏み出す。
白い霧と古い祈りの匂いが、
俺たちを神界へと飲み込んでいった。
――こうして第四部。
“かつて三人だった神様たち”の過去をたどる旅が始まった。




