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第三話 リツ、風の子と祈りの少女



 翌朝の風は、やけに静かだった。

 リツが風譜を開くと、昨日まであった波の線がぴたりと止まっている。

 風が「息をひそめている」――そんな感じだった。


「……呼吸を止めたか、世界。」


 呟いたとき、ドアの向こうから小さな声がした。


「先生……?」


 顔をのぞかせたのは、あの“風の中の少女”だった。

 現実に、そこに立っていた。

 髪は淡い銀色で、瞳は薄く透けた緑。

 風をそのまま人にしたような印象だった。


「……君、名前は?」


「ユラ。……風が、あなたを呼べって。」


 リツは息を呑んだ。

 昨日、風笛を鳴らした瞬間に感じた“応答”。

 あの音が、この子を呼んだのかもしれない。



一 風と少女


 ナナシが奥から現れた。

 「リツ、案内してくれる?」

 少女を家に迎え入れ、温かいパンを差し出す。

 ユラは手を合わせて言った。


「いただきます。……風が、こういう時に言うって。」


 「風が教えたの?」とナナシが尋ねると、

 ユラは真顔で頷いた。


「風はね、みんなの声を覚えてる。

 泣く声も、笑う声も。

 でも“ありがとう”の声が少ないって、風は悲しそうに言ってた。」


 その言葉に、ナナシは少し目を伏せた。

 “祈りが感謝を忘れたとき、奇跡は止まる”――

 シロが昔、そう言っていたことを思い出す。



二 風の観測


 リツは机に向かい、ユラの言葉を記録していく。

 「風が感情を持つ」という仮説は、これまで誰も立証していない。

 けれど、ユラの存在がそれを“証明”している気がした。


「ユラ、風の声ってどんなふうに聞こえる?」


「……聞こえるというより、わかる。

 心の中で“誰かの言葉”になる。

 時々、風が笑うの。音はしないのに、心がくすぐったくなるの。」


「まるで祈りだ……。」


 ナナシが呟く。

 リツは顔を上げ、「祈りの返答、ですね」と答えた。


 ユラが、ふと窓の外を見た。

 「……風が、泣いてる。」


「泣いてる?」


「うん。村の東。たくさんの声がぶつかって、悲鳴みたいになってる。」


 リツとナナシは顔を見合わせた。

 祈りの“共鳴異常”――神界でいう“風の乱流”だ。



三 祈りの暴走


 丘を駆け下り、二人は東の村へ向かった。

 そこでは小さな祠が壊れ、花が散っていた。

 祈りの場所が、壊されている。


「……何があった?」


 村人の一人が答えた。

 「新しい“風の祈り”を唱える子どもたちが増えて……

  古い教えの人たちと喧嘩になったんです。

  “風の神様”なんて、勝手に作るなって。」


 ナナシが胸を押さえた。

 「……人の祈りが、人を傷つけるようになってる。」


 リツは風笛を取り出した。

 空気が重い。音が出ない。

 祈りが詰まり、風が止まっている。


「ユラ、できるか?」


 ユラは頷いた。

 「うん。風に話しかけてみる。」


 彼女が両手を広げ、目を閉じた瞬間――

 空気が柔らかく揺れた。

 散らばった花びらが宙に浮かび、

 壊れた祠の破片が静かに重なり始める。


 「……まさか。」


 リツは息を呑んだ。

 “祈りの修復”。

 神の干渉なしで、祈りの形が再生されていく。


 ユラの髪が風に舞う。

 彼女の唇が、どこか遠い声をなぞった。


――ありがとう。


 その言葉と同時に、風が一斉に吹き渡った。

 木々が揺れ、村の鐘が鳴り響く。

 長く止まっていた風が、再び流れ出す。



四 風の花


 ナナシがユラの肩に手を置いた。

 「……ありがとう、ユラ。あなた、風に選ばれたね。」


「風に……選ばれた?」


「うん。きっと“祈りの形”を思い出させるために。」


 ユラは少し考えてから笑った。

 「じゃあ、風は“先生”で、私は生徒だね。」


 リツは隣で苦笑した。

 「なら、俺は助手かな。」


 ナナシが微笑む。

 「いいね、“風の研究所”みたい。」


 風が三人の髪を撫で、丘の方へ吹き抜けていく。

 振り向くと、壊れた祠の跡地に、

 一本の白い花が咲いていた。

 ――白室の花と、まったく同じ形だった。


「……先生、記録を。」


 リツが風譜に線を引く。

 《風花ふうか》――祈りが可視化された現象。

 “神と人の境界”が揺れ始めた証。



五 白室βにて


 そのころ、神界・白室β。

 エフェリアが警鐘を鳴らした。

 「観測波、急上昇。人間界から新しい祈り構造が出現しています。」


 シロが椅子から身を乗り出した。

 「どこだ?」


「東の村。記録官ナナシの観測領域です。」


「……また、あいつか。」


 彼は少し笑いながらも、瞳を細める。

 「祈りが“形を持つ”……それは、

  神のいない奇跡だ。」


 エフェリアが小さく頷く。

 「――人が、神をつくり始めています。」



六 風の未来


 夕暮れ。

 ユラは丘の上で風笛を吹いていた。

 その音に呼応して、空が淡く光る。

 まるで空の向こうで、誰かが笑っているようだった。


「先生。風が言ってるよ。」


「なんて?」


「“まだ、始まりだよ”って。」


 ナナシは目を細め、

 遠い空の向こうにいる“あの人”を思い出していた。


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