第一章(和田秋斗)
◇◇◇
7月24日(木曜日)
「ねぇ、もうすぐ世界が滅亡するらしいよ?」
放課後を控えただけの帰りのHR前の空き時間、今日はずっと口を閉じていた隣の席の矢野が唐突に話しかけてきた。
「もうすぐって、いつなんだよ?」
今日初めての会話に俺は何となく安堵した。
しかし、話題があまりにも抽象的だったので具体性を求めてみた。まぁ、この系統の話に具体性も何もない気がするけど。
矢野は「んー」と言いながら会話を続けた。
「うーん。確か今月の終わりとかだった気がする。終わりだから、7月31日なのかも。もしそうなったらさ、あと1週間くらいしか時間がないのか〜。私まだやりたいことがたくさんあるだけどな〜」
おそらく最近SNSでトレンドになっている情報のため矢野も気になっているのか、本気で信じて言っているのか、冗談で言っているのか曖昧な口調で嘆いていた。
表情はいつも通り微笑んでいた。
「大丈夫じゃないか?その手の予言は大概は外れているし。あと1週間で世界が滅亡するなんて多分ほとんど誰も信じてないよ」
俺はその手の話は都市伝説として見れば面白いと思うが、本当に信じる気にはなれなかった。
「わかんないよ。本当に世界が滅亡しちゃうかもしれないじゃん。このまま何もできないで、人生終わっちゃうなんてなんか勿体無い気がしてこない?」
矢野が俺の顔をジッと見つめていた。
矢野がこんな頑なに話すのは珍しいなと思っていた。確かに今日の矢野は表情はいつも通りだが心なしかどこか雰囲気が違って見えた。
「確かに、もしそのまま人生が終わるなら勿体無いかもな」
どう答えたらいいのかわからない俺は矢野の質問に曖昧な返事した。
「だよね」
矢野はまだ何か言いたげな表情をしていた。
けどもう諦めたのか、それから会話は無くなった。
◇◇◇
帰りのHRも終わり放課後となった。
みんな部活に向かったり下校するため教室を後にしている。
帰宅部の俺もそれに倣おうとしたが、隣の席の矢野はまだ着席したままだった。
机の脇には鞄を引っ掛けたままでいた。
俺は矢野に違和感を覚えた。
「あれ、矢野、今日は部活に行かないの?」
いつもならもう部活に行っていているはずなのに。
「うん。今日は部活は休みなんだ」
矢野は覇気がなく落ち込んでいる様子だった。
明らかにいつもと様子が違うため、俺は気になったので聞いてみることにした。
「もしかして何かあったのか?というか絶対何かあっただろ……。いつもの矢野っぽくないからさ」
いつもの矢野は俺と話す時は大抵は笑顔を向けてくれて、落ち込んだ様子を俺に見せることは無かった。それがあからさまな落ち込み具合を見せていたのだ。
「うーん……。なんだろう。完全燃焼ってやつ?インターハイが終わって、結果も去年に比べれば悪くは無かったんだけど。そんな自分に満足できてなくて、練習も頑張ってたんだけどさ。なんか急に上手く走れなくなっちゃたんだよね。コーチに相談したら、疲れてるんだろうから暫くは休みさないって言われちゃった。私どうしようかなって……。ほら、なんだかんだ今までずっと陸上のことを考えて過ごしてたからさ、急にやることが無くなっちゃって、困ってる、みたいな?」
矢野が俺に陸上のことや部活の話をしたのはこれが初めてだった。
俺は、今日矢野が話していたことを頭に思い浮かべていた。
『ねぇ、もうすぐ世界が滅亡するらしいよ?』
「矢野、もうすぐ世界が滅亡するんでしょ?それまでにやりたいことがたくさんあるって言ってなかった?」
下を向いていた矢野がこちらに顔を向けた。
「和田、言ってたじゃん。そんな予言は外れるって」
矢野は自嘲的な笑顔を向けていた。
「そんなのわからないよ。本当に滅亡したらどうするの?」
俺は矢野が言っていたことと同じようなことを言った。
「あんなのは、ちょっとした冗談じゃん。本気になんてしないでよ」
珍しく矢野は不機嫌な態度を露わにしていた。
本当に怒っているのかもしれない。
それでも俺は続けた。
「本当にあと1週間くらいで世界が終わるとして、このままでいいのか?もしこのまま終わったら後悔しないか?」
矢野は真顔で俺を見つめていた。
それでも俺はまだ続けた。
「矢野が本当にやりたいことをこの1週間でやってみないか?」
一瞬だが、矢野の表情が揺らいだ気がした。
「高校生らしいこと、してみないか?
ちなみに俺は、矢野と一緒に高校生らしいことがしたい」
その言葉を聞いた、矢野は驚いたのか、聞こえてなかったのか
「えっ!?今、なんて言った?」
もう一度聞き直していた。
だから俺はもう一度言った。
「高校生らしいこと、してみないか?
ちなみに俺は、矢野と一緒に高校生らしいことがしたい。
だって俺、矢野のことが好きだから」
俺は言い切っていた。
今俺の心臓は破裂しそうな速度で血液を送っている。
「はぁっ!?えっ!?はっ!?今なんて言った?」
また矢野には聞こえていなかったのか俺は再度繰り返した。
「高校生らしいこと、してみないか?
ちなみに俺は、矢野と一緒に高校生らしいことがしたい。
だって俺、矢野のことが好きだから」
俺の言葉をちゃんと聞き取れたのか、
矢野の顔は熱を帯びているかのよう赤くなっていた。
「何を言ってるの!?どうゆうこと!?和田が私を好き!?どうゆうこと!?」
矢野はどうゆうこと!?を繰り返していた。
そんな狼狽える矢野を見ていたせいか、俺自身の緊張は和らいでいた。
「矢野、落ち着いてくれ」
まだ教室にいることを忘れているのか矢野は普段教室では見せることのない醜態を晒していた。
目がグルグル回っているようだった。
「落ち着けるか〜っ!!」
テンパっている矢野のツッコミが教室内に響いた。幸いなことに教室には俺と矢野の二人だけになっていた。
だからあんな事が言えたのだが……。
「ハァッハァッ……。これはドッキリなの!?なんなの!?本気なの!?」
落ち着きを取り戻した矢野が矢継ぎ早に話す。
「悪い。確かにサラッと言い過ぎたかもしれないな。改めて、矢野、俺はお前が好きなんだ」
俺は再度、今度は真正面から矢野の顔を見つめながら言った。
いわば、これは告白だ。
矢野は一瞬だけ目を逸らしたが、また俺を見てくれた。
「フゥッ」
矢野が深呼吸をした。
「人生で初めて告白された」
矢野が呟いた。
俺は驚いた。てっきり矢野は告白なんて何度もされていると思っていたからだ。
「そうなんだ。初めての告白が俺なんかで悪いな」
俺は自信がなかったのか何となくそんな言葉が出てきてしまった。
「なんで、堂々と告白した癖に、後ろ向きなこと言ってんの」
矢野がもっともらしいことを言う。
「そう言われると、そうかもしれないな」
また俺の心臓は高速に血液を送っている。
そのためか、それ以上の言葉が出てこなかった。
「とりあえず、世界が滅亡するまでは付き合ってよね。私がやりたいこと、一緒にやってくれるんでしょ?」
いつもの矢野らしい、控えめながらも柔和な微笑みで返事をされた。
俺は心音のせいなのか、それとも気分の高揚のせいなのか、矢野の言葉を脳が上手く処理しきれていなかった。
「ちょっと、和田!?固まってるけど大丈夫?理解してる?もう……。私も恥ずかしいんだからさ。つまり、あんたの告白をOKしたのっ!!」
矢野が恥ずかしそうに声を張り上げた。
俺の耳から流れた言葉をようやく脳が翻訳してくれた。
「俺は、矢野と付き合えるってこと?」
俺はまだ信じられないのか、とぼけていたのか、そう呟いた。
「だから、何度も言わせるなっ!!
そうよ、私たちはこれから付き合うのっ!!
わかった!?、秋斗っ!!」
矢野の顔は夏の気温のせいなのか、それとも照れいるのか、わからないが少し赤くなっていた。
俺の名前を覚えてくれていたんだ。
だから俺もその返事に応えた。
「これから、よろしく、夏希」
「うん。よろしくね、秋斗」
俺たちはお互い名前で呼び合った。
それだけのことなのに、たった今俺たちの関係性が明確に変わったのだと証明されたようだった。
俺たちはスマホの連絡先を交換した。
教室内では話していたのに学外ではやり取りなんてすることは無かったから。
"夏希"と表示されたアイコンが追加されている。
「これからは、家でもやり取りしようね」
夏希が微笑んだ。その笑顔は今までと変わらないはずなのに、真夏に咲き誇る向日葵のように爛々と煌めいているように見えた。
この子が俺の彼女になったんだ。
帰宅後、俺はまだ実感を噛み締めていた。
たまに夢なんじゃないかと不安になったが、スマホを見れば現実だということが分かる。
夏希とのやり取りが画面に表示されているからだ。
お互いまだ恥ずかしいのか、メッセージのやり取りもぎこちなかった。
もう夜も遅いので「おやすみ」と送信した。
夏希から「おやすみ」とネコのキャラクターが言っているスタンプが送られてきた。
ひとまず今日はここで終わる。
明日から俺たちはどんな時間を過ごすのだろうか。夏希がやりたいことをやるのが一番重要なことだ。
そんなことを考えながら寝床に入った。
気力を使い果たしたのか、すぐに眠りについた。