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化生ノ者  作者: 福与志
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汚名返上

 佐脇(さわき)吉之助(よしのすけ)の抱える問題は、武士の”矜持(きょうじ)”に関するものだった。


 ひと言で言えば、佐脇の家名を(けな)されたのだ。


 なぜ、そういった話になったのか——。

 端を発したのは、昨年、安食(あじき)村で起こった戦いにあった。その戦いで、吉之助の兄である佐脇吉左衛門(きちざえもん)が戦死したのだ。この安食の戦いは、清洲(きよす)織田家の勢力と信長の勢力の戦いだったが、結果だけ見れば、信長勢の圧倒的勝利で終わった。


 勝敗を分けたのは、信長が考案した長槍(ながやり)…。

 当時の長槍は、通常2間半(約4.5m)だったのに対し信長が考案した槍は、3間半(約6.3m)もあった。


 たったそれだけ?


 と思うかもしれないが、実は合戦において間合いの長さは非常に重要なのだ。現代で言えば、遠くから攻撃できる爆撃機や長距離ミサイルが有利なのと同じ理屈だ。さらに、この部隊を率いていたのは”戦上手”で知られていた、かの柴田勝家(しばたかついえ)である。

 そう、問題だったのは、磐石(ばんじゃく)の布陣であるにも関わらず、数少ない信長側の死傷者の1人が吉左衛門だったという不名誉だった。そんな理由からか、戦に参加した者たちからは、表だって死者を貶すことこそなかったが、裏では笑い者にされていた。


 されど、人の噂も七十五日——。


 時が経てば、日々の移ろいから、吉左衛門をネタにする者をいなくなっていったのである。


 しかし今年、弟の吉之助が16歳となり、兄のあとを継いで信長に仕官(しかん)してきた。つまり、下級武士の間では、再び吉左衛門の出来事が思い出されたわけだ。その影響で、吉之助は仲間内から歓迎されるどころか、日頃から執拗な()()()()っていた。

特に辛く当たってきたのが、横井勘兵衛(かんべえ)、水野兵助(ひょうすけ)、中根新八郎(しんぱちろう)の3人の男だったという。

 自身への侮辱は耐えていた吉之助だったが、やり返さないことは時として加害者の嗜虐心(しぎゃくしん)(あお)り、事態をエスカレートさせることもある。



「佐脇家は軟弱者(なんじゃくもの)しか輩出(はいしゅつ)しない。」



 つい1人が、出過ぎたことを口にしてしまった。そのひと言で、吉之助はとうとう堪忍袋(かんにんぶくろ)()が切れたのである。これは家名に泥を塗る発言であり、いくら下級武士とはいえ、受け流せるほど安い言葉ではなかった。あの河原での(いさか)いは、そういった経緯であった。



「故に、拙者は、あのお三方に発言の撤回を求めておったのだ。」


(放っておけばいいのに。武士って面倒臭いな…。)



 氷雨(ひさめ)と一緒に話を聞いていた鈴蘭(すずらん)は、心の中で独りごちる。正直、武士の面目(めんぼく)というやつだが、氷雨も興味のない話だ。しかし相談を受けると言った以上、解決手段を提示するしかない。



「撤回ですか…。」



 氷雨は、少し思案する。手段としては、いくつかある。


 例えば氷雨が調合した秘薬で、相手を催眠状態にし、意識を改ざんさせる。さらに似た手なら、鈴蘭の忍術も使える。しかし、そうなればただの薬師(くすし)ではないと喧伝することになるだろうし、素性が危ぶまれる。何より今回の一件、結局の決め手は吉之助自身がつけねばならない。

 そうなると佐脇吉之助が”力”を見せることが一番手っ取り早い。例えば戦があれば、そこで武功を挙げることができる。しかし現状、戦争の兆しはありつつも、まだ戦は起こっていない。また、かの塚原卜伝のように、立ち会いを立てて、武士同士の決闘という方法もある。しかし決闘するにも、相手は3人…。どちらにしろ失敗すれば、当然吉之助も命を落とす可能性が高いし、生き残ってもタダでは済まない。

 それは、氷雨にとっても望むものではない。



「つまりご自身の名誉のためではなく、お家の汚名を返上すれば良いんですね。」



 氷雨は、重要な点を再度確認する。



「左様。故にどのように撤回を…」

「いえ、佐脇様。別にお三方に撤回をしていただく必要はございません。」



 吉之助の表情が見るからに怪訝(けげん)なものに変わる。



「どういうことだ、花乃(かの)殿?」

「簡単なことです。お三方の声よりも、もっと大きな声を味方につければ良いのですよ。」

「……?」



 吉之助どころか、鈴蘭も話が見えないと言った顔している。



「つまり、この商業地域の1万の声を味方につければ良いのです。」




 氷雨の提案した解決法は、城下町にいる1万人の商人たちに吉之助を認めてもらうことで佐脇家の株を上げる…、という単純なものだった。この時代、武士と庶民という身分構成はあったものの、大名たちは軍資金の調達として商人の財力を頼りにしていたことから、商人たちの力は相応に大きかった。つまり、下級武士3人の声よりも、1万の商人の声の方が、はるかに客観的な評価を確立しやすいのだ。


 氷雨は、この短いやり取りの中で吉之助という男をある程度理解していた。吉之助はまだ若く、短絡的な部分はあるものの、根は真面目で正義感の強い男である。そう言った男は、人付き合いの中で嫌われることが少ない。


 さらに今の時期は、農閑期(のうかんき)だ。下級武士とはいえ、平時は、(くわ)を持って農業に勤しんでいたが、この時期は代わりに内政業務に従事するのである。具体的には、土地の開墾(かいこん)灌漑(かんがい)事業、荷物の配達や、治安維持などだ。

 つまり、ある意味で商人たちに顔を売るチャンスなのである。



「しかし、そんな小間使いのような真似を……。」



 と、初めは渋っていた吉之助も、「お家の為です」と氷雨に諭され、半ば強引に町のために働き始める。ある時は、飛脚(ひきゃく)の代わりとして、ある時は、水害を未然に防ぐため灌漑工事を手伝い、またある時は、喧嘩の仲裁(ちゅうさい)もした。吉之助は清洲の町を西へ東へ駆け回ったのである。

 いつしか、吉之助自身も前向きに商人たちのために働くようになっていた。


 氷雨たちが清洲に潜入してから、およそ10日ほど経った頃。吉之助の評判は、すでに城下町中に広まっていった。もちろん氷雨の読み通り、吉之助の人柄もあったが、裏で氷雨たちも、吉之助の評価を上げるのに一役買っていたのが大きかったのである。なにせ情報操作は忍びの本分でもあり、噂を広めるのは朝飯前だった。一方で、薬売りとして活動していた氷雨も、ずいぶんと評判がよく、順調に尾張での情報網を広げていた。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




「おーい。」



 氷雨のお使いを頼まれていた鈴蘭が歩いていると、ちょうど通りかかった吉之助が声をかけてきた。



「……。」



 気づかないふりをして歩き続ける鈴蘭だったが、吉之助はめげずに駆け寄った。

 よく見ると、隻腕(せきわん)を器用に使い、仕入れた薬草や香、さらに食料といった多くの荷物を持ち運んでいる。見かねた吉之助が、その1つをヒョイと持ってやる。



「ちょ、ちょっと。」



 いきなり荷物を取られ、ズレそうになる重心を、鈴蘭は体幹で整えた。



「ぐ…、これ重いな。」

「…別にこれくらい。」

「やはり、小柄なのに怪力娘だったか。」

「……。」



 ひと言余計なことを言われた鈴蘭は、そのまま黙って歩く速度を上げた。



「おい、冗談だって。真に受けるな。」



 苦笑しながら、追いかけてくる吉之助を、鈴蘭はジト目で見る。このところ、頼られることが増えたせいか、吉之助の表情は見るからに明るくなった。それに駆け回っていることもあってか、身体つきも良くなっている。この調子なら問題解決も近いのかもしれない、と鈴蘭は思った。



(まぁ、アタシには別に関係のないことだけど…。)



 吉之助の提案で、2人はしばし休憩をとることにした。すると吉之助が買ってきた団子を手渡してくる。



「ほれ。清洲名物の団子だ。」

「え? 別にお腹空いてないけど…。」

「いいから、食ってみろ。」



 荷物を手伝ってもらった上、団子までもらうのは少し気が引けたが、吉之助の屈託のない表情を見てると、断るのは悪いと思い、そのままもらった。



「…美味しい。」



 ふと鈴蘭の表情が少し和らいだ。


 普段ぶっきらぼうというか、氷雨に対して以外は、愛想というものを知らない鈴蘭だからこそ、その横顔は、吉之助にとって印象的深く映った。



「黙っていれば、可愛いものを…。」



 無意識にふと口をついて出た言葉に、吉之助は驚いた。

 そして、言った後で年相応に少し気恥ずかしくなる。



「ん? 可愛い? 誰が?」


(この娘…確信犯なのか、鈍感なのか…。)



 いや後者なのだろう。

 吉之助は、武士として二言はなかったので、素直にもう一度伝えることにした。



「お主が可愛いに決まっておるじゃろう。」



 鈴蘭はポカンとして表情をしていたが、言葉が染み込んだのか、みるみるうちに頬が紅くなっていく。



「べ、別にアンタに可愛いって言われも、う、嬉しくも何ともないんだから!」



 バッと、そっぽを向く仕草は思ったよりも少女らしかった。



「ほほう、もしや照れておるのか?」

「照れッ…そんなはずないでしょ!」



 照れ隠しに鈴蘭は、急いで、残りの団子を口の中に放り込んだ。まるで、頬袋をいっぱいにした栗鼠(リス)を見ているようだった。



(…アタシが可愛い…?)



 幼少より、特殊な環境に身をおいていた鈴蘭は、容姿を褒められる経験などなかった。しかも、今では隻腕だし、何より常に、氷雨という美の象徴が隣にいるのだ。自分などが評価されることは全くなかった。

 そこでふと、鈴蘭は思ってしまった。



(氷雨様は、アタシのことどう思っているのかな…。)



 氷雨に可愛いと言われたら、自分はどう思うのだろう…、と。

 いや、それは絶対にないことを鈴蘭自身はよく理解していた。そう思うと、知らずに鈴蘭の表情が(かげ)った。



「…照れてない…本当だもん。もう、アタシのことはいいから。今はアンタのことでしょ。」



 鈴蘭の表情の変化は少し気になったがここは触らないでおこうと、吉之助は話題を逸らすことにした。



「そう! 先日、森殿からもお褒めいただいたのだ。本当に花乃殿には礼を尽くさねばならないな。」



 吉之助は、森という武士からも褒められたことを嬉しそうに語っていた。この毒気のなさが、暗くなりかけた鈴蘭の心に、平静さを取り戻させた。



「良かったね。」



 鈴蘭は、少しだけ笑顔を見せた。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




(問題はここからか…。)



 その頃、氷雨は宿で今後のことについて軽く思いを巡らせていた。横井たちによって汚された佐脇の家名は、今や商人1万人の評価によって上書きされつつある。しかし、武士の本分は、やはり”武”の強さなのだ。佐脇家を軟弱の一家だと(そし)った3人、横井たちにとって今の状況は面白くないはずだ。

 何より、吉之助の評判は上がって家名の汚名は払拭できても、仲間内から貼られた”軟弱者”というレッテルを剥がさない限り、根本的な解決とは言えないだろう。

 さらに氷雨の方も薬売りとして名を知らしめ、情報網を広げた今なお、面猿の手がかりが掴めていなかった。ここまでくると氷雨の動向を事前に察知し、面猿の方が避けている可能性まで出てくる。



「さて、どうしたものか…。」



 部屋に入り込んだ風が、雨の気配を告げていた。

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