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化生ノ者  作者: 福与志
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面猿という男〜其の1〜

 面猿(めんざる)には野心がある。


 茅葺(からぶ)きの(ひさし)を打つ雨音に耳を傾けながら、これまでの日々に想いを馳せた。


 面猿が織田信長(のぶなが)に仕えてから、早5年の月日が経っていた。

 現在は木下(きのした)藤吉郎(とうきちろう)(後の豊臣秀吉)と名乗っている。と言っても実はこの名は、七愚天(しちぐてん)を統率していたころから表向きに名乗っていた名だった。

 ただ単に七愚天の前では、名乗ったことがなかっただけだ。それどころか常に猿の面を被っており、素顔を一度たりとも見せたことがなかった。

 それゆえに面猿と呼ばれた。


 もともと貧しい農村の出だった面猿は、信長に仕官する前は今川家家臣の松下之綱(ゆきつな)に仕えていた。この松下之綱という男、頭陀寺(ずだじ)城を預かる城主なのだが、乱世の中において不釣り合いなほど心優しい人物だった。面猿にも分け隔てなく接し、家臣としての意見も許した。面猿は初めての仕官だったこともあり、ここでの働きはまさに目覚ましいものだった。


 面猿はとにかく自分にしかできない奉公の仕方を考えた。それは従来のしきたり縛られず、自分が仕える之綱のためを第一に考えた行動をとる。その結果、頭陀寺城での作業効率は格段に上がった。

 その噂は瞬く間に広がり、件の客人・藤林保豊(やすとよ)の耳にも入った。


「松下殿。ここにどんな役目(しごと)でもそつがなくこなす男がいると聞いたのだが…。」

「これはこれは藤林殿。あの小さい奴がそうですよ。藤吉郎と言います。」

「ほう…。」


 保豊は、ひと目見て面猿の非凡な才覚を見抜いた。それは決して忍びとして才能ではなく、人を束ねる才能だった。保豊は、この若い男に自らが作った七愚天を任せることにした。幸い七愚天は全員孤児であるため歳が若い。それに伊賀上忍の自分が矢面に立つ組織よりも、代役を立てた方が後々面倒ごとが少ないと踏んだのである。


「七愚天…でございますか?」

「そうだ。少し早いが(とも)持ちになったと思え。不服か?」

滅相(めっそう)もございませぬ。それで、なぜ私めを。」

「……奴らはこの乱世の被害者だ。まだ年端(としは)もいかぬ(わっぱ)たちばかりでな。お主のように若く、器量の良い男に任せたいのだ。」

「かように買っていただけるとは、有り難き幸せにございます。」

「報酬も見合うものを与える。もし上手くまとめることができるのであれば、今川様にも顔つなぎしてやっても良い。」

「それはまことでございますか。」


 当時の面猿からしたら、その褒美が何よりも嬉しかった。そんな少年の機微(きび)を逃さなかった保豊もまた、人身掌握の術に長けていたのである。


「当然じゃ。松下殿の役目もあるだろう。それでは仔細(しさい)は追って知らせるとしよう。」


 そう言って立ち去ろうとする保豊に面猿は声をかけた。


「藤林様、最後にもう1つお伺いしたく存じまする。」

「何じゃ?」

「何故、七愚天、という名を付けられたのでございますか?」


 僅かだが、面猿は保豊が笑いを押し殺したのを見た。


「…なに。七人の孤児たちが天の名を与えられ愚直(ひたむき)に頑張っておる姿を想って付けたまでよ。」

「藤林様の想いが込められた名でございましたか。私めもその気持ちを受け継いで参りたいと思いまする。」


 そう言って今度こそ保豊は去っていった。しかし、面猿はその裡に隠された本心を聞いていた。

 

 七愚天——…。

 

 それぞれ欠陥を抱える七人の孤児たち。彼らが皮肉を込めた天の名を与えられたにも関わらず、それすらも分からない愚か者どもの集団という由来だった。面猿といえど、これほどまでに侮蔑を込めた名を聞いたことがなかった。見も知らぬ少年少女たちに同情を禁じ得なかった。

 こうして七愚天を統率することになった面猿だったが、思惑通りに保豊の弾除けになるつもりもなかった。そういう経緯から自ら猿の面を被り、素性の一切を隠した。


 (頭も切れるな。単なる(ましら)で終わる奴ではなかろう。)


 保豊はそんな面猿の行動を見て、改めて器の大きさを知るのである。

 それからすぐ、七愚天は面猿の統率の元、数々の役目をこなすようになっていった。保豊は約束通り、面猿に今川家の人間を紹介した。ただし、それは今川家でも爪弾きにされている存在、隆佳姫(るかひめ)だった。確かに、保豊は一度も義元を紹介してやるとは言っていなかったのである。嘘ではないが、義元との謁見を期待していた面猿は少なからず”()()()()()()”感があった。


 そう、面猿には野心がある。


 それは、誰よりも出世をすること。自らの生い立ちは、常に差別と偏見、そして大きな劣等感が付き纏っていた。そんな面猿にも、何者にも変え難い存在がいた。それが、母であり、姉であり、家族だったのだ。幼い面猿から見て、2人の家族はこの世で一番不幸な存在だった。今まで味わってきた不幸の分、何とかして、この先は幸せにしてやりたい。そしてそれこそが、長男として生まれた男の務めだと想っていた。いつか自分が誰よりも出世すれば、もう家族が不幸に苛まれることもないし、自分の劣等感も消えるだろうと考えたのだ。


 しかし、運命とは残酷なものである。


 なぜなら、生まれる前から持つ者と持たざる者に分けられ生き方が決まっているからだ。持つ者は生まれながらに財を持ち、武を持ち、権力を持つ。しかし、持たざる者は生き方を自ら決めることすらできず、搾取され続けるしかない。

 そんな持たざる者である面猿が、どうやったら持つ者を越えられるのか? 考え抜いて出した答えはこの上なくシンプルだった。

 それはこの乱世を利用して自らが出世をしていくことだった。

 だが、面猿には腕っぷしすらない。知識もあるわけではない。何も持っていないからこそ、面猿は誰よりも”人”を学ぶことにしたのである。どうすれば人は喜び、怒り、哀しみ、楽しむのか…。

 こうして”人”を学んだ面猿は、持つ者に近づき、その者の信頼を得ていくことにした。


 松下之綱の下では、とにかく城主である之綱の懐に入り込んだ。城主である之綱を第一に考えた仕事は、結果、之綱の信頼を得ることができ、さらに藤林保豊のように、新たに役目を与えてくる人間も出てきた。


 しかし、出る杭は打たれるのが世の常。


 しきたりを無視する面猿のやり方は、しきたりを重視する武家たちにとっては、まったく面白くないのである。さらに、一足飛びに上司の信頼を得に行くことは、ある種のゴマすりにも映る。それは、信頼を得ることは、一緒に下働きをする同僚や先輩たちの嫉妬心を大きく煽ることになり、面猿は次第に仲間うちから激しい嫌がらせを受ける羽目になった。


 面猿は、これを出世には関係ないものと気にせず、捨て置いていたが、後にそれが失策だったことを学んだ。なぜなら、そういう連中に限って、足を引っ張ることには長けているからだった。

 配膳の失敗、買い足し品の紛失……。

 面猿は謂れのない罪を被ることになることが多くなっていった。もちろん、之綱もこれを鵜呑みにするほど馬鹿ではなかったが、それでも、こういった状況を軽んじることもできなかった。


 之綱は面猿を大きく評価しているものの、かと言って長く付き従っている家臣たちの声をかき消すこともできなかった。どちらも立てているのは之綱の優しさでもあるが、それは逆にどちらも選んでないことと同義。面猿にとって、松下家への仕官は、ますます居場所がなくなっていくのである。


 自らの野心を実現するため、面猿は大きな決断を迫られていた。

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