化生の戦い〜其の2〜
【閲覧注意】一部グロテスクな表現があります。
氷雨が向ける長刀を見て、柿麿が改めて驚く。
その刀身は、夜闇の中であったならまるで映らなかっただろう。
しかし、今は背後の炎に照らされており、その全容が見えた。
「その刀…以前見た時は錆びておったはずだが…よもや黒刀とは。どういうカラクリだ?」
「錆塗り、でございますよ。」
「本当に正気か分からんな。大事な得物の寿命を自ら縮めるとは。」
もちろん、氷雨は刀に錆を塗ったのではなく、例の如く鈴蘭の変装に使った和紙と膏でカモフラージュしていたのだ。
「楽しく話しておる場合ではないぞ、柿麿!!」
そう言って箏爪が、指先から十の筋となる冷光を放った。
(…糸? いや弦か。)
氷雨はこれを踊るように左右に足を滑らせ全て躱した。
七愚天で教わった歩法の1つ、獣舞だ。
技を授けたのは、一番の実力者であった彩雲。
獣舞には、いくつもの動物を模した型があり、その中で地を這うように足を滑らせるのは”蛇の型”であった。
躱わされたものの、箏爪は焦らない。
巧みに指を操り、弦は背後から再び氷雨を強襲した。
しかし氷雨もまた躱したと同時に斬り込んでいた。
柿麿の刀が割って入るが、氷雨の逆袈裟の太刀の方が素早く、虚無僧の唐笠を両断する。
箏爪は咄嗟にのけ反ったが、それでもわずかに鼻先を切先が掠めた。
氷雨は手首を返し、そのまま体勢を崩した箏爪に袈裟斬りを入れようとしたが、
「さすがに、止められますか。」
今度は柿麿の刃が振りかぶった氷雨の剣を受け止めていた。
「シッ!!」
柿麿は短く息を吐くとそのひと息で四連撃を斬り込んできた。
氷雨もその剣に合わせ全てを受け切る。
2人が剣を交える間、体勢を立て直した箏爪が、腰に差した尺八を抜き、吹き矢として毒矢を飛ばした。
氷雨は、柿麿と剣戟を振るう中で大きく小袖を舞わせ、この矢を弾く。
(あの女子、後ろに目でもついておるのか!?)
箏爪は、冷静に2人の動きを目に焼き付ける。
今無闇に手を出しても、柿麿を巻き込んでしまうかもしれないからだ。そして氷雨の動きの特徴を見抜き、その隙を狙うことにしたのである。
柿麿の豪剣に対し、氷雨はまさに剣の演舞だった。
流麗な足捌きをから繰り出される剣は氷雨の美貌も相まって、見る者の目を奪う美しさを誇っている。
しかしその刃は美しさとは裏腹に、冷酷無比に敵の急所を狙った殺人剣であったのだ。
柿麿はこの斬り合いの中で分析をする。
速さは氷雨に分があり、力は柿麿が圧倒的に有利だった。
つまり鍔迫り合いに持ち込めば十中八九、力業で押せるのだ。
しかし先ほどから氷雨は、力比べにならないよう、技でいなしながら反撃してくるのだ。
その加減が、柿麿が攻めあぐねるほどに絶妙だった。
「氷雨、なぜこれほどまでに剣を使える?」
十数回と斬り結んだ結果、柿麿は疑問を口に出す。
氷雨の剣術は、兵法を学んだ人間のそれであったからだ。
柿麿は、日々下級武士である横井勘三郎に扮し、剣の稽古に勤しんでいた。
一方、薬売りとして忍んでいた氷雨はどうだ?
どうしてこれほどまでの腕を持っているのか?
素直に疑問に思ったのだ。
「護身のためと言ったはずですよ。」
薬師としての薬学もある。
これほどの技術を得るのに、どれほどの鍛錬を積んだのか。
まさに、他の技術を学ぶ暇がないほどに…。
「貴様、先ほどから忍術を使わんな。」
「……。」
まるで深淵が覗き見てくるように、柿麿の虚のような瞳が氷雨の裡にある真実をまさぐってきた。
「くくく。氷雨、貴様よもや忍術が使えないのではあるまいか。」
そういうと、柿麿は氷雨の足元にバラバラとまきびしを撒いた。
完全に虚を突かれた氷雨は、その拍子に足の運びが一旦止まる。
(今だ!!)
ずっと形勢を見守っていた箏爪がここで動く。
「斗・為・巾”天地縛り”」
3本に結って強度を増した弦が、氷雨の首、両の足首の3つを括った。
しかし氷雨は瞬時に刀を滑り込ませ、首元は刀の柄で防いだ。さすがに足首は間に合わなかったが。
「本来なら輪切りにする技だが、拙僧の弦も凌ぐとは…真、摩訶不思議な”膏”よ。」
しかし、キリキリと足首に巻き付いた弦から軋む音が響いてくる。
その音を聞いて箏爪が笑う。
「まぁ、それも時間の問題であるな。」
氷雨は自分に絡みつく弦を見ると湿り気があった。
(この弦も…)
「気がついたか。左様、その弦にも附子(※1)と赤衣比の尾の毒をたっぷりと染み込ませておる。」
箏爪は、箏の弦を弾くと毒液が跳ね飛び、氷雨の顔にかかる。
「輪切りにされて死ぬか、毒で死ぬか…。このまま、お前の苦悶の表情を眺めて俺の溜飲を下げるのも悪くないが…」
そう言って柿麿が突きの構えをとった。
「何かさせる暇もなく、貴様に心の臓を貫いてくれるわ!!」
氷雨は忍術が使えないのではないか。
柿麿の疑念はまさに的を得ていた。
氷雨は七愚天に入ったのは12歳の頃。
すでに身体はある程度出来上がっており、そこから新たに忍術を仕込むには遅すぎたのだ。
もちろん、忍びである以上、忍術の研鑽も積んだ。
しかし、本物の忍び相手に通用するレベルではなく、氷雨としても諜報活動以外では積極的に使う技術はなかったのだ。それゆえに体術や忍術に関して言えば、鈴蘭に大きく劣っていた。
(忍びなのに、忍びの技を使わない。皮肉なものだ。)
ふと、在りし日の面猿の言葉が脳裏を過ぎる。
それでも、氷雨には武器があった。
それが七愚天に加入する前から持つ2つの特技である——。
1つは、薬師としての医学。
これは齢12にしてすでに並の僧侶を凌ぐほどだった。
そして、もう1つが刀術。
刀術という言葉は、現代では浸透しなかったが古流剣術と同じ意味である。この時代ではまだ刀術と呼ばれることが多く、氷雨の2人の師たちもこう呼んでいたことから、氷雨も自らの剣術を敢えて刀術と呼んでいた。
氷雨は七愚天に入ってからも鍛錬を続けた結果、忍びにも関わらず、異例の刀術の達人となった。
2人の師匠である『一閃流』と『絶華流』を掛け合わせ、
氷雨は自らの刀術を『絶華一閃流』と名付けた。
その理は、心は常に優美に、そして技は常に必殺を以って臨む。
突きが放たれた瞬間、氷雨は跳んだ。
そう、燃え盛る炎の方に。
「ハハッ血迷ったか!!」
柿麿は笑ったが、箏爪は違うことを考えていた。
箏爪が氷雨に使った毒は猛毒だった。大の男でも30秒と経たず猛烈な痺れで動けなくなるはずの代物だ。
しかし、氷雨は動くどころか高く跳躍した。
(まさか…あの薬師…拙僧の毒が効いていないのか…!?)
嫌な予感が的中したと分かったのは、指に絡めた弦の張力がふと緩んだからだ。
箏爪の弦は、1本で30貫(約112kg)の重さを持ち上げることができる強度を誇っていた。
しかし、問題は弦の素材だった。
そう、箏の弦の素材は絹糸なのである。
比較的燃えにくい素材とはいえ、火がつけば必ず燃える。
さらに溶けても皮膚に付着しにくいのである。
「柿麿!! 油断するな!!」
刹那、轟と業火が上がるとその炎の中から、火を纏いながら氷雨が一足で飛び出してきた。
「何ィ!!?」
柿麿は完全に意表を突かれていた。
氷雨の”仏慈胞膏”は火傷にも使える膏薬であり、ある程度炎の熱にも耐性があったのだ。
「七夜月・雨霰。」
首、脇、小手、大腿の人体の急所7箇所を突く技で、氷雨はこれをひと呼吸のうちにできる。
合戦の時、相手が鎧を着た想定で生み出された技であり、7箇所のうち1箇所でも傷つけば、動脈から大量出血させ、相手を死に至らしめられるのだ。
戦場において確実に武功を立てるための必殺の剣でもあった。
氷雨はズブリと切先が肉を貫く感触を得た。
しかし——…、
その肉は柿麿のものではなかった。
「箏爪ェ!!」
柿麿は倒れる箏爪を抱き止める。
箏爪は口から泡のような血を吹き出しながら、すでに事切れていた。
「悪く思わないでください。」
そう言って刀を上段に、今度こそ柿麿に構え振り下ろそうとした時、鈴蘭の悲鳴が夜雨の中に響き渡った。
バッと振り返ると、大男が鈴蘭の腹を噛みついている。
氷雨は柿麿へのトドメを中断し、すぐさま鈴蘭の元へ疾走する。
そのまま長刀を熊牙の首に横から差し込み、自身の方に斬り捨てた。
恐ろしいことに絶命したはずの熊牙は、いまだに鈴蘭の腹に喰らいついたままだった。
(傷が…。脾臓は…暗くて確認できない。)
「鈴蘭、一度——」
氷雨が何かを言いかけようとした時、異変が起きた。
身体が痺れ出したのである。
箏爪は最後まで知る由もなかったが、氷雨と鈴蘭は予め少量の毒をその身に溜めてある程度の有毒耐性化を獲得していた。いわゆる抗生物質を使う続けていると、細菌の薬に対する抵抗力が高くなり、薬が効きづらくなる薬剤耐性化の同じ原理である。
しかしどんなに鍛えても、毒を事前に完全無効化することはできないのだ。
氷雨と言えども、完全に解毒するには自ら調合した解毒薬を服用する必要があった。
「うぐ…」
その隙を、柿麿は逃さなかった。
「氷雨ェェ!!!!」
柿麿は後ろから多い被さるように氷雨を突き倒した。そして、氷雨のうなじを露わにする。
(今度こそ、確実に殺す!! 首を取って、殺してやる!!)
刀を逆手で握り、刃をその細い首に押しつけた。
柿の実をもぎるように。
敵を地面に押し付け全体重を刀に乗せて、首を切り落とす。
柿麿の必殺技が放たれた。
「実もぎりィッ!!!!」
※1附子:トリカブトの根のこと。生薬にも使われますが、正しい処理や加工を施さないと非常に毒性が強いので注意です。食べてしまった場合、10分、20分で手足の痙攣や嘔吐、下痢、不整脈に至り、最悪の場合呼吸不全になって死亡することもあります。氷雨さんは特別な訓練を受けていますが、皆さんは絶対に口に入れないように。




