その薬、愛ではなく義務ですよ〜婚約破棄された薬師は愛と自由を手に入れる〜
「リザ! 君との婚約を破棄させてもらう!」
突然響き渡った声に、大広間が一瞬にして静まり返る。
勝ち誇ったような笑みを浮かべ声を上げたのは、私の婚約者であるライアンだった。
社交界が開かれている屋敷の大広間。集まった貴族たちの視線が一斉に私に注がれる。
その目線に込められているのは同情ではなく好奇心。
見世物でも見るかのような視線は、まとわりつくハエよりもウザったい。
「理由はなんでしょうか?」
冷静に問いかけると、ライアンは得意気になって答えた。
「簡単だ! リザよりも愛すべき人ができた! 俺はカリンを愛している!」
ライアンの隣に立っているカリンは、彼と同じように勝ち誇った表情を浮かべている。
「ライアン様はあなたじゃ物足りなかったみたいですよ。お勤めも満足にできないなんて、ライアン様が可哀想ですわ」
豊満な胸をこれ見よがしにライアンの腕に押し付けながら、嘲笑混じりの声を上げた。
──可哀想?
本当に可哀想なのは、こんな大勢の人たちの前でそんな発言をしてしまう彼と彼女の頭の方だと思うのだが。
思わずため息をついてしまう。
「カリンは俺を愛してくれているし、俺もカリンを心の底から愛している!」
ライアンがドヤ顔で続ける。どうやら初めてを捧げた相手に対して、相当自信を持っているらしい。
もはやため息を通り越して反吐が出る。
それにライアンとカリンが密かに関係を持っていたことなど、とっくに知っていた。
そもそも「結婚するまでは貞操を守りたい」などと言い出したのはライアンの方だ。満足もクソもない。
まあ大方、カリンの溢れんばかりの胸にでも心を奪われたのだろう。
彼の猿並みの理性には呆れるほかない。
「わかりました。邪魔者は消えますので、どうぞお幸せに」
静かにそう告げると、二人の顔にかすかな動揺が走った。
泣き叫ぶか怒り狂う私の姿でも想像していたのだろうが、おあいにく様だ。
面倒な政略結婚に終止符を打ってくれたのだから、こちらとしては喜ばしい限りである。
親が勝手に決めた結婚、そのせいで自分の夢も諦めた。そんな相手に愛情など抱けるはずがない。
それでも、親たちの面子は保とうと頑張ってきたのに、まさかこんなにも滑稽なかたちで婚約破棄を言い渡されるとは思ってもいなかった。
だが、それももうどうでもいい。晴れて自由の身になったのだ。
「ライアン様。お身体には、じゅうぶん、お気を付けて」
わずかに微笑みながらゆっくりと告げ、その場を去る。
背後でライアンの困惑した声が聞こえたが、振り返るつもりなんて全くなかった。
清々しい気持ちで大広間を出る。
──さっさと荷物をまとめて出て行こう。
行く当てなどなかったが、不思議と足取りは軽かった。
彼の婚約者に任命されたのは一年前、十七歳の時だった。
薬師の家系で生まれ育った私は、幼少期から当たり前のように薬の勉強をしてきた。
その腕を認められ、貴族の御曹司であるライアンの持病を抑える薬の調合を任されることになったのだが。
それだけでは終わらなかった。
親同士は互いに利益を得るために手を組んだのだ。
私の家には薬の技術があり、ライアンの家には権力がある。両家が縁を結ぶことで、更なる利益を生み出せると踏んだのだろう。
なんとも醜い政略結婚。
おかげで薬師として独立する夢はおろか、薬の勉強をすることさえはばかられてしまい、気がついたらライアンのためだけに薬を調合するという日々になっていたのだ。
──けれど、それももうおしまい。
彼の持病を抑えていたのは他でもない、私の薬によるものだった。
ある日、彼が突然発作を起こしたことがあった。
その時に彼の命を救ったのが、私が調合した薬だったのである。
それからというもの毎日欠かさず薬の調合をして彼に服用させていた。だからあれ以来、大きな発作を起こすことなく穏やかに過ごしていたのだ。
そしてその持病ゆえに、ライアンは激しい運動を避けていた。
命に関わることになりかねないからこそ「結婚まで貞操を守る」と言っていた彼だったのに。
自分の命よりも、性欲が勝ってしまうとは。
あまりのことに呆れてしまい言葉が出なかった。
そもそも、カリンと仲良く過ごしてこれたのも、すべては私のおかげだということを彼は理解しているのだろうか。
私の薬がなければ、ライアンはとっくに倒れていてもおかしくはないのだ。
──まあいいや。腹上死でもなんでもすればいい。
自室から必要な荷物だけ持ち出して、夜風を切るように颯爽と屋敷の門へと歩き出す。
まだ肌寒さの残る夜風も今は心地よいくらいだ。
すべてを捨て、どこに行くかもわからない状態なのに、胸の内は解放感でいっぱいだった。
その時、視界の端に人影が映った。
庭園の植え込みの近く、月明かりの下で男性がうずくまっている。
見るからに豪華絢爛な貴族衣装に包まれ、まるで星屑を散りばめたかのように輝いている艶やかな金髪。
その華やかな外見にそぐわない苦しげな様子が気になり、つい足を向けてしまった。
「大丈夫ですか?」
警戒しつつも声をかけると、相手は重々しくゆっくりと顔を上げた。
月光に照らされたその顔は驚くほど整っていたが、どこか青ざめている。
「すみません……。少し……酒に酔っただけです」
彼は額に手を当てた。
その額から冷や汗が滲んでいるのがわかる。そして息が浅い。どうやら『少し』の程度は超えていそうだ。
無意識のうちに荷物の中を漁り、薬箱を取り出していた。
「これを飲めば少し楽になるはずです」
彼は差し出した薬を不思議そうに見つめながら呟くように言う。
「……あなたは?」
目線をこちらに向け直した彼の翡翠色の瞳は、やはり不思議そうな色を浮かべている。
まあ見ず知らずの人間から渡される薬なんて、怪しく感じるのも無理はないだろう。
「薬師です。ご不安でしたら、私が先に飲んでみせますよ」
そう言いながら無造作に薬を口に運んでみせると、彼はやや慌てた様子で手を伸ばしてきた。
「いや、そういうつもりで聞いたわけではない。……ありがとう、いただくよ」
服用してから数分後。
彼の顔色が目に見えて改善したことに胸を撫で下ろす。
「……これはすごい。おかげでだいぶ楽になりました」
「それならよかったです」
彼は立ち上がると軽く身なりを整え、まっすぐな瞳でこちらを見つめてきた。
気品のある立ち姿に、つい見惚れてしまいそうになってしまう。
「助けていただき感謝します。私はエドワード゠マクロード。来客として招かれていたのですが、まさかこんな姿をお見せするとは、お恥ずかしい限りです」
エドワードは照れくさそうに頭に手を添えたが、私はその名前に驚きを隠せなかった。
──マクロード家? そんな人がどうしてこんな所で……?
マクロード家は王都でも屈指の名門貴族だ。
そんな家の人間が、どうしてこんな庭の片隅で酔いつぶれていたのだろうか。
その疑問が浮かんだ瞬間、エドワードは苦笑いを交えながら口を開いた。
「実は、酒の席は苦手でして。酒もそうですが、人混みや喧騒に酔ってしまって風に当たっていたんです。なんとも情けない話ですね」
名門貴族ともなれば、酒宴や社交の場など日常茶飯事だろう。
それなのに「酒の席が苦手」だと言う彼の言葉に少し意外な印象を受けた。
そして、彼の正直さに親しみを感じてしまう。
「苦手なら、無理して飲む必要はないのでは?」
言った瞬間、しまったと思った。
彼なりの立場や事情があるだろうに、余計な口を挟んでしまったかもしれない。
湧いた親近感と薬師としての習性からか、つい口に出してしまった。
けれどエドワードは不機嫌になるどころか、微かに笑みを浮かべている。
「そうですね。ですが、こうしてあなたに助けていただけたのですから、結果オーライとでも言いましょうか」
穏やかで気品がある口調に肩の力が抜けた。
その柔らかな物言いに気を緩めた時、彼がふと真剣な顔になった。
「ところで、どうしてこんな時間に屋敷を出て行こうとしているのですか?」
鋭い観察力だ。
言葉を詰まらせたが、正直に答えることにした。
「エドワード様はあの場にはいらっしゃらなかったようですね。先刻、ライアン様から婚約破棄を言い渡されました。なので、もうここにいる理由もなくなったのです」
彼の眉が僅かに動いた。
「それは……お気の毒に」
「いえ、むしろ清々しています。もともと政略結婚で愛なんてなかったんです。ようやく自由になれましたし、夢だってまた追えるようになりました。私にとってはむしろ、祝福すべき門出なんですよ」
そう言って微笑むと、エドワードは少し目を細めて問いかけてきた。
「夢、ですか?」
穏やかな問いかけだが、どこか興味深げあり、それはまるで言葉の続きを期待しているかのようだった。
「はい。薬師として独立したいんです。それに、もっと勉強だってしたい」
気づけば本音が零れ落ちていた。
一度開いてしまった口からは、抑えていた思いが堰を切ったように溢れ出していく。
「婚約者として縛られていた一年間、自由なんてなかったですから。ですが、その鎖が断ち切れた。新しい人生は自分の道を歩みたいんです」
言葉を終えると、エドワードは何かを思案するような表情に変わっていた。
「それなら、一つ提案があります」
静かに放たれた言葉に思わず首を傾げると、彼は微笑みながら続けた。
「私の城館にも専属の薬師がいるのですが、彼は年齢を重ねていて。今ちょうど後継者を探しているところなのです」
『城館薬師の後継者』という響きに、胸の内でわずかな波紋が広がる。
「彼は長年、我が一族のために薬学の技術を尽くしてくれましたが、さすがに限界が近い。それで実力と可能性を兼ね備えた人材を探しているのですが……。私は、あなた以上にふさわしい人なんていないと思いました」
唐突な申し出に息を呑んだ。
「私が、マクロード家の薬師の後継者に……?」
「そうです。先程の薬、とても素晴らしいものでした。あなたにはその資質があると感じています。ぜひ、その知識と技術をマクロード家のために役立てていただけませんか?」
エドワードの目には揺るぎない確信が宿っている。
自分の技量を認められたことは素直に嬉しい。
けれど、『城館薬師』という言葉が引っかかってしまい、簡単に首を縦に振ることができない。
ライアンのように、利用されるだけされて捨てられるのではないか。
そんな不安が胸を締めつけていた。
「不安そうですね」
エドワードの言葉にハッとして顔を上げた。
宝石のような翡翠色の瞳は自分の心を見透かしているようで、目を逸らしたくなってしまう。
「……いえ、ただ驚いただけです」
「本当ですか?」
優しい問いかけだったが、その声の奥には真実を求める力があった。
少し迷った末、小さく息を吐く。
「……正直、不安です。利用されて、捨てられるんじゃないかって。ライアン様の時みたいに」
エドワードの表情が僅かに曇った。
けれどすぐにその曇りは消え、穏やかな微笑みが再び彼の顔に浮かんだ。
「ライアンさんの件について私は詳しく知りませんが、少なくとも、私はそのようなことはしません。あなたを利用したくて声をかけたのではありませんから」
彼の声は低く落ち着いていながらも、堂々としたものだった。
彼の顔をじっと見つめる。
嘘を見抜くためではなく、その言葉に信じるべき価値があるのかを確かめたかったからだ。
「あなたの夢は『薬師として独立すること』ですよね。その第一歩として、城館での経験は大いに役立つはずです。新しい一歩を一緒に踏み出してみませんか?」
エドワードが手を差し出してきたが、その手をすぐに握り返すことはできなかった。
──でも……。
大きな手のひらの先には、彼が示す未来が広がっているように感じられる。
薬師として再び生きられることは、何よりも幸せだと思えた。しかもマクロード家の薬師として、新たに学びの場まで与えてくれる。
もとより婚約破棄をされ帰る場所もなくなった今、この手を取る以外の選択肢はないのだ。
深呼吸をして、エドワードの差し出された手をゆっくりと取った。
「……わかりました。そして、ありがとうございます。お力になれるか分かりませんが、全力を尽くします」
エドワードは静かに微笑むと、満足げに頷いた。
「こちらこそ、ありがとうございます。あなたの新しい人生を、共に歩みましょう」
彼の言葉が心に響く。
きっと未来を大きく変えてくれる、そんな希望に胸が高鳴った。
「そういえば、まだお名前をお伺いしていませんでしたね」
一瞬きょとんとしてしまう。そういえば、こちらの自己紹介をしていなかった。
ふふっと笑いながら答える。
「リザです。リザ゠ダルシアク」
「素敵なお名前ですね。リザさん、改めてよろしくお願いします」
「『さん』だなんて、恐れ多いです。どうぞリザと呼んでください」
肩をすくめながら控えめに笑った。
堅苦しい敬称に慣れていないし、名門貴族であるエドワードにそんな呼び方をされるのはどこか落ち着かない。
「わかりました。では、リザと呼ばせていただきます」
エドワードはにこりと笑って、再び手を差し出した。
「リザ、行きましょう。新しい日々がきっとあなたを待っています」
「はい。よろしくお願いします」
今度はすぐに彼の手をしっかりと握り返した。
温かくて、力強くもある手のひらは背中をそっと押してくれるようで、不思議と不安が薄れていく。
新たな世界へ踏み出すように、二人で屋敷の門をくぐり抜けた。
◯●◯●
エドワードの城館に来てから半年が経った。
当時は不安でいっぱいだったが、今では薬師として充実していた毎日を送っている。
尊敬する師匠──マクロード家の現専属薬師──と共に研究に打ち込む日々は、辛いこともあったがそれ以上に楽しかった。
そして、自分の処方した薬で容態が良くなる患者を見るたびに心が温かくなる。
自分の人生が動き出したと感じていた。
この日もいつものように一人調合室で薬の勉強をしていると、軽やかなノックの音が聞こえた。
「リザ、少しお邪魔しても?」
穏やかな声が扉越しに聞こえ、慌てて手元の資料をまとめる。
「はい。エドワード様、どうぞお入りください」
扉が開かれると、エドワードが柔らかな笑みを浮かべながら入ってきた。その手には、小さなバスケットが握られている。
「今日もお疲れ様。ささやかだけど、差し入れを用意したよ」
バスケットの中には焼きたてのスコーンと、香り高いハーブティーが並んでいた。
「お気遣いありがとうございます。ですが、毎日このようなことをしていただくなんて恐れ多くて……」
「私にとっては些細なことだよ。それに、リザが倒れてしまったら病人も困ってしまうからね。ちゃんと休まなきゃ」
にこりとしている笑顔の中にも、深い信頼が込められているのがわかった。
彼は優しい人だ。
マクロード家の未来を担う公爵として多忙な日々を送っているはずなのに、それでも毎日欠かさず訪れてくれる。
初めて会った時、エドワードへの想いは感謝と尊敬だけだった。
けれど共に過ごす内に、その気持ちはいつの間にか違うものへと変わっていた。
彼の明るくて穏やかな笑顔を見るたびに胸が暖かくなる。
それにどれだけ励まされたか分からない。
まるで私の世界を照らしてくれる光のような存在。
ライアンの時には感じたことのない、人を好きになるという感情が確かに芽生えていた。
「ありがとうございます。でもそれはエドワード様も同じです。クマがひどいですよ、ちゃんと寝れていないんじゃないですか?」
「ああ……、実は最近忙しくて」
エドワードは軽く肩をすくめ、苦笑を浮かべた。
「皆には隠しているつもりなんだが、やっぱりリザの目は誤魔化せそうにないね」
微笑むも、どこか力のない表情だ。
誰よりも気丈に振る舞い、周囲に弱さを見せまいとしているのだろう。
無理をしているのはエドワードの方に違いない。
「お待ちください。疲労回復の効果がある薬を調合しますから」
そう言って席を立った瞬間、扉を強く叩きつける音が響いた。
「リザ! いるんだろう!」
扉の向こうから聞こえた声に背筋が冷たくなるような感覚が走った。
「ここにいると噂で聞いたんだ! リザ! 頼む! 開けてくれ!」
扉を叩きながら懇願するように叫んでいる声は、ライアンのものに間違いなかった。
二度と顔なんて見たくないと思っていた人物の突然の来訪に、驚きを隠せずにいる。
「リザの知り合い?」
「……ライアン様です。私の、元婚約者」
それを聞いたエドワードの顔が一瞬険しくなった。
「ここで騒がれるのも迷惑です。彼を入れてあげましょう」
エドワードは優しく微笑んだが、その中にはどこか鋭い強さを感じる。
「でも、エドワード様にご迷惑が……」
「そんなことはない。リザを守るのは、私の役目ですから」
その言葉を聞いた瞬間、胸が思わず高鳴った。
『大事な薬師の後継者として守る』という意味にすぎないだろうが、恋心を刺激するには十分すぎるほどの言葉だ。
そうしている間も扉は強く叩かれている。
エドワードと目を合わせ一度頷き、ドアノブに手をかけた。
「リザ……! 頼む! 薬を調合してくれ!」
久々に顔を合わせた開口一番が謝罪でも反省でもないなんて。
その人間性にまた呆れてしまう。
「リザの薬が切れてから発作が止まらないんだ……! 俺を助けてくれ!」
「婚約は解消したはずです。それもライアン様からの申し出で。あなたに薬を調合する義務は、もうありません」
はっきりと冷たい口調で拒むも、ライアンは引こうとはしない。
さらに床に膝を突いて、すがるような瞳で見つめてくる。
「悪かった……! だから、どうか薬を……!」
はい、わかりました、と素直に言えるはずもない。
湧き上がるのは、嫌悪感。そして自業自得だという気持ちだけ。
それでもほんの少しだけ、薬師として苦しんでいる人を助けたいという思いも残っていた。
怪訝な顔でライアンを見据えていると、エドワードがこの場を取り仕切るように口を開いた。
「ライアンさん、あなたのしたことは決して許されないことです。でも、リザはあなたを救いたいようにも見える。しかしそれはあなたのためではなく、薬師としての使命感からです」
エドワードの声音は淡々としながらも毅然としていた。ライアンを見る眼差しには、一片の情けも見当たらない。
そして、エドワードはこちらに視線を直して一度にこりと微笑む。
翡翠色に輝く瞳は、やはりこちらの心情を見透かしているかのようだ。
大きくゆっくりと息を吐いて、ライアンに答える。
「……わかりました」
「リザ……!」
ライアンは喜びに満ちた目でこちらを見つめている。
そのきらきらしている瞳に虫唾が走りながらも、言葉を続ける。
「でも、薬は出しません。その代わりに調合書をお渡しします。それでもう二度と、私の前に現れないでください。これが最大限の譲歩です」
「十分だ! やはり俺にはリザしかいない! 本当に悪かった! だからもう一度、俺とやり直さないか!?」
「……は?」
怒りを通り越して殺意が湧いた。
「ふざけないで」と怒鳴りつける寸前、エドワードが一歩前に進み出て、冷酷な声で口を開いた。
「ライアンさん。これ以上戯言をお続けになるのであれば……ここから無事に出られる保証はいたしかねますよ」
にこっとしているも目は笑っていない。
殺気すら感じる冷たさと、マクロード家の公爵という肩書きがライアンを震え上がらせたようだ。
ライアンは「調合書が出来るまで外で待っている」と怯えるようにすぐさま部屋を出ていった。
すぐに調合書を作成し、エドワードに向けて腰を折る。
「ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ごさいません」
自分だけではなく、エドワードにも被害が及んでしまった。
その相手がかつて自分の婚約者だったことが、ただただ恥ずかしい。
「いえ、いい機会でした。彼はもう二度と、この城館の敷居を跨ぐことはないでしょう」
彼ははっきりと言い切った。
「リザも精神的に疲れたでしょうから、ゆっくり休んでいてください。調合書は私の方から彼に渡しておきます」
ありがたい申し出だった。
もう二度と顔すら見たくないと、恐れ多くもエドワードに調合書を手渡す。
「……本当に、何から何まで申し訳ないです」
「言ったじゃないですか。リザを守るのが私の役目です」
王子様のような金髪をなびかせて、悠然と部屋を後にした。
それから三ヶ月が経った。
師匠も私の実力を認めてくれ、薬師としてさらに成長した日々を過ごしている。
そんな中で、ライアンの容態は芳しくはないと風の噂で聞いた。
それでまた私に会うため何度かマクロード家にも訪れていたようだが、エドワードが調合書を渡した際に取り交わした契約書──二度とマクロード家に足を踏み入れない──の効力で門前払いをくらっていたようだ。
それに渡した調合書は確かに本物だ。ただ、その日の体調で配分を変えていただけ。
しかし、そこまでする義理はない。
調合書のおかげで今も生きているのだから、ありがたいと思ってほしい。
そしてカリン。
ライアンの持病のせいでお勤めが出来なくなり、また違う貴族と関係を持ったらしい。
その相手は国王に近しい公爵だったらしく、関係を暴露されたカリンは強制的に婚約破棄を突きつけられ、家からも追放されたとか。
今やどこかの修道院で暮らしている、なんて噂まである。
──馬鹿につける薬はないわね。
過去を振り切るように、小さくため息をついた。
もうあの頃のことを思い出す気にもなれない。
今日もまた、調合室に軽快なノック音が響いた。
扉の向こうにいる相手はもうわかっている。
「お疲れ様、リザ」
「エドワード様、今日もありがとうございます」
笑みを交わし彼を招き入れると、わずかに甘い香りがした。焼きたての洋菓子とはまた違った匂い。
そしていつも持っているバスケットではなく、小さな白い箱を大事に掲げている。
「それは……ケーキですか?」
「さすがだね。今日はショートケーキにしたんだ」
「ありがとうございます。でもケーキって、何だか特別な日みたいですね」
ふふっと笑うと彼は少し真剣な眼差しになった。
「リザと過ごす時間は、いつだって特別だと思っているよ」
そう言ったエドワードは、すぐに顔を赤らめて目を逸らす。
「ちょっとキザすぎたかな」
その照れた表情に見惚れてしまった。
心臓が早く脈打って、全身に温かさを感じる。
「……いいえ。嬉しいです。私も、エドワード様と過ごす時間は特別だと思っていましたから」
「リザ……」
彼は箱を近くのテーブルに置いて、こちらに向かって跪いた。
「エドワード様!?」
急な所作に驚き慌ててしまうも彼は落ち着いていて、そして優しく言葉を紡ぐ。
「君の夢は、薬師として独立することだったよね」
戸惑いながらも、こくりと頷く。
「きっとリザなら達成できる。私の夢も、聞いてもらっていいかな?」
「はい」
彼は少しの間を置いてから、穏やかな表情で続けた。
「私の夢は、君と一緒にいることだ」
驚いて目を見開く。
そして彼の言葉がゆっくりと心に響き、まるで時間が止まったかのような感覚に襲われた。
「覚えているかな。あの日、酔って体調が悪くなった私を君が治してくれたこと。あの時私を助けてくれたことが、今でも忘れられないんだ」
あの日の優しさと温もりは、私だってずっと心に残っている。
エドワードに出会っていなければ、今の私はいないのだから。
「リザの存在が、私にとっては薬のようなものなんだ。どうか、私の妻になってくれないか?」
エドワードは真剣な眼差しで、あの日のように手を差しだす。
彼に抱いていた想いが溢れ出し、気がついたら涙が頬を伝っていた。
「はい」
手を取ると彼の温かさがすぐに伝わってきた。それは胸の奥にまで広がっていくようだった。
これから先、どんな困難が待っていても二人で手を取り合って歩んでいける。
新しい人生は、幸せと希望で満ちていた。
お読みいただきありがとうございました
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王道恋愛ファンタジーも連載中なので、そちらもお願いします◎