記憶の散歩道
ある日の午後、私は会社の研究部署に呼び出され、試験運用のVR装置を体験することになった。
「君は長年、事務局長として働いているからね。ぜひこの装置を体験してもらいたい。それに地元出身だから都合が良いのだ」
私より十は年上の研究部長が、カプセル型の装置を前に説明を始めた。
「都合が良い、といいますと」
「このVRは、地元地域の40年前の立地を再現したものになるんだ」
「40年前を?」
「建物や道路のデータは全て建築会社などに残されているからね。とても懐かしい光景が見られると思うよ」
その後、私は装置の中に入り、頭と手足に様々な装置を取り付けられ、過去の散歩に赴くことにした。
「おお、道の狭さといい、建物の古臭さといい、まさに40年前の地元じゃないか」
仮想空間に入った私は、意外な完成度の高さに思わず独り言を漏らしていた。
「このトンカツ屋は……」
小さな、トンカツ屋の暖簾がかかっている建物。これも記憶の通りだった。
「そうそう、父さんに連れられてよく行ってたなぁ。たしか、店主のおっちゃんが病気で亡くなったんだっけ」
しみじみとした気分で、私は誰もいない道路を練り歩いていく。
「あっ、ここは」
目の前に現れたのは、子ども時代に一番の遊び場だったショッピングモールだ。今では、この土地は更地になってしまっている。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、右側にある生花店から女性の声がした。
「ああ、思い出した。入ったらいつもあそこのおばさんが、言ってたよな」
店の中を進んでいくと、最初は人のいなかった店内が、徐々に賑やかになっていく。
「子どものころはこれくらい人がいて、賑わっていたよなぁ」
そして、中心部にある、大きな時計が設置された広場へたどり着いた。
「ああ懐かしい、この広場で両親とよく待ち合わせを――」
広場の壁際に佇む人物に、私は言葉を失った。
「達明、そろそろおうちに帰りましょう」
「約束の時間は過ぎてるぞ。今夜は父さん奮発して、すき焼きにするからな」
「ああ……父さん! 母さん!」
「どうかね、事務局長の様子は」
「まだ錯乱状態が続いているようです。今もぶつぶつと独り言を呟いています」
「やはり、実用化するには完璧な再現を避けたほうが良いようだな」
「VRに人物のデータは一切入っていないのに……部長はこの事を、予測されてたのですか?」
「ある程度はな。記憶にある世界が目の前に現れたとき、人の脳は思い出すら再現したくなるものだ」
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