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さあっと風が吹く。

花のいい匂いがする。

狐は鼻をぴくぴくさせた。

「ああ、いい香りだ。春の香りだ」

狐は言った。


僕は立ち上がった。

「行くのか?」

狐は言った。

僕は頷いた。

「爺ちゃんの家に行くんだ。それから砂浜を歩いて街へ行って小学校を見て、定食屋で旨い海鮮丼を食べる」

「友達の家には行かないのか?」

狐は聞いた。

「うん。今回はいいや。……どうだい? 爺ちゃんの家に一緒に行くかい? 久し振りに」

そう付け加えた。

狐は少し考えて頷いた。

「いいよ。一緒に行ってやっても。久し振りだからな」

狐は言った。

狐と僕は歩き出した。



山を下りると狐はあの頃の少年の姿に化けた。

僕はとても懐かしく思った。

「コンちゃん」

そう呼んでみた。

コンちゃんは気持ち悪そうに僕を見た。

「きもいな。やめてくれないか?」

そう言った。

僕は密かに傷付いた。


中学を卒業し、まだ高校生になっていない僕と小学生の「コン田君」は道を行く。

二人でふざけながら爺ちゃんの家の前に来た。

爺ちゃんの小さな家は雨戸が閉まっていた。


僕は目を閉じた。


「おお。サトル。久し振りだな。良く来たな。良かった。サトルにまた会えた」

爺ちゃんの声がした。

「いやいや、これはこれは。コン田君じゃないですか。お久しぶりです。良く来た。良く来た。良かった。さあさあ、家にお上がり」

爺ちゃんの皺だらけの顔が穏やかに笑う。

「サトルは4月から高校生か。受験、頑張ったなあ」

そう言って爺ちゃんは僕らを招く。


僕は目を開けて玄関のドアに触れた。

ドアは固く閉められていた。



爺ちゃんは半月前に亡くなった。

癌だった。

癌が分かってから、僕の家に引っ越して来て、家の近くの大学病院に入院した。

治療を終えて退院すると、僕の家で一緒に暮らした。

そうやって入退院を繰り返していたが、とうとう亡くなってしまった。

癌が発見されてから2年後の事だった。



爺ちゃんは寝る前に受験勉強をする僕の部屋にやって来た。

「サトル。無理をするな。じいちゃんはねるぞ」

「おやすみ。じいちゃん」

「おやすみ。また明日」


僕はもう二度と開けられる事のない扉に手を置いたまま小さな家を眺めた。

子供の頃の思い出が蘇った。

爺ちゃんの魂はこの家に戻って来ただろうか。

それともあの神社の御山に還ったのだろうか。神様の懐に。


「爺ちゃん、実は半月前に亡くなったんだ……」

僕はそう言ってコン田君を見た。


狐は消えていた。

「あれ?」

僕は辺りをきょろきょろと見回した。


僕は地面に張り付いた自分の影を見詰めた。

それから視線を上げて社のある山を眺めた。


狐は山に帰ったのだろうか。

それとも僕に帰ったのだろうか。


それとも最初から狐などいなかったのだろうか。

僕の寂しさが狐を生み出し、爺ちゃんはそれに付き合ってくれただけなのだろうか?


僕は暫し考え、確信した。

いや、狐はいる。

あの頃の僕は、狐と一緒にご飯を食べて、狐と一緒に遊んで、風呂に入って眠った。

僕の影はここにいる。きっと爺ちゃんと一緒に。



僕は御山の方に向かって呟いた。

「また来ます。今度は夏にでも」

家に向かって呟いた。

「また来るよ。……爺ちゃん。また会おうね」


僕はここへ誰に会いに来るのだろうか。

勿論、狐に会う為に。

爺ちゃんの思い出に会うために。

それとも、あの頃の僕に会いに来るのだろうか。



僕は一つ頭を下げると踵を返し、砂浜に向かう道を歩き出した。


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