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商売をしていた父方の祖父は裕福だった。それを引き継いだのが父の兄であった。
祖父は殆どの財産を長男に引き継いだが、次男である父が母と結婚した時、小さな土地と家を与えてくれた。
伯父の代になって仕事が上手く回らず、資金繰りが難しくなった。古い仕方で商売をやっていたから、時代の波に呑まれてしまったのかも知れない。
お得意が減って行き、従業員がどんどん辞めて行った。
結局、伯父の会社は倒産し、かなりの借金だけが残った。
家屋敷はすでに銀行に差し押さえられていた。
万策尽きた伯父一家は夜逃げをしてしまった。
資金繰りに困って町金融から金を借りたのが膨れ上がったのだ。
債権者達は伯父の保証人である父に押し掛けた。即ち僕の家に。
父には伯父からのメールが一通。
「済まない」と。
それから生活が一変した。
毎日の様にやって来る黒服、サングラス姿の男達に僕達家族は脅され続けた。とても怖かった。僕は怖くて母から離れる事が出来ず、夜尿が始まった。電話が四六時中鳴って、父は線を抜いた。
父と母は相談して僕を母方の祖父の家に預ける事にした。
母は学校から下校する僕を校門の所で待っていて、隣の県の端っこにある祖父の家に向かったのである。
母はその晩、僕にじっくりと言い聞かせた。
落ち着いたら迎えに来る。その間、パパとママは必死で働いて借金を返すから、だからここでいい子で待っていて欲しいと。
僕はそんなのは嫌だと言いたかった。僕だって父や母と一緒にいたい。怖いけれど。
けれど泣きながらそういう母を見て、嫌だって言う事が出来なかった。僕は自分の心にむりやり蓋をして、頷くしかなかった。
「落ち着いたら迎えに来る」
母はそう言った。
「どの位待てばいいの?」
僕はべそべそ泣きながら尋ねた。
母は数か月だと言った。
「一生懸命に働いて借金を返すから」
母はそう言った。
それが一年を過ぎてしまったのは、精神的にも体力的にも追い詰められた父が過労で倒れたからである。母は仕事をしながら父の世話をして、それから僕の事も気にかけ、ばらばらに過ごす家族の為に我武者羅に毎日を過ごしていた。
父の入院はそれ程長引かないで済んだが、それ以来、無理な仕事は控える様になった。母が断固としてさせなかった。
それが原因で体を壊したら元も子もないと身に沁みて理解したからだ。
これは僕が後で知った事だ。
小さい僕には何も知らされていなかった。だから僕は父の入院も知らなかった。
母は月に1度、必ず僕に会いに来た。
僕が父の事を聞くと「お父さんは仕事が忙しくて来ることが出来ない」と言った
そして来る時にはお土産を持って来た。僕の服や新しい靴など。母が来ると祖父と三人で町の定食屋に行って海鮮丼を食べた。そして僕は久しぶりに母と一緒に眠った。帰る時に母は祖父にほんの少しのお金を渡した。
僕は祖父と一緒に、母を駅まで見送った。
母を見送ると僕は布団に潜り込んでわんわん泣いて、そしてそのまま眠ってしまった。
父はかなり過ぎてから一度だけ来た。
(きっと、退院してから来たのだと思う)
僕はその時は父から離れなかった。父にくっ付いたままで過ごして、父と一緒に眠った。
父は次の朝、僕が眠っている内に帰ってしまった。
僕はまた泣いた。
父はきっと僕に会うと連れて帰りたくなるから来なかったのだと思う。父は母よりも繊細で優しい人だったから。
祖父は優しい人だったから、それだけが有難かった。
僕は祖父と一緒に眠った。
祖父は貧乏だったし、仕事で忙しかった。
家で作った野菜を近くの道の駅まで運んでそこに置いてもらっていた。朝、それを終えると午後の3時まで近くの蕎麦屋で働いた。
祖父は自分が出掛ける時に、僕を起こして行った。
「遅刻をしない様に行きなさい」
僕は布団の中から返事をした。
僕は祖父が置いて行ってくれたお握りとお茶で朝食を済ませて、それから一人で鍵を閉めて学校へ向かった。
一度、祖父が僕の社会科見学をすっかり忘れてしまった事があった。
弁当を持たない僕に先生はコンビニで弁当を買って来てくれた。
それ以来、先生は何か行事があると祖父に電話を入れてくれるようになった。